第7話:声と声がぶつかるとき
放課後、生徒会室。
「対話会」開催前日。準備は、すでに最終段階に入っていた。
「進行役は私。サポートはあなた。話の流れが詰まったら、即座にフォローして」
「わかった。質疑応答は?」
「最後に15分だけ。制限時間あり。“感情の吐き出し場”にはしない。あくまで“対話の場”として成立させる」
紗月の言葉には、緊張と覚悟がにじんでいた。
これは、生徒会と風紀委員会だけの問題じゃない。
“声をあげたすべての生徒”と、“沈黙を守ろうとする者”との戦いだった。
僕はふと机の引き出しを開け、例の“警告メモ”に視線を落とす。
「……ごめん、紗月。これ、渡し忘れてた」
メモを差し出すと、紗月は無言で受け取り、目を通した。
「……想定内ね。でも、ありがと。受け取っておく」
その声には、微かな怒りと、静かな冷徹さがあった。
「これは、“声”を潰したい誰かの最後の手段。だったら、潰されないように可視化していくしかない」
「明日、緊張する?」
「しないわけない。でも、逃げない」
そして、対話会当日。
視聴覚室には、抽選で選ばれた20名ほどの生徒と、壇上に並んだ生徒会と風紀委員会の代表者たちが集まっていた。
僕の心臓は、いつもより早く鼓動を打っていた。
でもそれは、恐怖ではなかった。
“本当のことを聞きたい”という、前のめりな期待だった。
壇上。
風紀委員会代表として立ったのは——桜井委員長本人だった。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。私は……今日、率直に話すためにここに来ました」
淡々とした口調。だがその表情には、わずかに余裕があった。
対して、紗月は一歩前に出て語り出す。
「生徒会として、今回の事態を“対立”ではなく、“認識の差”と捉え、建設的な対話を行いたいと考えています」
「そのうえで、いくつかの“意見”を紹介させてください」
そう言って、紗月は一枚の紙を掲げた。
『男子の意見だけを採用し、女子の抗議は“ヒステリック”として却下された——そんな委員会、もう信頼できません』
会場がざわめく。
桜井の目が、一瞬だけ揺れた。
「……それは、事実ではない」
「“事実ではない”というのなら、その根拠をお願いします」
「委員会の議事録には、意見採用の基準が明記されています。性別で選んだことは一度もない」
「でも、実際に“そう感じた”生徒がいるのです。それにどう応じますか?」
沈黙。
桜井は一度目を伏せ、口を開いた。
「……感じ方は、否定できません。だとすれば、私たちの伝え方が一方的だったのかもしれません」
それは、譲歩にも似た回答だった。
会場に、わずかな空気の緩みが流れる。
そのとき、一人の生徒が手を挙げた。
「すみません、意見してもいいですか」
許可され、立ち上がったのは——桐生美琴だった。
「……私は、風紀委員補佐をしていた一人として言います。現場では、確かに“空気”が偏っていました。男子の発言は真面目と受け取られ、女子の意見は“情緒的”と判断されていた」
「その場にいた私が、何もしなかった。それを……今、すごく後悔しています」
桜井が、美琴を見た。
かつての友人としてか、それとも単なる委員の一人としてか——その目は読み取れなかった。
でも、美琴は言葉を続けた。
「……だから、言います。変えてください。見たことのあるあなたにしか、できないことがあります」
その瞬間、桜井は初めて深く息を吐いた。
「……わかりました。見直します。“委員会の在り方”を、もう一度、ゼロから」
会場は、再び静寂に包まれた。
でも、それは重苦しさではない。“対話”が成立したあとの静けさだった。
対話会が終わったあと。
廊下で、美琴が僕に声をかけてきた。
「……ちゃんと、届いたかな」
「届いたよ。お前の声が、一番強かった」
「ふふ……強くないよ。でも、“見ようとした”。今回は、それだけで十分かなって思う」
その言葉が、不思議と心に残った。
“見ようとすること”。
それが、たぶんこの物語のすべてだ。
数日後、生徒会掲示板には新たな一文が掲載された。
《風紀委員会、内部運営体制の見直しを発表》
——すべてが解決したわけじゃない。
でも、“一つの壁”は、確かに揺らいだ。
けれどその隣には、新たな意見募集の案が置かれていた。
「紗月、次は“教師との関係”について意見集めようと思うんだ」
「いいわね。次の問いが、“次の声”を呼ぶ。……まだ終わらないわよ」
そう言って笑った彼女の瞳は、前よりも少しだけ優しかった。
——声と声がぶつかるとき。そこからしか、始まらないことがあるはずだ。




