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べからずさま  作者: 長月 ざらめ
1章 口紅編
46/47

12話の2 ●●様

 深夜2時を過ぎた頃。

 真央(まお)は目を覚ました。

 自室に自分以外の気配を感じ取ったからだ。


 目を開けば、そこに広がるのは見慣れた天井。……ではなく、月明かりに煌めく銀色のものを掲げた人影だった。


「ッッ――!!」


 銀色は、刃である。

 振り落とされる凶器。その切っ先が真央の額を捉える。


 ドッ、と音がした。いくつも重ねられたものを貫くような音だった。

 しかし、それは人の脳味噌を頭蓋骨ごと串刺しにした音ではなかった。

 ふかふかの枕とその下の敷布団とマットレスを貫いた音だった。


 真央は人影の背後にいた。己の能力である“瞬間移動”で移動していたのだ。

 彼女がハイキックを人影の頭に叩き込めば、人影は乗り上げていたベッドから落とされた。


「どなたかしら?」


 真央は素早く侵入者の腕を取り、捻り上げる。

 眠気が取れてきたのか、抵抗する侵入者を床に押しつけながら、横顔を見遣る。

 その顔を見て、真央は目を見開いた。信じられない、という気持ちがありありと浮かんでいる。


怜央(れお)……?」

「ぁえ"、ェえ?」


 口の端からだらだらと唾液をこぼしている。目の焦点は合っておらず、ずっと小刻みに揺れている。口の端がヒクヒクと引き攣り上がっている。


 そんな、酷い有り様の、最愛の弟が、真央の目の前にいた。


「アー、あ"ーはハは、ハひャ、ひャヒゃひャひャヒャひゃ! アはハはハ! ミづガっダぁ!? ミつガっヂゃッたアあ!!」


 ゲラゲラと大きな笑い声をあげる怜央に、真央は顔から血の気が引く思いだった。


「あハはハは!! ハあ~~~アぁ!! ダめナこダねェぼク! わタちモだメだメでチた! えへ、エへ~~へへへハはハ! なアあアんデきジゅイたノおオお? ネえ?? ねエ~~えエ??? まンまァあア????」


 昨晩の、姉を応援するし信頼していると言いたげな笑みはどうした。


「オなカにネぇ、カえリたイのオ~~! おナかヲねエ~え、サきサきシてネ、おナかニね、カえルの、うふ! ソちタらネ、まタね、オなカにカえッてネ、うンでモらエるデしョ??」


 好物のステーキを幸せそうに食べる弟はどこだ。


「ね? ネ? ね? カえラせテ? ね? マまノおナかニね? ネ? かエりタいのォ。ね? カえラせテよオおオおネえエえエ~~~~~えエえエえ???」


 私の大切な片割れが何故こんなに壊れている。


「カえリたイ! かエりタいカえリたイかエりタいオなカにカえリたイよオかアさアあアあン!! マあアあアまアあアあアあ!!」


 やめろ。


「ネえエえイいデしョおオおオおッ? ねッ? ネっ? ねエえエえッっッ?? かアあエらセてヨおオお!」


 やめて。


「オなカにカえリたイよウまレたイヨおオおオおオおネえエえエえエ!?!? もウいッかイおレをウんデよマまアあアあアあア!!!」


 私の弟をこれ以上侮辱しないで。


「まマあア――」



 ――ゴキッ。



 鈍い音がした。

 それから、弟は、何も喋らなくなった。

 一切笑わなくなった。

 ピクリとも、動かなくなった。


 代わりに、姉の静かな息遣いだけがその場に響いた。

 ひゅー、ひゅー、と。

 か細く、湿り気のある呼吸音だけが、部屋の空気を震わせていた。






 彼女の耳にはまだ、愉しげに嗤う子供の声が聞こえている。

 ズキリと、下腹部に痛みを覚えた。






*****






 スマホから凄まじい音量のアラームが鳴り響く。

 それにビクリと体を揺らすのは、1人の男だった。

 唸りながら枕元に手を這わせて、探り当てたのはいまだに爆音のアラームを垂れ流しているスマホである。アラームを解除しようと画面を見て、そこで気づく。

 あ、これ連絡じゃん。と。

 電子画面の光に目をシパシパさせながら、男は緑色の通話ボタンを押して、それからスピーカーのボタンを押す。


「……ぁい、もしもしぃ? 加賀美(かがみ)でぇす……」


 彼は加賀美 景虎(かげとら)

 寝起きなせいで口の端から涎がこぼれた跡がそのままの、残念なイケメンである。

 まだまだ寒さしかない冬の朝。

 ふかふかのベッドから出ずに、今の今まで頭を乗せていた枕にスマホを置き、うつ伏せの状態で通話を開始している。


『加賀美、私。調月(つかつき)だけど』

「んぇ? ……あー、調月……姉の方?」

『……そうよ』

「お前らまだ生きてたんだ?」


 眠気で舌っ足らずだが、本当に驚いたような口調だった。冗談交じりのものではない。まるで既に死んでいると思っていたような、そんな、知人に対してあまりにも酷すぎる声色。

 しかし、彼からすればそれは当然のことだった。

 何せこの女、化け物の怒りを買っている。

 正確に言えばとある霊に呪われているのだが、もうそろそろ精神に異常をきたしてもおかしくないような期間だ。

 故の驚き。通話先の女……真央(まお)は凪いだ声で『そうでもないわ』と言う。


怜央(れお)が死んだの』

「へぇ。そりゃあご愁傷さま」


 どうでもよさげな調子で景虎は言葉を返す。あくびを噛み殺し、目頭(めがしら)目尻(めじり)についた目やにを擦り落としながら。

 真央はその態度に何も思わなかったのか、言葉を続けた。


『もうすぐ私も死ぬわ』

「ふぅん」


 興味のないものに対する相槌。景虎は本当にどうでもよかった。どうせあと数時間のうちに死ぬことが確定した人間だったから、興味もクソもない。

 だが、その死ぬまでの間の話し相手くらいは務めてやってもいいかなという、その程度の僅かな優しさで通話は切らなかった。


 眠気の取れてきた頭がゆっくりと、確実に回転し始める。


「んで? 俺に何の用? 前も言ったけど呪いは外せねぇから命乞いしても助けないよ?」

『ええ。分かっているわ。……諦めたから』


 ……随分と、しおらしくなったものだ。数日前の電話ではキャンキャンとよく吠えたのに。

 やっぱり死という概念は人の心を容易くねじ曲げるんだなぁ、と景虎は存在自体が劇薬である女の横顔を思い浮かべながら遠い目をした。

 何せ自分もそれなりに経験のあることだ。当時の心をねじ曲げられたし、ねじ曲がった自覚がある。


『だから、教えなさい。この呪いは何? 一体誰が、どうして、私達を呪ったの?』

「あー……」


 知識のない霊媒師からすれば、当然の疑問だろう。

 知らず知らずの間に虎の尾を踏む、もしくは竜の逆鱗に触れてしまったことには多少の憐憫は覚えている。

 ……説明くらいなら大丈夫だろ。

 景虎は寝癖まみれで絡みまくった髪の毛を手櫛でほぐしながら、口を開いた。


「霊媒師にも怪異のブラックリストってーか……危険だから関わるなってやつの一覧表があるのは知ってるだろ?」

『……ええ、知っているわ。……もしかして、私達はそのリストに載っている怪異に呪われているの?』


 プロの霊媒師ならば誰もが知っている、絶対に手を出してはいけない怪異の一覧表(リスト)

 単純な強さ、厄介さ、社会への影響力……様々なものが加味された上で、“手さえ出さなければ比較的に安全な怪異(もの)”や“巻き込まれたら生を諦めた方がマシな怪異(もの)”などがランク付けされて載っているもの。

 それが怪異のリストである。

 そのリストは全霊媒師が知っておかなければならない基本知識。霊媒師としてでも手を出してはいけないものが載っているそれは、霊媒師のための命綱のようなものだった。


 真央に問われた景虎は、彼女に見えずとも首を横に振った。


「いんや、そこに載ってない。……もっと言うなら、載ることさえ憚られる(・・・・・・・・・・)ヤツ(・・)に呪われてんの、お前は」

『……?』


 景虎は頬杖をついて、言葉を続ける。


「その者の姿を視るべからず。

 その者の声を聴くべからず。

 その者の匂いを嗅ぐべからず。

 その者の形に触れるべからず。

 その者に興味を持つべからず

 その者を認識するべからず。


 努々(ゆめゆめ)(わする)るべからず。

 その者は我等の隣人であることを。

 しかし()して忘るべからず。

 その者は我等の同胞(はらから)でないことを。


 ――その者は、禁忌(べからず)なり」


 真央もよく知っている文章だった。

 霊能者の道を歩むと決めた後、色んな人から聞いてきたものだった。教えられた、というよりは、口癖や独り言のようなものを何度も聞いているうちに覚えた、の方が近い。


 誰もが口々に呟くため、霊能者としての心構えに似たものだと思っていた。

 だが、この雰囲気では違うのだろう。


「いやぁ~……なんつーか、ガチで認識するだけでこっちの存在を察知してくるような化け物だからさぁ、あんまり関わらない方がいいんだよね。だから、公的な記録にはあんまり載せられねぇし、こうしてぼかして遠回しに『そいつと関わり合い持つなよ』って注意することしかできなくてさぁ……」

『……』

「調月姉、そういやおまえ、呪ってきたヤツの正体は何かって聞いてきたっけ?」

『……、ええ』

「その答えはこれだ。『知るのはやめとけ。マジで。人として死ねなくなるから』」

『……。そう』

「おん。だからな、きちんと死んでおけ。無駄足掻きせずに死ねば、向こうもそれ以上手を出してこねぇから。ちゃんと成仏させてくれる。……はずだ。多分、おそらく、メイビー」


 成仏させてくれるかまではあまり自信はないが、一応祖父という常識人枠がいるから、死体蹴りならぬ成仏蹴りまではしないだろう。


 と、景虎は考えながら、ふと気づく。

 先ほどからどうも通話相手の相槌が遅い。

 「調月姉?」と大丈夫かの意味を込めて呼び掛けるも、もう返事は返ってこなかった。

 景虎は吸った息を限界までゆっくり吐き出すと、通話を切った。そして、ぼふりと枕に頭を落とす。


「……朝からするにはヘビー過ぎる話題じゃん。俺ってばちょーやさすぃ~……」


 すっかり眠気は取れてしまった。

 景虎はため息を吐きながら起き上がり、ボサボサの頭を掻いた。






*****






 通話の切れたスマホが地面に転がっている。

 そのすぐ傍に仰向けに倒れた真央がいた。


 ひゅー……。ひゅー……。


 掠れた呼吸。涎の垂れた口元。扇子でも広げたように放射状に乱れた長い黒髪。

 虚ろな目で見上げる先には、いつもとなんら変わらない天井。ふと、ブレる瞳孔が下に向く。


 そこには、膨らんだ腹部があった。


 まるで妊婦。数時間前までは平らだった腹部が急激に膨れ上がり、服をみちみちに押し上げている。その急激な肉体変化はただじゃおきない。

 数十分前まで、真央は尋常じゃない痛みでのたうち回り、何度も胃の中身を吐き出していた。


 真央の腹の内側にいるものは、人間ではない。

 まだ産んでもいないのに、「ま」の奇声をあげて、腹を金平糖のような凹凸のある形に無理矢理押し上げるような赤子はいないだろう。


 何度も揺れる腹を見ている真央の気持ちは死んでいた。もう諦めていた。

 最愛の弟を自身の手で縊り殺した時に、全てがどうでもよくなった。

 弟と同じ場所に()きたかった。弟と一緒だったから、弟がいたから、真央は“真央”としていられたのだから。

 弟のいない世界に未練なんてなかった。


 腹の中の何かが更に膨れ上がる。

 真央は部屋の天井に着かんばかりに膨張した己の腹部を見ながら、涙を一筋こぼして、目を閉じた。
















 ――ボンッ。


 誕生の音と共に降るのは真っ赤で生ぬるい雨。

 それは彼らを祝うベビーシャワー。
















 午前8時3分。

 景虎はとある高級マンションに足を運んだ。

 目的の部屋までのセキュリティは全て素通り。電子管理と霊能力というのは不思議と相性が良いのだ。

 目的の部屋のロックも指パッチンで解除して不法侵入。扉を閉めると鍵は自動で施錠された。


 景虎は鼻をひくつかせる。消臭剤の匂いに混じって血の匂いがしたのだ。

 靴も脱がずに玄関の廊下を歩き、適当に部屋を覗きながら、血の匂いが濃い方へと歩いていく。


 血の匂いがする部屋。その扉を開ければ、血生臭さが鼻を突いた。

 眉を寄せながら部屋へと入る。真っ赤だった。飛び散った血飛沫(ちしぶき)が部屋を赤く染めているのだ。


 部屋の中には、2つの死体があった。

 1つは、異常な笑顔を浮かべた首があらぬ方向に捻られた男のもの。

 そしてもう1つは、腹部が破裂した女のもの。


 酷い血の匂いは女のものだろう。

 景虎は「うわぁ……」と顔をしかめながら、スマホを操作する。


「……。……あ、もしもしぃ? 倉持(くらもち)さぁん? 加賀美ですけど、調月の家にクリーナー派遣してくれませぇん? 調月姉弟(きょうだい)が死んでるんで。……ああ、それと」


 景虎は女の死体……その弾けた腹部から外の窓(・・・・・・・・・・)へと続く赤い足跡(・・・・・・・・)を見ながら言葉を続ける。


「念のため祓えるクリーナーがいいなぁ」


 血でできた足跡は窓の傍で止まった。揺れるカーテンは、外から風が入ってきている証である。このマンションにはベランダがあった。おそらくここから何かは外に出ていったのだろう。

 カーテンを手で払い、ベランダに出て外を確認しようとした。


「化け物が近くにいるかも――」


 窓越しにそいつ(・・・)と目があった。

 窓ガラスにベッタリと体をくっつけて、景虎の顔を覗き込んでいる。

 血走った白目、大きな瞳孔……その一つ目と、窓ガラス越しに景虎は見つめ合う。


「――しれな――」


 ブッ、と。

 ソレが口の中の空気を吐き出した。


 すると、景虎の頭が弾け飛ぶ。


 窓ガラスをどうやって貫通したのか、ソレの吐き出したモノは確かに人の頭を破壊し吹き飛ばした。

 ソレは、目の前で粉々になった頭部の肉片を見て嗤う。両手を叩いてきゃっきゃと喜んだ。

 無邪気な笑顔だった。生き物の頭を弾けさせることを楽しいことだと信じてやまない、遊んで楽しいと表現している仕草と笑みだった。


 その直後である。


「キャ……?」


 バツン、と。

 ソレの頭が同じように弾けた(・・・)


「――かったけど、やっぱどっちでもいいや。……んじゃ、なるはやでよろしく~」


 バラバラとベランダに散らばる肉片を視ながら、景虎は何事もなかったかのようにスマホに話し続ける。


 通話先から聞こえてくる悲鳴を無視して、景虎は赤い受話器マークをタップした。


「あ~、びっくりした」


 景虎は寝癖まみれの頭を掻いてあくびをした。

 次回の投稿は12月23日、火曜日、0:00です。

 よろしくお願いします。

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