5話の2 チョコ≠呪物
女子が板チョコを湯煎していた。
ヘラでチョコを混ぜながら、ぶつぶつと何かを呟いている。
「大好き大好き大好き大好き愛してる愛してる愛してる愛してる大好き大好き大好き大好き愛してる愛してる愛してる愛してる大好き大好き大好き大好き愛してる愛してる愛してる愛してる大好き大好き大好き大好き愛してる愛してる愛してる愛してる大好き大好き大好き大好き」
大好き。愛してる。ずっと一緒にいたい。大好き。好き。いっぱい好き。愛してる。
心に秘めていた、どろどろに煮詰めた好意。それを表に出してチョコへと混ぜていく。
これだけなら、このチョコは立派な“恋のおまじない”のかかったチョコである。
男性へのほんのちょっとの魅了効果を、女性に告白の勇気を与える、そんな効力のかかった手作りチョコレートに。
女子は溶けきったチョコレートを見て、好意の言葉を一旦とめた。
「キューピットさま、おたずねします」
ここにハートの描かれた紙は無い。鉛筆もペンもない。
それでも彼女は“キューピットさま”に尋ねた。
『なぁに、可愛い子』
返答。
女子の耳元でキューピットさまは応えた。
「おっしゃった通り、彼への思いをチョコに込めました。この後、どうすればいいのでしょうか」
キューピットさまは微笑んだ。
恋を成就させようと奮闘する彼女が愛おしくて、可愛らしくて、愚かで、可哀想で、愛くるしかった。
『あなたの体液を混ぜなさい』
だから、キューピットさまは女子の力になる。
愛し子の恋を成就させるために。
恋に狂うキューピットの愛し子は、もごもごと口の中に唾液を溜めて、それを溶けたチョコへと注いだ。
『もっと混ぜなさい』
キューピットさまは足りないと首を横に振る。
女子は、口からだらだらと唾液を溢しながら、ギョロギョロと目を動かす。そして、まな板の上に転がっている包丁を手に取った。先程、板チョコを刻んだ包丁である。
銀色の刃が女子の手首に押しつけられる。刃が肉に食い込み、そこからプツリと赤黒い血が溢れて零れていく。
茶色の液体に、透明な液体と赤黒い液体が混ざっていく。
*****
空の目の前に板チョコがあった。
それを手で割り、耐熱ボウルに入れる。600Wの電子レンジで30秒加熱すると、板チョコはくんにゃりと柔らかくなった。かき混ぜた後、再度30秒で加熱する。
次に用意するのはコーンフレークとハードビスケット、そしてアーモンドスライス。
コーンフレークとハードビスケットは5ミリ程の大きさに、アーモンドスライスは3ミリ程の大きさに細かく砕いていく。
電子レンジから取り出した溶けたチョコに砕いたビスケットやコーンフレークを入れて、全体に馴染むようにかき混ぜていく。
上手く混ざったらあらかじめラップを敷いた角型バットに流し入れる。隙間が出来ないように詰めて表面を平らに整える。
詰めたら冷蔵庫で冷やす。キッチンタイマーに30分をセットしてスタートボタンを押した。
冷蔵庫から冷やしていた角型バットを取り出す。
冷えて固まっているチョコをバットからひっくり返して、直方体になるように切っていく。
最後にラッピングをして終了。
自分が作ったものを家族以外の他者に渡すのは、本当にはじめてだった。ラッピングは不慣れのせいで歪になっていた。
作ったのはチョコクランチバー。
ザクザク食感が楽しいチョコである。
これまでの料理過程で分かる通り、空はバレンタインで紅朱に渡すチョコレートを作っていた。
「……流石に多すぎたか」
不格好なラッピングがテーブルの上にずらりと並んでいる。
……いくつか暁美と灯子に渡そう。多分喜んで受け取ってくれる。……はず。
「はいこれ“虚無斗”の分」
『わっ』『わぁい』『いっ』
それと、取り憑いている怨霊にも。
形の悪いチョコクランチバーを選別して、後ろ斜め上に向かって放る。
喜声があがり、チョコクランチバーは黒い靄に包まれて消える。
直後、「パキ」「ボリッ」という小気味良い音が聴こえてきた。
「お味は?」
『お』『ぉぃし』『っ』『おい』『し!』
「そっか」
『でも』『あまり』
ずるりと黒い靄から腕が出てくる。
奇妙で不気味な腕だった。
血の気のない肌だったり、筋肉や骨が剥き出しになっていたり、獣毛に覆われていたり、切れ目から目玉が飛び出ていたり、樹木のような芽吹きがあったり……。
色んな要素が詰め込まれた、生理的嫌悪を掻き立てる腕だった。
『いの』『ち』『のあじ、し』『しない』『ない』『ねぇ』
人間の親指と鳥の鉤爪のような中指がチョコクランチバーを1つ摘まむ。そして、掌の中へと隠すとパキリと握り潰した。
握り拳からボリボリと貪る音が聴こえてくる。
ごくりと飲み込む音がした直後、ドッ! と音がした。
怨霊の握り拳から包丁が生えていた。否、突き刺さっていた。
その取っ手を握るのは、空である。
空が包丁を突き刺したのだ。普段の彼女からは想像できない、突発的で、感情的な行動だった。
彼女はいつも通りの無表情だったが――見たものを全て凍てつかせるような、冷めた目をしていた。感情が無い訳ではない。氷のような瞳の奥に憎悪という激情を滾らせた、絶対零度の眼差しだった。
「クソガキが」
空が吐き捨てる。舌打ちの音が響けば、虚無斗と呼ばれた怨霊が嗤った。
きゃっきゃっ。きゃははは。きゃあきゃあ。そんな、無邪気で純粋な嗤い声。まるで赤子のように甲高く、可愛らしい嗤い声だった。
次の投稿は7月29日、火曜日、0:00です。
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