プロローグ:君には、私と釣り合う価値がないから
昼休みの屋上。風が、まっすぐに頬を撫でていく。
白い雲がどこまでも続く空の下で、彼女は真っ直ぐに僕を見つめていた。
その目に、かつての優しさはもうなかった。
「……誠くん、ごめん。もう、付き合えない」
静かに、でもはっきりとした声音だった。
耳を疑ったりはしなかった。むしろ、心のどこかで予感していた。
「……そっか」
僕——高森誠は、それだけ返した。
背筋を伸ばし、目線を落とさず、ただまっすぐ。
そんな僕の反応が予想外だったのか、美琴は少し眉をひそめた。
「……何か、言いたいことは?」
「理由くらいは聞いてもいいかな」
「……誠くんは、普通すぎるのよ」
桐生美琴。進学校・私立栄煌学園の2年生。クラスのトップ成績で、運動神経も良く、家は都内に本社を構える不動産グループの社長令嬢。
いわゆる“完璧なお嬢様”。
その彼女が、僕と付き合った理由は今でもよくわからない。
「成績も、スポーツも……まぁ、悪くはないけど、特別でもない。服も髪も地味だし、社交性もない。そういうの、最初は新鮮だったけど……やっぱり釣り合ってないなって思ったの」
「……そう、だよね」
「うん。私、ちゃんと将来を考えないといけない立場なの」
なるほど。そう言われれば納得できる。
彼女にとって僕は、“普通すぎて将来性がない”人間だったんだろう。
それでも。
心のどこかが、きゅっと痛んだ。
「一つだけ聞かせて。僕と付き合ってた時間は、全部無駄だった?」
僕の問いに、美琴は少しだけ目を伏せた。
「……無駄じゃなかった。でも、時間は戻らないし、前に進まなきゃいけないの」
……たぶん、それが彼女なりの誠実な答えなんだろう。
冷たいようで、実は冷たくない。
でも、確かに言葉の端々には“見下し”があった。
そのことに僕は気づいていたし、きっと彼女も、無自覚にやっていた。
「じゃあ、これで終わりだね」
「……うん。誠くんが納得してくれるなら、ありがとう」
最後に彼女は微笑んだ。
その笑みを残して、制服のスカートを揺らしながら、彼女は屋上の扉の向こうへと去っていった。
僕は、しばらくその扉を見つめていた。
風が、さっきより少しだけ強く吹いた。
そして——
(これで、全部終わったんだな)
それが、最初のきっかけだった。
失ったものは確かにあった。
けれど同時に、僕のなかで何かが、静かに解き放たれた。
僕は、もう誰かの理想に合わせて生きる必要はない。
誰かの“釣り合う”に見合う自分を演じる必要もない。
もう、媚びない。
もう、下は向かない。
この空を、もう一度、まっすぐに見上げるだけだ。
そうだ。
僕は、自由になった。
ここから先の僕の人生は、僕自身の意思で選ぶ。
その先で、
誰かが後悔することになったとしても——それは、もう僕の知ったことじゃない。