第32話 神罰の代行者
第32話:神罰の代行者
隣国、北方の軍事拠点『アイゼン要塞』。
そこは、アルヴァレスを監視するために急造された、鉄と石の牙である。
要塞の司令官、ガウス将軍は、執務室で上機嫌にワインを煽っていた。
彼の前には、血に汚れた一本の杖と、魔導ブレスレットが置かれている。アルヴァレスの宰相、アーヴェルの遺品だ。
「……ははは! 傑作だな。あの『最強』と謳われるレオン・アルヴァレスも、政治という檻の中では無力な赤子も同然だ」
彼らはセシリア王女から、完璧な台本を受け取っていた。
アーヴェルを殺害し、それをアルヴァレス内部の反乱分子の仕業に仕立て上げる。混乱に乗じてアルヴァレスへ「平和維持」の名目で軍を送り込み、あの浮遊都市の技術と、フェニカという資源を奪う。
「明日には、この遺品を返還しに行ってやる。泣いて感謝するレオンの顔を見るのが楽しみだ」
ガウスが下卑た笑いを浮かべた、その時だった。
ドォォォォォン!!
落雷のような衝撃が要塞を襲った。
地震ではない。要塞全体を包む結界が、一瞬で「消失」したことによる、魔力の反動だ。
「な、なんだ!? 報告しろ!」
ガウスが叫ぶより早く、執務室の壁が――いや、要塞の北側すべてが、紙細工のように「消し飛んだ」。
爆発ですらない。そこにあったはずの物質が、因果ごと消滅したかのような、純粋な空間の欠落。
巻き上がる土煙の中に、一人の男が立っていた。
「……返せ」
その声は、低く、そして恐ろしいほどに透き通っていた。
レオン・アルヴァレス。
かつて王国で無能と蔑まれ、追放された男。だが今、その背後には、全属性を統べる魔力の奔流が、黒い後光のように渦巻いている。
「レ、レオン・アルヴァレス……!? 貴様、宣戦布告のつもりか!」
ガウスが震える手で剣を抜く。
だが、レオンは一歩も動かない。ただ、冷徹な瞳でガウスを、そして室内のすべてを「鑑定」していた。
『全属性魔法鑑定EX:対象をスキャン……。対象個体:ガウス。虚偽の申告を確認。……周囲の残留魔力から、アーヴェル・グランディス殺害時の術式を特定。実行犯:セシリア・ルミナス直属の魔導騎士団。……共犯:この場にいる全軍』
レオンの視界には、ガウスたちがどれだけ隠そうとしても、彼らが犯した「事実」が血のように赤い文字で浮かび上がっている。
鑑定EX。かつては魔法の適性を測るための力だったそれは、今や世界の「罪」を暴く断罪の眼と化していた。
「……『事故』だと、報告書にはあったな」
レオンがゆっくりと歩を進める。
一歩踏み出すごとに、要塞の床がひび割れ、重圧で兵士たちが次々と泡を吹いて倒れていく。
「な、何を言っている! 我々は特使を守ろうとしたのだ! 暴徒が、暴徒が襲ってきたのを――」
「黙れ、無能が」
レオンの手が、わずかに動いた。
それだけで、ガウスの右腕が、肘から先を「存在しなかったこと」にされて消滅した。
断面からは血さえ流れない。神経ごと魔力で焼き切られ、痛みさえ遅れてやってくるほどの、超高密度な空間破壊。
「ぎゃあああああああッ!? あ、腕が、俺の腕がぁぁ!!」
「鑑定結果は、嘘をつかない」
レオンは、机の上に転がっていたアーヴェルの杖を、愛おしそうに拾い上げた。
杖は折れ、魔力の輝きは失われている。
アーヴェル。いつも「レオン様、ほどほどに」と笑っていた、自分にとって唯一の、過去(王国)と現在を繋ぐ理解者。
彼が死ぬ直前、何を想ったか。
鑑定EXは、杖に残された微かな思念すらも読み取ってしまう。
――『レオン、……君は、……自由になれ』
「……ああ、自由になるよ、アーヴェル。お前が守ろうとした『対話』という枷を外してな」
レオンが、要塞の全域を見渡した。
外には、隣国の兵士たちが数千、武器を持って包囲している。
彼らの瞳には、恐怖と、そして自分たちが「正義」であるという歪んだ信念があった。
「全属性魔法、同時展開」
レオンの言葉とともに、要塞の空が七色に染まった。
火、水、風、土、光、闇――そして、それらを統合した虚無の魔力が、巨大な魔法陣となってアイゼン要塞を覆い尽くす。
「や、やめろ! ここには数千の兵がいるんだぞ! 殺せば、世界が黙っていない!」
ガウスが絶叫する。だが、レオンは一瞥もくれない。
「世界か。……俺が関係ないと言ったら、本当に誰もいなくなるまで消すぞ」
その瞬間、アイゼン要塞は地図から消滅した。
爆音も、悲鳴もなかった。
ただ、目も眩むような閃光のあと、そこには滑らかなクレーターだけが残されていた。
数千の命が、一瞬にして、塵すら残さず「鑑定済みの不要物」として排除されたのだ。
***
クレーターの中央、一人で立つレオンの元へ、転移魔法でフェニカが駆けつけた。
彼女は、目の前の光景に言葉を失った。
「……レオン? これ、あなたがやったの?」
フェニカの声は震えていた。
彼女は知っている。レオンが誰よりも仲間を想い、不要な殺生を嫌っていたことを。
だが、今そこにいる男から感じるのは、慈悲の欠片もない、凍てついた「無」だった。
「フェニカ。リリアに伝えろ」
レオンは、アーヴェルのブレスレットを握りしめ、一度も振り返らずに言った。
「アルヴァレスは、これより『武装中立』を破棄する。……アーヴェルの死に関わったすべての国、すべての組織を、鑑定し、排除する。……これは戦争ではない。掃除だ」
レオンの瞳に宿る『鑑定EX』の光。
それはかつての青い輝きではなく、すべてを呑み込む深淵の黒に染まっていた。
最強の鑑定士は、その力を「救済」ではなく「殲滅」のために使うことを決意した。
セシリア・ルミナス。彼女が望んだ「魔王」が、今、ついに産声を上げたのだ。




