第6話:それでも、前へ
金曜の放課後。
雨の音が、生徒会室の窓ガラスを叩いていた。
昨日届いた“警告メモ”は、今も僕の机の中にある。
だが、それを紗月にはまだ見せていない。
理由はひとつ。
彼女の目が、今、真正面を向いているからだ。
「今朝の集計で、自由記述は合計57件。中には実名で、具体的な指摘をしてくれたものもあるわ」
紗月は淡々と報告を続ける。
手元の紙束には、ぎっしりと綴られた“声”が詰まっていた。
「……対応、考えないといけないな」
「ええ。沈黙していた分、声は濃い。そして鋭い」
そのとき、ドアが静かに開いた。
「……失礼します」
現れたのは、文化委員長の東雲凛だった。
玲奈の件で、名前こそ出てこなかったが、関係者であることは間違いない人物。
「東雲さん……どうかしましたか?」
「あなたたちの“問い”、読みました。……私も、黙ってた一人です」
静かな声だった。でも、どこかに怒りと恥が混じっていた。
「……最初は、玲奈が騒ぎすぎだと思ってた。空気を乱すって。だけど……あの意見募集を見て、自分がどれだけ何も見てなかったか、気づいたの」
「……後悔、してる?」
「してる。でも、それ以上に——怒ってるの。自分に」
凛は震える手で、一通のメモを差し出した。
そこには、風紀委員長・桜井の名前と、文化委員会での過去のやりとりの記録があった。
「文化委員会の中にも、何人もいた。言いたいことを飲み込んできた子が。……これ、資料として使って」
僕と紗月は、同時に小さく頷いた。
その日の夕方。
生徒会室に、風紀委員会から正式な“申し入れ”が届いた。
要件は、「一部の報告に虚偽がある可能性があるため、再調査を求める」というもの。
紗月はそれを一読して、無言で机に置いた。
「つまり、“生徒の声”を根拠に動くな、ってことか」
「ええ。でも、もう引けない。次は、“公開の場”で応じてもらうわ」
「公開の場って……全校集会か?」
「違う。“対話の場”よ。少人数で、だけど、生徒の前で“生徒会と風紀委員会”が直接話す機会を設ける」
「……やる気か、あいつら?」
「逃げるなら、それも記録する。出てくるなら、堂々と話し合えばいい」
僕は小さく笑った。
紗月のやり方はいつだって冷静だけど、誰よりも“怒って”いる。誰かの痛みに。
夜。帰り道。
校門を出て数歩のところで、誰かが僕の前に立ち塞がった。
「……お前さ、どこまでやるつもりだよ?」
見覚えのある制服。風紀委員、副委員長の間宮だった。
「“正義”って名乗れば、何でも許されると思うなよ」
「思ってないよ。ただ、“声”を無視したくないだけだ」
「お前は知らないんだ。……あいつが、どれだけの人を巻き込んで、どれだけの“嘘”を作ったか」
「それなら、話し合えばいい。公開の場で」
間宮は、苦々しく笑った。
「……俺は、出ない。でも“あいつ”は出るよ。好きにしろ。……ただし、後悔しても遅いからな」
その背中が、雨の中に消えていった。
翌週、学校の掲示板に新たな張り紙が貼られた。
《生徒対話会 開催のお知らせ》
——テーマ:風紀委員会と生徒会の間にある“認識のズレ”について
——参加者:生徒会代表・風紀委員会代表・希望する一般生徒(抽選)
その準備のために、生徒会室は再び慌ただしくなった。
でもその空気は、どこか、前を向いていた。
その夜。僕のスマホに、玲奈から一通のメッセージが届いた。
「ありがとう。言葉にできなかったものが、少しずつ動き始めてる。……まだ怖いけど、それでも、嬉しい」
僕は短く返信した。
「これからだよ。きっと、まだ始まったばかりだろ」




