第26.5話(番外編) アップルパイでティータイムを。
第26.5話(番外編) アップルパイでティータイムを。
浮遊国家アルヴァレスのテラス。
午後の柔らかな光の中で、レオンは一皿のアップルパイを差し出した。
「……これ、毒とか入ってない?」
「入ってないよ。歓迎の印だ」
少女は疑わしげにレオンを睨んだが、甘い香りに抗えず、恐る恐るパイを口に運んだ。
一口食べた瞬間、彼女の大きな瞳がぱあっと輝く。
「……悪くない。合格」
「それは良かった。……ところでさ」
レオンは椅子に座り、ずっと気になっていたことを切り出した。
「これから一緒にやっていくのに、いつまでも『大魔術師様』じゃ呼びにくい。なんて呼べばいい? 文献にはなんて載ってたんだ?」
隣で茶を淹れていたアーヴェルが、記憶を辿るように口を開く。
「……失われた古文書によれば、その若き才を恐れ敬った人々は、彼女を**『フェニカ』**……不死鳥の如き不滅の魔術師と記しておりましたな」
「フェニカ、か。いい名前じゃないか。それで、お前自身の呼び名は?」
少女は「フェニカ」という響きを噛みしめるように呟き、ふん、と鼻を鳴らした。
「……好きにすれば。どうせ、他に呼ぶ人もいないし」
「じゃあ決まりだ。よろしくな、フェニカ」
レオンが笑いかけると、フェニカは照れ隠しに顔を背け、足元でリンゴを待っていた白いウサギを抱き上げた。
「……きゅー!」
「こいつも呼称が必要だよな。なんて名前なんだ?」
フェニカはウサギの頭を愛おしそうに撫で、少しだけ自慢げに言った。
「この子は**『ウル』**。私が名付けたの。世界で一番大切な……」
「ウル? ああ、なるほど。目がうるうるしてて可愛いから『ウル』か。 フェニカも案外、見たまんまの名前をつけるんだな」
――一瞬、空気が凍りついた。
フェニカがパイを咀嚼する手を止め、信じられないものを見るような目でレオンを睨む。
「……は? アンタ、今なんて言った?」
「え? だから、目がうるうるして……」
「バカじゃないの!? 私がそんな安直な理由でつけるわけないでしょ! 殺すよ! 今すぐ消滅させるよ!?」
フェニカの周囲にバチバチと魔力の火花が散り始めたその時。
アーヴェルがスッと眼鏡を押し上げ、朗々とした声で割って入った。
「……失礼。レオン様、それは照れ隠しにしても言葉が過ぎますな。フェニカ様が名付けられたその名は、実に深淵な意味を秘めておられる」
「えっ、そうなの?」
レオンが呆然とする中、アーヴェルは滔々と解説を始めた。
「古代語において『ウル』とは、“荒れ狂う吹雪の守護者”、あるいは**“原初の生命力”**を意味する至高の言葉。
フェニカ様は、この聖獣が秘める絶対的な冷気魔法と不滅の魔力を、その一言に見事に封じ込められたのです。
レオン様が仰った『うるうる』とは、その強大な魔力の波動が瞳に溢れ出している様を……あえて卑近な言葉で表現された高度な比喩、ですな?」
「あ、ああ……! そう、それだ! さすが宰相、よくわかってるな!」
レオンが必死に冷や汗を拭いながら頷くと、フェニカはまだ疑わしげな顔をしつつも、魔力を収めた。
「……ふん。まあ、宰相の説明が正解。アンタの解釈は最低」
当のウルは、自分の名前が「うるうる」から来ているのか「吹雪の守護者」から来ているのかは気にせず、名前を呼んでくれたレオンの指を「きゅー!」と嬉しそうに舐めた。
「ほら、ウルも『宰相ナイスフォロー』って言ってるぞ」
「きゅきゅー!」
こうして、フェニカが授けた誇り高き名前「ウル」は、アーヴェルによって、レオンの失言から無事に守られたのであった。




