5話 おまじない≠呪い
第5話、全6回に分けて投稿いたします。
電気の点いていない部屋。少しだけ開かれた窓から入る月明かりが中を少しだけ照らしてくれている。
今夜は、半月のようだった。
部屋の主は赤鉛筆を握っていた。電気さえ点けていれば、深夜に勉学に励む学生だと親は思うだろう。
しかし、勉強机に置かれた紙には大きな赤いハートマークが描かれているだけである。
赤鉛筆の先をハートの中心に着けたまま、その人は口を開いた。
「キューピットさま、おいでください。いらっしゃいましたら、大きな輪っかを描いてください」
か細い女子の声だった。
ふわりと窓際のカーテンが揺れる。
「……!」
カリ、と鉛筆が動いた。
女子は一切動かしていない。鉛筆が勝手に動いているのだ。
女子の目に未知への恐怖と儀式が成功した興奮が入り交じる。無意識に息が荒くなった。
鉛筆が大きな円を描いたところで、女子は再度口を開いた。
「キューピットさま、おしずまりください」
声は震えていたが、先程と比べてはっきりとしていた。
女子は手に力を加えて、勝手に動く鉛筆をハートの中心に戻す。中心へと戻す時、鉛筆を持つ手がガタガタと震えていた。
ブルブルと震える鉛筆の先を、静かにハートの中心に押しつける。
「キューピットさま、おたずねします。あなたのお名前をお教えください」
鉛筆が動く。
ゆっくりと、そして丁寧に文字を連ねていく。
『名前はない。私はただ、人に恋を教える者。恋を愛へと導く者』
女子は“キューピットさま”の応えに感動していた。こんなに地味で、何もなくて、暗い私にも、丁寧に接してくれる“キューピットさま”。ああ、嗚呼なんて、素晴らしい御方なんだろう、と、尊敬の念を抱いた。
「キューピットさま、おたずねします」
女子が質問を開始する。
彼女が質問を重ねる度に、鉛筆は円を描いたり、紙の端から端まで反復するように線を引いたり、文字を書いたりした。
「……キューピットさま、おたずねします」
女子は、最後の質問をした。
声は震えておらず、最初のように緊張もしていない。
「好きな人に振り向いて貰うためには、どうすればいいでしょうか」
声には、切実な思いが込められていた。
“キューピットさま”は微笑んだ。
*****
「ルージュさん、香水変えました?」
「ハ?」
昼休み。
総菜パンを片手にやって来た紅朱から、空はいつもと違う匂いを嗅ぎ付けていた。
「ちょっと失礼します」と空は腰を上げて、紅朱の首元に顔を寄せる。……寄せたが、嗅ぎもせずにすぐに座っていた椅子に腰を戻した。
ただの吸気で嗅細胞に届くほどの、やけに甘ったるくてねっとりとした匂い。空ご自慢のポーカーフェイスが思わず崩れて咳を1つする程度には、きつい匂いだった。
紅朱は空の様子にきょとんとした後、腕を持ち上げて、すんと自身の体臭を確認した。
彼は何も感じなかったようで、不思議そうに首を傾けた。
「……いンやァ~? 香水はいつものやつだし、シャンプーとかも変えてねェよ?」
やっぱり香水つけてるんだ。
意識高いな、と空は感心しながら質問を続ける。
「匂いが凄いスイーツを食べたりも?」
「るークン、そんなやべェ匂いすンの?」
紅朱が眉を寄せた。自分からきつい匂いがするのは流石に笑えないようだ。
そこまで近づいていないのに、空の鼻を突くような強い匂い。
端正な顔つき、長身痩躯。色気のある雰囲気。
紅朱は確かに甘い匂いがよく似合うだろう。だが、ここまでくると逆に品を感じられない。下品である。
匂いをつけている本人に自覚がないのはしょうがないとして、鼻が慣れていない他の生徒が感じてないのならば、おそらく霊臭の類いだろう。
この人本当によく狙われるなぁ、と空は逆に感心した。
「ン~……だァめだ、全く心当たりねェ」
「そうですか……。じゃあ様子見ですかね」
「大丈夫なの?」
「……多分?」
「あやふやだァ」
「しょうがないでしょう。情報が少なくて誰からの呪いか分からないんですから」
「呪い?」
「十中八九、恋の呪いでしょうけど」
空は大して食べていない弁当箱に蓋をした。匂いのせいで食欲を削がれたのである。
「バレンタインが近いじゃないですか。こういう時期だと一般人でも恋のおまじないが使えちゃったりするので、特定が難しいんですよ」
「恋のおまじない? さっきは恋の呪いって言わなかったっけェ?」
「まじないと呪いは似て非なるものですから」
“まじない”と“呪い”。
どちらも霊的な力を利用して何かしらの作用や効果を及ぼす行為である。ただし、その行為の意図や結果には違いがある。
“まじない”は願望成就、健康長寿、幸福招来など、一般的に人に良い影響を及ぼすことを目的としたものである。
逆に“呪い”は憎悪や怨恨などの負の感情から、対象へと災いを及ぼし害を与えることを目的としたものである。
「つまり、まじないなら善いもの、呪いなら悪いものってことですね」
「るークンのは呪いなンだ」
「ですね。これは獲物を逃がさないようにする一種のマーキングです。おまじないと言うには禍々しすぎる」
「恋のおまじないレベル99的なァ?」
「呪いですって」
確かにレベル99していれば呪い並みのえげつないおまじないにはなりそうだが。
人並み以上にモテモテになるとか、そういうレベルではない。
モテすぎてハーレム体質なのは序の口。周りの恋人がその人を取り合い殺人沙汰は普段着。周りの恋人が寛容だとその人の肉をどう均等に分け合えば皆で平等に愛でられるかを真剣に考え出し実行するレベルだ。
端的にヤバいし、ここまでくれば最早呪いのレベルである。おまじないなんて可愛いものではない。
「なので、今年のバレンタインでチョコを貰ってもすぐに食べないでくださいね」
「うつぼチャンのも?」
「……私?」
空がきょと、とする。
目の前の紅朱はニンマリと笑っている。
悪戯に煌めくピジョンブラッド。透明度が高いのに深く美しい真紅色が、空を捉えている。
力強い色だと思う。赤色は力や生命、勝利の象徴。同時に闘争心や危険性も表現する二面性を持つ色だ。
紅朱の持つ高い行動力や暴力的な一面とよく似合っている。
こんなに赤の似合う男もそういないよなぁ。
ありきたりな表現だけど、罪な男だよなぁ。
空は再度沼に突き落とされた気分になりながら、紅朱の言葉を脳内で反芻する。
「……私のチョコが欲しいんですか?」
「うん。ダメ?」
「駄目ではないですけど……うーん……」
空は少し考える。
空はイベントは嫌いじゃない。
バレンタインにチョコを作ったことはある。親のように慕っている家族に渡したことだって。
……だが。
「……家族以外に渡したことが無いので、味の保証はできません。それでもよろしければ当日お渡しします」
「え、手作りしてくれるンだ」
紅朱は目を少し見開いた。
空は紅朱の驚いたような表情に、ぱち、と1度だけ瞬きをすると、頷いた。
「はい。バレンタインってそういうものでは?」
「アハッ、やったァ♡ 言ってみるもんだわァ♡」
とろりとした笑顔。まるで蜂蜜のように甘ったるい。
うーーーん。沼。
空はどんなチョコを作ろうかな、とバレンタインが少しだけ楽しみになった。
投稿のペースを少し変更します。
1週間に1回投稿 → 1話分を1日1回投稿後、1週間空ける。
書き溜めている分を投稿し終えるまではこのペースで投稿しようと思います。
次の投稿は7月28日、月曜日、0:00です。
よろしくお願いします。