第21話:沈黙と輪郭
「あなたは、どう思ってるの?」
そう問いかけたのは、仁科だった。
夕暮れの生徒会室。
“輪郭線モデル”が徐々に定着し始め、展示室にも一定の空白が生まれた今、
紗月に向けられたその言葉は、唐突だけど、逃れられない問いだった。
「私は……」
紗月は、窓の外を見つめた。
光がゆっくりと校舎を染めていく。
「これまで、“正しさ”を基準にして動いてきた。
声を拾い、理不尽を可視化して、“変える”って」
「うん。だからこそ、ここまで来れたと思う」
「でも今――私は、“沈黙”の意味を見失ってる」
彼女の声は、かすかに揺れていた。
「何も言わない人、何も書かない人、それでもこの学校で生きている人たち……
私は、そういう人たちの“重み”を、わかっていなかったのかもしれない」
僕は、ゆっくりと紗月に視線を向けた。
「……じゃあ、今は?」
「怖いよ。
沈黙してる人に、“話して”とも、“わかるよ”とも言えない自分が、
本当に“代表者”なんて名乗っていいのか、わからなくなる」
その日の夜、紗月から「展示室に来て」と連絡があった。
行ってみると、彼女は壁の前に立っていた。
そこには、“名前のない声”が貼られた空白のコーナーが広がっていた。
「……この中に、一つだけ“私宛”の言葉があったの」
そう言って、指さしたのは、ある一枚の紙。
「あなたの声が、眩しすぎた。
だから私は目を逸らした。でも、消えてほしいとは思わなかった。
これだけは、ちゃんと伝えておきたかった。」
「私の“正しさ”が、誰かを照らしすぎていたんだと思う。
正義って、時に“光害”になるんだね」
僕はしばらく黙ってから言った。
「……でも、それは“伝わってる”ってことでもある。
目を逸らされても、その光を見た人が、今こうして言葉をくれたんだ」
「……そうかもしれない」
紗月は微笑んだ。でも、その笑みには決意が混ざっていた。
「だから、決めたの。私、生徒会を“退く”」
「――え?」
「これ以上、誰かを“照らす側”に固定されたくない。
私はもう、“問いかける人”になりたい。光じゃなくて、余白として」
「でも……」
「生徒会室という“立場”にいなくても、
人と人の“輪郭”をつなぐことはできる。そう思えるようになったから」
週明け。
紗月は、生徒会掲示板に一枚の退任メッセージを張り出した。
「私はこの一年、“声”を信じてきました。
でも今は、“沈黙”にも意味があると、やっと思えるようになりました。
だから、生徒会という立場から一度、離れます。
けれど私は、問い続けます。
“あなたの沈黙は、何を守っているのか”と。」
その文章には、拍手も称賛もなかった。
ただ、静かに見つめる人たちがいた。
何人かはそっと、展示室にメッセージを添えた。
「あなたがいたから、私は沈黙を選べた」
「ありがとう。話せないことも、守ってくれて」
夕暮れ。展示室の奥の椅子に、紗月がひとりで座っていた。
そのそばに、僕は静かに近づいた。
「……退任、ほんとにしちゃったんだな」
「うん。でも、これでようやく“私の輪郭”に触れられた気がする」
「沈黙の中で?」
「そう。沈黙の中でしか、見えない輪郭もあるって、やっと分かったから」
僕たちは並んで座った。
話さなくても、風が通り抜けていった。
その沈黙が、心地よかった。




