終章まで
長い話だった、が、まだ続きがあるようだ。ここまで(新鵬剣侠全五巻)が第二部で、そこれに第三部の長編が続くという。第二部の終わりにして、突如、少林寺の僧が出てくる。金庸という作家は少林寺を好意的に書くようだ。たしかに。誰だって好きだ。少林寺。この僧が再び現れた二人組の悪党から仏典の経典を取り返そうという話が最後に差し込まれる。人当たりがよくて人格者だ。歯がゆくなるぐらいに。
この小説はこれまで戦いのことばかりの焦点を置いてきたが、ここにきていかに戦わずして勝つかという話に移る。未読だが、最後の長編にその色は濃いらしい。腕力よりも口でやり込めるという知恵者だ。
武侠小説は往々にして型にはまりやすく、展開も突飛になりやすい。そこがこの武侠小説という形式が低く見られている問題だと作家は言う。ただ金庸先生は登場人物の心情を、それでも丁寧に、事細かに、書いている。ここで何故ヒロインが崖に飛び込まねばならないのか。人殺しもいとわない悪人が乳児に心をくすぐられたりする場面があったりなどだ。そうした場面は多い。善悪が定まっていないように感じる。固定された悪人、善人、というものがこの世界にはいないのだ。そこに作者金庸の人間としての心を感じる。
武侠小説は中華世界全体の文化だ。華人のいるところ、そこに金庸の読者はいるのだろう。日本はその外側にいるわけだが、決してかかわりのないことではないと思う。読めてよかったと思う。ここまでありがとう金庸先生。また次回作で。