5話の3 友チョコ≠義理チョコ
空は頑張ってラッピングして小分けした紙袋を、大きめの手提げ袋に入れて登校していた。
最初は学生鞄に詰め込もうとしたのだが、今日の授業分の教科書やノートのせいで入れられる程の空間がなかった。
無理に入れるとチョコが割れてしまうかもしれない。どうしようかと悩んでいたところに祖父と遭遇。彼は何やら驚いていたが、すぐにすんとした顔に戻ると商品を入れていた紙製の手提げ袋を寄越してくれたのだ。
登校時の荷物は増えるが、下校時には畳んで学生鞄に突っ込めば良い。空はそう考えてありがたく受け取り、使用していた。
靴箱に学生靴を入れていると、「これあげるー!」「ありがとー! じゃあ私も!」という声が聞こえてくる。
目を向ければ、女子生徒がチョコレートを交換し合っている。
片方は手作りらしいラッピングがされたものを。片方は、明らかに市販の、でも少し洒落た包装がされたものを。
「えっすごい美味しそう! これトリュフ!?」
「そー! すごいでしょ!」
「えっごめん私めちゃくちゃ市販……」
「いいよいいよ! これ美味しそうじゃん!」
そんな会話が聞こえてくる。
だが、空はそれよりも女子生徒の手に持つ市販のチョコに目を向けた。
あ、それ良いんだ、と思ったのだ。
空はチョコ菓子も好きだ。だから、バレンタインの時期になるとたくさんのチョコ菓子が売られるのはよく知っている。
だが、それをシェアする人がこれまでいなかったため、市販チョコを渡すという発想に至らなかった。あくまで市販チョコは自分が楽しむ用のチョコであると思っていた。
空は友人という友人は居ない。小学生時代にはいたが、その友人もとある理由ですぐに居なくなった、筋金入りのぼっちである。そのため、「バレンタインのチョコ」イコール「手作りチョコ」の法則がいまだに抜けていなかった。
ある意味でピュアな心を持っている空は目の前のチョコ交換会にカルチャーショック的な衝撃を受けていた。
数秒程2人の様子を眺めていたが、目を離すと上履きに履き替えて自身の教室へと向かった。
――2月14日は何の日?
上の質問を問いかけられた時の答えとして最も多いのは「バレンタインの日」だろう。
バレンタインとは、元々キリスト教圏で「恋人達がお互いに愛を交換する日」として始まった。それが欧米にも広がり、日本にも定着したのである。
外国では男性から女性へチョコレートや花、ジュエリーなどを贈ったり、レストランでディナーを食べたりすることが多い。
だが、日本では女性から男性へとチョコレートを贈る習慣が定着している。これは、1970年代に多くのチョコレートメーカーがバレンタイン企画を競って広告。「バレンタインデーにはチョコレートを!」と販売戦略を進めていくうちに、女性の心を見事捉えてバレンタインという行事が盛り上がっていき、今日まで続く一大イベントとなったのである。
まあ、長々と説明はしたが、要はチョコレートの日なのだ。
だから、チョコレートを売るために「本命にどうぞ♡」だの「友チョコにピッタリ!」だの、そういうラベルの貼られた商品が店先に多く並んでいるのである。
(友達とかいないし、作るつもりもないから、流し見してたな)
空は少しだけ反省した。
*****
紅朱は上機嫌だった。
普段なら殴り飛ばし、蹴り飛ばすような事にも怒らず、ぶつかって体勢を崩した相手が倒れないように体を支えてやったりもした。
机の上に置かれた、手作りと市販の混じった大量のチョコレートも、雑に扱わなかった。いつものようにほぼ新品と同様の学生鞄の中に払うように落とさず、1つ1つ鞄の中に仕舞ってやったのだ。それを見ていたクラスメイトの男子が、羨ましそうに、憎らしそうに歯軋りをしていたが紅朱は一切気にしなかった。
授業も珍しく眠らないで起きていたし、サボることもなかった。
担任やクラスメイトには驚かれたが、紅朱は欠片も気にしなかったし、機嫌が下がることもなかった。
授業中、いつ紅朱が何を仕出かすだろうかとビクビクしているクラスメイトのせいで、教室はお通夜のように静まり返っていたが。
そうして昼休みに入ったことを告げる4時限目終了のチャイムを聞いた瞬間、紅朱は立ち上がる。片手にチョコがたくさん詰まった学生鞄を持ち、教室を出た。
ようやくお気に入りの女のところへ行ける、チョコ貰える、と少し浮き足立っていた。
今日1日、機嫌が良かった理由がこれである。ねだってよかった、と紅朱は過去の自分を褒めてやった。
「早乙女くんっ」
「ア"?」
紅朱のテンションが急降下する。
折角お気に入りのおもしれー女のところに行こうとしているのに、声をかけられてしまった。
聞かずに殴って退かそうかな、とも思って握り拳を作ったが、それよりも先に目の前の人物が何かを突き出して、紅朱の胸元に押しつけてきた。
「こ、これっ……!」
つい反射で受け取ったものを紅朱は眺める。
紅朱の胸元辺りに押しつけられたものは、綺麗にラッピングされていたチョコレートである。
押しつけてきた誰かに目を向けようとしたが、その時には既に遠ざかる後ろ姿しか見えなかった。
紅朱はラッピングされたチョコを見下ろした後、学生鞄に突っ込んだ。
「うつぼチャーン♡ チョッコちょーだい♡♡」
「はいどうぞ」
「流し作業かよ」
スッと出てきた空印のチョコを紅朱は受け取った。
貰ったチョコレートは綺麗にラッピングされていた。中身はどうやらチョコクランチバーのようだ。
紅朱はなんとなく有名なチョコ菓子である“黒の雷”を思い浮かべる。
「これも恋のおまじないがかかってるの?」
「ただの義理チョコにかかってるとお思いで?」
「それもそっかァ」
紅朱は「ありがと、うつぼチャン♡」と嬉しそうに笑う。
空はその様子を見て、少しホッとした。喜んで貰えるのは素直に嬉しいものだ。
「ンで、これが今日貰った義理チョコ♡」
この男は本当にヤバイなとも思ったが。
空の机にひっくり返された学生鞄。そこから大量のチョコがざらざらと落ちてくる。
これが全て義理チョコ? 確実に本命チョコらしきものまで混じっているが?? 恋のおまじないがかかったものもちらほら視られるが???
空は遠い目をしながら、机から転がり落ちたチョコを拾って机の上に置く。
出来上がったチョコの山を見て、空は1つ息を吐くと、既製品と手作りの仕分け作業に取りかかった。
既製品は文字通り、既に完成した品物である。そのため、変な呪いなどがかかっているケースは少ない。やはり呪いは作成過程で籠められることが多いのである。
念のため、霊聴で軽く確認もするが。
“心を籠める”というのは幼児でもできる簡単なおまじないだ。思いが籠っているものは、耳を澄ませばその思いを聴くことができる。
そうして聴こえてきたものは「買って!」「いらっしゃいませー!」「良い日になりますように!」。気休め程度の可愛らしいまじないがかかっていた。これら大半は聴いて分かる通り、商売繁盛を目的としたものであった。まあ、店先に並んである商品を客が購入したものだ。販売者の念が籠るのは当然のことか。
一方で、手作りチョコ。こちらはヤバイ。何せ調理過程でどんな念でもおまじないでも呪いでも唾液でも血液でも便でも髪の毛でも仕込めてしまうのだ。
特に血液とか髪の毛とか、そういう物理的なものを混ぜ込むのはシンプルにやめてほしい。百歩譲って思いを込めるのはいいが、異物混入は認められない。それはただのチョコの無駄遣いでありフードロスト。食べ物を食べられないものにするだけなのだから。
こちらは結構しっかり確認する。霊聴だけでなく、霊臭も確認する。異物混入があれば、臭いである程度何が混ざっているのか把握できるのだ。そして、異物は呪いの材料になっていることが多い。
すん、と一嗅ぎすると、恋のおまじない特有の甘い香りがするものがほとんどで――
「うわ、これだ」
「ン? ナニナニ、呪いのヤツ?」
「はい」
空は顔をしかめて呪いのかかったチョコを見た。
強烈な匂いと思いだった。紅朱から匂うマーキングの臭いと似た、噎せ返るような甘い香り。それに混じる血生臭さ。
呪いのチョコである。
「これは処分ですね」
「食べたらどうなンの?」
「魂を雁字搦めに縛られて恋人の命令を二つ返事でなんでも叶える肉人形になります」
「コッワ」
「というわけで、これは処分しますね」と空が自身の学生鞄に入れた。
学生鞄の中には黒い靄が渦巻いていた。放り込まれた呪いのチョコを、包装ごと嬉々として噛み砕いて貪っている。
学生鞄からボリボリ、パキパキ、という咀嚼音が聞こえてくるというおかしい現象だが、クラスメイトは誰も気づかなかった。
霊感の無い紅朱も勿論……と言いたいところだが、元より勘と五感が鋭いため、学生鞄の中に異質で不気味な気配があることには気づいている。だが、中で何が行われているかまでは気づかなかった。
「これ以外は食べても害にならないので、頑張って消費してくださいね」
「エッ、一緒に食べないの?」
「正気ですか???」
紅朱の言葉に空は何言ってるのかなこの人、と思った。
机の上のチョコの山は、全て紅朱が受け取ったものだ。それも本命チョコがほとんどだろう。特に手作りチョコにはそういう思いが籠められているのを聴いて知っている。
ろくでなしである自覚はあるが、流石にそこまで野暮ではない。他者の色恋沙汰に首を突っ込むアドバイザー的存在になるより、成り行きを静かに見守るだけのモブ的立ち位置の方が空は好きだった。恋愛経験が皆無であるのも理由の1つだ。
「るークンがちゃァんと受け取ったチョコ、うつぼチャンだけだよ? それ以外のチョコは机にあったやつと押しつけられたヤツ。るークンはソイツらの顔も知らないのに、本命だとかと言われても意味分かンない。だからねェ、るークンからすれば、このチョコぜーんぶお裾分けの義理チョコなの♡」
「本当に好きなら真正面から来いよって感じ」と紅朱は笑って市販のものの包装を解く。搔き毟るように雑に開けられた箱には数粒のチョコレートがあった。
紅朱はそれを1粒摘み、自身の口へと……と思いきや、空の口元に近づけた。
「お裾分け♡ はい、あーん♡」
空はじとりとした目を紅朱に向ける。
彼はそれを鉄壁の笑顔で弾いて、唇にチョコをぷに、と押しつける。ついでに「あーんして♡」と催促した。
空は鼻から息を吐き、口を開けてチョコを迎え入れた。
固まったチョコの表面はまるでプラスチックを舐めているような感じがする。それが口内の温度で溶けると、優しいミルクチョコの甘さが口の中に広がってくる。
美味しい。確かに美味しいが。
「どーお? おいし?」
「罪悪感の味がします」
「アッハ、うつぼチャン気にしすぎ」
紅朱はケラケラと笑ってチョコを1つ口の中に放り込んだ。
「きゃああああああっ!!」
「ど、どうしたんだ!?」
「きゅ、急に倒れたぞ!? おい、しっかりしろ!」
「救急車! 救急車ああっ!!」
「な、なんで溶けてるんだこいつ!?」
「うっ……げぇぇぇぇ」
「保健室! 保健室に運べ!」
「やしろーん! ハッピーバレンタイ~ン!」
「チョコレートくれなきゃ友チョコやらねーぞ~!」
「新手のトリック・オア・トリートですか?」
「チョコ・オア・チョコってコト?」
「どっちにしろチョコじゃないですか」
昼食中に現れたのは暁美と灯子。
今日もメイクがしっかり決まっているギャル達である。
2人が空の席まで寄ってくると、あるものを発見して目を見張った。
「あっ、ルージュ、チョコ貰ってる!」
「やしろんのチョコ!?」
そう。空特製のチョコクランチバーである。
2人の指摘に紅朱は笑い、チョコのラッピングに頬擦りした。
「そ♡ うつぼチャンのォ、て・づ・く・り♡ イイでしょ~♡」
「え~ずるぅい!」
「どや顔やめろムカつく!!」
あからさまな煽りである。
灯子が空に詰め寄った。
「やしろん、あたしらのは!? チョコないの!?」
「ありますよ。義理チョコ」
「義理チョコ? 友チョコじゃねーの?」
「? 友チョコって友達にあげるものですよね?」
「「え?」」
「え?」
「「「……え?」」」
3人の間に天使が通る。
その間に紅朱はチョコを1粒口に含んでいた。
「と……」
「と?」
「友達じゃないの? あたしらとやしろん……」
「……」
空は一瞬喉が詰まった感覚がした。
ともだち。
仲良しの子。一緒に遊ぶ子。一緒に笑いあったり悲しんだりする子。
――自分にとって大切な他人。それが友達。
目の前の2人を少しの間見つめた後、空は口を開いた。
「そういう意識はなかったです。依頼人と依頼受託者程度の関係性かと」
「とら……なに?」
「あ、うん。分かった。いややっぱ分かんないけど、知人程度の関係ってことは分かった。じゃあ今から私と灯子とやしろんは友達ね! はいこれで解決! 友チョコちょうだい!」
「力業で来たなぁ」
まあいいけど。
友達っていつの間にかそういう関係性になれるから友達なんだが、それをハッキリ口に出してくれるのは助かる。
空は手提げ袋からラッピングされた友チョコを取り出した。
「じゃあ、改めて友チョコをどうぞ」
「ありがとー! えー、すごい! 手作りだぁ!」
「じゃあお返しの友チョコあげるね!」
「トーコさんって結構根に持つタイプですか?」
友チョコを強調された。とても強く。
灯子は「さーね」と鼻を鳴らしてプイとそっぽを向いた。
2人からチョコを貰った空は「ありがとうございます」と簡潔にお礼を述べる。
「あ、そういやね、さっきこの教室来る前に廊下で人が倒れたっぽくてさぁ」
「廊下で人が?」
空は2人を見た。
2人は「そーそー」と言いながら近くの席から椅子を持ってきた。
「なんか意味分かんないんだよね。体が急に溶けた? 爛れた? みたいな感じで、もーう皆ざわざわしてた」
「あー、なァンか廊下がうるせェなァと思ってたけど、ソレだったンだ?」
「どうしたんですかね、その人。無事ならいいですけど」
紅朱と空は当たり障りのないことを言った。
空の学生鞄の中で渦巻く黒い靄が、げっぷ音を出していた。
次の投稿は7月30日、水曜日、0:00です。
よろしくお願いします。