11話の5 女の嫉妬は蛇になるってありきたり
ただの息をするだけの肉塊。
はじめの認識なんてそんなものだった。
私が産んだ赤子。
顔はしわくちゃ。量の少ない髪。色素の薄い茶色の髪が僅かな光を吸い込み輝くその様は、生命の素晴らしさを物語っているように感じた。
その素晴らしさを感じながらも、不思議とどうでもよかった。
あの人よりも関心も興味もなかった。
あの人を繋ぎ止めて、自分に縛り付けておくためだけの命ある肉の塊。
子供ができればそう簡単に切り捨てることはできないだろうと思っての懐妊。
そのくらい、あの人のことが好きだった。
大好きだった。
愛していた。
その愛を、あの人は「めんどくせぇ」と容易く切り捨てた。
放り出された私に残ったのは、重い腹と軽い命だけだった。
酒を飲み、働き、酒を浴びて、あの人と似た男を取っ替え引っ替えする日々が続く。
視界の端に時折入ってくる小さな子供。それは私が産んだ出来損ない。男を繋ぎ止めることさえできなかった欠陥品。
そのまま放置するなんて勿体無かったので、幼児に興奮する客を探して金を稼がせた。
はじめは慣れなかったのか、芋虫のように布団にくるまり浅い呼吸を繰り返していた。
――その子供が、化ける。
数日、数ヶ月、1年。
客を取るたびに。年を経るたびに。
子供は美しく、妖しく、煌めいた。
客が食わせた栄養の良い食品でふっくらと肉のついた体。
薄暗闇の、僅かな光を吸い込み輝く、自前の赤い瞳。
笑み1つで人を釘付けにし、ほっそりとした白い指先を束ねて「こいこい」と2度ほど手招きすれば、誰もが操られたように足を子供に向ける。
華のような子供だった。
誰もが子供に引き寄せられた。
その唇に。紅く色づいた、美しい曲線をした、柔い唇に吸い寄せられた。
人の生気を吸い尽くすサキュバスのように唇を合わせ湿った音を微かに響かせるその子供に、唖然とした。
意味が分からなかった。
これが本当に、私が産んだ出来損ないなのか、確証が持てなかった。
私はこれだけ裏切られて、捨てられて、底辺にいるというのに、なんだこいつは。
どうしてこんなにも、こいつは恵まれているのか、理解できなかった。
子供が相手をして蕩けた顔をする客を見るたびに、胸の奥がざわついた。
胃がムカムカした。頭の奥からじくじくと膿が湧くような。ふつふつと血が沸騰するような心地だった。
これを妬みだと、あの子供に対する嫉妬だと、そう理解したのは、私の彼氏があの子供と肌を重ねたと知った時だった。
彼氏のスマホに入った子供の連絡先。
メッセージのハートマーク。
次の行為の約束。
腹の底からカッと沸き上がってきた怒りが。
胸の奥からじゅくじゅくと膿むような妬みが。
脳味噌を支配する。
出来損ないの癖に。
私の役に立たなかった癖に。
私と違って男の癖に。
何も産めない癖に。
どうして。
どうして、お前は。
お前は、そんなにも。
恵まれている。
世界から寵愛を受けている。
パンツ1枚で部屋を闊歩する、風呂上がりの男の背中。
それに錆び付いた包丁を深々と突き刺した。
許せなかった。絶対に許せるものかと、包丁を握る力が強くなる。
私を裏切った男も。
私をコケにするあの子供も。
全部。ぜぇんぶ。
殺してやりたかった。
大事なものを。
壊してやりたくなった。
奪ってやらなくては。
今度こそ、私が幸せになるために。
取り戻さなくては。
今まで不幸だった分を。
だって、紅朱は私の子供なのだから。
私のためになることは、子供にとっても嬉しいことだから。
だからこれは、正当な行いなのだ。
*****
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〈 ルージュ
ルージュ
:【古びたアパートの写真】
ルージュ
:【どこかの住所】
ルージュ
:うつぼチャン暇ならちょっとここまで来て♡
ルージュ
:調月とかいう2人にドナドナされてる~
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危機感のない、ある意味で紅朱らしいSOSが届いた。
だから、空はかつての紅朱の住まいに駆けつけて、開かずの扉を破壊しかけながら部屋へと押し入った。
そこで見たのは、倒れた紅朱。
そして、彼の口へとずるりと侵入っていく鱗のついた尻尾である。
――乗っ取られかけている。
ダンッ。玄関から部屋の中心までの距離を一足で詰めて手を伸ばす。あり得ない瞬歩。それにより鱗のついた尻尾に指先こそ触れたが、掴むには至らず。
尻尾は空の手をすり抜けた。
1つ、舌打ちが漏れる。
紅朱の口の中へと消えていった尻尾を追うように、空は彼の口に手を掛けて、顎が外れない程度に上下に開く。見えるのは真っ赤にぬめった咥内と、白い歯が並んでいるだけで、尻尾は既に喉奥へと行ってしまったようだ。
手を突っ込むか。
いや。それだと紅朱の体を乗っ取った霊が暴れ始めた時に力不足になる。紅朱の身体能力の高さは空を軽く越えている。振りほどかれる可能性が高い。
そのうえ、どう頑張っても喉奥に指先が届くだけでそれ以上先には進めない。
“虚無斗”を使うにしても、下手に紅朱と接触させると彼の精神が崩壊して廃人になってしまうから、最低限の接触かつ完璧なコントロールでいきたい。
じゃあ口しかないか。
空は紅朱の頭をがっちりと抱え込み、彼の唇を食べるように唇を合わせた。
そして、口の中で渦巻く靄を吹き込んだ。
「ッッ!!!」
「ん"ーっ!」
途端に紅朱は暴れ出す。
いや、紅朱の体を乗っ取った人面蛇が暴れ出した。
目をばちりとかっ開くと、ギョロリと目線を空に固定する。体の内側を探り、蛇を見つけ出そうとする靄。それを吐き出す彼女を引き剥がそうと、髪の毛を鷲掴み思い切り引っ張った。
空の頭からブチブチという音と、頭皮を後ろに引っ張られる痛みが生じて、彼女は眉を寄せて唸る。だが、離れない。唇だけは外さない。
イキの良い魚のように全身を躍動させ、空を剥がそうとする紅朱の体を乗っ取った蛇は容赦がなかった。紅朱自慢の怪力で頭を抱え込む腕を外そうとする。
空の顔を殴り付けた。爪が柔肌を抉り引っ掻いた。舌を噛みちぎった。目を指で突いた。
最終的に、首を絞めて殺そうとした。
それでも空は離れなかった。
更に腕に力を込めて紅朱の頭を固定し、密着度をあげて唇を貪る。
蛇が空の頬肉を搔き毟った直後、空は不自然に硬直した。
瞬間、空は顔を素早く反らした。
唇から漏れるのはまるで溶けたゴムのような、黒く粘着力のある何か。それを短くなった舌に巻きつけ、思い切り噛み締めながら。
紅朱の頭から腕を外し、代わりに指を口に突っ込み黒いモノを掻き出す。そして、無理矢理引き抜いた。
「ゔおエッ……!」
ずりゅろと口から抜けて出たのは、黒い塊だった。
空は「ぷっ」と口から固形化した黒い靄を吐き出し、勢いよく塊を壁に叩きつける。遠心力の乗ったそれは、壁にぶつかると「どぢゅん」と湿った音を出して壁にへばりついた。
塊はどろどろと溶けて重力に従い床へと広がる。黒い水溜まりにボコボコといくつもの水柱が出来たかと思えば、途端に巨大な蛇になった。
「ジャ、ジャッ、ジャァアアァァアマヲオオオォオオオオオオオ」
怒りと憎しみで狂った女の顔。
蛇はギリギリと歯軋りをしながら、血走った目で空を睨み付けた。
「ジャマヲスルナアァアァァアァァアアアッアアアアッアアアァアアアッアアアアァアア!!!!」
「Shut up,fucking bitch.(クソ阿婆擦れは黙ってろ)」
紅朱を胸へ抱え込み、空は蛇に向かって中指を立てる。
「私の友達に手ぇ出して無事に復讐遂げられると思ってんなよ?」
残った片目。
瞳孔の開いた青い瞳が爛々と輝き。
血の川が流れるこめかみや、手の青痣の残る白い首には筋がいくつも浮き出ていた。
「喰い殺す」
紛れもない死刑宣告。
手を翻して、掌を蛇へと向ける。
黒い靄が部屋一杯に充満したと思えば、蛇の前に巨大な口が顕現する。
カパリと開かれた口からモワッと吹き出る白い水蒸気。
ゾロリと生え揃った黄ばんだ歯牙。
唾液の滴る真っ赤な咥内。
開かれた掌をグッと閉じて握り締めれば、同様に口も閉じる。
蛇は口の中へと誘われ、頭をバツンと噛みちぎられた。
次回の投稿は12月19日、金曜日、0:00です。
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