第10話:名前のない勇気
それは、月曜の朝だった。
生徒会の意見募集フォームに、未明のうちに届いた一通の投稿。
それは——「名前のない告発」だった。
『今でも風紀委員の中で、“報告を握りつぶしている上級生”がいます。
問題が起きても、仲間内で庇い合って、表に出さない。
私は委員の一人です。でももう、見て見ぬふりはできません。
名前は出せません。ごめんなさい。
風紀委員会は前回から何も変わりませんでした。
でも、これが“現状”です。』
文章は簡潔で、しかし明らかに“本物”だった。
僕と紗月は、画面の前でしばらく黙っていた。
「……ついに、来たな」
「内部の人間。それも、真剣に悩んでる子」
「名乗らない。でも、“戦う”って決めたんだ」
「——名前がなくても、声は届く。私たちが、そう証明するのよ」
その日の放課後、生徒会室には何人かの生徒が自主的に訪れた。
いつの間にか“相談窓口”として知られるようになった生徒会。
だが、その中に——意外な顔があった。
「……失礼します。話、少しだけいいですか?」
そう言って現れたのは、風紀委員会の副委員長・本田慧だった。
整った制服に、落ち着いた物腰。しかしその目は、迷いを含んでいた。
「……本田くん?」
「俺、委員長の桜井のこと、ずっと疑問に思ってた。でも何も言えなくて……。
今回の告発、もしかして、委員の誰かだと思う。内容も、心当たりがある」
僕は問いかけるように彼を見た。
「じゃあ、あなたはどうしたい?」
本田は、ほんのわずかに視線を伏せて——それから、口を開いた。
「……“名前を出さない勇気”があるなら、俺も“名前を出す覚悟”をする。
生徒会に、正式に“調査依頼”をお願いしたい。証拠も、一部なら出せる」
紗月がゆっくりと頷いた。
「受け取るわ。本田くんの声と、それに連なる“沈黙の重さ”を」
翌日。生徒会は、風紀委員会に対して臨時ヒアリングの申入れを行った。
目的はただ一つ。
「風紀委員長・桜井」に関する内情の確認と、今後の運営体制の是正である。
校内には、すぐに“何かが起きている”という噂が流れ始めた。
「桜井、最近めっちゃピリピリしてない?」
「生徒会が動いたってマジ?」
「でもあいつ、教師にも取り入ってるって話だし……無理じゃね?」
期待と、諦めと、静かな注目。
だがその夜。
僕の机の上に、また一通の封筒が置かれていた。
——差出人なし。中には、録音されたUSBが入っていた。
音声は、明らかに風紀委員会内部のもの。
「この件、もういいだろ。先生には“対応しました”って言っとけ」
「あの女、生意気すぎるんだよ。感情論ばっか」
「これ、報告書に書くなよ? 俺が処理しとく」
僕は音声を再生しながら、強く拳を握りしめた。
「……これが、“名前のない声”が言ってた現場か」
紗月は、静かに言った。
「これで、動ける。もう、隠せない」
週末。生徒会は“緊急告知”を出した。
【風紀委員会運営の在り方について、全校協議を実施します】
近日中に、生徒会主導の意見公聴会を開催。
風紀委員長を含む関係者への質問受付を行い、
一部校内問題に対する情報開示を求めます。
匿名の声が、名指しの行動に繋がった。
名前のない勇気が、名前を出して闘う者を動かした。
そして、名前のある権力を——真正面から揺るがし始めた。
僕は、また一通のメッセージを受け取った。
それは、生徒会フォームに投稿された短い文章だった。
『私は名乗れない。でも、誰かが受け取ってくれた。
今、少しだけ世界が広く見えます。ありがとう』
名前はなかった。
でも、誰よりも強い“意志”が、そこにあった。
——僕たちは、今、確かに“変化”の中にいる。




