第35話 断罪の聖堂、血塗られた欺瞞
第35話:断罪の聖堂、血塗られた欺瞞
隣国の王都中央にそびえる、白亜の大聖堂。
そこは今、数万の民衆と、世界中に中継される魔導放送の視線が集まる「劇場の中心」と化していた。
聖堂の周囲を囲むのは、隣国の誇る第一騎士団。そして、彼らが守るのは、祭壇の前で祈りを捧げる「悲劇の王女」セシリア・ルミナスである。
だが、その平穏は、突如として天から降り注いだ「死の予感」によって粉砕された。
――ドォォォォォン!!
落雷ではない。大気が、その主の怒りに耐えかねて悲鳴を上げたのだ。
上空の雲が真っ二つに割れ、そこから一筋の漆黒の光光が聖堂の正面へと突き刺さる。
爆煙が晴れると、そこには一人の男が立っていた。
レオン・アルヴァレス。
彼の纏う魔力は、もはや七色の全属性を混ぜ合わせた「虚無の黒」へと変質しており、彼が歩を進めるたびに、石畳が重圧で粉々に砕け散る。
「……退け」
レオンが発した一言。
それだけで、最前列にいた百人の重装騎士たちが、肺の空気を強制的に絞り出されたかのように膝をつき、意識を失った。
戦いではない。ただの「歩行」が、もはや災害に等しい。
「悪魔め……! アーヴェル様の魂を汚すつもりか!」
「セシリア様をお守りしろ!」
意識を保った騎士たちが剣を抜くが、レオンは彼らを見ることすらなかった。
彼の『鑑定EX』は、聖堂の奥に潜む「悍ましい悪意の正体」を、すでに正確に捉えていた。
レオンが聖堂の巨大な扉を指先でなぞる。
直後、厚さ数メートルの鉄扉が、まるで塵芥のように消滅し、聖堂の内部が白日の下に晒された。
***
聖堂の深奥。
祭壇の前で、セシリアはゆっくりと振り返った。
彼女の手には、あの血塗られたアーヴェルの遺品が握られている。
「……ようこそ、魔王レオン。あなたが来てくれると信じていましたわ」
セシリアの声は、マイクの役割を果たす魔導具を通じて、広場の民衆にまで鮮明に響く。
彼女は、恐怖に震えるフリをしながら、レオンの鑑定EXでも「嘘」だと断定できないほどの演技力で微笑んだ。
「返せ、セシリア。その汚れた手で、あいつに触れるな」
レオンの一歩ごとに、聖堂の柱がミシミシと軋み、ひび割れていく。
その様子は、誰の目から見ても「弱き王女を追い詰める残虐な怪物」そのものだった。
「返してほしければ、ここへ。……ただし、一つだけお願いがあります」
セシリアは祭壇の横に置かれた、巨大な水晶の棺を指差した。
そこには、かつてレオンがアイゼン要塞で「消し飛ばした」はずの、兵士たちの無惨な遺品や、血まみれの鎧が積み上げられていた。
「この方々の命、そしてアーヴェル様の魂に、ここで跪いて謝罪しなさい。そうすれば、この遺髪はお返しします。世界はあなたの『反省』を、きっと記録してくれるでしょう」
「……謝罪だと?」
レオンの瞳に、極寒の殺意が宿る。
『全属性魔法鑑定EX:対象を完全スキャン。……警告。セシリア・ルミナスの体内に「死霊魔術」の術式を確認。……さらに、アーヴェルの遺品に「魂の呪縛」が施されています』
鑑定結果が、レオンの脳内に冷酷な真実を叩きつける。
セシリアは、アーヴェルの魂を弔うどころか、その遺髪に残留した魔力を使い、彼を「意思なきアンデッド」として使役しようとしているのだ。
「貴様……あいつの魂まで、道具にするつもりか」
「あら、何のことかしら? 私はただ、皆様に平和を訴えているだけですわ」
セシリアが、指をパチンと鳴らした。
その瞬間、聖堂の地下から、悍ましい黒い霧が噴き出した。
霧の中から現れたのは、肉体を失い、半透明の歪んだ姿となった――アーヴェルの「霊体」だった。
だが、その瞳には光はなく、苦悶に顔を歪めている。
「アー……ヴェル……?」
レオンの動きが、初めて止まった。
鑑定EXが、無慈悲にログを更新する。
『対象:アーヴェル・グランディス(霊体)。……状態:セシリア・ルミナスの命令により強制具現。……苦痛レベル:限界突破。……レオン・アルヴァレスへの攻撃命令を検知』
「さあ、アーヴェル様。あなたの国を壊そうとする魔王を、止めてくださいな」
セシリアの嘲笑が響く。
アーヴェルの霊体は、震える手で光の杖を形作り、あろうことかレオンへと向けた。
「……あ……レ……オン……にげ……ろ……」
霊体がか細い声を漏らす。
その意識は辛うじて残っている。だが、術式によってその意思は踏みにじられ、彼の魔力がレオンを貫こうと収束していく。
「見なさい! これが答えよ!」
セシリアが世界に向けて叫ぶ。
「あのアーヴェル様が、霊体となってまでレオンを拒絶している! 彼は、自分の死を利用したレオンを許していないのです!」
広場から、凄まじい怒号が湧き上がった。
「魔王を殺せ!」「アーヴェル様を解放しろ!」
セシリアの計略は完璧だった。レオンがアーヴェルを攻撃すれば「友を二度殺した大罪人」となり、攻撃を受ければ「最強の死」が訪れる。
レオンは、自分に向けられたアーヴェルの魔法を見つめた。
その魔法は、かつて建国の時にアーヴェルがレオンを守るために使った、あの暖かい盾と同じ光を放っていた。
「……どこまで、あいつを辱めれば気が済むんだ」
レオンの声から、すべての震えが消えた。
代わりに出現したのは、世界そのものを書き換えるほどの、絶対的な絶望だった。
「鑑定EX、全リミッター解除。……属性融合『虚無』」
レオンの全身から、光さえ吸い込む「黒」が溢れ出した。
彼は、自分に放たれたアーヴェルの魔法を、避けることすらしなかった。
バチンッ!!
アーヴェルの全力の魔法がレオンの胸を打つが、その瞬間に魔法そのものが「消滅」した。
レオンは一歩、また一歩と、泣き叫ぶように魔法を放ち続けるアーヴェルの元へ歩み寄る。
「……アーヴェル。悪いな」
レオンは、苦悶に歪む親友の霊体を、優しく抱きしめた。
霊体の冷たさが、レオンの心に突き刺さる。
「ホワイトな職場は、俺一人じゃ無理だったよ。……お前を、こんな汚れた世界に残しておくのは、俺の傲慢だったな」
「レ……オ……ん……」
アーヴェルの瞳に、一瞬だけ、かつての優しい輝きが戻った。
レオンは、彼を抱きしめたまま、その背後にいるセシリアを、この世のものとは思えない眼差しで射抜いた。
「セシリア。お前の『劇』は、今ここで終幕だ」
「何をするつもり!? その幽霊を殺せば、あなたは永遠に――」
「殺さないさ」
レオンの周囲で、幾万もの『魔法文字』が高速で回転し始める。
鑑定EXによる、世界そのものの再定義。
「この場にいる全員に、あいつが最後に見た『真実』を強制共有する。……それから」
レオンの黒い魔力が、聖堂全体を包み込んだ。
「セシリア。お前には、死よりも残酷な『鑑定』を与えてやる」
最強の男は、親友の魂を守るために、世界中の人間が「決して見てはいけないもの」を見せる決断を下した。
聖堂から溢れ出す、絶望的なまでの真実の光。
セシリア・ルミナスの顔が、初めて恐怖で引き攣った。




