第39話 幸福のノルマ、あるいは冷徹な福利厚生
第39話:幸福のノルマ、あるいは冷徹な福利厚生
「戦争」という最大の非効率を解体したレオンの次なる一手は、地上の経済活動そのものへの介入だった。
ある朝、大陸全土の街や村に、アルヴァレス謹製の「魔導端末」が強制配備された。
それは、個人の労働量、納税額、そして『精神疲労度』をリアルタイムで鑑定し、最適な報酬を自動的に給付するシステムだった。
「……本日より、全労働者に対し『適正報酬保証法』を適用する。……鑑定EXによれば、地上の富の80%が上位2%の無能な特権階級に滞留している。これは経済という血流を阻害する血栓だ。……今この瞬間をもって、すべてを再分配する」
レオンが虚空のレバーを引く。
瞬時に、腐敗した貴族の金庫から金貨が消失し、過酷な労働を強いられていた炭鉱夫や農民のボードへと「適正な賞与」として転送された。
「な、なんだこれは……。一ヶ月分の給料が、一瞬で三倍に!?」
「魔王様が……魔王様が俺たちを見てくれている!」
地上では歓喜の嵐が吹き荒れた。
だが、アルヴァレスの玉座に座るレオンの表情は、氷のように冷たいままだった。
「……喜ぶ必要はない。それは君たちの『残業代』と『精神的慰謝料』の精算に過ぎない。……ただし」
レオンの瞳が、鑑定EXの黒い光を帯びて鋭くなる。
「――同時に『幸福度ノルマ』を課す。……私の管理下において、絶望による生産性の低下は認めない。……一週間以内に精神疲労度が改善されない者は、強制的に『リフレッシュ休暇(隔離保養)』へ送る。……拒否権はない。幸福になることは、この世界の全人類の業務だ」
***
「……レオン様。いい加減にしてください」
評議塔の会議室。リリアが、震える声でレオンを遮った。
彼女の目の前には、レオンによって「効率が悪い」と切り捨てられ、無理やりバカンスへ送られた行政官たちのリストが並んでいる。
「人々は恐怖しています。……『笑わなければ、魔王に連れ去られる』。そう言って、みんな引き攣った笑顔を端末に向けているんです! これのどこが、あなたの目指したホワイトな環境なんですか!」
「……リリア。鑑定EXの結果は絶対だ。……心が病めば効率が落ちる。効率が落ちれば、世界はまたブラックな理不尽に支配される。……私はただ、アーヴェルのような『損失』を二度と出さないために、最速で最適解を実行しているだけだ」
「アーヴェル様は、数値で管理される平和なんて望んでいなかった! ……レオン様、あなたは今、ご自分が何よりも嫌っていた『ブラック企業の独裁経営者』そのものになっています!」
パリン、とレオンの傍らにあった水差しが割れた。
魔力の揺らぎではない。
レオンの指が、無意識に握りつぶしたのだ。
「……私を、あの無能な王族たちと一緒にするな。……私は、全てを見ている。全てを鑑定している。……誰よりも、働いている」
「それが、一番の問題なんです……」
リリアは涙を拭い、部屋を飛び出した。
残されたレオンは、震える自分の右手を無表情に見つめた。
『鑑定EX:レオン・アルヴァレス。……精神疲労度、計測不能。……睡眠不足、蓄積限界。……警告:心臓への負荷が致死域に接近中。……リフレッシュ休暇を推奨します』
「……黙れ。……私が止まれば、誰がこの巨大な組織(世界)を回すんだ。……私は、止まれない」
レオンは、自身のシステムが自分に発した警告を「バグ」として処理し、消去した。
***
その頃、地上の「保養施設」――レオンが無理やり作った、豪華だが、武装騎士に監視されたリゾート地。
そこには、かつての王国でレオンを慕っていた者たちや、カイルの姿もあった。
「……カイル。俺たち、どうすればいいんだ。……レオンは、本当に俺たちを救ってくれているのか?」
仲間の問いに、カイルは空に浮かぶアルヴァレスを見上げ、悲しげに首を振った。
「……救ってくれているさ。……お腹はいっぱいだし、嫌な仕事もさせられない。……でもな、あいつ、自分を救う方法だけ『鑑定』し忘れてるんだよ」
カイルの手には、鑑定EXによって自動送付された「幸福維持マニュアル」が握られていた。
そこには、レオンの筆跡によく似た、どこか切羽詰まったような緻密な「幸福の定義」が書き連ねられていた。
世界から「ブラック」が消え、人々は豊かな生活を手に入れた。
だが、その代償として、世界でたった一人、魔王レオンだけが、無限の残業という名の「統治」に殺されようとしていた。




