10話の5 霊は除霊師
やっぱり急がなくてもよかったのかもしれない。
空は目の前の光景にそう思った。
「あ、うつぼチャンじゃァン。無事ィ?」
余程派手に暴れたのだろう。
紅朱の腰掛けたテーブルには血飛沫が飛び散っており、そこら中のフロアタイルには血溜まりと白い欠片と身動ぎ1つしない男の群れが散乱していた。あれは倒れている連中から欠けた歯か、もしや。
フロアの端に備え付けられている備品の椅子も、金属製の部分が見事に曲がっている。
そこで呑気にあくびを噛み殺している紅朱は、空を見るや否や腰掛けていたテーブルから立ち上がり、彼女に向かって一直線に歩み寄る。
そして、空に触れようとして、ピタリと止まった。
空は何故止まったのだろうか、と内心不思議に思いつつも口には出さずに、紅朱の様子を伺う。
紅朱は空に向かって伸ばした手を眺めていた。乾いた血がべっとりとついた、血濡れの手を。
手の甲側の、指の根本にある、握り拳を作ると浮き出てくる骨の突起辺り。そこの部分の皮が剥けていた。
紅朱は少し考えた後、野郎の血で汚れた手で触りたくはないかなァと、伸ばした手を引いた。
それに、少し派手に暴れすぎた。店員が警察を呼んでいるはずだ。経験則で分かる。
故に、ここから離れる必要があった。
紅朱は外を親指で指差した。
「うつぼチャン、ちょっと外で休憩しなァい?」
「? いいよ。どこに行く?」
紅朱はとろけた笑顔で、蜂蜜のような声で行き先を告げた。
「ラブホ行こっか♡」
「なんで??」
*****
というわけで、やって来たのは夢見通り、紅朱行きつけのラブホテルである。
最近のラブホは受付は機械だけで人は誰もいないんだなぁ、と要らない知識を得た空は遠い目をしながらベッドに腰掛けていた。
ベッドの枕元にリモコンを見つけて、空は少し考えた後にテレビをつけることにした。
途端に女のあられもない媚声と肉を叩く生々しい音が大音量で流れ始めたので、思わず「うるせぇな」という本音が出て音量を下げるボタンを連打した。
丁度いい音量になったところで、そのエロビデオを少し眺めた後、「前の客の趣味かな」と呟いてテレビを消す。ちなみにSMプレイが中心のビデオだった。
さて、空をここへ連れ込んだ紅朱はと言うと、部屋に備え付けられているシャワールームでバスタイム中である。一応先にシャワーを浴びるか聞かれたが、特に返り血で汚れてもないし、汗もかいていないので断ったのだ。
と言うのも、紅朱が返り血を浴びており、その状態で空に触るのを嫌がったのだ。「オキニの女とイチャイチャするなら綺麗な時の方がよくね?」とは紅朱談。そういう細やかな気遣いができるからモテるんだろうなぁ、と空は納得した。
まあ、シャワー目的でラブホテルに来る人間も少ないだろう。羞恥も感じないくらいここを足繁く通っている紅朱だから思いつく場所である。
と、考えていたら、シャワールームの扉が開かれた。
つい反射で目を向けて、口をぽかりと開けて呆けてしまった。
「お待たせェ」
本当にこいつドエロい男だな。
何度目かも分からない思考が頭の中を占拠する。
水蒸気か湯気かも分からない白い煙と共に現れたのは、温まり血色が格段に良くなった美男子である。
湯粒が髪から滴り、上半身には何も纏っていない。白く健康的な、筋肉質な雄の体は、女の視界にはかなり暴力的である。
流石にTPOは弁えたのか(まず空はラブホテルのTPOを知らなかったが)、ズボンを履いていた。
空でなければ耐えられない色気だった。他の女ならば鼻血を出して貧血になるか、肉欲で我を忘れて彼に食らいつくだろう。容易く予想できる。
紅朱はホテル備え付けのタオルで髪の毛の水分を雑に拭き取った後、そのタオルを首にかけて空の隣に腰掛けた。
そこそこの勢いがあったため、隣の空が軽くバウンドする。
「先にシャワー浴びちゃったけど、本当に入ンなくていいの? 今お風呂に入ったらるークンとおンなじニオイになるのに」
「素晴らしい提案をするなぁ……」
腰が浮きかけるお誘いに空は真剣に考え出した。結構グッときたのだ。仕方がない。
だがまあ、流石に異性と共にラブホテルへ赴き、そこでシャワーを浴びたとなれば、何もなくとも周りから騒がれるのは自明の理。というかまず、学生の身でラブホテルに行ったこと自体を知られることがヤバい。
別にそれ自体はどうでもいいが、祖父にそれを知られることの方が有象無象の噂の的になるよりも嫌だ。殴られるし。
空はわりと断腸の思いでその申し出を断った。
紅朱は特に気分を害したこともなく、「うつぼチャンガード固ァい♡」とけらけらと笑った。
ぶっちゃけ押し倒そうと思えば押し倒せる距離にいるのだが、おそらく快楽に溺れさせる前に彼女に憑く悪霊に物理的に召し上がられて命が終わるだろう。
それはそれで愉快な命の散らせ方だが、今ここでするのは早計だと紅朱は判断した。できればもう少し、彼女と遊んでいたい。
「服はどうしたの?」
「洗濯機あるから回してるー」
「充実してるなぁ」
ただエロいことをするだけの場所じゃないらしい。いや、色んな体液で汚れた服を着て帰るのを嫌がる客の要望に応えた結果かもしれない。
空は紅朱の首にかけられたタオルを引き抜いた。その後、ベッドに乗り上げて膝立ちで紅朱の背後を陣取る。
紅朱は背後の空を見上げようとしたが、タオルを被せられたため「ゎぷ」と呻いて下を向いた。
「暖房がついてるとはいえ、ちゃんと乾かした方がいいよ」
「えーナニィ、乾かしてくれるのォ?」
「うん」
「えーうれしー♡」なんて言っているが、今まで抱いてきたセフレの中にもこの程度の世話なら喜んで見てやるような人は居そうなものだが。
空が不思議そうに呟けば、「うつぼチャンだからうれしーの」と機嫌良さげに口説き文句が出てきた。リップサービスも素晴らしい。
「……?」
わしゃわしゃと水気を取っている最中、空は紅朱の肩に痣を見つけた。
ただの痣なら気にしない。何せ先程まで喧嘩をしていたのだから、何かの拍子でついてしまったのだろうと推察はできる。
しかし、この痣は違う。これは自然にできるものではない。霊によるものだ。
「……ルージュ。きみ、最近蛇とか鱗がある生き物を殺したりした?」
「ンー……? ……アハ、もしかして痣のこと?」
「うん。自覚してたの?」
「まあそりゃあねェ。それなりに長い付き合いだし?」
軽い調子で言う紅朱に、空は前からあるものか、とタオルを再度、紅朱の肩にかけた。
「具体的にはどのくらいの付き合い?」
「えー? どのくらいだろ。ンー……中学上がった辺りィ? それよりも早いかなァ?」
じゃあ大体3年~4年くらい前からあるのか。
その頃に蛇を殺したりしていれば、蛇から怒りを買って呪われている可能性は高い。
「息苦しさを感じたことは?」
「あー、あるある~。時々ギュ~って締め付けられたみたいに鱗の痣がびっしりついてる時があるよー」
早く言えよと思った。そうすれば対処したのに、とも。
それを感じ取ったのか、紅朱は「ごめェん」と謝りつつも「いつものことだったからさァ」とからからと笑っていた。
軽い態度に空はじとりとした目つきになるが、それ以上何も言わず息を吐いた。
3年も紅朱を呪っているのに殺しきれていない辺り、そこまで強い呪いでもない。
この程度ならば呪いの元凶を殺すまで放置していても問題はないだろうと考えて、空は呪いをそのままにした。
何故すぐに外さないかと言えば、呪いを外すと逆に呪いが強まるケースや、そもそも呪いが外せないケースがあるからだった。
呪いというのはつまり思いや念と呼ばれるものであり、負の感情エネルギーが形となり相手を害すものである。そのためか、中には呪いを外すと更に凶悪で強固な呪いとなり被呪者に襲いかかる場合があるのだ。
その他にも、返した呪いを更に“呪詛返し”でラリーの応酬のように返されても戻ってくる。
これが呪いが逆に強まるケースである。
そして、そもそも呪いが外せないケース。
これは大体、既に加呪者がこの世に存在しない (成仏している)場合が多い。
いつかのバレンタインの“キューピットさま”事件でも、紅朱は呪われていたのだが、この場合は加呪者がこの世に存在していた。
そのため、外した呪いは、その呪いを生み出した存在である加呪者へと返った。これが“呪詛返し”。
しかし、加呪者が既に成仏している場合、“呪詛返し”を行なっても呪いは加呪者への元へ返らない。何故なら加呪者が既に存在しないから。
あくまで加呪者へ呪いを返すのが“呪詛返し”である。返す先がいなければ、呪いは被呪者から動かないのだ。
その他にも、“呪詛返し”の技術が加呪者の被呪者への執着に負けると“呪詛返し”そのものが失敗するというケースもある。
これは単純で、単なる技術不足か、己の力量を見誤ったことが原因だ。酷い時には呪いが外せず、逆に呪いがパワーアップしたりするのだが、詳しくは割愛する。
まあそういうわけで、空は呪いを解かずにまずは元凶をどうにかしようと考えたのだ。
霊視により加呪者と被呪者の“縁”の糸が視えている。これを手繰れば辿り着く筈だ。
後は……何かを忘れている気がするが、まあそこまで重要なことでも無いだろう。忘れているくらいだし。
空は調月の姉弟が接触していないかどうかの確認をすっかり忘れていた。
洗面台。そこの、白い陶器でできたテーブルの上。
100円ライター、タバコの空箱、小銭入れの財布、ハンカチ、スマホ、口紅――調月の名字が書かれた名刺。
ホテルに来るまでは上着のポケットに入っていたものが、散らばっていた。
次回投稿は未定です。
1章はあと2話で完結予定です。
よろしくお願いします。
読者の皆様、お待たせしました。
次回の投稿は12月14日、日曜日、0:00です。
よろしくお願いします。




