第九十四話 虚ろなる覚醒
アレンは影を喰うのではなく、自らを喰らうという決断を下した。
その選択が、彼を変えていく——。
自らの腕に牙を立てた瞬間、アレンの体に異様な感覚が走った。
内側から何かが弾ける。
血液が逆流し、熱が一気に燃え上がる。
「ぐっ……!!!」
灼熱のような痛みが全身を駆け巡る。
しかし、それと同時に——
アレンの体が、“消えて”いった。
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「なっ……!?」
ヴァルガスが息を呑む。
アレンの肉体が収縮していく。
隆起した筋肉が沈み込み、赤黒く変色していた皮膚が元の色へと戻る。
完全獣化が解除されたのだ。
「獣化が……解けた……?」
ゼノンが驚愕の声を上げる。
しかし、問題はそれだけではなかった。
「なに……あれ……」
ミリアが小さく呟く。
アレンの輪郭が、徐々に“薄れて”いく。
まるで身体が、霧のように拡散し始めているかのように——。
「おい……どうなってる?」
ヴァルガスが剣を握りしめながら、アレンを見つめる。
完全獣化が解かれたアレンは、一見すればただの"元の姿"に戻っただけ。
筋肉の膨張も収まり、爪も鋭さを失っている。
「弱く……なっちゃったの?」
ユイが不安そうに呟く。
「いや……違う」
ゼノンが眉をひそめた。
「アイツ……存在が薄くなってる……?」
「そんな……どういうこと?」
ミリアが目を見開く。
ヴァルガスが唇を噛む。
「……いや……アレンの力は消えていない……違う、何かが変わったんだ……!」
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アルデンは、その光景を静かに見つめていた。
「ほう……?」
霧の中に、わずかな興味を示したような声音が響く。
「何をした、アレン?」
「……」
アレンは答えなかった。
彼自身、今の変化を理解していなかった。
だが、確かに感じる。
これまでの"喰う"力とは、明らかに違うものが宿っていることを——。
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「……!」
アルデンが指を動かすと、黒い霧がアレンを包み込もうとした。
しかし——
「……消えた……?」
ヴァルガスが息を呑んだ。
霧が、アレンの周囲で弾かれるように拡散したのだ。
「なっ……!?」
ゼノンが驚きに目を見開く。
「アレンの体に……霧が触れられない……!?」
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「……まさか」
アルデンが微かに目を細める。
「"喰う"のではなく……"喰うことを必要としない"存在になったのか……?」
アレンがゆっくりと拳を握る。
これまでの「喰う力」は、相手を取り込むことで自身を強くするものだった。
だが、今のアレンは違う。
喰うのではない——
"存在の概念"が希薄になっている。
霧を破壊するのではなく、霧が“彼と干渉できない”状態になったのだ。
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「……そんなものが……本当に存在していいのか?」
アルデンの声が、わずかに震えた。
「俺の霧が……届かないだと……?」
ヴァルガスが気付く。
「アルデンの……霧が……アレンを"喰えない"……?」
アルデンが静かに言う。
「俺とは違う……"何者でもない存在"になったわけか……」
戦場が、一瞬の沈黙に包まれた——。
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自らを喰らったアレンは、"喰う"という概念すら超越し、
霧にすら干渉されない"虚ろなる存在"へと変貌した。
アルデンすら理解できないこの変化が、戦いの行方を大きく変えていく——。




