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べからずさま  作者: 長月 ざらめ
1章 口紅編
23/38

7話の3 ひるまのふたり

 紀伊高校、校門にて。


「うっつーぼチャーン♡」

「うわ」


 登校中の(うつほ)の背後から何かがのしかかり、つむじに何かが乗った。というか、刺さった。


 紅朱(ルージュ)である。

 腕ごとバックハグをされ、顎を頭に乗せられているのだ。高身長だからできるバックハグ技術(テク)である。無駄に形が良くシャープな顎がつむじに突き刺さっていて地味に痛いのだが。

 あと距離感がおかしい。


 背後からの強襲を受けた(うつほ)は体勢を崩したが、紅朱が空の体に手を回していたため、倒れることはなかった。


「おはよう、ルージュ」

「……」


 空が背後の紅朱を見上げて挨拶すると、彼は目をぱちくりさせた。まるで、ため口を使われるとは思っていなかった顔だった。


「あれヤバくねぇか?」

「あの早乙女にタメ口とか……」

「しかも名前を呼び捨てしたぞ」

「死んだなあの子」


 空達を見ていた登校中の生徒がざわつき、ひそひそと話し始める。

 助けようだなんて思わない。思えない。何せ、間に割って入れば紅朱に殴られるのは確定事項だったから。


 一方で当事者の空。固まった紅朱を見て、首を傾けていた。


「どうしたの?」

「……覚えてンだァ」

「はぁ……? ……あぁ、疑ってた? たかがチューハイ1本で忘れるわけないでしょ。敬語の方がいいならそうするけど」

「ンや。そのままでいいよォ」

「そっかぁ」


 紅朱は嬉しそうに目を細めて、口の端を吊り上げた。


「おはよォ、うつぼチャン♡」

「うん。おはよう」


 朝の日光は澄んでいる。

 それに照らされた紅朱は、夜とは違い、明るく爽やかな色気を醸し出していた。











「……あの、いつまで頬をもにもにするので?」

「アハァ。うつぼチャンめっちゃほっぺやァらかいねェ♡」

「聞いて?」


 背後にいる紅朱からずっと右頬を揉まれている空は遠い目をした。何度か手を叩き落としたが、すぐに頬にちょっかいをかけてくる。

 真後ろを陣取られ歩きづらいが、空は諦めて好きにさせることにした。


「というかうつぼチャン、左頬どしたン? 湿布なんて貼っちゃってェ~」

「え? あぁ、飲酒が祖父にバレて大喧嘩して右ストレート食らった」

「ハァ?」


 すりすりと湿布をなぞる指先がとまる。

 紅朱としては、てっきりどこそこにぶつけたとか、そういうドジった話が聞けると思ったのだが。

 紅朱の心境を知らずに、空は少し長めに息を吐く。いつもの面倒そうな吐息とは違い、苛立ちのこもった、感情的な吐息だった。


「仕事で遠出するから今日の昼まで帰ってこないって言ってたくせに……」

「ナニやってんのホント」

「ゔ」


 そりゃそうなるに決まってンじゃん、と紅朱は呆れたように笑ってペシンと空の額を叩いた。


「あとさァ、昨日のお仕事の話、どうにかなったン?」

「昨日の仕事?」

「40万踏み倒されるから体で支払わせるって言ってたじゃん」

「あー……」






*****






 同時刻にて。

 男――笹木(ささき) 鋼太郎(こうたろう)は自室で煙草を吸いながらスマホを触っていた。

 表示されているのはメッセージアプリ、そのトーク画面である。

 全て、自身が働いているクラブにやって来て、自身を指名してくれるお得意様の連絡先だった。


 笹木は面倒そうに画面を見遣り、煙草を咥えたまま送られてきたメッセージに返事をしていく。


 コツは好感度を上げすぎず、下げすぎず。

 そっけなさ過ぎると店に来る頻度が低くなってしまうかもしれない。かと言って、気のあるような返事をすると下手すれば恋人認定されて、ストーカーになったり店で問題を起こしたりする可能性がある。

 笹木も伊達にホストとして働いていないし、女ともよく遊んでいるので、その塩梅が(うま)かった。


 まあそれでも、時折塩梅を間違えて女がガチ恋に発展する時もあった。

 この前もそうだ。店の客が1人、自分の恋人面をして店内で暴れたのだ。「彼はこれから私が養う! こんなお店で働かせられない!」と店長に直談判しに来た。

 勿論、その客は出禁となる。クラブに常駐している、荒事に慣れた黒服達に脇を抱えられ、女は盛りのついた猿のようにキィキィと喚きながら連れ出されていた。

 笹木は閉店後、店長に頭を下げた。面倒事を引き受けてくれた店長に対する罪悪感からだった。「次はもっとうまくやれよ」と、それだけ言われて、処分も下らなかった。恋心に暴走する客を相手するのも手慣れているかのような……いや、確実に手慣れている店長の姿に、再度頭を下げた。

 そして、その店長を手間取らせた()に内心舌打ちをした。憤りすら覚える。金を落とす雌鴨のクセに手間かけさせやがって、と女を心の中で罵倒した。


 その数日後、テレビで自殺者のニュースが流れていた。自殺者の名前を見ても分からなかったが、テレビに映った顔写真で分かった。こいつ、あの客だ、と。

 「遺書には、『彼氏に捨てられて、もう未来になんの希望が持てず――」なんちゃらかんちゃら、と事実無根の原稿を読むニュースキャスターを鼻で笑って、朝食のカップラーメンをずるずると啜った。

 写真には柔和な笑顔で写っているあの女がいる。だがその実、彼女はつい先日嫉妬と独占欲にまみれた“女”の顔でホストクラブに(とつ)していたのだ。

 そんなこと、誰も想像できないだろうな。と思いながら、体に悪いと言われるスープ汁をごくごくと飲んだ。

 すがすがしい気分だった。ざまぁみろと思った。今なら苦手なスキップもできる気がした。

 迷惑な客が1人、物理的にいなくなったことに少しばかりテンションが上がり、仕事にも熱が入る。


 店長に褒められて有頂天になったのも束の間――女が死んで数日後、身の回りでおかしいことが起こり始めた。


 はじめは視線だった。右斜め後ろ。己のうなじをずっと見つめている誰かがいる気配がする。背後を見ても誰もいない。見晴らしの良い場所で振り向いたが、人影すらなかった。「姿を見せろ」と怒鳴ったこともある。しかし、誰も応えない。出てこない。それなのに、前を向くと必ず視線を感じた。

 次に、耳元で自分を呼ぶ声がした。「こうたろう」と、彼氏に甘えるような声色で。耳に吐息をかけながら、「ねぇ」とおねだりするように。

 バッと耳を押さえて、もう片方の手で人を払う。しかし、何も払えなかった。だって、耳に口をくっつけそうになるくらい、距離の近い人が誰もいなかったから。

 その後、吸う空気が不味いだの、足が鉛のように重いだの、肩がよく凝るだの、そういう体調不良や不吉な感じが続いた。

 本格的にヤバい。そう思ったのは、女の姿が視えてからだった。土気色の肌と、真っ赤に染まった左腕。右手には光を受けて赤く濡れた刃をギラつかせる、カミソリがあった。

 顔に見覚えがあった。自身を恋人と思い込み、店の出禁対象となり、挙げ句の果てには自殺した女の顔だ。


 笹木はすぐさまお祓いをしてくれる業者を探した。信心深い訳ではない。だが、視えてしまった以上、何もしなければあのカミソリで殺されるかもしれない。

 殺されることを恐れた笹木は、ネットサーフィンを繰り返し、祓い屋だの霊媒師だのを名乗る人間に片っ端から連絡をした。

 だが、どいつもこいつも足元を見る。やれ出張料に10万、やれお祓い料金に70万。「このお札を部屋の四隅に貼れば安心ですよ」と4枚×1枚25万の、合計100万の請求書。

 あの双子の霊媒師は酷かった。いや、「あなたは若いしよく稼げそうだから一括500万で引き受けましょう」と隠しもせずに大金をせしめる姿は逆に感心した。まあ、払える見込みがないし、詐欺だと思ったから契約書にサインなんかしなかったが。


 そして、最終的に「趣味で除霊してます」という、とても簡潔な文章を掲載したプロフィールのアカウントに辿り着いた。

 名前は「からっぽ@kara_yashiro」。

 決め手は住所が近く、仕事にすぐ着手できるところ。お祓い(本人は除霊だと変に拘っていた)の時間帯は基本いつでもいいところ。どんな悪霊でも前金10万、後払いで40万の、合計50万さえ支払えば祓うと言ったところ。そして、もし何かあれば後払いの40万は返金するところ。

 つまり、最低でも10万。先に支払えば、祓ってくれるのだ。

 ダイレクトメッセージを送り、連絡して確認したので間違いない。


「女性の霊に取り憑かれてますね。手首をリストカットして自殺した清水(しみず)さんという人、ご存じですか? 恋人がどうのこうの、と仰っているのですが」


 何より、電話先で例の女に取り憑かれていると当てたところが、信憑性が高かった。


 電話口で若い女だなと思ったが、実際に会って思わず口をぽかりと開けて呆けてしまった。まさか16歳の女子高生だとは思わなかった。せいぜいが大学生だろうと思っていたから、余計に。

 “からっぽ”と名乗る女は、出会ってすぐ契約書を渡し、前金の10万を請求してきた。まさに流れるような作業だった。

 笹木は突然の行動に戸惑い金を出し渋る。ここで10万を渡したとして、逃げられやしないだろうか。ただ金を無駄に浪費しただけで終わらないだろうか。本当にこいつにお祓いなんてできるのだろうか。今更ながらにそう思ったのだ。

 その考えが顔に出ていたのだろう。“からっぽ”は「金さえ貰えれば最低限の仕事はします」と言った。「ここで出さないなら今日はもう帰ります。お仕事お疲れ様でした」とも。

 そして、軽く礼をして本当に踵を返し歩き始めたので、慌てて呼び止めてお祓い……もとい、除霊をしてもらったのだ。


 効果は意外にもすぐに表れた。

 “からっぽ”が笹木の肩を払う仕草をすれば、途端に呼吸がしやすくなったのだ。空気が美味く感じた。肩が軽くなり、身体中の疲労感がなくなる。不思議な心地だった。

 笹木は“からっぽ”に大いに感謝した。

 だが――すぐに40万を払おうとは思わなかった。

 本当にあの女が祓われたのか、正直なところ信じられなかった。もしかしたら嘘を吐かれているのかもしれない、と思ったのだ。

 何せ、霊なんて所詮は眉唾物で、人が作り上げた妄想、幻覚と同じものだからだ。

 要は――40万が惜しくなった。

 だから、口先で言いくるめて、“からっぽ”を追い返した。連絡先も消去した。「40万を徴収する日にちを決めましょう」とせっつかれるのは面倒だったから。

 このままフェードアウトしてしまえばいい。ちゃんと前払金は支払っているのだから、問題はないだろう。


 ぐうう。つい先日のことを思い返していると、腹の虫が鳴いた。

 そういえばまだ何も食ってないな。笹木はスマホをテーブルに置くと、キッチンに向かう。

 笹木は、料理をしたことがなかった。そのため、家での食事は大体がコンビニ弁当やインスタント食品になる。それを(もっぱ)ら電子レンジで温めていた。


 戸棚を開ければ、そこにはカップラーメンがあった。それを取り出し、お湯を入れようとして……ポットのお湯が途中で切れてしまった。笹木は舌打ちをした後、水を注ぎ足して電子レンジで温めようとする。


 ――唐突だが。

 笹木は、掃除や清掃が苦手である。

 華やかな二枚目面をしているが、私生活はだらしないタイプだった。

 そのため、ろくに手入れされていない電子レンジには埃が降り積もっており、電子レンジの中も油や食品カスまみれである。


 笹木がレンジのスタートボタンを押す。そしてすぐさまスマホで動画を爆音で見始めたため、レンジの中でパチパチと音がしていることに気づかなかった。

 カップラーメンの蓋はアルミでできている。アルミはレンジ内の電磁波を吸収して火花が散る(スパーク)

 レンジ内の食品カスに着火して――爆発した。


「へ?」


 勢いよく開いたレンジの扉。その奥から火のついた食品が飛び散り、笹木の服……腕の裾に付着して燃え移る。


「え、えっ……うわあああっ!?」


 笹木は「あぢっ、あぢぃいいっ!」とスマホを投げ捨てた。ガツンとスマホの落ちる音がする。

 バッバッ! と服の裾を払うが、炎は消えない。


「みず! 水ぅううう!」


 笹木は慌てて蛇口を捻る。勢いよく出てきた流水で炎のついた部分を消火する。


「ひっ……ひぃ……ひいぃ……っ」


 笹木はへなへなとその場にへたり込む。

 流水に晒される手首は皮膚が焼け爛れ、真皮が見えていた。


 笹木の情けない呼吸と共に、幼子が無邪気に笑う声がしていたが、彼は全く気づかなかった。






*****






「うん。その人には体で支払ってもらった」


 空はなんでもないように、さらっと告げる。

 それに紅朱は「マジなンだ?」とけらけらと笑った。

 次の投稿は9月7日、日曜日、0:00です。

 よろしくお願いします。

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