第28話 空虚な祝祭
第28話:空虚な祝祭
三千の魔導軍勢を、指先一つで無力化した「神威」の翌日。
アルヴァレスの街は、奇妙な静寂に包まれていた。
本来なら、侵略の危機を退けた救世主を称える祝宴が開かれるはずだった。だが、広場に集まった民たちの顔にあるのは、安堵よりも「戸惑い」だ。
レオンが通りを歩けば、人々は波が引くように道を開け、深々と頭を下げる。
だが、その誰もがレオンと目を合わせようとはしなかった。
「……リリア。解析結果はどうなっている」
自室に戻ったレオンが、吐き捨てるように問う。
視界の端で、スキル『解析EX』が無機質な棒グラフを弾き出した。
『解析EX:周辺個体の精神状態をスキャン……。対象:アルヴァレス市民。支配的な感情は「困惑」35%、「畏怖」50%、「拒絶」15%……』
「……『拒絶』だと?」
「それは……その。皆様、あまりの出来事に心が追いついていないだけですわ」
リリアは務めて明るく振る舞おうとしていたが、彼女の持つ水晶板の手も、わずかに強張っている。
レオンは鏡に映る自分の顔を見た。
昨日から、一歩も、一ミリも、魔力の残滓を纏っていないはずだ。なのに、鏡の中の男は、まるで巨大な怪物の影を背負っているように見えた。
「――レオン。少し、いいかな」
背後から、穏やかな声が響いた。
アーヴェルだ。
彼は手にした盆に、二つの蒸気を立てた茶を載せて立っていた。
「アーヴェル……。お前まで、そんな神妙な顔をするな」
「はは、私はいつも通りだよ。ただ、少しばかり『老人の知恵』が必要な時かと思ってね」
アーヴェルは盆を置き、レオンの向かいに腰を下ろした。
その所作は、建国のあの日と何ら変わらない。それが、今のレオンには唯一の救いだった。
「隣国から、特使の派遣要請が来ている。昨日の件についての説明と、今後の不可侵条約の再締結を望む、とね」
「……あいつら、自分たちから攻めてきておいて、よく言えたものだ」
「それが政治というものだ。彼らは今、君という『制御不能な核』を前にして、パニックに陥っている。……レオン。彼らが本当に求めているのは、説明ではない。『安心』なのだ」
アーヴェルは、茶を一口すすり、目を細めた。
「彼らにとって、君はあまりに強すぎる。強すぎて、君の言葉がすべて『命令』に聞こえてしまうのだよ。……このままでは、アルヴァレスは世界から孤立し、本当の『魔王の国』に仕立て上げられてしまうだろう」
レオンは拳を握りしめた。
自分が強くなったのは、仲間を守るためだ。平和を作るためだ。
それなのに、強くなればなるほど、平和が指の間から砂のように零れ落ちていく。
「……俺が行って、直接話してくる」
「いいや、それは最悪の選択だ」
アーヴェルの声が、鋭く遮った。
「君が行けば、それは『対話』ではなく『恫喝』になる。相手は生きた心地もせずに、ただ君の顔色を窺い、裏で毒を練り続けるだろう。……だから」
一拍。
アーヴェルは、これまでにないほど強く、レオンの目を見つめた。
「私が特使として、隣国へ行く」
「……っ、馬鹿を言うな! 相手の狙いは俺だ。お前が行けば、人質にされるか、あるいは……」
「あるいは、殺されるか。……だろう?」
アーヴェルは、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
だが、その瞳の奥には、レオンの『解析EX』でも読み取れないほどの深い覚悟が宿っていた。
「私はこの国の宰相だ。そして、君の数少ない『話し相手』だ。……老いた私の命が、この国の理性を証明するためのチップになるなら、これほど安い買い物はない」
「アーヴェル!」
「レオン。君にしかできないことがあるように、私にしかできないことがある。……君の隣に、ただの人間である私が立っている。それがどれほど、世界へのメッセージになるか。分かるだろう?」
レオンは言葉を失った。
アーヴェルが言おうとしていることは、残酷なまでに正しい。
『最強』が一人で立っている国よりも、『最強』を御する『理性』が存在する国の方が、まだ世界は対話の余地があると判断する。
「……死ぬなよ。絶対だ」
「もちろんだとも。まだ新しい国の設計図は、半分も描けていないからね」
アーヴェルは立ち上がり、扉へ向かう。
その足元で、ずっと震えていた聖獣ウルが、アーヴェルの裾を必死に噛んで引き留めようとした。
「……ウル。いい子だ。レオンを頼んだよ」
アーヴェルは優しくウルを抱き上げ、レオンへ手渡した。
その時の、アーヴェルの手の温もり。
それが、レオンが記憶する「人間・アーヴェル」の最後の温度となった。
***
同じ夜。
隣国の国境付近。セシリア・ルミナスは、暗闇の中で報告を受けていた。
「……特使はアーヴェル。レオンは動かず、か」
彼女は、狂喜に歪んだ唇を噛んだ。
「完璧だわ。あの老いぼれが自ら檻に入ってくるとは。……さあ、準備はいい? 『正義』という名のナイフを、一番深く突き刺せる場所に」
彼女の背後で、数人の「正義感に燃える」魔導士たちが頷く。
彼らは信じていた。自分たちがこれから行う「事故」が、世界の平和を守る唯一の手段だと。
誰もいないアルヴァレスの広場に、冷たい風が吹き抜ける。
均衡は――音を立てて崩れ始める。




