11話の3 救えないからしょうがない
男が好きな人だった。
自身の半分の遺伝子の元となった男に惚れ、その男と遊ぶ金を作るために必死に体を売って稼いでいた女だった。
そして、その男に捨てられると、その鬱憤を子供にぶつける女だった。
しばらくそれが続き、女が次の男を見つけて家にあげた。本当に好きな男に捨てられた心の痛みを別の男で慰める。そして、今度はその男のために稼ぐ。今度は失敗しないと言うように、多くの金を貢ぐその姿は、子供にとって滑稽で、面白い見世物だった。
そしていつの日からか、その滑稽な姿は子供にとって他人事ではなくなった。
子供は6歳で男を知り、9歳で女を知った。
女が連れてきた、子供の“客”だった。
子供よりも大柄で、縦にも横にも太った客だった。薄暗闇で光る双眼と黄ばんだ歯、生ぬるく生ぐさい吐息に、生理的な嫌悪が背筋を這った、あの感覚をいまだに覚えていた。
逃げる暇もなかった。選択の余地も与えられなかった。
肉欲の滲んだ視線に見下され、硬直した子供の細い腕を鷲掴みにされる。そして、使い古しで、引きっぱなしの、薄い敷布団の上に引きずり込まれた。
下半身を遊びやすく改造され、大人の下卑た性欲にもみくちゃにされた。初めは痛みと苦しみしかなかったが、いつしかそれが快楽へと変わる。
男を誘う表情と仕草を躾けられた。
女を堕とす言動と表現を教え込まれた。
幸いにも子供は覚えが早く、気持ちを割り切るのが速かった。教えて貰ったことをすぐさま実践して多くの客を悦ばせ、足長達を得ることができた。
その足長から貰ったお小遣いを女に奪われながら、子供は知る。
ああなるほど、快楽にあいつは溺れているンだなァ。
子供は、女が男に溺れる理由を理解した。
子供は、子供を見る女の顔を理解できなかった。
自身を見てしかめっ面をする女の顔が、理解できなかった。
でも、その顔を見ると、胸の奥がそわそわして、満たされた。
嬉しかった。
*****
傍とは、“かたわら”と読む。
意味は、そば。すぐ近く。端に寄った所。
ここでの意味はおそらく“そば”や“すぐ近く”が近しいのだろう。
人のすぐ近く。人の旁にいる者達。
故に“傍”。
空がそれを知っていたのは、その“傍”という組織に知人がいたからだった。
少し前、中学の頃だったか。その時に自身の命を狙ってきたそれなりの腕前の除霊師である。
当然のごとく返り討ちにして、気紛れで生かした。自身がつけた傷が癒えたらすぐに追い返したが、その間に気に入ったので、そいつの身の回りを整理してやってから野に放った。
それから細々と交流があるため、その伝で彼を呼び出したのだ。
待ち合わせのカフェにやって来たのは1人の男性。
10代後半から20代前半辺りか。眠たげな、じとりとした目付きをした男だった。
うねった天パの黒髪が肩にかかっていた。黒い瞳の下にはほくろがあり、それが妙に色っぽい。
しかし、よれよれのパーカーと黒のスキニーパンツが、彼のだらしなさを醸し出している。
残念なイケメンという言葉がよく似合う人だった。
「うぃーす、空さぁん。お久しぶりぃっすねぇ」
彼は加賀美 景虎。
少し前に空を殺そうとした除霊師であり、その結果、こてんぱんに返り討ちに遭った男である。
見た目通りの緩い言葉と声色、そして怠そうな顔で空に挨拶する。
空はそれに「久しぶり」とだけ返して、彼に問いかけた。
「カゲトラって“傍”って所で働いてるって言ってたよね?」
「はぇ? ……あー、前に報告しましたね。そうっすけど……それがどうかしました?」
「じゃあ、そこにチョウゲツ……トトノイヅキ……じゃなくて……なんだ、調子に乗るの“調”に月火水木の“月”の2文字の苗字の双子がいるよね?」
「調月っすね」
「それだ」
空はどうしても開かなかったジャムの瓶の蓋が開いた気持ちになった。スッキリしてとても気持ちがいい。
「最近調子が良い姉弟っすね。単純な上納金なら同期の中でも抜きん出てるというかなんというか」
「へー」
「……。その2人がどうかしました?」
聞いてきたわりには興味が無さそうな雰囲気。
景虎が首を傾けながら問いかけると、空はそれに答えた。
「いや、その2人を出方次第では殺そうと思ってるからさ」
明日の天気を聞かれて、「晴れだよ」と答えるような。そんな気楽さで、空は言った。
景虎は鼓膜から入り脳にまで言葉が到達するも、すぐには意味が理解できずに「へー」と返す。
何度か頭の中で空の言葉を繰り返し、ようやく言葉の意味が情報として脳に染み込んだ後に「まじっすか、それ」と確認した。空の発言から約6秒後のことだった。
「うん。別に問題ないよね?」
「……はぁ」
景虎はため息じみた気のない返事をしたが、頭の中はめんどくさいで一杯だった。なんか面倒事に巻き込まれているな? と思っていた。
やんわり反論して人殺しをやめさせるべきか。それとも知らず触らずで放置すべきか。非常に悩ましいところ。
どっちにしても、彼女が自分の意見を参考にしてくれるだろうか。優秀になるかもしれない人材だから、できれば見逃してくれると助かるが……彼らを救える自信がない。
「……なんでその確認を俺にとるんすか?」
「傍の知り合いがカゲトラしかいないから」
「そっか~~」
空の交流の浅さによるものだった。いやまあ、彼女の特異性を考えれば浅くても仕方がないのだが。
だからといって、人間の命2つ分を自分に預けられても困る。
なんて返そうかと迷っていたら、軽やかなメロディが聞こえてきた。スマホでよく聞くメロディである。
どうやら空のスマホに連絡が入ったようだった。
「平地さんっすか?」
「いや、友達っぽい」
「え。空さんって友達いたんすね……」
「うん。最近できた。ありがたいよ。私みたいなひとでなしを頼りにしてくれる」
景虎は口を閉じる。
絶対失言したと思ったのに、まさかこんなに穏やかに返されるとは。
……なんと、声をかければいいのか、分からなかった。
胸の辺りがほわ……っ、としたその直後、背中に百足が這いついたような気味の悪い悪寒がやって来た。
背筋を襲うゾワゾワ感。得体の知れない気配に額から汗の玉がぷつぷつと出てくる。
「……空さん?」
恐怖で痺れた舌をなんとか動かせば、掠れた声が出た。
彼女を見遣れば、スマホ画面を凝視していた。周囲には黒い靄が漂っている。
「じゃあ、カゲトラ。そういうことだから」
スマホを懐に直した空は、靄を手招きした。
「あとはよろしく」
景虎は乾いた笑みを漏らした。口の端が引き攣りながらも、「はあ~い」となんとか答えた。
もうあの2人、助からねぇな。と思いながら。
次回の投稿は12月17日、水曜日、0:00です。
よろしくお願いします。




