8話の4 そこのけそこのけやまのけとおる
「というか、それはアリなのか?」
「何がですか?」
「ほら、脱落者を抱きながら移動するのは……」
藤田は空に横抱きにされている符蘭を見ていた。
符蘭は先程疲労困憊で走る速度が落ち、マウンテン甲斐に追い抜かれかけたのだ。
空が助けなければ、あのままマウンテン甲斐に追い抜かれて、死後の世界で永遠にマラソンの訓練をさせられたかもしれない。
符蘭にあまり関わりたくはないと思っている。だが別に、死んでほしいとは欠片も思っていない。
これは、ただの純粋な疑問だった。
「でも、追い抜かれる前に私が拾ったからセーフじゃないですか?」
「そうだそうだー! 駅伝だってチームメイトが並走しながらゴールするお涙頂戴なシーンがあるだろー!」
「並走って自分で言ってるじゃねぇか」
確かに、テレビでよく見るマラソン系の番組で、出場者を背負ったり横抱きにするスーパーマンはいない。
「まあでも、マウンテン甲斐が何も言わないならいいんじゃないですか?」
空が振り返り、声を張り上げる。
「ね! アリですよね!」
「アリダヨ!!!!」
マウンテン甲斐はニカッ! と笑った。
それを見た後、空は藤田に顔を向けた。
「アリですって」
「待て待て待て待て」
藤田は待ったをかける。
「喋った!? 凄い!! 意志疎通できるかな!?」
「禿1回黙ってろ」
「甲斐さーん!! 記事用に1枚撮らせてくーださい!!!」
「黙ってろって頼むから」
「イイヨ!!!!」
「いいの!?」
思わず藤田は振り向く。
そこにはキレッキレなサムズアップをするマウンテン甲斐がいた。
「きゃーっ!! さっすが紀伊高校七不思議!! ノリがいいねぇ~~~っ!! はい! チーズ!!!」
「チーズ!!!!」
カシャッ!
「ぃよっしゃ証拠写真ゲットォォオッッ!! ご協力感謝いたしますっっっ!!!」
「ドウイタシマシテ!!!!」
「もうこいつ本当にイカレてやがる……!」
(なんか悪い言葉に新聞部ってルビ振られてる気がする)
符蘭がカメラアプリを起動させたスマホを向ければ、マウンテン甲斐は口を耳の下まで裂けさせるようにニカッ! と笑って、両手でピースをした。
符蘭はうはうは顔で、スマホを大事に懐に直す。
藤田は口の端をヒクつかせて頭を抱えた。
「化物と意志疎通ってできるのか……?」
「いや、あのマウンテン甲斐が珍しいだけです。“やまびこ”の特徴も混じってるようですし」
「やまびこ? それって山で『やっほー』って叫んだら『やっほー』って返ってくる、あれか?」
「はい。最近のやまびこって凄いですよ。ほら、歌い手にaddさんって人がいらっしゃるじゃないですか。知ってます?」
「あ? ……ああ、いるな。知ってるぞ」
突然話が変わり、藤田は目を点にした。だが、すぐに気を取り直して頷く。
藤田の頭の中には、addというアーティストが浮かび上がっていた。顔出しはしていないため、思い描いているのはその人のキャラデザであるが。
確か、世界的に有名な大海賊漫画の映画のメインヒロインの歌手キャラの歌を歌っていたはずだ。
アーティストの情報を思い出しながら、藤田は怪訝な顔で空に話を促した。
「その人がどうした?」
「やまびこのいる山で、あの人の『新世界』歌ったんですよ。そしたら『Dot Musica』で返してきました」
「せめて同歌詞で返してこいよ!! なんで同アーティストの歌で返してんだ!? というか山生まれ山育ちがどうして外国のルーン文字熱唱できるんだ!!?」
「ごもっとも」
ツッコミさせたらキレキレだな陸上部、と空は呑気なことを考えていた。
「いや。いやでも、あれはあくまで現象だろ? 叫んだ言葉が山の斜面に反射して返ってくるっていう木霊現象」
「今はそうですね。でも、昔は違います」
科学が発展した現代でこそ、音が山や谷などの障害物に反射して、再び聞こえる現象だと判明している。
だが、昔の人々はこの現象を山に棲む妖怪の仕業だと思い、恐れていた。
「やまびこ……正確には呼子っていう日本妖怪です。昔は山の神、山の精霊とも思われていた怪異の1体です」
「じゃあ、マウンテン甲斐の正体はやまびこ……?」
「……。が、近いんですかねぇ? マウンテン甲斐って名前も、おそらく“山の怪”を元に作られた可能性が高いですし」
「……確かに」
マウンテン甲斐。
マウンテンは“山”を英語変換したもの。
甲斐は“怪”を人名っぽく変換したものだとすれば、納得できる。
どんな言葉にも言霊が宿る。
“マウンテン甲斐”が“山の怪”を変換したものならば、悪ふざけで作り出された創作キャラだとしても怪異との親和性は意外と高い。
「それにフジタさん、さっき、この山にある祠は昔の豪族が自然崇拝を目的として建てたって仰ったでしょう?」
「ああ」
「つまり、あの祠にはこの碧山の化身……簡単に言えば、山の神と呼ばれるものが祀られていた、ということです」
「……!」
自然現象や動植物、場所や人の営みなど、あらゆるものに神は宿るとされている考え方がある。
日本古来の信仰の1つだ。
より多くの人々が崇めて信仰することで神格を持ち、神となる。
かつては碧山を崇めるために造られた祠。
崇め奉られた碧山は、人々の信仰により形を成してこの世に具現化した。
そして、山の神として祠に棲みついた。
「そして、その祠を今は、陸上部が参拝している。マウンテン甲斐の供養のために」
その祠を、かつての紀伊高校生徒が七不思議に含めてしまった。
その結果、自然崇拝で生まれた山の神と、七不思議の話が混ざり合った。
正確には、七不思議『マウンテン甲斐』の核に山の神が成り代わった。
そう考えれば、マウンテン甲斐が怨霊“虚無斗”で喰い殺せなかったことにも、空はある程度納得ができた。
背後から追いかけてきているマウンテン甲斐は、神の分霊。分御霊ともいう。
簡単に言えば、神様の本体とそっくりな分身を生み出して作られたものである。
例えるならば、某忍者漫画の主人公が使う影分身の術のようなもの。
元となる神様の一部を切り取り“分割”したものではなく、神様本体の“コピー”を作り出すのが分霊である。
だから、いくら喰い殺してもすぐに新しいマウンテン甲斐が出てくるのだ。
「つまり、マウンテン甲斐は山の神様……?」
「社ちゃんでもどうにもできないの?」
「あー……」
符蘭の問いかけに空は少し考える。
1度神となった霊は信仰がなくなれば、神としての格が下がり弱体化はする。しかし、“神”は“神”である。信仰されていた事実が覆ることはない。
神とは、この世に存在する人ならざるものの最上位の存在。人間程度では相手にならない、それほどまでに強大な、異次元の存在なのだ。
そんな反則級の相手をどうにかする、となると……。
「できないとは言いません。でも、かなりの被害が出るので、どうにかしない方がいいとは思います」
「ちなみにどのくらいの被害になるの?」
「うーん……軽く見積もって、碧山を中心に半径数十キロ圏内の全ての生き物が祟られます。ついでに土地がこの先数百年から数千年、不浄の土地になります」
「「エッッッグ」」
「神様を相手するってそういうことですよ」
人は災害の対策や災害後の対処こそできるが、その原因である災害が起こらないように消滅させることはできない。
それと同じことだ。
他の霊能力者も、神だけは基本的にどうにもできない。
祟り神の棲まう場所を禁域として一般人の立ち入りを禁止したり、噂が出ないように情報操作をしたりする程度だ。
昔は封印術で祠に封じ込めたり、捕縛術で力を削いだりしていたが、被害がそこそこに出るため余程のことがない限り現在では行なっていない。
決して戦いは挑まない。“近づかない”が神の1番の対処法だった。
(……まあ、私達は消滅させようと思えばできはするんだけど……被害がなぁ)
現実的ではないんだよな、と空は息を吐く。
本気で空がこの碧山の神を相手取るとなれば、確実に碧山が消滅するだろう。
そして、碧山を中心に半径数十キロの範囲となると、空達の通う高校やこの辺りに住まう紅朱達にも影響が出る。
それは空の望むところではない。
ならば、山の神が一体化している七不思議のルールに則って神の得意フィールドから逃れた方がまだ現実的で、被害も少なくて済む。
「……あ、いやでも、社」
何かに気づいた藤田が口を開く。
空は「はい」と藤田に目をくれず、次の言葉を促した。
「なんですか?」
「山の神は祠を住み処にしていると言っていたよな? だったら、その祠を壊せば――」
―― ぞ わ ぁ っ 。
「ゔ、ぉ……!?」。呟いた藤田の背筋に何かよくないものが這い憑いた。リズムよく動いていた足が恐怖でもつれる。
思わず隣の後輩を見る。そして、一瞬思考がとまった。
――無。
ポーカーフェイスとはまた違う、全ての感情の抜け落ちた、本当の“無”の顔。
ハイライトを失った青く濁った瞳。
1番近いのは、虫の目だ。感情の読めない、不気味で不快感を感じる目。
機械とはまた違う、無機質な恐怖がそこにある。
――得体の知れない化物に観られている。
それに観られているという事実が、それから感じる奇妙な威圧感が、どうしようもなく恐ろしい。吐き気がした。冷や汗が吹き出て首筋を伝っていくのが気持ち悪い。
空は少しの間、藤田を観つめていた。
まるで彼を観察でもするように、一切の行動や感情の動きを見逃さんとばかりに、瞬きすらせずに、じっくりと。
ある程度観終わったのか、空はぱちりと1度瞬きをした。
「絶対にやめてくださいね。そんなことしたら確実に祟られますよ。フジタさんって、意外と罰当たりですね」
そう忠告された時には、空から感じていた奇妙な威圧感はなくなった。
顔も、無機質なものではなく、いつもの人間味のある無表情だった。
「ぁ……、ああ」
その変わりように、藤田はそれだけしか応えられなかった。
走って暑くなった体を冷やすための汗とはまた別の、恐怖を感じた時に出る冷や汗が頬を伝っていく。
そんな藤田の様子を見ていた符蘭は、苦笑いした。
(社ちゃん、前から祠を壊す系の話は地雷なんだよねぇ……)
符蘭も前に、壊された祠のネタを空に調べて貰おうとしたことがある。何せ、空は新聞部のオカルト特攻隊長である。結果として空は引き受けてくれたが、あの時も今と同じ顔をしていた。感情を全てどこかに落としてきた虚無の顔で胸ぐらを掴まれ、眼窩の奥を観ようとせんばかりに顔を覗き込まれたのだ。
先に言っとけばよかったな、と符蘭は反省した。
空は1つ息を深く吐くと、言葉を再度吐き出す。
「まあ、そういうわけで、マウンテン甲斐から逃げている訳です。山から降りてしまえば向こうも私達に手出しできないはずなので」
「なるほどな……」
「あ! この道路山に入ってすぐ見たことある!」
藤田が気合いを入れ直したところで、符蘭が声をあげた。
空も見たことがある景色が見えた。確かに、山の麓まで来たようだ。
「もうちょっとだよ2人と、モ"ッ!?」
符蘭がふいに後ろを見遣り、ギョッと身を強張らせた。
「待って待って待ってマウンテン甲斐めっちゃ早いペース上がってるヤバいヤバいヤバい!!!」
「いてて、いて、いてっ」
前傾姿勢となり、足の回転数が上がったマウンテン甲斐が視界に入ったのだ。
符蘭はその速度に抱き着いている空をバンバンと叩く。
「ラストスパートかけてきましたね」
「俺達もペース上げるぞ! イケるか社!?」
「余裕ありますんで、いくらでも」
「頑張れ社ちゃーん!!」
「はーい」
加速。全員がラストスパートをかけた。
荒い息遣い。駆ける足音。大きくなる歩幅。ドクドクと鳴る心臓。
「ウヒャアアアアアハハハハハハハ――ッッ!!」
背後の笑い声。それがどんどん近づいてきている気がした。
「もうちょっとだよ! 2人共頑張れ頑張れ!」
「ふ、ぐっ……はぁ……っ」
藤田は更に足の回転を速くした。呼吸が更に荒く、きついものになる。
空はもしもの時に備えて、符蘭の太股の裏に回った方の手で、“狐”を作った。
――ダンッ。
「はっ……!」
藤田の目が大きく開かれる。顎下に溜まっていた汗の粒が落ちていく。
藤田と空は並んで走っていた。
その空と反対側から、コンクリートを踏み締め蹴り抜く音が聞こえてきたのだ。
見てはいけない。見たら折れてしまう。それが分かっているのに、藤田はつい目を向けてしまった。
――マウンテン甲斐が並走している。
こちらを見下ろし、ニンマリと笑っている1つ目玉に自分の情けない顔が映っているのが見えてしまった。
「う、あ"……!」
「まだ並走。足は止めるな」
心が折れかけた藤田を一喝した空。それが合図だったのか、マウンテン甲斐の足元に手狐が現れた。
手狐“狐狗狸”がマウンテン甲斐の足に喰いつこうとして――空振った。
マウンテン甲斐が地面を強く蹴りつけ跳び上がり、手狐の噛みつき攻撃から逃れたのだ。
「ソレ、サッキミタ」
同じ手を2度も食らうか。
マウンテン甲斐がニチャァア、と空に笑いかけた。その顔に、張り手が炸裂。スナップのきいた掌がにやけた横っ面を張り飛ばす。
バチィンッッ!! と良い音がして、白い頭部が半回転した。
「はい。ですので、囮です」
1度見せた手が2度も通用すれば万々歳。その程度の手狐で注意を引いた隙に、次手を出す。
「うおおおおおおおおおおっ!」
着地に失敗して地面を転がるマウンテン甲斐を横目に捉えた藤田は、雄叫びをあげながら最後の距離を全力疾走した。
そして――
「ゴオオオオオオオオルッッ!! ぃやったああああああああっ!!」
――空達は、碧山から降りていた。
下山成功。
符蘭が満面の笑みで勝利宣言。両手を高々と上げて歓喜の雄叫びを出した。
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