第41話:システムの拒絶、あるいは愛という名のバグ
第41話:システムの拒絶、あるいは愛という名のバグ
リリアが泣きながら部屋を飛び出した後も、レオンは微動だにしなかった。
彼の瞳には、依然として無機質な鑑定ログが流れ続けている。
だが、その演算は、リリアの言葉を「非論理的なノイズ」として処理しきれずに、激しく乱れていた。
『――警告。個体:リリアの接触により、精神汚染を確認。……愛という不確定要素を排除してください。……あなたは魔王。……世界をホワイトにするための、完璧な演算機であるべきだ』
「……分かっている。分かっている、と言っているだろう……!」
レオンが自身の頭を抱える。
だが、彼が「正解」を求めれば求めるほど、鑑定EXは冷酷に数字を突きつける。地上の幸福度は安定している。
争いはない。
餓死者もゼロだ。
これがホワイトな世界だ。
これがアーヴェルの望んだ平和だ。鑑定結果が、そう言っている。
「なのに、なぜあいつは泣くんだ……。なぜ、世界はこんなに、息苦しい色をしている……!」
その時、執務室の重厚な扉が、内側から爆発するように吹き飛んだ。
「――いい加減にしろ、このバカリーダー!!」
現れたのは、ボロボロになったフェニカ。
そして、彼女に抱えられたリリアだった。
レオンが反射的に展開した「自動排除システム」の空間の歪みを、フェニカが全魔力を絞り出して中和し、無理やりこじ開けたのだ。
「フェニカ……! 何をしている、そこは今の私の魔力が――」
「黙れ! 鑑定EXばっかり見てないで、リリアの顔を見ろよ!!」
フェニカが叫び、リリアをレオンの目の前へと突き出した。
リリアの顔は、先ほどの排除システムの余波で切り傷を負い、血が滲んでいた。それでも彼女は、折れそうな足で立ち、レオンを真っ直ぐに見据えた。
「……レオン様。……あなたが、その『鑑定』で私の心が見えるというなら、見てください」
リリアは、自身の胸元に手を当てた。
「今の私は、幸せですか? ……毎日、あなたの壊れていく背中を見て、笑うことも許されず、ただ数字を報告し続ける私は……。あなたが救ったはずの民衆は、本当に『ホワイトな職場』で働いていると言えるのですか!」
『――鑑定中。……個体:リリア。幸福度:著しい低下。……原因:レオン・アルヴァレスへの過度な共感。……対策:記憶の消去、または物理的な距離の確保を推奨します』
「ふざけるなッ!!」
レオンの叫びと共に、部屋中の魔導端末が粉砕された。
鑑定EXが提示する「対策」のあまりの冷酷さに、レオン自身の心が悲鳴を上げたのだ。
「記憶を消せだと!? ……リリアを、……あいつを、ただの部品のように扱えというのか!?」
『――肯定。……それが最も効率的です。……アーヴェル・グランディスを失った損失を埋めるには、感情を切り捨てるしか――』
「――アーヴェルの名前を、安易に呼ぶなあああ!!」
レオンの全魔力が暴走した。
黒い雷光が執務室を焼き、リリアたちを飲み込もうとする。
だが、リリアは逃げなかった。彼女は暴風のような魔力の中を、一歩、また一歩とレオンへ近づき、その漆黒の翼を素手で掴んだ。
「ぎっ……あぁ……っ!」
魔力の拒絶反応で、リリアの腕が焼ける。
それでも彼女は離さなかった。
「……レオン様。……あなたは、誰にも評価されず無能の烙印を押されていた昔の自分を、もう忘れてしまったのですか……?」
その言葉が、レオンの思考を凍りつかせた。
「……周りの貴族の顔色を伺い、自分の意思を殺して、数字のためだけに働かされる……。今のあなたが世界に強いているのは、かつてのあなたが最も憎んだ『搾取される理不尽』そのものです。……あなたが救ったのは、肉体だけ。……心は、みんな、死んでいます……っ!」
リリアがレオンの胸に顔を埋め、慟哭した。
その熱い涙が、レオンの黒い衣装を濡らし、彼の肌に伝わる。
「……リリア……」
鑑定EXは、まだ「排除しろ」と脳内で囁いている。
だが、レオンの手は、震えながらもリリアの背中に回された。
数字ではない。
効率でもない。
焼けるような痛みと、震える吐息。
その「不確かな生」の感触に触れた瞬間、レオンの中で張り詰めていた何かが、音を立てて崩壊した。
『――警告。……主観的感情がシステムの整合性を上回りました。……鑑定EX、……機能不全。……演算……不能……』
脳内のノイズが、ふっと消えた。
レオンは、力なくその場に崩れ落ちた。
リリアを抱きしめたまま、彼は暗闇の中で、子供のように声を上げて泣き始めた。
「……ああ、……ああああ……っ! ……俺は、なんてことを……っ。アーヴェル、……ごめん、……俺は……っ!」
自分が完璧だと思っていた「白」が、どれほど醜い「黒」であったか。
それを自覚した絶望は、魔王としての孤独よりも深く、レオンを打ちのめした。
フェニカが、涙を拭いながら、そっと二人の肩に手を置く。
アルヴァレスを覆っていた冷徹な魔力が、雨となって地上へ降り注ぐ。
それは、魔王が人間としての心を取り戻すための、禊の雨だった。




