3話 伊景川の曰く
きいてけ新聞。
紀伊高校新聞部が毎週月曜日に掲示板に貼り出す、所謂校内新聞 (掲示板バージョン)である。
基本的には校内で話題になっている出来事を取り上げたり、学校行事や生徒会の動向、時には地域の話題なども報道している。
“見る”新聞なのに“聞いてけ”って面白いな。
そう思って、新しい号が出る月曜日には掲示板を見に行くのが紅朱のルーティーンだった。
今週の新聞はマラソン大会について、陸上部の長距離エースへのインタビュー、体育の授業で測定している2キロマラソンの学年別ランキング、都市伝説『不幸の手紙』の正体について。
「……ウン?」
紅朱は新聞のある見出しに目をとめた。
右下の小さなスペースに書かれている記事だ。
内容は見出し通り、不幸の手紙という都市伝説について、そしてその成り立ちや歴史。それが短い文章で上手く纏められていた。だが、生真面目過ぎてとてもつまらない、淡々としたものでもある。
普段の紅朱なら2行ほど目を通したら流し読みするだろう。そんな彼の琴線にこの記事が触れたのは、つい最近、この身に起きかけた出来事とよく似ていたからだった。
「……フゥン?」
紅朱は少しの間、その見出しを見つめた後、ついと目を反らして歩き始めた。
目的地は1年3組の教室である。
ガラリと扉を開けて、教室の中を確認する。
畏怖の視線がビシバシと突き刺さる。ウゼェなとは思ったが、全員殴るのも面倒だったので、紅朱は気にしないことにした。
(うつぼチャン居ないじゃん。休み?)
お目当てのおもしれー女、社 空が見当たらなかった。
聞きたいことがあったのに、ツイてねェな。
紅朱は舌打ちをした後、扉を閉めて歩き始める。そして、スマホを取り出してLINEを開いた。
トーク相手は“うつぼチャン”、もとい“社 空”である。
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〈 うつぼチャン
ルージュ
:うつぼチャン今どこ
うつぼチャン
:こんにちは、ルージュさん。
今部活中です。
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紅朱は目をパチパチさせた。
うつぼチャン、部活入ってるンだ。オカルト系の部活とかあったっけ? るークンも入部できるかな。……ア、でも、もしかして、もしかする感じなのかなァ?
そんなことを考えながら、紅朱はスマホに文字を打ち込む。
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〈 うつぼチャン
ルージュ
:オカルト部?
うつぼチャン
:新聞部です。
────────────────────
「ア"~~やっぱりィ?」
紅朱は口の端を吊り上げた。
道理で、校内新聞に最近解決した都市伝説について書かれている訳だ。
少しばかり気分が上がる。ご機嫌な指使いで新たな文字を打ち込んだ。
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〈 うつぼチャン
ルージュ
:今週の新聞見たよ♡
うつぼチャン、都市伝説のこと書いてたで
しょ?
うつぼチャン
:ルージュさん、校内新聞なんて見るんです
ね。意外でした。
うつぼチャン
:すいません。今週はちょっとネタがあまり
にも薄すぎて書くものが無かったみたい
だったので、使わせていただきました。
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律儀だな、と紅朱は思った。
不幸の手紙に関しては、空も、というか、空が当事者のようなものだった。その辺りは好きにすればいいと紅朱は思っている。謝られる謂れはない。
紅朱は不幸の手紙のネタにしたことを怒っている訳ではない。ただ、空があの記事に関わっている新聞記者なのかが気になったから、その確認をしたかっただけだ。
そのことをLINEで伝えると、『ありがとうございます』という文と感謝のスタンプが送られてきた。
熟れた柘榴のような瞳を細めてその返事を眺めた紅朱は「アッハ♡」と色っぽく笑った。
そして、ちろりと赤い舌で、紅に染められた己の唇を舐めると、スマホをポケットにするりと落とし入れた。
*****
「社ちゃん、我らがホラースポット解析特攻隊長様!! どうかこの河川敷の謎を解き明かしてはいただけないでしょうか!?」
「ホラーなのかミステリーなのかハッキリして貰っても?」
「どっちも!!!」
「欲張りだなぁ」
空は目の前で「何卒……何卒ぉ……」と鳴く新聞部部長を見ながら息を吐いた。
「オカルト系はあまり記事にするの気乗りしないんですけど」
人の怖いな、恐ろしいな、という思い込みや負の感情で怪異は産まれる。そして、人の噂で形をより具体的なものにする。都市伝説などはとても良い例であり、心霊スポットよりもそこそこ質が悪い。何せ人の妄想捏造全開のネタが注ぎ込まれているから。この世で1番恐ろしいのは人間。はっきり分かんだね。
それらを記事にして、その記事を見る人々の恐怖を煽れば、新たな怪異が生まれる可能性は高くなる。
それを防ぐために空は新聞部で学校で噂される謎や不思議を解明して、それを記事にするという役割を担っていた。
何事にも原因と事実がある。それを読者に淡々と突きつければ、彼らも納得してくれるし、それ以上恐れを抱かない。
だが、それはそれとして、空はオカルトな記事を書くのはあまり積極的ではない。
記事を書くのは部長から頼まれた時くらいだった。頼まれたからと言って面白い内容になってはいないが。むしろ飽きると思う文面である。
「ウケがいいの!!!」
「本気で言ってます??」
空は耳を疑った。
面白味も色気もない文章なんだが??
ぶっちゃけつまらないでしょ??
他人の記事を校正してるとそれがよく分かるのに、ウケがいいとはどういうことだ??
「生徒が気になる怪奇現象! 心霊現象! 都市伝説! ホラースポット!! それに単独突撃でしっかり調査してくれるからわりと評判がいいんです!!」
「そっかぁ~」
空は思わず天を仰いだ。
心霊スポットに行けば、そこにいる霊が憑いてくることがある。
都市伝説を調べれば、その怪異が襲ってくることがある。
だから、空はそういうところに行く時は単独行動が主だった。
空は恐怖で使い物にならなくなる足手まといや、面白半分で「一緒に行こうぜ」と誘ってくる不届き者には存在価値を見出だせないタイプだった。
それなら1人で凸してサクッと調べた方が楽である。同行者に気を配りながら動くのは意外と労力を使うのだ。アフターケアも面倒だし。
空はもう1度息を吐いて、ゆっくりと土下座体勢に移ろうとしている部長の額に手を添えてとめた。
「それで? その河川敷の曰くは?」
「救世主!!!」
「ヒャッホウ!!」と体を跳ね上げてガッツポーズした部長を見ながら、この人は本当に“おもしれー女”だなと空は思った。
「うーつぼチャン♡ どっこ行っくのォ~♡」
「陽気な不良が現れた」
「なんて?」
「いや何も。これからホラースポットらしい河川敷に行きます」
「ナニソレ同行しても?」
「拒否権は?」
「ねェよ」
「そっかぁ~~」
拒否したらぶん殴られそうだなと思った空が「じゃあしょうがないですね」と言えば、紅朱はニパッと笑った。フンフンと鼻歌まじりに彼女の後ろに着いていく姿はまるで懐っこい大型犬。ただし中身は狂犬。
「というか、ホラースポットな河川敷とか近くにあるンだァ。るークン初耳ィ~」
「私も初めて聞きました。部長から聞いたんですけど、なんか河童が出るらしいですよ」
「……。なんでカッパ?」
「さあ?」
紅朱の言葉に空は息を吐いた。
「他にも『河川敷沿いを歩いていたら背後からピチャピチャって濡れた足音が聞こえる』とか、『川から助けてっていう声が聞こえてくる』とか、……なんかそんな噂があるっぽいです」
「へー」
「それを解明してこいと部長からのお達しです」
「うつぼチャン大変そーだねェ。部長血だるまにしたげよっかァ?」
「やめてあげてください。あれでも頑張って新聞部のこと考えてる面白い人なんで」
“おもしれー女”に“おもしれーヤツ”認定されている部長? ナニソレ気になる。
殴らないけど見に行こうかな、と紅朱は興味をそそられた。
部長は部室で記事の原稿を書きながらくしゃみをした。
*****
伊景川の河川敷。
堤防のようになっている土手から階段で降りた2人。
冬だからか枯れ草ばかり、見える木々も葉がなか素っ裸で緑はほぼ無い。
「ルージュさん、何か気配感じますか?」
「ン~?」
紅朱は目だけで辺りを見渡す。
「……川から視線感じるくらい?」
「川ですか? 背後じゃなくて?」
空は不思議そうに問いを投げ掛けた。
彼女には背後からずっと音が聞こえていたから。
ポタ……、ポタ……。
ぴちゃ……、びちゅ……っ、と。
何か水滴が落ちる音と、泥の上を歩くような湿り気を帯びた足音。
河川敷に降りてから、その音が背後を追いかけていた。
紅朱は空の何でもない会話のような言葉を頭の中で咀嚼して理解する。
そして、言えよ、と思った。オマエ言えよなンで言わねェの? と本気で思った。口には出さなかったが。だって、それ以上にマジで後ろに何か着いてきてンの? という好奇心の方が勝ったからだ。
紅朱が背後を見る。
……何もなかった。
枯れ草と葉の落ちた木々だけで、誰もいなかった。
やはり、自身は零感なんだなとちょっぴり残念に思いながら、「霊聴っぽいですね」とすんとした顔をしている女の頬を鷲掴んだ。
「うつぼチャァン、報連相って言葉知ってるゥ?」
「報告・連絡・相談の略ですか? それとも野菜の方?」
「どっちもだいせいかーい♡」
「次から教えろ」と紅朱が笑顔なのにドスのきいた声で告げれば、空は「善処します」と平気な顔で返した。
この“善処します”は“前向きに検討します”や“できる限り対応します”という意味である。具体的にどうこうするということまでは約束していない。
つまり、空は今後も同じことをやらかすし、その度に頬を鷲掴みにされることになる。空は心臓が強いし鋼メンタルなのである。
「ンで、これどーすンの?」
「害が無ければ放置ですかね。お祓いしてくれる神社か寺の先輩に話を回します」
「エ。うつぼチャンも祓えるじゃん。なンでわざわざそんなことすンの?」
「いや、私お祓い能力皆無なので祓えませんよ」
「ハ?」
「え?」
紅朱はナニ言ってんだコイツという目を空に向ける。
空も何言ってるんだろうこの人という目を紅朱に向ける。
そして、お互いに首を傾けた。
「最初に会った時と不幸の手紙のヤツ。アレうつぼチャンが祓ってくれたじゃん。あれはどう説明すンの?」
「あれは喰い殺しただけです。祓って成仏させた訳ではないので」
「食い殺……? ナニソレくっころ系女騎士の親戚? くいころ霊ってコト? それとお祓いって何が違うン?」
「凄いパワーワードが生まれた」
女騎士にとんでもねぇ親戚が誕生した。いや、親戚というか女騎士の背後霊みたいな感じだろうか。いや守護霊? どっちにしろそんな守護霊は嫌だ。
閑話休題。
空はとりあえずどう説明すべきかと少し悩んだ。
「うーん……お祓いは霊を成仏させるもので、“浄霊”とも呼ばれます。私のは霊を喰って自分のエネルギーに変換して消化するって感じです。……そうですね、1番近い表現は“除霊”、でしょうか。霊を取り除くって意味です」
この世に残る霊は何かしら未練を残している思念体のようなもの。その未練を解決して、何も思い残すことがない状態になると霊はこの世から旅立つ。これが成仏である。
お祓いは霊の成仏を支援する行為である。“浄霊”と呼ばれたりもする。
未練を解決するための手段や方法もこれに当たる。霊と対話して説得したりあの世への道を示したり、と。
「未練自体をどうにかするのは霊媒師の人がよく取る方法ですね。誰か亡くなった時に行う寺の人が行うお経はあの世へ行けるように道を示すものがほとんどです。勿論、私がやってるみたいに荒っぽい祓い方もあるから一概には言えませんけど」
「うつぼチャンはその荒っぽいお祓いじゃないンだ?」
「過程は似てますけど、結果が全く違いますからお祓いとは言えませんね」
一方で、除霊とは文字通り“霊を取り除く”行為である。ただし、その方法は大抵荒っぽいのがほとんど。霊をぶん殴り、蹴り飛ばし、滅多打ちにして強制的に取り除く。
「だから、余程のクソ野郎じゃないならあまり喰いたくないんですよね。襲ってきたやつならまだしも、存在してるってだけで喰って除霊しても可哀想だし」
「フゥン」
「視た感じ、ここにいる霊はそんな悪いことしてなさそうだし、お祓いで済ませた方がいいでしょ」
「背後追っかけてくンのも?」
「クソガキの悪戯みたいなものですよ。あまり気にしなくてもいいです」
「クソガキのイタズラ」
「かまってちゃんと置き換えても問題ないですよ」
さてはうつぼチャン、お口が悪いな?
紅朱は確信した。
黒髪に青い瞳。優等生らしい雰囲気を出している癖に、学校では恐れられている自身に付きまとわれても平気そうにしている。
そして、時々出てくる汚い言葉と澄まし顔に、紅朱は思わずニンマリとした。とっても良き。紅朱はこの時はじめて“ギャップ萌え”という言葉を知らずに理解した。
「これから私はこの河川敷の曰くを現実でありそうな事柄に置き換えていく作業をしますけど、ルージュさんはどうします?」
「うつぼチャンの言い回し面白そうだから着いてっていーい?」
「つまらなくていいならいいですよ」
「わーい♡」
こんな人もいない枯れ草だけの静寂な河川敷でも楽しそうな紅朱を観察しながら、空は思った。
この人は多分、視えても視えていなくても、きっと同じように笑うんだろうな、と。
助けて、と川から手を伸ばす溺れている子供の上半身と。
背後を憑いてくる、ずぶぬれの子供の下半身。
空は紅朱が先程「視線を感じる」と言っていた川をちらりと見遣る。
子供の霊は空と目が合うと、怯んだように顎を引いて川の底へ沈んで消えた。
大抵の霊は空のことを恐れる。彼女に取り憑いている怨霊に目をつけられたくないからだ。
空に手を出し怨霊の興味を惹けば自身が終わると本能的に理解をしていた。だから襲ってこない。
生きている人間を自分と同じ目に遭わせたいだけなのに、それで自身が酷い目にまた遭うなんて、そんなの堪えられない。
霊の気配が消えた後、空は息を吐く。
脳内で霊媒師のリストをチェックしながら、かまちょしてくる紅朱をあしらった。
――きいてけ新聞 令和七年二月三日 月曜日
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伊景川に現れる河童!? その正体とは!?
伊景川はどこにでもあるただの川である。二月下旬から三月上旬に見頃を迎える河津桜が河川沿いに植えられているため、近辺の学生のお花見スポットとしては有名だ。
そんな伊景川には河童がいる、と言う人が現れたら、あなたはその言葉を信じることができるだろうか。
その他にも、「川から女の声がした」や「河川敷を歩くと背後から追いかけてくる足音が聞こえる」などの恐怖体験もあったそうだ。
今回、これらの心霊現象を調査するために、伊景川河川敷に部員を向かわせたが、女の声や背後の足音などは聞こえてこなかった。
伊景川について調べてみると、約十二年前に女子小学生の水難事故があったことが分かった。事故当日、大雨による増水と突風で伊景川近くを歩いていた小学生が川へ転落。救出され病院へと救急搬送されたが、その小学生は助からなかった。
思い込み現象というものを知っているだろうか。自分の偏見や先入観、あるいは間違った認識により客観的な事実と異なる状況を確認したり、判断したりする心理現象のことである。
「川から女の声がした」は川の音や虫の鳴き声が人の声のように聞こえただけ。「河川敷を歩くと背後から追いかけてくる足音が聞こえる」は草むらなどに潜む野生動物のものだろう。
心霊現象は、「そういう事故があったから、きっとその被害者の霊が脅かしてくるんだ」という思い込みから産まれたものに過ぎない。
被害者の安らかな眠りを邪魔しないため、またそのような事故を二度と起こさないよう、我々は心掛けるべきである。
今週の記者
禿 芭蕉
SUZUKI☆DAYO
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屋代 快晴
次回投稿は6月22日、0:00です。
よろしくお願いします。




