「本当にあったかもしれない」部分
レオンはどうしようもないやつだった。
純日本人でありながらその名前、というところからも察しがつくかもしれないが、産みの親も相当どうしようもない女で、高校在学中に一人で彼を産み落とし、「麗音」という名前だけを告げて施設に預け、そのままばっくれ、以降一切音沙汰がないそうだ。
不幸な生い立ちといえばその通りなのだが、だからといってレオンに同情する必要はない……というか、してはいけない。
ヤツは、そんな産みの親にとは比べものにならないほど、下劣で酷薄でずうずうしい。
もしもあなたが、ヤツの「不幸話」に耳を傾け、うっかり同情顔をしようものなら、レオンはすぐにすり寄り、目に涙を浮かべ、自分がいかに愛情に恵まれない少年だったか、どれほど寂しい、つらい思いをしながら成長してきたか、切々と語り……気がつけばあなたは、奴の飲んだ酒全てをおごらされ、ついでに数万ほど金をせびりとられていることだろう。
そして、もしもあなたが運悪く女性であったなら、残念なことに、それだけでは済まない。いつの間にか家に住みつかれ、性欲処理と家事全般、ついでにお小遣いまで出してくれる便利な存在として扱われるようになり……さらには、金を出し渋ったり、文句を言ったりすれば、途端に不機嫌になって怒鳴り散らし、時には暴力をふるってまで言うことをきかそうとまでするかもしれない。
そして、暴言と平手打ちとで自尊心をズタズタにされたあなたが泣き崩れれば、その事態を引き起こした当の本人、レオン自身が目に涙を一杯にため、「ごめんな、オレも辛いンだ、お前にこんなことしたくないんだよ」などとほざきながら肩をぎゅっと抱きしめ、追い出されるのを阻止した上に、さらに金を絞りとろうとする。
多少イケメンなのをいいことに、他人を利用できる限りしゃぶりつくそうとする。レオンは、そういう男なのだ。
ちなみに、レオンは産みの親に捨てられてすぐ、優しくてかなり豊かな里親さんに預けられた。そのため、むしろそんじょそこらのご家庭に比べ、かなり裕福で幸福な幼少時代を過ごしてきている。にもかかわらず、自分が怠惰で安楽な生活を送るためなら平然と適当な作り話をし、時には号泣してまで人に取り入ろうとするのだから、たちが悪い。
しかも、そういった行動をする際、レオンは一切ためらいも、罪悪感も持たない。
「え?なんでオレがそんなふうに思わなくちゃならねえの?ヤツら、俺の話に同情して、
かわいそうな人間を救ってやろうと金を出したんだ。そんだけいい気分にしてやったんだから、金もらうのは当然じゃん。芸人がおもろい話して客から金もらうのと一緒だよ」
などと平然と言い放つ。
「この世は弱肉強食、オレのような頭の回るヤツが、うかうかと他人を信じるお人好しのバカを食い物にするのは当然のこと」というのが、レオンの生来備わった信条であり、生きる指針なのである。
そんなふうだから、彼には一切友達がいなかった。
知り合った当初こそ、にこにこ機嫌よさげな笑顔を振りまき、その日にあった出来事をおもしろおかしく話したりして笑いをとり、時にはマンガやアニメ、音楽に関して
いかにも含蓄のありそうな意見を述べと、いかにも魅力にあふれた人物のようにふるまうから、多くの人がその周囲に寄り集まってくる。が、そうなってまもなくレオンは本性をさらけ出し、ずうずうしく他人の家に押しかけては、勝手に冷蔵庫の中身を飲み食いしたり、めぼしいものをひそかに持ち帰ってオークションサイトで売っぱらったりと、やりたい放題に振る舞い始める。ここで厳しく拒絶せず、困ったような作り笑いで遠回しに非難するだけ、のような対処をしてしまうと、ヤツはさらに図に乗って、いつの間にか作った合鍵で勝手に家に入り込み、主の名前で勝手にウーバーを注文し、勝手に主のパジャマを着て、主のベッドでがあがあ寝てたりする。
もちろん、念入りに家捜しして探し当てた預金通帳や貯金箱は「発見したアイテム」なのだからと当然着服し、彼女や妹がたまたま訪ねてくれば、言葉巧みに言い寄って――時には「主がオレに多大な借金をしてて、それをチャラにする代わりアンタを好きにしていいと言われてるんだ」などと得意のでまかせをいかにも深刻そうな、剣呑そうな口調で吹き込んで――まんまと食ってしまったりする。
そこまでいかなくとも、泣き落としに土下座でかなりの額の借金を申し入れ、それを全部スロットで使い果たした後、返済期日などどこ吹く風、どれほど催促されようが知らん顔をし続け、逆に「その借用書をオレが書いたって証拠がどこにある!なんなら、出るところへ出て徹底的に争ったっていいんだぞ!」と恫喝まがいの強弁で相手を黙らせ、踏み倒す、なんていうのは日常茶飯事。
そんなだから、せっかく寄り集まってきた人たちも、数ヶ月も立てばきれいさっぱりいなくなる。そしてレオンは、新たなカモを探して足繁く居酒屋やバーを渡り歩くようになるのである。
「せっかくオレが一発当てて、セレブの仲間入りするための手伝いをさせてやってるのに、ヤツら、それが分かってないんだよ。まあ頭の鈍いヤツには、分からないんだろうな、オレみたいな切れる人間の考えは」
しゃあしゃあと――というより、何の悪気もなく、ナチュラルに――そんなことを口にしては、「一発当てる」ために朝から晩までスロットに、ネットカジノに熱中し、すってんてんになるまで湯水のように金を注ぎ込み、そしてまた、「友達」の家を一軒一軒まわっては「頭の弱いお人好し」に借金をお願いする。
働いたら負け、家事したら負け、好きなだけ寝て好きなだけ遊び、おもしろおかしく、心ゆくまで長生きして人生をしゃぶり尽くす。それこそがレオンの生きる目標であり、そのためにどれほど関わった人間が迷惑をこうむろうと一切気にしない。むしろ「天才」である自分の生きる糧になれたことを感謝し、さらにさらに、オレに尽くすべきなのだ……なとと、本当に本気で思い込んでしまっている。
それが、レオンという男なのだ。
そんなふうにお気楽千万、悩み事などには全く縁のない生活を送っているというのに、ヤツの口癖は「ここは、おれの生きる世界じゃない」だった。
他人を踏みつけ、踏み倒し、死屍累々の上を平然と歩き続ける人でなしが、一体なにを抜かすのか、と思わず顔をしかめてしまうが、当のレオンは、いたって本気だ。
「なんかさあ、朝起きてから夜寝るまで、ずっと違和感があるんだよ。ここはオレの世界じゃないって。だってさあ、変だろ。この世の生きてくのに一番いい方法を皆に示してやってるのに、なんで誰も感心しないんだ?」
真顔でそんな疑問を口にするヤツに向かい、誰かが、
「いや……お前感心されるようなこと、なにもしてないだろ」
などと頬をゆがめつつ反論すると、口をとがらし、むきになる。
「どうしてさ?オレは、善人面したお人好しのバカをいい気分にさせてやってる。代わりに金をせしめてなにが悪い?自分は善人だと改めて実感させて、楽しませてやったんだぜ。その分報酬をもらうのは、むしろ当たり前だろ。なのに、いくらそう言っても、みんな俺を責めるばかりで、ちっとも感心しやがらねえ」
「いや、それはそうだろ」と皆があきれ顔になる中、ヤツはますます言いつのる。
「それにさ、せっかくオレが金を借りてやったってのに、その金を返せとか言うんだぜ。せっかくオレが死に金を有効に使ってやったんだから、感謝するとこだろ、普通に考えて。なのに、どうしてオレを非難する?それに、それにだな、女にだって、他の男じゃ味わえないぐらい、気持ちいい思いさせてやってるんだぜ。なのにやつらときたら、だましただのなんだだの、こうるせえことばかり吐かしやがる。なあ、どうよ、オレ間違ってること言ってるか?なんでみんな、オレを理解し、感心しねえんだ?ああホント、この世界は間違ってるって……」
ちなみに私は、行きつけのバーでたまたまレオンと顔を合わせることの多い知り合い、というだけの者だ。
ヤツと知り合ったかなり早い時期に、なじみのマスターから「ヤツには注意してください。絶対おごったり、金を貸したりしないでくださいね」と耳打ちされてからこの方、一杯の酒もおごらず、一円の金すら貸したこともない。
ヤツの方からそれとなくそんな話を持ちかけてきたこともあったが、その際に「金の貸し借りもおごったりおごられたりも大嫌いなんで、一切しないことにしてる」と、きっちりがっつり断って以降、一切そのような話は持ち出さなくなった。その代わり、よそでは絶対もらさないような――そして、自分勝手極まりない、虫唾の走るような――本音をぐだぐだしゃべるようになった。
要は、ヤツの心の奥にたまった汚らしいゴミを捨てるゴミ捨て場扱いされるようになった、ということだ。
とはいえ、クズの吐き出すゴミ捨て場の瘴気のような愚痴は、時にあまりに常識離れしすぎていて、思わず心の中で笑い転げてしまうような魅力があり、それでマスターも、私をはじめとした常連客も、あきれて開いた口がふさがらないまま、黙ってヤツの口から流れ出すヘドロを眺めていたのである。
ところが、その日は、少々様子が違った。
「いやあ、驚きました。なんて素晴らしい洞察力だ」
レオンが一渡りぐだぐだしゃべり終わった後で、心底からのように聞こえる感嘆の声が、暗がりから響いてきたのである。
「……え?」
私たちギャラリーはもちろん、当の本人さえ同意の賛辞が贈られてきたことに驚いたのか、声の発せられた方向を一斉に注視する。と、いつからそこに座っていたのか、店の一番隅、明かりの届かない暗がりに紛れるような感じで、一人の男がにっこりとほほえんでいた。
「世界に対して違和感がある。この世界は間違っているといつも感じる。そのことに気がつけるなんて、本当に素晴らしい。あ、いや、そうではなくて、あなた自身が気がついていないだけで、ひょっとすると私と似たような立場の方なのかもしれませんね。だとすれば、こんなところでお会いできるなんて、なんて偶然の邂逅なのでしょう!」
一方的によく分からないことをまくし立てるその「微笑み男」に、一同はやや困惑した視線を送る。だが、「どうも自分は褒められているらしい」と感じ取ったレオンだけは「新たなカモが自分からやってきやがった」と言わんばかり、うれしそうな笑みを浮かべた。
「あ、えーと、その、ありがとう、でいいのかな」
「いえいえ、ありがとうだなんてとんでもない、私の方こそ、この出会いを全世界、全宇宙のあらゆる神と摂理に感謝したい思いで一杯ですよ。あなたのような英才に――この世界がこの時空に存在するただ一つの世界ではなく、無限にある宇宙の一つに過ぎないのだとはっきり理解している方にお会いできて、本当によかった!」
「あ?ああ、うん、そうだよな!世界って、やっぱり一杯あるんだよな!」
「はい、あなたのおっしゃる通り,この世界は何ら特別なものではなく、同時に並び立つ無数の世界の一つというだけのものに過ぎません」
「うん、だろ!そうだと思ってたんだよ!」
「ええ、ええ、そうなんです!しかもあなたの素晴らしいところは、この事実を理解してるだけに留まらず、それを前提とした生活を営まれていることです。すなわち、この世界はそもそも自分の属する世界ではないのだから、後先考えずやりたいことをやりたいだけやって、都合が悪くなれば逃げ出してしまえばいい、という思想を体現した、とことん刹那的な生き方を選んでおられる。お見受けするところ、あなたは転生の経験がないか、あるいはその経験をすっかり忘れ去っていらっしゃるようだ。なのに、これだけ自らの信念に忠実に、明日を考えぬ生き方ができる方を、私は知りません。まさにあなたこそ、自らの信念を貫く、真の思想家です!」
「いやあ、参ったな、そこまでオレのことを分かってくれるなんて!アンタとは、いい友達になれそうだ!」
でたでた、レオンの常套手段!ここでうっかりヤツと親密になろうものなら、骨までしゃぶられるぞ、見知らぬあなた、なんのつもりか知らないけど、その辺にしておいた方が身のためだぞ……などとあやうく口に出しそうになった。
が……「微笑み男」は一歩早く、皆の行動を制するほどの大声で叫んだ。
「ええ、ええ、もちろんです!私は、胸の奥底で常にあなたと同じ満たされぬ思いを抱えています!ですから、無二の親友になれるはずです!と申しますのも……実は私、転生者でして」
「……転生者?」
「ええ、そうなんです。ここではない他の世界からやってきた者なんです。しかもあなたと違って意識的に。ですから、常に違和感を抱えているあなたの気持ち、痛いほどよく分かるんです」
「すげえ!転生って、本当にできるのかよ!」
「ええ、できますよ。生命の危機に陥ったとき、この世界はいやだ、どこか他の世界へ行きたいと強く願いながら、片手であるサインを作ると、違う世界へいけるんです」
「そんな簡単なことでできるのかよ!なんだ、それなら楽勝じゃん!」
レオンの顔が、みるみる喜びに満ちていく。
微笑み男は、その表情を見て、大きくうなずいた。
「ええ、ですからね、もっとやってもいいんです!もっともっとやりたいことをやって、やって、やりまくって、にっちもさっちもいかなくなるまでやり尽くしたら、違う世界へ跳んで、またやりたいことをやり尽くせばいいんですよ!」
「だよな、だよな!すげえ、すげええ!ためらってたのがバカみてえだ!」
「そうですよ、やりたいことをやり尽くしましょう!」
「よおし!そうと決まれば、こんな安っぽいところでくすぶってなんぞいられねえ!もっといい店行って、愉快な連中と飲み直そうぜ!」
そう言うなりレオンは立ち上がり、よほど気分がよかったのか、催促されるより先にポケットを探って、小銭をひとつかみ引っ張り出すと――マスターの告げる代金ちょうど分だけ丁寧に選り分けて――カウンターに叩きつけた。
「こんなちんけな場所とは、一生おさらばだ!じゃあな、ケツの穴の小さい小者たち!」
高らかな笑い声だけを残し、いそいそと後に続く微笑み男と二人、つむじ風のような勢いで、地上へ上がる階段を駆けのぼっていく。
やがて、その足音も遠く、どこかへと消え……二匹の獣は、獲物に満ちた街へと放たれた。
後に残された私たちは、二人の背中を呆然と見送り……それから、次第にその表情を暗くしつつ、互いに顔を見合わせた。
「……今まで以上にやりたい放題、とか言ってましたよね」
「……言ってたな」
「……今までだってたいがいだったのに、まずいんじゃないですかね?」
「……まずいだろうな」
「……どうします?」
「……そりゃあ、止めないと」
「だな」
「……止めたほうがいいですよね、やっぱり」
「……ああ。止めないとまずいだろう」
そんなことを互いにぼそぼそと言いあいこそするものの、誰一人、立ち上がって彼らの後を追おうとはしない。
レオンがどれだけ非道なヤツかは、皆身にしみて分かっていたし、下手にそんなヤツを止めたりして、とばっちりを食らうことにでもなったらたまらないと、尻込みしていたのである。
「……なに、レオンだって一応成人した大人なんだ。絶対にやっちゃいけないことぐらいわきまえてるだろうよ、きっと」
マスターの、いかにも自信なさげで無責任な発言がでたのを潮に、私たちは今のやりとりをあっさり忘れ(たふりをし)、しっかりと尻を据え直して、新たな一杯を注文したのである。
そして、やはりというか、危惧していたとおり、レオンには「わきまえ」など、一切存在しなかった。
それまでのヤツは、友達とか知り合いとか知り合いの彼女とか、後々トラブルになっても拝み倒せばなんとか許してもらえそうなお人好しばかり狙って、食い物にしてきた。が、「どうしようもなくなったのなら、逃げ出せばいい」の一言でたがが外れたのか、より好き嫌いなく、手広くくまなく、ためらうことなく、手当たり次第にさまざまな人や集団を食い尽くすようになったのである。
脱法ハーブを大量に買い占めて、その代金を踏み倒す。
バックにヤバい人がついていると丸わかりの高級クラブのホステスに食らいつき、金も体も食らいつくして、ポイ捨てする。
路上の売人を暗がりに引きずり込んで殴り倒し、いけないお薬と売上金を全部盗んで逃げる。
それ以外にももちろん、ヤミ金融やら裏金融から大量の金を借りたり、電車内で居眠りしている人の鞄から財布を抜き取ってカードを不正使用したり。
そうやって得た金を見せ金に、毎晩のようにクラブだなんだと豪遊しては代金を踏み倒し、中古車を襲って盗んだ高級車を乗り回しては最高級のホテルを泊まり歩きと、まさに贅沢三昧の生活を送っていたのである
たちまち、レオンは警察や「その筋の方々」、半グレ集団といった、ありとあらゆる「本気の人たち」に目をつけられ、付け狙われるようになった。
がそうなったと分かるや、あっさり全てを捨てて高飛びし、誰一人知り合いのいない街で、盗んだ身分証を足がかりに、また同じことをくり返す。
そこでも派手にやり過ぎて目をつけられ始めたら次、また次と、日本中の政令指定都市を制覇する勢いで悪事をはたらき続けたのだが……そこでとうとう、ヤツの悪運も尽きた。
挙動のおかしな客がいるからというホテルの通報で、ひそかに張り込みをしていた刑事に見つかり、街中を逃げ回った後、
「この世界はここまでか!仕方ねえ、次へ行くか!」
と叫ぶやいなや、ビルの五階から飛び降りたのである。
落下していく途中、空間中に空いた見えない穴に吸い込まれでもしたかのように、やつの姿はかき消すように消え、それ以降、ヤツの行方は杳として知れない……とでもなったら、SFか、それとも現代の怪談か、ということで、後々の語り草にもなるのだろうが、残念ながら、そんなことはなかった。
自信満々、意気揚々と元気いっぱいに飛び降りたにもかかわらず――というか、普通はそうなるのだけれど――ヤツの体はそのまま重力によって加速し、地面に叩きつけられたのである。
一般的に、5階以上の高さから飛び降りたら最後、命は助からないと言われている。
だが、レオンの場合、地面の上にゴミ袋や空の段ボール箱が積み重なった上に着地した上、たまたま足先から尻、背中と転がるように停止したため、どうにか命は取りとめた。
とはいえ、その衝撃は相当なものだったらしく、意識不明の期間はかなり長く続き、目を覚ました後も、けがの治療とリハビリのため、かなり長い間、不自由な生活を強いられることとなった。
そうやって命を繋ぎ止められただけでも幸いだというのに、ヤツには更なる幸運が待っていた。
あれだけやりたい放題やりまくったというのに、そのほとんどの罪状が、せいぜい詐欺だの窃盗だのといった「軽犯罪」にしか当たらないものばかりであり――半グレや極道などには殺されても文句が言えないほどのひどいことを多々行っていたが、警察の捜査が入れば自分の身が危ないということで、そういった方々は、軒並みだんまりを決め込んだのだ――その上、若い頃の通院歴がものを言ったのか、「犯人は精神病からくる極度の躁状態であり、「この世界から逃げ出せば全てはチャラ」などといった誇大妄想に支配されたがため、このような犯罪に及んだものと思われる」という精神鑑定がなされた結果、心身耗弱により罪状がかなり軽くなり、自己破産まで認められたのだ。
もっとも、それには養父母が私財の大部分をなげうち、多くの被害者と示談を成立させたことも考慮はされたらしいが――ともあれレオンは、まずは体のけがを治すためにしばらく入院した後、精神病治療のために三ヶ月ほど医療措置入院し、そこで病状の寛解が認められたため、保護観察つきではあるが晴れて退院という、あれほどのしたい放題やりたい放題をやらかしたにしては、考えられないほどの軽い処分で放免されたのだ。
私たちは彼の悪運の強さに舌を巻いたのだが、レオンはやっぱりレオンのままで、入院中私たちの中で唯一面会に行った者の話では、
「ちくしょう、まんまとだまされた。ヤツが「今なら大丈夫、絶対転生できる」ってすぐ耳元でささやくから飛び降りたのに、こんなことになっちまって。今度あの野郎にあったら、ひどい目にあわせてやらなきゃ気が済まねえ」
と、自分がひどい目にあったと嘆き、憤るばかりで、自分がどれほどの幸運に恵まれたのには、ちっとも気がついていなかったらしい。
ちなみにこの面会に行った男――彼を「報告者」と呼ぼう――は、私たちの「常連仲間」の中では最も親しくレオンとつきあっていたやつだった。といっても、「レオンはどうしようもない奴だけど、観察対象としては興味深いよ。こちらに迷惑のかからないぎりぎりまでは近づいて、いろいろ話し合ってみたいんだ」と公言し、せいぜい一月か二月に一度会って、缶コーヒー片手に話をする程度の、一般的に見るとせいぜい「知り合い」「顔見知り」というぐらいの仲だ。が、それでも、「この世の人間の半分は敵で、残り半分は餌」と思っているレオンにとっては、おそらく彼――報告者が、「友人」という概念に最も近い存在だったらしい。
で、面会に行ったその席で先ほどのレオンのことばを聞き、思わず困惑して、こう聞いたのだそうだ。
「レオン、その言い方だと、お前が飛び降りたとき、すぐそばに「微笑み男」がいたような感じに聞こえるぜ」
するとレオンは、思い切り眉をひそめ、
「なに言ってんだ、いただろ。ていうか、あいつがいかにも楽しそうに「さあ、行きますよ」ってオレの腰を抱きかかえて前に進むから、ああ、きっと大丈夫なんだってオレも安心して飛び降りたんだ」
と言ったそうなのだ。
ところが、地面に激突し、警察に保護された際、レオンは当然一人きりだったし、すぐ後の現場確認で警官が数人、屋上にのぼったときにも、人影はなかった。
さらにレオンに聞くと、取り調べの時も、入院していている今も、「あの男のせいだ」「あの男を呼べ」と何度もくり返し警官にも、医者にも訴えたが、ろくに相手にされず、また誰一人「あの男を見かけた」という者も現れずで、結局あの飛び降り以降、微笑み男は忽然と姿を消してしまったらしい。
「あのヤロー、オレをこんなひどい目にあわせて、きっと自分一人だけ、「オレの理解者ばかりが住む」とかいう元の世界に戻りやがったんだ。うまいことやりやがって!」
なおもいきり立つレオンをなだめているうちに面会時間が終了したので、そのまま帰ってきたんだ、と私たちに話した後で、報告者は解せない表情を浮かべたまま、
「で、どう思う?」
と尋ねてきた。
「どう思うって……どうも、警察も医者も、微笑み男はレオンの妄想かなんだと考えてるようだね」
「うん、そのようだ。けれど、俺たちは知ってるよな、あの男が実在するって」
「ああ、まあね」
確かに私たちは、ブツブツくだを巻くレオンを褒めそやし、一緒にこの店を出て行くまでの一部始終を目撃している。
「けど……改めて考えてみると、なんかちょっとひっかかるんだ。俺、その時の二人のやりとりこそはっきり覚えてるけど、じゃあ、微笑み男がどんな服装で、どんな顔だちをしてたかは、なぜか全然思い出せないんだよ」
「それは……まあ、確かに私もそうだけど、ただ単に、印象の薄い男だったってだけじゃないのかな」
「そうなのかな……そうかもしれない」
マスターも、私を含めた常連一同も、揃って「男の姿形がはっきり思い出せない」ことに、薄ら寒い思いを抱いていることが、その表情からはっきりと分かった。
だからといって、まさか、「この世から消えて、転生した」なんて、さすがに信じられない。
結局、地面に激突したときの衝撃で、元からおかしいレオンの頭脳回路に更なる狂いが生じ、とっくにケンカ別れしたにもかかわらず、「微笑み男」が現場に居合わせていたかのような妄想を抱くようになったのではないか、という無難な解釈で、無理矢理解決がついたことにして……その日はお開きとなった。
そして、退院した後、おそらくは復讐を目論んでいるであろう黒社会の連中から逃れるため、レオンはその両親と連れだって、どことも知らぬ土地にひっそりと旅立っていき……私たちの前と、その記憶の中から、姿を消したのである。
前半部分投稿。後半は来週月曜日投稿予定。




