4話の4 みて
紀伊高校1年3組。昼休みにて。
空は4限終了後、学生鞄から弁当箱を出した。
友人という友人はいないため、空はいつも1人で食べていた。
最近はよく紅朱が来ていたのだが、今日は来るのだろうか。
「あ、社いた」
1年3組に“社”という苗字は空1人しかいない。
空が目を向けると、教室の出入り口に2人のギャルがいた。手にはビニール袋を提げている。
今日もバチバチにイケてるなぁ、と空が感心している間に、そのギャルは教室に入ってきていた。
「やほー。先日はどーも」
「こんにちは、トーコさん。それと……アケミさんでしたか?」
「そ! 顔合わせるのは初めてだよね。暁美だよ! よろしく!」
ニッと笑ったのは暁美である。
灯子よりはバチバチにメイクをしていない。所謂清楚系ギャルメイクというやつか。詳しくは知らないが、自身に似合うメイクをよく研究しているのだろう。よく似合っていた。
「灯子から話は聞いてる。なんか危ないところを助けてくれたんだって?」
空がDVDの悪霊を喰い殺して、魂を暁美に戻したことだろう。
魂を戻せばすぐに暁美は目を覚ました。灯子も目を潤ませて暁美に抱きついていたのをよく覚えている。
「まあ……そうなりますかね」
「ほんっと助かった! ありがと!」
両手を合わせて頭を下げる暁美に、空は爪凄いなぁ、というこの場に一切関係ない感想を抱いていた。
彼女は灯子のように爪は長くなかったが、マニキュアを塗っているのか非常にキラキラしているのだ。つい目で追ってしまう。
爪を観察していると、2人が空いている机から椅子を引いてきた。
空の机を囲うように椅子を配置して、そこに腰掛ける。
机に置かれたビニール袋がガシャリと音を立てた。
袋の中には何やら食べ物の包装が見える。
……もしや、ここで食べるつもりか。
「ちょっと社に聞きたいことあってさー」
「聞きたいこと?」
「そそ。あ、社も食べな食べな。あたしらも勝手に食べるから」
「はぁ」
言われなくともそうするつもりである。
空が2段重ねの弁当箱を開ける。
1段目が炊いた白米に梅干を乗せただけのもの。
2段目がおかず。おかずの代表格の玉子焼きに、アスパラガスのベーコン巻き。ブロッコリーのツナ和え。ミニトマト。それらがギチギチに詰められていた。
ギャル2人が「女子力やばたにえんじゃん」「これが大和撫子」とはわわするほど美味しそうなものだった。
空が話を促すと、気を取り直した暁美が口を開く。
「いやね、私を襲ってきた幽霊のDVDあるじゃん。あれどうなったのかなーって思ってさ。店から借りたやつだから返さなきゃいけないんだろうけど、他に借りた人に迷惑かかるかもだし……」
「ああ。あのDVDならもう破棄しました。ですので、他人に渡ることはありませんし、もう心配は無いかと」
「え、破棄?」
「はい」
暁美がビニール袋の中を漁りながら聞き返す。
出てきたのは、たまごサンドイッチとラベルが異なるおにぎりが2つ、それと紙パックのりんごジュースとカフェオレ。
暁美はおにぎり2つとカフェオレを。
灯子はたまごサンドイッチとりんごジュースを手に取った。
「DVDに入ってた悪霊を除霊したら、中身の映画もぶっ壊れまして。全く使い物にならなくなったので破棄しました」
「エッ。そんなことあるんだ」
「DVDに悪霊が宿ったら中身全部ぶっ壊れるの?」
「いや、そんなことはないかと。今回は多分、“元々DVDに記録されていた映画に悪霊が宿った”訳ではなく、“悪霊が自ら作り出した映画”だったから中身が壊れた訳ですので」
「あー」
「なるほどー」
2人は納得したような声を出す。
映画に悪霊が宿った場合、その宿った悪霊を除霊するだけなら映画に影響はない。その後も問題なく見ることができる。
だが今回は、悪霊が映画を作っていた。元が悪霊の力のため、悪霊を除霊したら映画も一緒に消えてしまったというわけだ。
説明を聞いた後、暁美が何かに気づいたように眉を寄せる。
「……それって店の人に怒られなかった?」
「あ」
灯子も今気づいたと言わんばかりの声をあげる。
そうなのだ、悪霊入りDVDは元々店が貸し出していたものなのだ。そのDVDを壊したとなったらどうなるか――想像に難くない。
「……うーん」
空は明後日の方向を見た後、ギャル2人に目線を戻した。
何故か2人共、怒られる前の子供のような雰囲気を醸し出している。
「怒られてはいないので、問題ないかと」
「「よかったぁ~……」」
嘘は言っていない。本当のことも言っていないが。
霊感の無い者、怪奇現象をフィクションだと思っている一般人に事情を説明したとしても理解を得られるかは微妙なところ。
いちいち否定されるのも面倒なので、空はこういう時、相手の記憶を改竄していた。
2人に伝えた通り、店員に怒られてはいない。これは本当のことである。事実を知る必要はないだろう、と空は詳しく説明はしなかった。
ホッと安心した顔をする2人を眺めながら、空は玉子焼きを口に放り込んだ。
「そういやさ」
「うん?」
玉子焼きに卵の殻混ざってるなぁ、今ジャリッてした、と思っていたら、突然灯子に肩を組まれて、ぐっと顔を近づけられた。
りんごジュースのフルーティーな匂いが鼻孔を擽ったと思えば、怨霊の気配がざわりと膨れ上がった。
黒い靄が教室中に現れて、空と肩を組み顔を寄せる女に興味が集中する。
灯子に近づくように漂う靄。それを空が掻き乱してやれば、怨霊の気配は大人しくなった。
「どーしたの?」と灯子が目をパチクリさせたので、「すいません。虫がいて」となんでもないように誤魔化して話を促す。
「それで、なんです?」
「社、暁美にはお祓い料金のことは言わないでね」
「お祓いじゃなくて除霊ですね」
「どっちでもいいでしょーが! ……こほん。社に除霊頼んだのはあたしが勝手にしたことであって、暁美は本当に何も知らないからさ。成功報酬の40万はあたしが必ず払うからちょっとだけ待っててくんない? もうちょっとしたらバイト代出るから、多分それと貯金合わせたら足りるはず……」
「ああ、40万はもういいですよ。いりません」
「へ?」
いらない?
灯子は目をパチパチさせた。
空はなんてことないように告げる。
「肉まんとポテト買って貰いましたし、それでいいです」
「えっ、いや……あれだけでいいの!? 総額500円未満なんだけど全く釣り合わなくない!?」
「法外な料金設定は依頼人に対する一種の嫌がらせですし、契約書にも書いてありませんでしたっけ? 『報酬は社 空の気分で変わります』みたいな文章」
「『報酬は仕事内容によって変動します』みたいな文は見た」
「ちゃんと見てますね」
空は素直に感心した。チャラついた見た目に反して良い危機管理能力をしているな、と。
思わず「えらいですね」という子供扱いするような言葉が口に出そうになったのをすんでのところで喉に押し留める。
最低報酬が50万円であるのは確か。そこから仕事の危険度によって更に上乗せするのが空のスタイルである。
だが、灯子に告げた通り、高い値段設定は嫌がらせだ。
世間から見て、空は趣味以上アマチュア未満の除霊師といったところ。空としても自分を頼るよりも、プロの除霊師や浄霊師がいる神社や寺の方々に依頼してくれた方がいい。だから、わざと高い除霊料金に設定しているのだ。
そうすれば趣味でオカルトに首を突っ込み、効くかどうかも定かではない除霊をする女子高生に、高い金を払って「除霊してくれ」と頼むようは奴はほとんどいなくなるので。
「まあ、そういうわけで、報酬はもういいです。前金は貰ってますし、肉まんとポテト奢って貰って結構満足してるので」
空は自身がろくでもない人間だという自覚がある。だからこそ、他者から頂く善意は大切にしたい。
灯子は納得がいかないという不満げな顔をしていたが、「社がそれでいいなら……」と肩から手を外した。
「灯子、なんの話してたん?」
「あー、こっちの話。気にしなくていいから。今回はたくさんお世話になったし、今度美味い飯でも奢っちゃるかーってやつよ」
「えっ、それ私もめっちゃ関係あるじゃん! 奢る奢る! いくらでも奢るって! ……あ、今日の朝、SNS見てたらバカ美味そうなダイナマイトパフェ見っけたけど食べに行く?」
「なんて?」
「あ! あのバカでっかいダイナマイトパフェ!? 40分以内に食べ終わったら無料のやつ!? いいじゃん3人で食べようよ! やしろん、いつ遊べる?」
「情報量多いなぁ」
ほんのちょっとの会話で情報が渋滞している。
ダイナマイトパフェも気になるが、それよりも“やしろん” is 何???
“うつぼチャン”に続く新しい渾名だろうか。……だよなぁ。
「連絡先ちょーだいよ、やしろん」とグイグイ迫ってくる灯子と暁美に、空は遠い目をした。
空は“アケミ”と“トーコ”の連絡先を手に入れた! ▼
*****
紅朱が1年3組の教室に訪れてはじめにしたことは、目をパチパチと瞬かせることだった。
「やしろん、ハンバーグ作れんの!? えっ、すっご……! マッジで美味そうじゃん! この上に乗ってるふわふわの茶色いやつ何? おがくず?」
「おがくずが乗ってるハンバーグ見たことあるんですか?」
「食べても100%噎せると思う」
「それはそう。まず食べられるかが問題。……これはおろし大根にポン酢かけたやつです。さっぱりしてて美味しいですよ」
「いやー女子力やばたにえんだよねー。流石紀伊高校の大和撫子」
「ほんとやばたにえんぴえん」
「さっきから言ってる『やばたにえん』って何ですか?」
「ぴえんは知ってるんだ」
「まぁ、有名どころは。ぴえん beyond the ぱおんのやつでしょ?」
「「なんて???」」
ギャルとうつぼが仲良くなっている。
空の両隣に灯子と暁美がピタッと寄り添い、空のスマホを覗き込んでいた。まるでシマエナガが仲間と寄り添っているような距離感である。
3人が楽しそうに談笑しているのを見ていると、ふと空が顔を上げる。
青い瞳と目が合った。
「ルージュさん、遅かったですね」
なんだろう。気に入らない。
声も、表情も、雰囲気も、態度も。空がいつも紅朱へと向けるものと全く変わりはない。だが、紅朱は魚の小骨が喉に引っかかったような、そんな違和感を覚えた。
そのことに紅朱は首を少しだけ傾けた後、彼女達のいる席へと足を進めた。
「あ、ルージュじゃん」
「えっ、珍し」
「うつぼチャン、2人と仲良くなったンだ?」
「ガン無視かよ」
「こやつ、やしろんしか見えてないぞ」
「やしろんヒーキだ」と文句を言うギャル2人に目を向けず、紅朱は空を見つめた。いつもの薄ら笑いを浮かべているのに、目は全く笑っていない。その瞳の奥には見るものを探るような探求心が見え隠れしている。
空は紅朱の様子を気にせず頷いた。
「はい。今度一緒にダイナマイトパフェを食べに行きます」
「へーえ?」
紅朱はそこではじめてギャル2人に目を向けた。
暁美はドヤ顔をした。
灯子はピースをすると、鋏のようにチョキチョキと切る真似をするように動かす。
「やしろんとはズッ友よ~」
「ねー、やしろん! 今度プリクラ撮りに行こうね!」
「パフェ食べた記念に?」
「そそ!」
「両手に花だなぁ」
「おっ、やしろん分かってんじゃーん!」
きゃっきゃうふふのピンクの空間が紅朱の前に広がっている。
ギャル2人に両側から絡まれている空を眺めていると、やはりモヤモヤした。喉に魚の小骨は刺さった感覚はまだ消えない。
同性だからこそ許される距離感であることは理解できる。2人のコミュニケーション能力の高さはそれなりに付き合いが長いから知っている。いつもなら「仲良くなったんだァ」くらいで、それ以上は何も感じないのに。
不思議と納得がいかなかった。
紅朱自身でも意味が分かりそうで分からなくて、気分が悪い。
この気持ちをどうすればいいのか、紅朱は3人を観察しながら考えた。
適当に取ってきた椅子を寄せて、3人の話に混ぜて貰う。
暁美と灯子はよく喋る。噂は好きだし、SNSもよくチェックしていた。だから、2人と会話する時、紅朱は聞く側に回っていた。2人のよく動く表情や唇を見るのは意外に飽きないのだ。
3人の様子を見ている限り、空も聞く側に回っている。元から口数は少ないタイプに見えたので、予想通りではある。
2人の話に相槌を打ち、時折動く薄桃色の唇。それを観察している間に、3人の親密度が上昇していくのが分かる。
それが欠片も面白くなくて、意味が分からなかった。
なァ~~~~~ンでこんなに気に入らねェかなァ。
表にはおくびにも出さないが、紅朱はなんだか無性にイライラしてきた。頭の中で血達磨メイクに早変わりしたギャル2人を想像できるくらいには、苛立っていた。
「ルージュさん、気分が優れませんか?」
「ア"?」
目を向けると、青い瞳があった。
熱のないコーンフラワーブルー。柔らかく繊細な美しい青色が、真っ直ぐに紅朱を見ている。
その瞳に見つめられていると、気分が落ち着いた。海を連想した。波もない静かな海。凪いだ海。赤など混じっていない、透明度の高い青色の海。
それもまた不思議で、紅朱はパチリと瞬きをすると首を僅かに傾ける。
「うつぼチャンて魔法使いだったりする?」
「魔法は使えませんね。霊感はありますけど。あと怨霊が取り憑いてるくらいです」
「それは知ってるけどォ……ン~……」
紅朱はうんうん唸っていたが、大きなため息を吐いた後、笑った。
難しいことを考えるのはあまり得意ではない。
空は今、自身を見ている。
今はとりあえずそれでいいや。
「うつぼチャン、るークンともおでかけしよーね♡」
紅朱は上機嫌に空に笑いかけた。
喉奥に刺さった異物の感覚は、いつの間にか消えていた。
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