8話の5 完走
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
減速してたたらを踏んだ藤田は、両膝に手を置いて呼吸を整えていた。
胸が痛い。全身に血液に溶け込んだ酸素を流そうと、必死になって動く心臓があるからだ。
カラカラに渇いた喉が水分を欲している。途中で自動販売機があったら迷いなく買おう。500ミリリットルのペットボトルがいい。昔は130円くらいだったのに、いつの間にか20円、30円と高くなってから買わなくなっていた。でも、今日くらいは別にいいだろう。
「あ"~~~……きつかったぁ……」
「社ちゃんお疲れ様~! 藤田くんもお疲れ!」
一方で、空はと言うと。
横抱きにしていた符蘭を優しく降ろすと、ぐぅういと背伸びをした。
符蘭は「あー楽しかった!」と呑気に笑った後、「ちょっと近くの自動販売機に行ってくるね!」と駆け出していった。
多分、スポドリ買ってきてくれるんだろうな、と空は符蘭の後ろ姿を見送った後、目線を今走ってきた道へと移す。
そこには、マウンテン甲斐が立っていた。
丁度、山に入る車道と町の一般道路の境い目。そこに佇み、空達を見下ろしている。
空の思惑通り、山から降りてしまえばこちらに手出しはできないようだ。
さて、どう出るか。
ここで大人しく山に帰ってくれるならいいが、と空はじっとマウンテン甲斐を視る。
諦めの悪い者だと、呪いをかけてくることもあるので、少しばかり警戒していた。
「アーア。ザンネン」
怪異は、本当に残念そうに肩を落とす。
その後、ニンマリと口の端を上げた。
「デモヒサシブリにタノシカッタカライッカァ」
「マタアソンデネ!」と空達に手を振って、マウンテン甲斐は瞬き1つした後に消えた。
「……まあ、普通の鬼ごっこくらいなら付き合いますよ」
空は顎下の汗を拭いながら、そう呟いた。
*****
七不思議の1つ、『マウンテン甲斐』から見事逃げ切った3人は、疲労で鉛のように重くなった足を引き摺るように学校に向かって歩いていた。
「後輩には絶対に振り向くなって教えておくべきか……?」
「えー? それは逆効果じゃない? 人間ね、やるなって言われたらやりたくなる生き物よ?」
「それもそうか……」
「1番いいのはもし振り向いても何も起こらないように、噂を上書きすることだね。私がそれっぽ~く記事にして書いとくよ」
「それはありがたいが……いいのか?」
「いいよぉ。記事だって読む人がいなきゃ良いネタもただのゴミ。それに、人の命が関わることを面白半分で記事にしたら、それこそバチが当たるってもんよ」
「書くなら本気で書くよ」と符蘭は笑う。
その符蘭を、藤田はなんともいえない表情で見ていた。
藤田は、符蘭のことは好きではない。だが、嫌いでもない。苦手で留まっている。
その理由は、彼女の記事に対する熱意である。符蘭の爛々とした、不敵に輝く瞳が、まるで自身が他校の陸上選手に向ける目のようだったから。
自身が陸上にかける思いと熱量。それとよく似たもの全てを記事に注ぎ込む符蘭はどうにも嫌いにはなれなかった。
だから、今日の祠のお参りの取材だって、口ではなんやかんや言ってもある程度納得はしていた。彼女が陸上部部長と担当の先生にアポイントを取り、「陸上部の伝統である祠の参拝について記事にしたい」と正当な手順で許可を得た以上、その誠意に背くような真似はできない。
まあ、掃除は手伝って貰ったが。
「それにいい経験させてもらったからね~。もう今から記事書くのすっごい楽しみ……、ん?」
スマホのカメラアプリを確認していた符蘭の顔が固まった。
「ない」
「はい? どうしたんですか?」
「ないの!」
「何がです?」
符蘭が呟いた。
空が聞き返すと、符蘭は泣きそうな声で叫んだ。
「マウンテン甲斐の証拠写真がない!」
「……あ~」
まあ、怪異だからな。としか空は思えなかった。
カメラのレンズが“目”の役割をして、時折幽世の世界を写してしまうのはよくある話だ。
良い“目”だと、テレビでよく見る心霊写真などをよく撮ってしまう。典型的な例である。
おそらくマウンテン甲斐は、人の“目”に映るようにはしていたが、カメラなどの無機物の“目”に写るまでケアしていなかったのだろう。
山生まれ山育ちの神様だ。多分カメラという存在をよく知らなかったんだろうな、と空は思った。
「エッもしかしてカメラ映らないタイプの怪異……?」と符蘭ががっくりと肩を落としているのを眺めていると、ちょっとだけ可哀想になった。
次の投稿は未定です。
また書き貯めたり修正が終わったら投稿していきます。
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