第36話 不協和音の終止符、あるいは魔王の誕生
第36話:不協和音の終止符、あるいは魔王の誕生
聖堂を包み込んだ漆黒の魔力は、爆発的な「光」へと転じた。
それはレオンの全魔力を注ぎ込んだ、世界規模の『強制鑑定情報の共有』。
「な……何よ、これは!?」
セシリアが絶叫する。
聖堂にいた騎士たち、広場を埋め尽くした数万の民衆、そして魔導放送を視聴していた世界中の人々の脳内に、レオンが見ている『真実』が濁流となって流れ込んだ。
――それは、アーヴェル・グランディスが死ぬ間際に見た光景。
セシリアが冷笑を浮かべてアーヴェルの胸を突き刺す瞬間。
アイゼン要塞の将軍たちが、高笑いしながら遺品を弄ぶ音声。
そして、今この瞬間にセシリアが発動させている、アーヴェルの魂を汚す『死霊術』の術式構造そのもの。
「鑑定EX、全感覚同調」
レオンの冷徹な声が響く。
民衆は見た。自分たちが「聖女」と崇めた女の、吐き気を催すような本性を。
民衆は感じた。レオンが抱えてきた、気が遠くなるような孤独と、親友を汚された激痛を。
「あああああ! やめて! 見ないで! 来ないでえええ!!」
セシリアが頭を抱えて石床を転げ回る。
彼女の偽り、罪、欲望。そのすべてが鑑定EXによって白日の下に晒され、彼女自身にも「自分が犯した罪の重さ」が数千倍の精神負荷となってフィードバックされる。
それは死よりも苦しい、精神の解体作業だった。
***
レオンは、腕の中のアーヴェルの霊体を見つめた。
情報の共有が終わった今、呪縛の術式はレオンの魔力によって霧散しつつある。
「……レオン」
アーヴェルの声に、もう苦悶の色はなかった。
透き通るような穏やかな表情。彼は、自分を抱きしめるレオンの腕に、そっと手を添えた。
「ありがとう。……君は、やっぱり……世界で一番、不器用で……優しいな」
「黙ってろ。……今、楽にしてやる」
「いいんだ。……これで、いい。……レオン。……自分を、許してあげなさい」
アーヴェルの体が、淡い光の粒子となって崩れていく。
レオンは、その光が空に消えるまで、強く、折れそうなほど強く抱きしめ続けた。
光が消えたあとに残ったのは、血に汚れた一本の杖。
そして、レオンの頬を伝う、たった一筋の涙だけだった。
「……さよならだ、アーヴェル」
***
レオンがゆっくりと顔を上げる。
その視線の先には、廃人のように虚空を見つめ、泡を吹いて倒れているセシリアがいた。
周囲の騎士たちは、もはや彼女を助けようともしない。彼らの目にあるのは、汚物を見るような忌避感だけだ。
「殺さないのか! レオン・アルヴァレス!」
一人の騎士が、絞り出すように叫んだ。
だが、レオンは一瞥もくれなかった。
「……殺す価値すらない。こいつは、自分が最も欲しがった『人々の称賛』の中で、永遠に軽蔑され、自分自身の罪を鑑定され続けながら生きる。……それが、俺の与える神罰だ」
レオンが背を向ける。
聖堂から外へ出ると、雨は止んでいた。
しかし、集まった民衆たちは、レオンと目を合わせることができなかった。
彼らは真実を知った。レオンが正しかったことを知った。
だが同時に、彼を「魔王」に追い込み、親友を奪う手助けをしてしまったのが、自分たちの無知と偏見であったことも知ってしまったのだ。
「レオン様……!」
空から、フェニカとリリアが舞い降りた。
二人はレオンに駆け寄ろうとするが、レオンの周囲に展開された「虚無」の魔力が行く手を阻む。
「レオン、終わったんだよね……? また、みんなで……」
リリアが必死に手を伸ばす。
だが、レオンは立ち止まらなかった。
「……リリア。フェニカ」
レオンの声は、以前よりもずっと遠く、冷徹な響きを帯びていた。
「アーヴェルは死んだ。……そして、俺の中にあった『甘え』も死んだ」
レオンが空を仰ぐ。そこには、かつて二人で夢見た、ホワイトな国家・アルヴァレスが浮いている。
「俺は、もう二度と対話を信じない。……これからのアルヴァレスは、正義でも慈愛でもなく、圧倒的な『拒絶』によってのみ世界を統べる。……俺について来られないなら、今すぐ降りろ」
「そんな……レオン……」
フェニカが絶句する。
リリアは、差し出した手を握りしめ、ただ泣くことしかできなかった。
レオンの体から、黒い魔力が翼となって広がる。
彼は一人、誰の手も借りずに空へと舞い上がった。
***
数日後。
浮遊国家アルヴァレスは、すべての国との国交を断絶し、地上から数千メートルの高空へと上昇した。
もはや、誰もその姿を拝むことはできない。
中枢の玉座に、レオンは一人で座っていた。
傍らには、アーヴェルの杖。
そして、以前は寄り添っていた聖獣ウルも、今は離れた場所で悲しげに彼を見つめている。
『解析EX:全機能正常。……世界監視網、構築完了。……アルヴァレス周辺に接近する個体、ゼロ。……レオン・アルヴァレス様。現在の精神状態は――』
「――消せ」
レオンの一言で、鑑定EXのログが消滅する。
静寂。
完全なる孤独。
彼は、守りたかったものを守るために、人間であることを捨てた。
王制を否定したはずの男は、今、世界で最も孤独な、真の『魔王』として、冷たい玉座に君臨している。
第四章:不協和音と喪失の輪舞曲――完結。
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物語は、ここから第五章へと続きます。
それは、世界を恐怖で塗り潰す「魔王」の時代か。
それとも、失われた心を取り戻すための、さらなる絶望の始まりか。




