第8話:静かな背中、確かな足音
月曜の放課後。生徒会室。
雨が静かに窓を叩いていた。
「……教師との関係、か」
僕が呟くと、紗月は頷いた。
「いくつか、すでに“示唆”は届いてる。教師からの一方的な指導、進路相談の差別的扱い、理不尽な評価……」
「でも、それを“声”に変えるのは難しいよな。大人が相手だし、教師っていう“上の存在”だし」
「だからこそ、“聞き方”を変える必要があるわ」
そう言って、紗月はホワイトボードに走り書きをした。
【新しい問い】
学校生活の中で、教師とのやり取りに疑問を感じたことはありますか?
あなたが「対等に話せた」と思える教師はいますか?
“学校”という場所に、あなた自身の声は届いていると思いますか?
「形式はまた自由記述?」
「ええ。ただし、今回は“テーマ別の投票”もつける。“進路指導”“生活指導”“評価・内申”……」
「なるほど、“感じてるけど言えなかったこと”を、拾い上げるってわけか」
「教師側にとっても、“自分の行動を見直す鏡”になるはずよ」
僕はノートPCを閉じながら、ふと尋ねた。
「……先生たち、敵に回すことにならないかな」
「そのつもりはない。“対話”の相手よ。生徒と教師、どちらも学校をつくる構成員。向こうが壁を作るなら——その壁に、扉をつけるだけ」
翌日、アンケートは“教職員にも共有”された。
生徒たちからの声は、見られるようにしたのだ。
リスクはあった。でも、そこを越えなければ、“本当の共存”はない。
反応は、静かだった。
教師たちは何も言わず、ただ閲覧通知だけがシステムに記録されていく。
「これ、もしかして……スルーされてる?」
「いいえ。『見ているけど、言わない』——一番警戒すべき反応ね」
その日の夜、ついに一通の“教師からのメール”が届いた。
送信者は、原田先生。
三年の古文担当。普段は淡々として、生徒からも“無害な人”として見られている教師だった。
《このような取り組みを始めた勇気に、敬意を表します。
私自身、生徒との接し方について、思い返すことが多くありました。
可能であれば、数名の教師と一緒に“意見交換の場”を設けたいと考えています。
参加に前向きな教師は、確かにいます。》
それは、誰も予想していなかった“扉”の気配だった。
金曜の放課後。準備室の一角で、教師3人と生徒会の代表2名による、ささやかな意見交換会が開かれた。
原田先生の他には、体育の宮下先生と、美術の宇佐美先生。
「まず、知りたいのは……生徒たちが“学校”という場所をどう見ているか、です」
原田先生の問いに、僕は少し迷ってから、言葉を選んだ。
「……“安全だけど、不自由な場所”です」
「具体的には?」
「言いたいことを言うと、“問題児”にされる。空気を読んで従っていれば、“優等生”でいられる。でも、そうやって本音を飲み込んでいくと、自分が“誰か”すらわからなくなる」
沈黙が落ちた。
「……それは、私たちが“安心”と“支配”を履き違えていた証拠かもしれません」
原田先生が静かに言った。
宇佐美先生が続けた。
「でもね、私たちも時々、感じるんですよ。“何を言っても無駄だ”って」
「先生が……ですか?」
「ええ。“上”からの指導。“保護者”からの苦情。私たちも、“本音”を引っ込めて働いてる。だから、生徒たちが何も言わなくなるの、分かる気がするんです」
その言葉に、僕は思った。
この“壁”は、僕らだけの前に立っていたんじゃない。
教師たちも、同じように“沈黙の内側”にいたのだ。
だからこそ、この対話には意味がある。
誰かの背中を見て、声をあげたくなるような——そんな循環を、作れるはずだ。
会の最後。原田先生が、こんな言葉を残した。
「……声は、確かに届いています。今はまだ、小さな波紋かもしれません。でも、それが連なれば、“学校”そのものが、少しずつ形を変えていく。私は、そう信じています」
それは、決意だった。
“教師”という立場のまま、届いた声を抱えて進もうとする、静かな背中だった。
生徒会室に戻った僕と紗月は、しばし無言のまま椅子に座っていた。
やがて、紗月がぽつりと言った。
「……見えたね、“次”が」
「うん。まだ声は小さい。でも、確実に前より“届く距離”にいる」
「次は、“学校全体”を巻き込む。意識を変えるには、“構造”にも手をつけないと」
「たとえば?」
「……校則。次は“生徒による校則見直し案”の提案を行うわ」
それは、静かに、でも確実に“次の戦場”を意味していた。
——変化は、もう始まっている。
誰かが声をあげれば、誰かが応える。
そしてその足音は、誰にも止められない。




