好奇心は乙女ゲームを潰す
「ビカ男爵家は取り潰しとなった」
重厚な家具でまとめられた執務室で、その重厚さに負けない父の声が告げる。内容に反してその顔は晴れやかであった。
「シーナ、よくぞ我が傘下の者の悪事に気づいてくれた」
「……偶然ですわ」
想像通りの結末に、膝に置いた手を握る。
我がダイガン公爵家の寄子であったビカ男爵家。天才と呼ばれたとある子爵家の三男によって我が領の港は発展し、当時のダイガン公爵の後押しで叙爵され、実家の子爵家から独立したのが先々々代のビカ男爵だ。領地は持たないが初代から港の管理を任せていた。
少し気になることがあってビカ男爵家について調べれば、当代ビカ男爵が薬物売買や密輸に関わっていることを突き止めてしまった。さすがに看過できず父に報告したのが少し前のこと。
「偶然でもいい。運が味方したと思え。先にこの問題に他家が手を出していたらお前と殿下の婚約に何を言われるかわからん。殿下もこっそり手を貸してくれたらしいな?」
父がニヤリとする。やっぱりバレていたらしい。たかだか一四の小童じゃ親には太刀打ちできないと思い知ってムっとしてしまう。
「……ええ、最初は本当にただの好奇心でしたので。お父様の手を煩わせる必要はないと思い、殿下に相談いたしました」
私が自由に動かせる人員がいないわけじゃないけど、彼らは護衛のために長く私から離れられない。それにあの家について調べてきてなんて言ったら速攻で父に報告がいくのだ。ビカ家を探っていることを父に知られたくなかったので、私の秘密を知っている婚約者の手を借りて秘密裏に調査してもらっただけのことだ。
「どうしてビカ男爵が気になった?」
ほら~~~~!これを聞かれたくなかったの!父はやたらと鋭いので適当なことを言うと私の秘密がバレてしまう。貴族として培った表情管理技術を駆使して緊張を隠す。
「彼の天才の子孫にどういった能力があるのか気になっただけですわ。それと初代ビカ男爵の日記などがあったら見せてもらえないかと」
「ほう、それで真っ先に殿下に頼るとはな……将来の王と王妃の仲が良さそうで何よりだ」
幸い父は殿下と考えておいた言い訳に流されてくれるみたいだ。よかった~やりましたわ殿下!さっさとこの場を辞して殿下に報告したい。片眉だけ上げて怪訝そうな父にツンとして見せる。
「もちろん婚約者ですから、仲良くさせていただいております。わたくし、大事な用がありますのでこれで失礼しますわ」
「ああ、早く行ってやれ。殿下も首を長くして待っているだろう」
「んもうっお父様!からかわないで!」
父の笑い声をドアを閉じて遮った。後ろを付いてくる侍女や周囲の気配に気を配っている護衛に聞こえないように細く息を吐き出す。
爽やかな朝の光も嫌になるほど重かった胸中は、父のおかげで少しだけ晴れた。
一年前、いろいろあって五日間意識不明となり、前世の夢を見た。
よく研磨した鉄のような高い塔が建ち並び、小型の石板のような連絡機具を片手に歩き回るような世界で生きていた二十代後半の女性の記憶、というよりは記録の中で強烈に異彩を放っていたのがとある乙女ゲームだ。
前世の自分はこのゲームが大好きで、何周もやり込んだ上で乙女ゲームの原作であるRPGもやってみようか、というところで死んでしまったらしい。
「風の歌は巡る」というタイトルの乙女ゲームはとあるRPGの派生作品だ。何故RPGから乙女ゲームに派生したのか詳しくは知らない。前世の私はどんなに好きでも一から十まで知りたい!とは思わないタイプのズボラな人間だった。
とある貴族の娘として生まれ、優しい両親の元で幸せに暮らしていたヒロイン。三歳になったある日、破落戸に屋敷を襲われ、逃げている最中に両親と弟と離れ離れになってしまう。
そして一人泣きながら道端を彷徨っていたところを、通りすがりの吟遊詩人の男に拾われ、彼と行動を共にすることになる。
旅をしている内にすっかり幼少期のことを忘れ、一六歳となったヒロインは、国一番の港を持つ港町ミュハに訪れ、師である吟遊詩人とリュートを弾き歌で稼いでいたところを両親に発見されるところから物語は始まる。
師匠共々、両親の住む邸に迎えられたヒロインは始めは戸惑っていたが、両親の「貴族にならなくてもいい。旅を続けてもいい。ただ、家族でありたい」という嘆願、師匠の「せっかくだからここでいろいろ学んでみようか。きっと僕らの力になるぞ」という言葉にしばらくミュハに留まることを決意し、両親や二歳下の弟、領主であるダイガン家の娘や攻略対象と交流を深めることになる。
ヒロインは少し特殊な育ちだが、あからさまに目立つほどじゃない女の子。実際『魔法、武術、礼儀、知識』のスキルを上げないと攻略対象に見向きもされない。攻略対象はほとんどが貴族だが、王兄の庶子で継承権のない神官だとか、将来旅に出る気満々の侯爵家の四男とかいう、まあ市井育ちの令嬢でもギリ結婚できるかな?ってレベルの身分差だ。前世の私はそういう高望みしすぎない部分を気に入っていた。
ヒロインの名前はカノン・ビカ。
そして私、シーナ・ウルワ・ダイガンは、行方不明だった寄子の下級貴族の娘が見つかったと聞いてカノンに興味を持ち何かと面倒を見てくれる、いわばお助けキャラ――のはずだった。
ビカ男爵家は取り潰しが決定したのでその役割はきっともう回ってこない。ゲームは開始前に潰れてしまったのだから……。
天馬車で王宮に向かえば、父の言う通り婚約者が待ち構えていた。お父様のニヤニヤする顔が思い浮かんで口元が引き攣りそうになる。行動が読まれていますわよ殿下!
「よく来たなシーナ。猫たちも待っているぞ。そなたの好きな菓子も用意してある」
「ごきげんようシュウリュー殿下。わたくしも猫たちに会えるのを楽しみにしておりましたわ」
殿下にモフモフに癒されたいか、やけ食いをしたいか聞かれたのでモフモフを所望する。
天馬車から降りる私をエスコートをしてくれる、少し厳つい顔の少年。名はシュウリュー・アマカ・コッジ・フーシェス。フーシア王国の王太子で私の前世を知る唯一の理解者である。
視察中に案内役に扮した刺客に背中を押され、崖から落下した私を目撃した殿下は、咄嗟に自ら飛び降りて助けてくれた。しかし落ちている最中に、護衛に取り押さえられながらも刺客が放った毒のついたナイフが私の腕にかすってしまい、五日間昏睡状態になった。
婚約者を助けることはできたものの、毒のせいで何日も目覚めず、しかも腕に傷跡が残るかもしれないと聞いて落ち込んでいた殿下は、私が起きる瞬間に立ち会ってしまった。
タイミングがよかったと言うべきか、悪かったと言うべきか。
目覚めた私は記憶が混乱していた。大好きなゲームの脇役だった男が目の前にいて、あまつさえその人物を幼い頃から知っていることに驚愕して「風の歌は巡る」についてつらつらと語り始めた。
私の熱いパッションに押されていた殿下だが、昏睡する前のことを気にしていない私の様子にほっとしていたらしい。おもしろい夢を見て興奮しているのだと微笑ましく、なんならここまで夢の内容をはっきり覚えている私に感心していた。
それはそうだ。誰も寝起きに語る未来の話が、前世で遊んだゲームのストーリーだとは思わない。私がビカ男爵家について調べ出したとき、殿下はさぞかし驚いただろう。そこまであの夢に執心しているのかと。
「ミ」
「ワフワフッ」
「はあ~~かわいい、かわいい……、いい子ね……」
ペット部屋のドアを開けた瞬間に垂れ耳の猫とモフモフの大型犬が寄って来たので室内に入って存分にモフっていると深い橙色の髪が視界の端に入る。いつの間にか背中にトカゲ、脚にレッサーパンダ、腕に目の大きなサル、肩や頭に鳥をくっつけた殿下が隣で猫を撫でていた。今日もモテモテだわぁ……。
「シュウリュー様、手を貸してくださってありがとうございます。父も感謝しておりましたわ。お礼をしたいのですが、何かご希望はありますか?」
「いや気にするな。礼ならばすでにダイガン公爵から受け取っている。そなたもいろいろくれたではないか」
「我が領の特産品や小物を渡しただけではありませんか。お礼にはまだまだ足りません。私からも何かお礼をさせてくださいませ」
「わかった。何か考えておこう」
強情な私に苦笑する殿下から目を逸らすと、明るい室内の向こうに自然いっぱいの庭が見える。庭に繋がる折れ戸は開け放たれ、柵に囲まれた庭では他にも動物たちが各々に過ごしていた。テラスでお茶の用意をしていた侍女が下がったのを確認した殿下が動物たちに向き直る。
「お前たち、離れよ」
尊大な言い方であったが優しい声だった。動物たちは殿下に少しだけ身を寄せると三々五々に散って行く。
フーシア王族の直系はドラゴンの血が入ってるからか動物たちにとってもリーダーのような存在らしい。森を歩けば動物が挨拶に来るし、ときどき匿ってくれと城に逃げてくる子もいる。
そのドラゴンの遺伝子のおかげで体が丈夫で身体能力も高い殿下なので、私を抱きしめたまま崖から落ちてもかすり傷で済んだわけだ。
差し出された殿下の男らしくなった手を取り、テラスに用意された席に座る。ふわりと香る好きなお茶の匂いに肩の力を抜くと、黒猫が膝に乗っかってきたので丁寧にブラッシングされてツヤツヤの毛並みを撫でた。
大好きな物語の世界にいると気づいたら、登場人物たちが現在どうしているのか気になるのはおかしなことじゃない。たぶん。
とはいえ攻略対象のほとんどは私の知り合いなので(だからこそシーナはカノンと攻略対象の間を取り持つお助けキャラなのだ)、全く接触のないヒロインについて調べた。
そもそもカノンは寄子の家門で同性の同い年。行方不明になっていなければ私の取り巻きになっていたかもしれない子だ。ゲームのシーナもそういう理由で興味を持ってカノンに接触したのだと思う。
しかし国中を回ってるヒロイン本人を探すのは大変なので、まずは彼女の実家を探ってもらった。ビカ男爵について引っかかることがあったのもある。
一つ目、男爵とは記憶を思い出す前に何度か会っているが夫人や長男は見たことがなかったこと。ゲームでは家族でダイガン家と交流がある描写があったのに、三人でいるところを見たことがない。
二つ目、ビカ家が港の管理の役目からほとんど外されていたこと。父は当代ビカ男爵の手腕を信じていなかったようで、我が子に経験を積ませたいと言ってビカ家が代々続けていた仕事を兄に任せていた。これもゲームとは違う。
なのでビカ男爵について調べてもらえば、カノンと似ているはずの夫人は全くの別人、長男はカノンの一つ下で、男爵は容貌こそゲームに近しいものだったが使用人に暴力を振るっていたり、夫人や長男に横柄であったりと性格がまるで違う。疑問を持った私に、殿下が自分の部下に監視させることを提案してくれて、男爵の悪業に辿り着いたのだった。
密輸も薬物売買も男爵本人はダイガン領から出ることなく指示を出すだけで複数人を介して行われていたのと、やり取りの現場はミュハの港とは離れた場所であったため五年近くバレずいられたらしい。
そして衝撃の事実。
悪事を働いていた元ビカ男爵は長男であり、本来なら長男より優秀と言われていた次男が当主になるはずだったらしい。そして次男は結婚しており、幼い娘と息子がいたと。
先代ビカ男爵が亡くなったしばらく後に、次男一家は破落戸の襲撃と放火による火事で亡くなっていることになっている。四人の遺体は見つからなかったので行方不明扱いだったがいつまで経っても彼らは見つかる気配がなかったため、死亡ということになった。この事件についても元ビカ男爵本人が次男を追い落とすために破落戸にやらせたと認めた。
私はビカ一家を箱押ししていたので、ぶっちゃけこの男が憎い。全員生きていると思いたい……。
「それで、カノン嬢は見つかりそうか?」
「ギリカに探ってもらっています。昔それらしき少女と吟遊詩人の男の二人組を見たことがあると言っていたので生きているとは思うのですが……」
ギリカはダイガン家の諜報員であり、攻略対象の一人だ。ゲームのギリカは幼い頃にカノンに助けられた過去がある。
次男一家失踪事件を知った私は、かろうじて我が家にあったカノンの両親の肖像画を、さりげなくギリカに見せ、彼らを見たことがないか聞いてみた。答えは「この夫婦は知らないが夫人に似た子どもは見たことがある」だ。少なくともカノンが生き延びたのは確実。
「……彼らの失踪と同じくして護衛の一名が行方不明だそうだ。生き残った使用人や護衛の証言を加味しても見つかっていない一名が裏切り者とは考えにくい。カノン嬢の父親は冒険者としても活動していて、行方不明の護衛は彼のパーティ仲間でもあったとギルドの記録に残っている」
「まあ、それは初めて知りました……あっ、確かに彼女のお父上が魔法で魔物を倒すシーンがありましたわ」
ゲームにはなかった情報に目を見張ると殿下がいくらか安堵したような笑顔になった。もしかしたら私の顔がずっと強張っていたのが気になっていたのかもしれない。
「次男は突出して強いわけではないが、決して弱くはない腕前だったようだ。次男一家を追った破落戸は二、三人でそれらしき死体も見つかっている。憶測でしかないが、カノン嬢の家族も生きていると思う」
おそらく殿下はカノンの家族も探してくれているのだろう。どうしてここまで協力してくれるのか、という質問を飲み込む。私に言えない事情があるなら無暗に聞いてはならない。私はまだ殿下の婚約者でしかないのだから。
「シュウリュー様は……、私の夢の話を否定しないのね」
これぐらいなら聞いても構わないだろうか。カップをソーサーに置いて殿下の目を見つめれば、逸らすことなく見つめ返された。
「やけに具体的であったし、そういう未来もあってもおかしくはないと思ったからな。まあ、カノン嬢がそなたと仲良くならないと、魔人に憑かれて婚約解消になるというのはまだ納得できていないが」
「……魔人に関してはカノン嬢は関係ありませんわ。婚約解消の件も、魔人を前にしても歌える気概があって、腕のいい吟遊詩人がいれば問題はないはずですから」
「カゼウタ」は攻略対象だけでなく、シーナ、カノンの家族、師である吟遊詩人にも好感度が存在する。特に弟と師匠の好感度は彼らの友人である攻略対象と出会うのに必要で、シーナの好感度は後半の展開を左右する重要なイベントに関わるのだ。
ファンに遊覧船事件と呼ばれているそれは、中盤でシーナが遊覧船に乗船中に魔人に憑かれてしまう確定イベントだ。
魔人は魔界にいて、たまにやって来てはこちらの生き物にちょっかいを出していく厄介な存在で、魔人に憑かれると体の変質や精神汚染といった現象に見舞われ、ときに甚大な被害を起こす。
シーナの場合は、洗脳され乗船客を魔物だと思い込み錯乱してしまう。
好感度が低い場合、シーナは命は助かるが大怪我をし、さらには外聞が悪くなりシュウリュー殿下の婚約者を降りてそのままフェードアウトという流れになる。カノンは、自分のことを気にかけてくれたシーナの境遇を知って落ち込みがちになり、攻略に必要な行動コマンドが一時的に封印される。一定期間カノンのメンタルケア優先になるため、その期間中は攻略対象の好感度上げが出来ない。要するにカノンが元気になった途端、効率的にスキル上げに勤しまなければならないハードモードに突入する。
シーナがいなくなったところでシュウリュー殿下との絡みもないので、わざわざシーナを追い落とす意味もなく、何と言っても後味が悪い。このゲームで唯一のバッドエンドとまで言われていた。
シーナの好感度をしっかりあげていればカノンを遊覧船に誘ってくれるので、シーナが暴れる前に魔人の洗脳から解放できる。何故カノンがいることでシーナが助かるのか。これはカノンが不思議な力を持つ、ということではなく、彼女が吟遊詩人だからである。
この世界の吟遊詩人または吟唱術師と呼ばれる彼らは、吟唱術を使い「異常な状態から正常な状態へ導く」技術を持つ。
吟唱術は完全な治療はできないが痛みを和らげたり、恐慌状態に陥ってる人を落ち着かせることができる。綺麗に切断された指ぐらいだったらすぐにくっつけてしまうような神官の聖術と違って、より日常的で、民間に寄り添った術を行使するのが吟遊詩人だ。
シーナが洗脳されるところに立ち会ったカノンは、冷静に吟唱術を使った。暴れようとするシーナを力強く抱き締め、耳元で根気強く歌い続ける。長年の旅暮らしで培った度胸で魔人にも怯えず、師匠に認められるほどの腕のよさを発揮し、シーナが大怪我を負う前に正気に戻す。このシーンがかっこよくてカノンの夢女がいたぐらいだ。スキル上げをしないと攻略対象に見向きもされない普通の子ではあるけど、ちゃんと主人公なのだ。
毒に中って五日間眠っていた私が起き抜けに元気だったのも、宮廷吟唱術師のおかげ。筋力は落ちていたけど、気だるさはなかった。これが聖術で治療されていたら、すぐに目覚めても一週間は気だるいままだったはずだ。
傷跡は確かに残ったけど数年もすれば目立たなくなるんじゃないかしら。まだ一四歳だし。
「シーナ」
「はい」
ぼうっとケーキを食べていた私の前に殿下が自分の前にあったケーキの乗った皿を私の方に置く。うむ、珍しく殿下の前にケーキがあるわ……と思っていたけど元から私用ですね、これ……。
「おとめげーむでは選択の違いで運命が変わると言ったな。ならば、そなたと婚約を解消しなければならない運命にならぬよう努力する。余は……そなたと添い遂げたいと思っている」
「は、い」
いきなりなんてことを言うんだ。変な声が出そうになったのを気合いで押さえる。勢い余って喉がキュッっと鳴ってしまった。
「もしそのような、添い遂げられない未来が訪れたとしたら……、一緒に抗ってくれるか」
「……はい」
「そうか。これからもよろしく頼む」
殿下のストレートな言葉と滅多に見ないはにかんだ笑顔のおかげで、落ち込んでた気持ちは吹っ飛んだ。
この世界に運命の番といった存在はない。しかしドラゴンの血が混じるフーシア国の王族は、信頼に足る者だと判断すると、相手が心穏やかでいられるように手を尽くす性質があると聞いたのはしばらくあとのことだった。
◆
「素敵な歌をありがとう、お嬢ちゃん。これで孫と遊べるわ」
「それはよかった。たくさんお孫さんと遊んでください」
小さなトランクに小銭を入れてくれたおばあちゃんに、笑顔を返す。自分だけで稼いだお金で買ったこのトランクもだいぶボロボロだ。いい加減買い替えよう。さっきまで杖を突いてゆっくりと歩いていたおばあちゃんは、しっかりした足取りで去って行った。緊張して花束を握りしめていたお兄さんは、花束を腕に抱え直してキリっとした顔で小銭を入れてくれる。これからプロポーズかな。がんばって。
「いい歌声だったぜ」
「疲れがとれたよ」
依頼から帰ってきたばかりらしい冒険者グループから、チャリンチャリンと新たに小銭が入る。だいぶ余分に入れてくれたらしい。儲けている人たちのようだ。
「ありがとうございます!」
「ところでよ」
リーダーっぽいおじさんがかがんで、わたしの顔をじっと見てくる。おお……顔が厳つくて体も大きいので圧がすごい。後ろで別にお金を受け取っていた師匠と、最近加わった旅の仲間が身構えた。おじさんの仲間の女の人が「こら!怖がらせるんじゃない!」とバッシンバッシン背中を叩いているので、怖くはないけど。
「もしかして嬢ちゃんのおっかさんも旅人か?ついこの間、嬢ちゃんにそっくりな人を見たんだよな」
「え……」
わたしの、お母さん……?
「あーっ、馬車に乗せてくれた人たち!?」
「あの一家とおっさんの四人組の馬車か」
「本当だ。そっくり――おっと」
おじさんの仲間が一斉に詰め寄ってくるので身を引くと、さりげなく小銭入れのトランクを片付けてくれていたゼファが前に立って彼らの視界から遮ってくれた。
「……若い女性に詰め寄るのはいかがなものかと」
若い女性って!一四歳は少女でいいでしょうに。さすが貴族子息、紳士的。侯爵家四男なのに旅人志望の変人だけど。
謝罪するお仲間さんたちと一緒に一歩下がってくれたおじさんが申し訳なさそうに後頭部をさする。
「おう、悪いな。興奮しちまって。ちょっと前に馬車で移動してた四人組が、うちの怪我してた奴を手当てして、馬車に乗せて神殿まで運んでくれたことがあってな」
ワンドを装備している若い男が頷く。
「謝礼渡そうとしたら馬車の護衛でチャラだっつって、さっさと行っちまった。でもよ、あの人たちのおかげでコイツは脚を無くさずに済んだから、ちゃんと礼がしたくてな。もし知り合いなら、連絡取れねーかと思ったんだが」
親のことは覚えていない。物心つく頃には吟遊詩人の師匠といっしょに旅をしていて、吟唱術を教わっていた。このリュートを買ったときに前世の記憶を思い出したけど、親の記憶はたぶん……ない。さすがに小さい時の記憶は曖昧だ。少なくとも師匠から親の話を聞いたことはない。そもそも親がいなくとも師匠が構ってくれるからあまり気にしてなかった。
「この子に似ているのは、その女性だけでしたか?」
困って師匠を見ると、師匠は険しい顔で冒険者たちに問いかけているところだった。
「いや、一緒にいた少年にも似てる」
「よく見ると旦那さんにも似てるよ」
「そう、ですか」
師匠がしきりに顎を触っている。考え込むときの癖だ。
「あー……、もしかしてなんか訳ありだったか?」
「いえ……」
そこから黙る師匠。冒険者たちがわたしを窺うように見るが、わたしもどうしたらいいのかわからないです。とりあえず肩にかけっぱなしだったリュートを背中にかけ直す。
「その方たちはどちらに?」
「ダイガンに行くっつってたな。旦那の故郷なんだと」
「ダイガン……ちょっと前にビカ家の不正が話題になっていましたね」
ゼファが小銭トランクをわたしに渡しながら、話を進めてくれた。片付けに壁役に話し相手までしてくれてありがとう。まじめっちゃ感謝。ゼファ神に内心で手を合わせていると、突然別の声が割り込んで来た。
「取り込み中悪い。これ、受け取ってくれ」
ボサボサの髪を無理矢理帽子で押さえつけたみたいな格好の青年が師匠にお金と、わたしに高級そうな厚みのある紙の束を差し出した。数枚ではない。束である。
「昔、あんたらにタダで助けてもらったことがあんだ。そんときの礼。また会えてよかった。で、話が聞こえたんだけど、ダイガン行くなら急いだほうがいいぜ。特にミュハの辺りはもうすぐ祭りで込む。てことで、それ使ってくれよ」
青年は「じゃ、俺はこれで」と言ってあっという間にいなくなった。な、なんて早業なんだ……。十枚ぐらいある手元の紙束に目を落とす。
「『ミュハ港祭り 宿泊優待券』……」
「ミュハかあ。そういえば行ったことないね」
あ、師匠。思考の海から戻ってきましたか。
「いいね。行こうよ、ミュハに」
一緒に覗き込んでいたゼファが楽し気に誘ってくる。
「港祭りってどんなの?」
「港を花で飾ってて、華やかで綺麗だよ。演劇もあるし、格安で大きい船にも乗れる。飛び入り参加ありの音楽会とかもあったなあ。元々交易品が溢れている場所だし、港町を回るだけでも楽しい」
冒険者たちが「へ~楽しそう」「たまにはそういうのにも参加してみるか?」とコソコソ会話している。
「師匠、ミュハの祭り行きたい」
「……わかった。次はミュハに行こう」
わたしのドスレートなおねだりに師匠が苦笑した。冒険者たちにこやかに「よかったな、嬢ちゃん」と声をかけてくる。いい人たちだなあ。よし。
「余っているのでこれあげます」
「いやいやいや!もらう理由がねえよ!?」
「そうだよ、お友だちとかにあげな!?」
紙束から三枚抜いて残りをスッと差し出すと、思いっきり首を振られた。友だちか……。旅三昧で友だちとかゼファしかいないんだけどな……。そこで逃げ腰の冒険者たちを引きとめるようにゼファと師匠が乗り出した。
「なら、ミュハまで我々の護衛をお願いできませんか?」
「確かに急ぐなら護衛がいたほうがいいね。そうだな、皆さんのランクは高そうなので、宿泊券と移動中の吟唱術はタダってことで割引が利きませんか?」
指名依頼は指名した冒険者のランクが高いともちろん費用が高くなる。だが双方が了承の上で現物支給で支払うこともできる。その場合、冒険者ランクのランクアップに必要な貢献度がもらえないとか、何かあってもギルドからの補償がないとかデメリットも多くなるのでやる人は少ないが。
冒険者たちが寄り集まってひそひそとし話し合う。しばらくしてリーダーのおじさんが師匠に手を差し出してニヤっと笑った。
「俺たちゃァ、知り合いからもらった宿泊券を使うためにミュハに行くだけ。そんでたまたま行き先が一緒のアンタたちと移動するだけ。ってことでよろしくな!」
こうしてわたしたちはミュハに向かうことになった。
◆
「必要なものは全部あるある!アルア商会へようこそ!」
自分用のリュートを買いに行ったとき、その言葉を聞いて前世で大好きだったゲームのことを思いだした。アルア商会は『MtoK』というRPGに出てきたショップだ。どのショップに行っても毎回この文言を言われるので、記憶にしっかり根付いていた。
この世界の吟遊詩人は民間に人気だ。旅に出なくても特定の地に留まる吟唱術師という職業もあって吟唱術を学ぶ人口は多い。
MtoKにも行く先々に吟遊詩人の女性キャラがいた。お金のない序盤はデバフ解除のために彼女の元に通っていたし、後半はクエストのヒントになるような歌なんかもあったりして、仲間にはならないけど準レギュラーみたいなポジションで、そこそこに人気キャラだったのだ。別の町で再会すれば「や、また会ったね」と言われるので、コピペNPCではなくすべて同じ人なのではと考察してる人も多くいた。
それに答えが出たのが、十周年記念で何故か発表された同一世界を舞台にした乙女ゲーム。
その主人公が吟遊詩人の弟子で、MtoKの吟遊詩人と同じ髪色で、吟遊詩人は帽子を深く被っていたので目の色はわからないが、同じ声優ってことで話題になっていた。予告映像にはとあるクエストでお助けNPCとして登場するシュウリュー王子の若い姿もチラッとあって実質MtoKの前日譚なのではと憶測が飛び交っていた。結局乙女ゲームをやる前に死んじゃったから真相は分からず仕舞いだけど。
記憶を思い出して、わたしは師匠に行きたい場所を告げた。MtoKのオープニング、主人公のカザトが妹のメグルと離れ離れになった場所である。そこがゼファの実家の領地で、いろいろあって寝たきりのゼファのおばあ様の痛みを和らげる仕事をした。一月ほどでおばあ様はなくなってしまったけど、侯爵家の皆さんは「あんなに苦しそうだったのに、最期は君たちのおかげで安らかに眠っていた」と感謝してくれた。貴族なのに平民にも丁寧な対応をしてくれる方たちだった。その後、これまたいろいろあってゼファと旅をすることになったのだ。
結局カザトとメグルの兄妹は見つけられなかった。作中でも引っ越してすぐのことだったと言っていたし、まだこの辺にはいないのだろう。
メグルは魔人に精神汚染を受け、その魔人とどこかに消えてしまう。カザトは消えたメグルを取り戻す冒険に出るというのがMtoKのストーリーだ。きっと、この展開はわたしが、吟遊詩人のわたしたちがそばにいればどうにかなるのだ。だからわたしは、カザトとメグルを探すのをやめない。一つの国からたった二人の人間を探すなんて無謀だけど、できることはしたいから。
「ミュハのお祭り、楽しみだね」
「うん」
機嫌がよさそうなゼファに頷く。
作中でカザトが大事にしているネックレス。家族で港町の祭りに参加したときに妹とお揃いで買ってくれたという思い出話をしていたはずだ。その祭りがミュハの祭りかはわからないけど、きっと行く価値はある。
「カノン、ゼファ、行くよ」
「はーい」
――この時のわたしは、まさかミュハで血の繋がった家族と出会って、冒険者のおじさんのお姉さんがカザトとメグルの母親で、何故か兄妹と一緒に旅をすることになって、その途中でコンビニ店員みたいな掛け声で寂れた店の手伝いをするメイドと侍従と意気投合して、メイドと侍従のご主人様がMtoKのメインキャラの一人だとかいう展開になるなんて、思いもしなかったのだった。
宿泊券は吟遊詩人師弟に会ったらお礼がしたいと言うギリカにシーナがこれも渡しといてとあげたものです。ギリカはこんなにいらねえだろと思いつつ受け取りました。
乙女ゲームのショップでは「無いものなんてないない!ナイナ商会へようこそ!」と言われます。すでにこのネタ使ってる人絶対いると思いつつも書きたかったので書きました。