第20話:名前のない想いへ
金曜日の放課後。
部活動の声が響くなか、生徒会室には静かな時間が流れていた。
「今日は、少し……静かね」
紗月の声にも、わずかに疲れが滲んでいた。
“輪郭線モデル”の導入から数日。
生徒たちの反応は概ね穏やかだった。
声をあげない選択も、表現の一つとして受け入れられる空気が、ようやく生まれはじめていた。
だがその穏やかさは、決して“すべての声が届いた証明”ではない。
そして、それを告げるように――
僕の机の上に、また一通の手紙が置かれていた。
白い便箋。封筒なし。無記名。
中には、丁寧な文字で綴られた一枚の手紙があった。
「誰も、私の名前を呼ばなかった。
誰も、私のことを“声”として数えなかった。
私はいなかったことにされていた。
でも、確かにそこにいた。
……ただ、それだけを伝えたかった」
読み終えた瞬間、胸の奥に鈍い痛みが走った。
名前がない。内容も断片的。
でもそこにあったのは、間違いなく“在る”という意思だった。
「これ……」
僕が読み上げると、紗月はそっと目を閉じて、深く息を吐いた。
「“変化”の中で、なお取り残された誰かの声ね。
“名前を呼ばれなかった者”の、最後の問い」
「きっと、わたしたちが、ずっと気づかなかった部分なんだ」
僕は机の端に手紙を置き、ゆっくりと言葉を選んだ。
「この声を、“答え”じゃなくて、“記録”として残したい」
紗月は頷いた。
「“共感”しようとするのでも、“代弁”しようとするのでもなく……
ただ“存在を確かめる”こと。それが、今の私たちにできること」
週明け。
生徒会は、展示室の一角に新たなコーナーを設けた。
それは、「名もなき言葉のための空白ページ」。
無記名の手紙、断片的な言葉、呼び名のない想い――
どれもが、その空白に丁寧に貼られていく。
ただ読むだけでもいい。
何かを添えてもいい。
そのままそっと、通り過ぎてもいい。
そこに明確なメッセージはない。
けれど、確かに“何かがここにある”と感じられる場所。
「……これが、本当に“最初のページ”なのかもしれないね」
美琴がぽつりと言った。
「最初?」
「うん。私たちが“誰かを理解しようとした”ことの、ね」
僕は頷いた。
「これからは、答えを求めるより、
“届かなかった名前”に、耳を澄ませる時間が必要なんだと思う」
その日。
展示室を訪れたある女子生徒が、そっと空白ページの一角に、メモを貼った。
小さく、控えめな字だった。
「私はたぶん、名前を呼ばれなかった“ひとり”です。
でも今、ここに“居る”って感じられました。
ありがとう」
そして、それを読んだ別の生徒が、そっと付箋を添える。
「ここに来てくれて、ありがとう」
それは連鎖し、少しずつ空白が埋まっていく。
呼びかけでもない。主張でもない。
ただ、“ここに在る”という言葉の往復。
そこに、誰かの名前がつくかどうかはわからない。
でも、そのやりとりこそが、「名前のない想い」を“世界とつなげる”はじまりだった。




