9話 顔を剥ぐ人
第9話、全5回に分けて投稿いたします。
中園 奈保子には、最近夢中になっている男がいた。
恋人代行サービスのキャスト……所謂レンタル彼氏。そこで見つけた“ルゥ”という源氏名の男。金髪に赤い瞳。甘いマスクをした絶世の美青年。
「あ、奈保子チャン? はじめましてェ、ルゥでェす♡」
そのうえ声もイイのだ。
漫画やアニメでしか見ないような男が私の彼氏。なんて優越感!
嫌みな友人が「ダブルデートしようよ」と勝手に取り決めてしまい、後に引けなくなったためにレンタルした男だったのだが、彼がそれはそれはいい男だったのだ。
友人の彼氏よりも顔が良ければ背も高い。奈保子の名を優しく呼んでは周りに引かれない程度に甘やかしてイチャつかせてくれるのだ。
友人も彼氏なんてそっちのけで誘惑するも、そつなく拒絶して奈保子の隣に付き添う。やけになってアピールする友人に、ついに彼氏が愛想が尽きたようで、ダブルデートが崩壊してしまった。大学の噂だと、このデートの数日後に別れたそうだ。
しかし、奈保子は既にその友人の地獄なんぞどうでもよかった。ただひたすらに、仮の彼氏に夢中になっていた。
この残酷なまでに美しい男に本気になってしまいそうだった。
というか、なった。
2度、3度、と彼を指名していくうちに、更に沼に溺れていく。キャバクラやホストに金を注ぎ込む人の気持ちがはじめて分かった。これはやめられない。
そうして、4度目の指名とデートを終えた今日。
ルゥは「またねェ」と奈保子に笑いかける。
奈保子はルゥの手を取った。そして、少し爪先立ちをしながら顎を上げて、目を閉じる。
ルゥは「ンー……」と少し唸った後、奈保子の唇を指2本で塞ぐ。彼はその上からキスを落として、「本当にキスしたらるークンが怒られちゃうから、これで我慢してね?」と悪戯っ子のように笑う。
ねだればキスをしてくれるくらい、彼も気を許してくれるようになったし、彼も私のことを好きになっているのかもしれない。そう思うと、奈保子は嬉しくなった。
そろそろキャストの連絡先じゃなくて、個人の連絡先を聞いてもいいかな。
奈保子は彼の後ろ姿を見つめながら、次のデートでは彼の連絡先を聞こうと思った。
「……?」
満足感と充足感、それと恋心で満ち溢れた気持ちのまま、帰路に着いていた奈保子。しかし、ふとした瞬間、背後から足音が聞こえることに気づいた。
自分の足音に合わせるように、カツン、カツン、カツン、とヒールを鳴らす音が。
はじめはただ、私と同じ方向に歩いている通行人がいるのだろう、と思っていた。
だが、後ろに人がいるのはなんだか怖い。もしいきなり襲ってきたらどうしよう、なんて考えながら、奈保子はちらりと後ろを見遣る。
「……え?」
誰もいなかった。
それなのに、カツン、カツン、と靴音が響いている。
私が見えていないところで人が歩いている、という可能性もある。だが、今歩いてきた道には交差しているところはなかった。
だというのに、ほら。
こうして奈保子が突っ立っている間にも、靴音は近づいてくる。
カツン、カツン、カツン、カツン。
ヒールの音が、高らかに鳴っている。
奈保子は血の気が引く思いがした。
前を向き、家まで急ぐ。
タッ、タッ、タッ。
カツン、カツン、カツン。
タッ! タッ! タッ!
カツンカツンカツンカツン。
追われている。
足が震えて車道にへたり込みそうになる。
「ひゅ……ひゅ……っ」
ダッ、ダッ、ダッ!
カツンカツンカツンカツングサッ。
「え」
ふくらはぎに強烈な違和感。
視界がぶれたと思えば、地面が目の前に迫っていた。
奈保子は前のめりに倒れ込んだ。反射で突き出した両手と両膝をコンクリートと砂利が傷つける。
「な、なにが……」
反射で違和感のある左ふくらはぎに手を這わせる。直後、奈保子は硬直した。
ふくらはぎに何かが生えている。角度は直角。固くて冷たくて、太さはそこまでない。形状は棒状で、似ているものは包丁やナイフの柄などの――と、奈保子はそこまで考えて、じわりじわりと額に冷や汗が浮き出るのを感じた。「はっ……はっ……」と息が荒くなる。
異物に触る度に、異物の根元が揺れる。それと同時にふくらはぎの中まで違和感が走る。その違和感が、まるで……。
「あ……ああァあぁあア"あ"ア"ァア"あ"あ"っ!!」
まるで、鋭利なナイフが突き刺さっているような、そんな激痛によく似ていた。
「ひっ……ひいっ……」
刺さったものを抜く勇気はない。
奈保子はずりずりと両手で必死にコンクリートを掻いて、綺麗な爪先に砂が入っても前へと進む。
カツン、カツン、カツン。
……カツーン。
背後から聞こえてくるヒールの音が止まる。
それが丁度、奈保子の引きずっている足の先で止まり、奈保子が息を飲んだ。
「ひ、ぎぃぃいいいいっ!?!?」
次の瞬間、足に強烈な痛みが走った。ぱたぱた、と水がコンクリートに滴り落ちる音がする。
足に突き刺さっていたナイフを思い切り引き抜かれたのだ。
奈保子は足を抱えて、その場にのたうち回った。激痛だった。とんでもない痛みだった。顔中に汗をかき、涙と鼻水を垂れ流すほどに。
コンクリートの上を転がったせいで砂利まみれになった髪を無造作に掴み上げられた奈保子。
「ぎゃあ!?」
その顔に、刃が突き刺さる。
「ぎゃっ、いが、いだい! いだいいだいいだいいいいいいいい!!! や"め"で!! やべでよおおおおおおおっ!!!」
痛がる声にも。
制止の声にも。
「たじゅげで……ゆる"じ……!」
助けを求める声にも。
許しを乞う声にも。
「……ぉ……っ!」
耳を傾けず。
口も聞かず。
罪悪感すら湧かず。
「……、……、……………」
顔の外周から攻めるように刃を突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺す。
突き刺して。
ニヂャ……ッ。
「ぁ……!?」
引き剥がす、音がした。
ニヂニヂニヂニヂ。
刃を皮と頭蓋骨の間に差し込み、薄い肉を抉る。
刃を器用に動かし、まるで肉を削ぐように骨から顔の皮を剥がしていく。
「ぁ……ァ……ァ……!?」
ガツッ。頬骨を硬い金属が時折弾くと、奈保子の体も痙攣した。
ブルブルと震える体。上がらない指先が地面をガリガリと引っ掻く。靴裏が何度も地面を叩き、踵をコンクリートに擦り付けて逃げようとする。ロングスカートの臀部と股間が色濃く染まる。
そうしているうちに。
ベリッッ。
と。
顔が引き剥がされた。
奈保子は「ア"ッッッ」と泣いて。
ゴツンッ。
と。
後頭部をコンクリートに打ち付けた。
カツン、カツン、カツン、カツン。
ヒールの音が再び鳴り響く。
もう奈保子に用は無いと言うように。
片手に奈保子の顔の皮を携えて。
「か……カ……」
奈保子は手を伸ばす。
血を滴らせる自分の顔の皮に向かって、震える指先を必死に伸ばした。
眼窩から涙が溢れた。剥がされた顔には瞼がない。己の眼球を保護していた瞼。乾燥した目玉を潤そうと出てきた涙は、瞼で塗り広げられることなく、むなしくも地面に落ちていく。
「かぇ……し……て……」
コンクリートで服が汚れようとも、腕の腹が砂利だらけになっても、必死にヒールの音が鳴る方へと移動する。
「ゎたしのかお……かえして……」
数時間後、たまたまこの道を歩いていた通行人が悲鳴をあげる。
匍匐前進をしている女に驚いたから。……ではない。
女の顔に皮がなく、筋肉や脂肪が剥き出しの状態で事切れていたからだ。
彼女の必死に犯人から逃げたであろう移動した血の跡はまるで、なめくじが移動した後に残る粘液のようで。
自分の血でできたであろう赤い水溜まりに沈んでいる彼女の顔は、皮がなく表情が分かりづらくても、悲しそうであった。
次回投稿は10月27日、月曜日、0:00です。
よろしくお願いします。




