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べからずさま  作者: 長月 ざらめ
1章 口紅編
12/28

5話の4 愛≠執着

 気まぐれだったのは分かっている。

 気が向いたからちょっと声をかけて助けた。彼にとって、私はその程度の存在であることは分かっていた。


 先生に頼まれて運んでいた教材。それが1つ廊下に落ちて、それを拾おうとしてバランスを崩し、持っていた教材全てを床にばらまいてしまった。

 自分のどんくささが嫌になる。教材を1つずつ集めていた時に、彼は来てくれた。

 視界に入った大きなスポーツシューズに顔を上げれば、目の前には“美”があった。私を見下ろすその人が、私と同じ人間だということが理解できなかった。


 ――神が直接手を加えたような、美麗な顔立ちをしていた。


 日の光で煌めくきめ細やかな金色の髪。

 下民を見下ろす、2つの紅玉(ルビー)のような瞳。

 鼻梁は高すぎず、低すぎず……絶妙で優美なラインを描いていた。

 シワもシミも見当たらない、瑞々しく白い肌。

 彼を構成するパーツだけ見ても十二分に素晴らしい。美の最上級である。

 だが、どうしても。どうしても唇に目が引き寄せられてしまう。形が良く潤っているそれが、真っ赤に濡れていた。薔薇色の唇とはよく言ったもので、男も女も否応なしに惹き付ける、魔性の色気を放っていた。


 そういう、下界に降り立った神様だとか、擬人化した美の化身だとか、そっちの方がまだ納得できる存在が目の前に立っていた。


「ダイジョブそ? 手伝う?」


 その人が、長い足を曲げて腰を下ろして、首をこてんと傾けて問いかけてくるのだから、とても驚いた。肩を跳ね上げれば、その人は目を瞬かせたと思えば、ケラケラと笑って教材を拾ってくれた。


「次は気をつけなァ?」


 

 終始笑顔で楽しげなのに、瞳の奥はやけに寂しそうに見えたのをよく覚えている。

 “欠け”があった。思わず埋めてあげたくなるようなひび割れが。傍に寄り添って暖めてあげたくなるような冷たさが。

 彼は手を振りその場を去った後ろ姿を、私は見えなくなるまで見つめていた。






 神のようで、欠けのある彼は、素行の悪い同学年の生徒だった。

 人を殴る蹴るの噂はよく聞く。セフレが何人いるとか、この辺りの不良を纏め上げているボスだとか、喫煙飲酒をしているだとか、そういう悪い噂が絶えない人だった。


 実際に彼が生徒を殴り飛ばしたところを見たことがある。女だった。彼にしつこく話しかけて、腕を組もうとして、苛立った彼が拳を振り上げたのだ。


 でも、私は怯えたりはしない。だって、その暴力が私に向けられることはないのだから。

 私は知っている。遠くで見ている分には、彼は決して暴力を振るわない。その分、話しかけられることもないけれど、これでいい。もし、何かあれば彼から話しかけてくれる。それを待っていればいい。


 殴られた連中を見て優越感に浸る。

 良い気味だ。馬鹿な人達だ。彼の視界に入りたいからと近づいて自滅した女共だ。気分を損なわれるのも当然だ。

 彼にはもっと、美しくて、賢くて、明るくて、皆から愛されるヒロインのような、そういう人が似合うのだ。

 流行りと男しか見えていないただのアバズレなんか、興味も持たない。私は確信をもって言える。


 今日も私は、彼を遠くから眺めている。






 ある日から、彼の周りに新しい女が現れた。

 平凡な見た目の女だった。一見するとどこにでもいそうな風貌の女。青い目が珍しいくらいの、普通の女。


 私と同じくらい、地味で、真面目で、おしとやかで、上品で、変に擦れてもいなければ、何か特出しているものもなさそうな、ただの女。


 その女を何故か彼は大層気に入っていた。

 昼休みになると女のいる教室に足繁く通い、女の机に頬杖をついて楽しそうに話している。


 はじめは何も気にしなかった。

 私は知っている。彼はとても気まぐれだ。だから、あの女にもすぐに飽きる。

 あの女も彼には似合わない。真面目でおしとやかなのは評価できるが、華やかさがない。煌びやかさがない。

 そんな女が彼の隣に並び立つ姿なんて全く想像がつかなかった。


 だけど、彼は飽きなかった。

 「ウツボちゃん」とあだ名をつけ、楽しげに話して、食べ物や飲み物をシェアする。

 今まで見たことがない種類の笑顔を向けて、女の頬に触れている。




 なんで。




 なんで、その女にそんな笑顔を見せるの。

 どうしてその女なの。

 見ているだけでよかった。

 眺めているだけで満たされた。

 だってあなたは誰にも近寄らない。近づかせない。誰のものにもならない。

 ただ独り。あなたが孤高だからこそ、安心して見ていることができたのに。

 そんな女でもいいのなら、私でもいいじゃないか。

 私の方がずっとあなたのことを知っている。だってずっと、あなただけを見てきたんだから。

 私とその女、一体何が違うの。


 心の奥底に秘めていた、どろどろの溶岩のような恋心が溢れ出た。


 彼は私のもの。

 私が彼の欠けを埋めてあげるの。

 お前みたいなぽっと出の女に渡すもんか。






「キューピットさまの恋愛相談……?」


 インターネットで彼に相応しいチョコのレシピを調べていたら、とあるサイトに辿り着いた。


 白い紙に赤いハートを描き、ちょっとした呪文を唱えると“キューピットさま”を呼び出すことができるのだとか。“キューピットさま”は恋の相談を聞いてくれたり、助言をくれるらしい。

 小学生の間で“こっくりさん”が流行ったことがあったが、その派生だろうか。


 私には恋愛相談ができるような友達はいない。親に言うのも恥ずかしい。でも、誰からかアドバイスは欲しかった。

 1人でもできるとサイトには書いてある。

 まだ半信半疑だけど、やる分にはタダだ。

 試してみよう。そう思った。






 キューピットさまは本物だ。

 彼のことを教えてくれた。

 私のことを応援してくれた。

 嬉しい。嬉しい。嬉しい。

 キューピットさまは恋のおまじないがあることを教えてくれた。

 どんな人でも必ず愛してくれるおまじない。おまじないがかかったものを食べた相手の心が自分の物になるおまじない。

 ああ、なんて素晴らしいのだろう。

 おまじないをかけたチョコはきっと、頬が溶けるほど美味しいに決まっている。

 これで彼の心を掴むことができる。私の物にすることができる。あんな女に、彼が惑わされることはなくなる!

 紙を使わずともキューピットさまのお言葉が分かるようになった私は、背後からくすくすと笑うキューピットさまの気配に勇気を貰った。

 きっと彼も喜んでくれる。そうに違いない。だってキューピットさまから教わったおまじないがかかっているのだから!











 自分の身に何が起きたのか、全く分からなかった。

 ただ痛かった。それだけが分かった。

 痛い以外、分からなかった。


「きゃああああああっ!!」


 痛い。


「ど、どうしたんだ!?」


 熱い。呼吸が。


「きゅ、急に倒れたぞ!? おい、しっかりしろ!」


 痛い。動けない。痛い。


「救急車! 救急車ああっ!!」


 骨が砕ける。痛い。筋肉がぶちぶち千切れた。どうして。肉が磨り潰される。痛い。


「な、なんで溶けてるんだこいつ!?」

「うっ……げぇぇぇぇ」


 顔が溶ける。痛い。体が溶ける。なんで。キューピットさま。なんで。なんでなんでなんで。


「保健室! 保健室に運べ!」


 キューピットさまの言う通りにしたのに。

 ちゃんとチョコを彼に渡したのに。

 恋のおまじないのかかったチョコを渡したのに。

 どうして、こんなことになっているの?






 目を覚ますと、白い天井と消毒液の臭いがした。

 顔も含めた全身を何かで拘束されている。

 起き上がろうとして失敗した。

 力んだところから凄まじい痛みが脳を刺激して悶絶する。


「きゅう……ぴ、と……ま」


 口を動かすと顔中が引き攣った。


「きゅ……ぴ、っとぁま」


 キューピットさまの声が聞こえない。


「キューピットさま」


 痛みに耐えて声を出す。

 今度はちゃんと発音できた。


 キューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさまキューピットさま。

 キューピットさま。

 キューピットさま。

 キューピットさま。

 ねぇキューピットさま。

 私の唯一の味方。

 愛し方を教えてくれたキューピットさま。

 私に応えて。


『なあに』


 耳元でキューピットさまの声が聞こえた。

 ああ、よかった。やっと応えてくださった。

 私は安堵の息を吐いた。


「おたずねします。私をこんな風にしたのは誰ですか?」

『彼の近くにいる、あの女よ』


 あの女か。

 あの女が私と彼の恋の邪魔をした。

 目の前が真っ赤に染まった。


「キューピットさま、おたずねします」


 キューピットさまは『なあに』と囁いた。




「あの女はどうすれば彼の周りから駆除できますか?」




 その日、病院から1人の重症患者が姿を消した。

 次の投稿は7月31日、木曜日、0:00です。

 よろしくお願いします。

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