最終話:声のない返事
展示室の一角。
「名前のない言葉のための空白ページ」は、静かに人を呼び続けていた。
貼られた言葉の数は、数えきれないほどになっていた。
どれも、叫びでもなく主張でもなく、ただ「そこにあったもの」。
そして、その空白の中央に、一枚の紙が新たに貼られていた。
それは、まるで返事のようだった。
「声を出すことが怖かった。
“正しさ”がまぶしすぎて、自分の感情が“間違い”に思えた。
でも今なら、少しだけ……自分の気持ちを許せそうな気がする。
ありがとう。
そして、ごめんね」
それは、かつて紗月の声に戸惑い、距離を置いた生徒からの言葉だった。
明確な名はない。けれど、誰の胸にも思い当たる人がいる、そんな文だった。
放課後、生徒会室の鍵を返しに来た紗月に、その紙の存在を伝えると、
彼女はしばらく無言で見つめ、そっと目を閉じた。
「……この返事を、ずっと待っていた気がする」
「届いたんだな、言葉じゃない“声”が」
「そうね。
声にしなくても、伝わるものがある。
でも、声にできた瞬間って、やっぱり“変化”なんだと思う」
「……じゃあ、これが最初の“返事”だ」
「ううん。きっとこれは、“誰かの最初の声”なのよ」
紗月の目は、穏やかだった。
強さや正義じゃなく、“理解したい”という決意が、そこにはあった。
その夜。
展示室の一角に、“空白の手紙箱”が設置された。
無記名でも、名前つきでも、絵でも言葉でも、破れた紙でもいい。
返事を返すでもなく、返事を受け取るでもない。
ただ、「置いておく」場所。
そこに、“声のない返事”が、少しずつ、静かに集まりはじめた。
春の風が吹く。
新しい生徒会が動き出す日。
僕と紗月は、校舎の裏庭で並んで座っていた。
「……あのときから、何か変わった?」
僕が聞くと、紗月は小さく笑った。
「全部は変わらなかった。でも、“見ようとする人”が増えた気がする」
「それは、大きな一歩だと思うよ」
しばらく沈黙が続いた。
けれどその沈黙は、もう“逃げ”ではなかった。
そこには、互いを“信じる”余白があった。
「……ねぇ。まだ、問いを考え続けてもいいかな?」
「もちろん。むしろ、それが“始まり”なんじゃない?」
紗月は、少しだけ肩を寄せてきた。
「じゃあ、次の問いは……“あなたが今、誰にも言えないこと”について、かな」
「答えるの、難しそうだな」
「うん。でも、難しい問いほど、時間をかけて考える価値があると思うから」
僕たちは空を見上げた。
風に乗って、どこかで誰かの小さな声が、確かに聞こえた気がした。
“それでも、私はここにいるよ”
物語は一度終わる。けれど、問いは続いていくはずだ。
― 完 ―
お読みいただきありがとうございました。
まずは最初がグダグダになり、ごめんなさい。
この章は、「声」と「沈黙」のあいだにあるもの――
その"見えにくい輪郭"に触れたいという思いから生まれました。
社会においても学校においても、「正しさ」はしばしば強く掲げられます。
けれどその「正しさ」が、誰かを黙らせることがある。
その沈黙は、本当に「無関心」なのか、「臆病」なのか、それとも――ただ、「言葉にならない」だけなのか。
この物語の登場人物たちは、誰もが何かに迷い、誰かのために悩み、
ときに傷つけ、ときにすれ違いながらも、
少しずつ、「見えない声」に耳を傾けようとしました。
主人公たちが行ったことは、革命ではなく、対話のはじまりです。
大きな正義ではなく、小さな問いかけ。
それでも、それが「壁を揺らす」最初の一撃になると、私は信じています。
物語の中で、生徒会という「見える場所」から退くという選択をした紗月。
それは決して、後退ではなく、視点を変えるための一歩でした。
「沈黙に意味を与えること」
「声を出せなかった人を、責めないこと」
そして、「問いを、やめないこと」。
もし、読んでくださったあなたが、
この物語のどこかに自分の居場所や、誰かの声を重ねてくれたなら、
それほど嬉しいことはありません。
そして願わくば――
あなたがこれから出会う誰かの「声にならない輪郭」に、
ほんの少しでも優しくなれますように。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
ご意見やご感想がございましたら、送っていただければ幸いです。
また、他の話でお会いしましょう。
ー作者




