第4話:それでも彼女は、過去を取り戻そうとする
週が明けて月曜日の朝、教室に入ると、妙な空気が流れていた。
「高森、おはよう」
普段話したこともない男子が、当たり前のように声をかけてきた。
「あ……おはよう」
「聞いたぜ。白川さんと一緒に生徒会でやってるんだってな。マジですげぇな」
彼は満面の笑みで親指を立ててくる。
それを見て、周囲の生徒がくすくすと笑う。
それは揶揄ではなく、どこか「おもしろがってる」ような笑いだった。
僕が“何か特別なやつ”だと、勝手に期待しているような。
(これが、注目されるってことか……)
かつての僕なら、耐えられなかったかもしれない。
でも今は違う。
“観察される側”になったのなら、それもまた、観察対象に変わるだけだ。
ふと視線を感じて振り向くと、彼女がいた。
桐生美琴。
制服のリボンを指で弄びながら、所在なさげにこちらを見ていた。
目が合うと、彼女はわずかに口を開いた。
けれど言葉は出てこなかった。
昼休み。
購買から戻る途中、廊下の角で僕の腕を軽く引き止めたのは、美琴だった。
「誠くん……少し、話したいの」
「生徒会室、行く予定があるけど」
「ほんの、五分でいいから。お願い」
懇願するような声。
かつての“上から目線の彼女”ではなかった。
僕は軽くため息をついて、窓際の人気のないスペースに移動した。
「……なに?」
「その、最近……すごいよね、誠くん」
「どこが?」
「授業中も落ち着いてるし、白川さんとも普通に話してて……前と全然、違う」
美琴は、窓の外を見つめながら言葉を継ぐ。
「……私、あのとき、すごく自分のことばかり考えてたと思う」
「ふうん」
「本当は、誠くんって、ちゃんとすごい人だったのかもしれないって……最近、思うようになって」
「今さら気づいたの?」
「……うん、今さら」
僕は彼女の目を見て、静かに問い返した。
「後悔、してるの?」
彼女はびくりと肩を震わせた。
けれどすぐに、弱々しい声で言った。
「……少し、だけ」
その一言に、心が揺れなかったといえば嘘になる。
でも、もう僕は、あの頃の僕じゃない。
ただ彼女に評価されたい、認められたい、なんていう感情は、もう必要ない。
「でも俺は、もう前に進んでるから」
「……っ」
「美琴がどう思ってようと、関係ないんだ」
僕の言葉に、美琴は唇を噛んで視線を落とした。
その目に、少しだけ滲んだ光が浮かんでいた。
放課後、生徒会室で紗月と作業をしていたとき、ふと彼女が口を開いた。
「……桐生さんと、何かあった?」
「……なんでそう思うの?」
「今日、何度かあなたの方を見ていた。落ち着かない様子でね。女子ってそういうの、すぐ気づくのよ」
僕は少し黙ったあと、笑って答えた。
「ただの……“未練”だよ。彼女の」
「あなたは?」
「俺は……もう、今を見てる」
その言葉に、紗月は満足げに微笑んだ。
「……なら、よかった」
彼女の声は、どこまでも静かであたたかかった。
その横顔を見つめながら、僕はふと思った。
——ああ、この人は、最初から僕の“中身”を見てくれていたんだな、と。
だから僕は、次に進める。
振り向かず、もう、過去に囚われることなく。