プロローグ
神代と呼ばれる古の時代、のちに神魔大戦と呼ばれる大きな戦争があった。
その只中に殲滅の魔王と呼ばれ、恐れられた存在がいた。
彼は自身の種族に害成す存在の悉くを殺し、その刃は神にさえ向けられている。
そして今、魔王の刃はこの戦争を仕組んだ黒幕に向けられていた。
「魔王様、我らもお供します!」
「いらん! 最高神と戦うのに貴様らは足手まといだ。それに我らの主戦力が抜ければ戦線は崩壊する。それは貴様らもわかっているだろう?」
そう話すのは禍々しき玉座に座った魔王と呼ばれる者である。
禍々しい紋章は魔王の額を覆うように存在し、漆黒の装備の上から闇を纏っていた。
そして闇は装備だけでなく体の一部も侵食し、そこを守るかのように覆っている。
魔王の言葉を聞き、配下一同は俯き、返す言葉が失う。
現在、魔王軍は各師団をまとめ上げている師団長の力及び四天王と人間が呼ぶ存在により、何とか複数の種族からの攻撃を防いでいる状態である。
魔王軍が劣勢になったのは人間から勇者と呼ばれる存在が現れてからだ。
勇者は少数精鋭のパーティーを組み、魔王軍の幹部を倒して回っている。
幹部を失った魔王軍は戦略的に負け始め、さらには物量で押されている状態である。
だが他種族が魔王軍を押しているのには他にも理由があり、それは最高神が直々に力を貸し与えているからだ。
しかし最高神は個々に強力な力を与えず、数多くの物にそれなりの力を与えている。
なぜなら旧人類のように、神々に牙を抜かせないためだ。
そして今、沈黙に支配されている玉座の間に一報が届く。
「伝令! 伝令!」
「貴様! 今は――」
「よい! 通せ!」
魔王の言葉を聞くと配下の者は口を閉ざす。
そして伝令兵が城外にいる兵からの通信魔法による報告を伝える。
「ゆ、勇者が最終防衛ラインを越え、城の前まで到達しました!」
「ふむ、そうか……」
魔王は目を閉じ何かを思考すると、再びを目を開く。
「通せ」
「い、今何と!?」
「勇者をここまで通せ」
配下の者達は皆、驚きの表情を浮かべる。
そして伝令兵は直ぐに城外の兵に、通信魔法で魔王の言葉を届ける。
それから少しすると勇者一行が玉座の間に現れた。
「久しいな勇者よ。貴様は幾度殺しても死なぬようだな」
「まだくたばっていなかったのか魔王!」
互いに睨み合い、長いようで短い時間が流れる。
そして互いの従者が剣を抜こうとすると、勇者そして魔王までもがそれを止めた。
「どうしてボクをここまで通したんだ?」
「ふむ、簡単なことだ。ただお別れを言うために通したまでだ」
それを聞き、勇者は訝し気な表情を浮かべながら、魔王を睨み付ける。
「どういう事だ? ……次は何を企んでいる!?」
「何も企んではいない。強いて言うなら、戦争を終わらせる為だ」
「戦争を終わらせるだと!?」
「ああ、その通りだ」
魔王は玉座から立ち上がると勇者に近づいて行く。
そしてその魔王に勇者は声を荒げる。
「貴様が死なない限り、この戦争は終わらない! どれだけの人々の命が散ったと思っている!?」
「それは数えきれないだろうな。だが貴様も人の事は言えぬぞ? 我が同胞をどれだけ屠ってきた?」
魔王は淡々と喋り続ける。
まるでほとんどの感情が失われているように。
「…………」
勇者はただ黙り続ける。
魔王の言葉に耳を貸すように。
「貴様も言い返せまい。それにこのままではどちらかが滅ぶまで、この戦争は続く事になるだろう。もはや誰が始めたのかは貴様ら新人類も、そして我ら旧人類の誰も覚えてはいない。只々戦争の憎悪を膨らませ続けているだけだ。……だからこそ、この戦争のトリガーを引いた黒幕である、最高神を殺す!! 貴様も我らと戦い続けて薄々は気づいていたのだろう?」
「レイヴ! 耳を貸しちゃダメ! こんなのこいつの世迷言よ」
ローブを着た魔導士の女性が大声で勇者レイヴに話しかける。
しかしそれを否定するように、勇者は首を振る。
「セレーネ、こいつの言っていることは少なくとも間違ってはいない。でもボクは、こいつの言うことをはいそうですかと認めることが出来るほど、信用していないから安心して」
「信用していない、か。確かにこれまでのことを考えれば当たり前だな。だがそんなことは今となってはどうでもいいこと。じきに我は、貴様らのご要望通り死ぬのだから」
その言葉を聞くと、勇者一行は目を丸くして驚く。
そして脇にいる配下たちが、悲痛な表情を浮かべながら俯いた。
「どういう事!? 魔族の王たる貴様が死ぬなんて、そんなウソを信じるわけないでしょ!!」
「信用されないとは、悲しきことだな」
剣士の姿をした女性の言葉を聞き、魔王は表情を変えずに淡々話す。
「だが最後くらいは我を信用してみたらどうだ? 互いに命を奪い合った仲ではないか」
「魔王、一つ聞かせてくれ。仮に最高神を倒してこの戦争が終わったとして、貴様ら魔族はどうするつもりだ?」
勇者が当然の疑問を投げつける。
しかし勇者の仲間たちはその反応を見て、驚きを隠せずにいた。
「我が命により、我ら旧人類は戦線を離脱し、互いに痛み分けで手を打とうと考えている。この状況が続くよりはマシだ。そして、我が血で作りし者を王の代理として立たせ、残った同胞たちをまとめ上がらせ、二百年の間統治させる。無論二百年の間は貴様ら新人類たちには手を出さぬよう命令しておく。これでどうだ?」
「ああ、わかった。でも貴様は本当に死ぬのか?」
勇者は魔王の理由には納得の色を示したが、一つ残った不安点を確認する。
「この時代においては確実に死ぬだろう。だが今から一万年後の平和になっているであろう時代に転生する」
「そこでまた人をたくさん殺すつもりなのか?」
「まさか、そんなことはしない。ただ普通に平和を楽しんでみたいだけさ。ただそれだけだ。もうこの時代の同胞の血が流れるのは見たくないからな」
そこまで聞くと勇者は俯き、考えを巡らせる。
その様子を魔王は表情一つ変えず、ただ見守っていた。
「わかった、貴様を信用しよう」
「ちょっとレイヴ!! 何を考えているの!? 相手は魔王よ!」
魔導士の女性が勇者に掴みかかりながら口調を荒げる。
「わかっているとも。だけどずっと考えてたことがあったんだ。ボクは勇者だけど、魔族からボクを見たら、それこそ魔王なんじゃないかって。そして魔族からしたら魔王は――」
「勇者ってこと?」
勇者が言葉を切ると、剣士の姿をした女性がポツリと呟く。
それを聞き、魔導士の女性も勇者が言いたいこと察し、手を離した。
「わかったわ。私は魔王じゃなくてレイヴの判断に従うわ!」
その言葉に他の面々も頷く。
「ああ、それで十分だ」
魔王は翻ると玉座の方に歩いて行く。
そして玉座の少し前で止まると詠唱を始めた。
「我が闇に捕らわれし、叛逆の力よ。我が命を以ってここにその封印を解かん。顕現せよ! ミトロジー・ヴェトゥム!!」
魔王の足元に魔法陣が出現し、魔王は禍々しい魔力の渦に包まれた。
そして魔力が霧散するとそこには、闇より深き漆黒の装備に身を包み、装備一つ一つに魔王が纏う闇が覆いかぶさり、さらに深き闇へとその在り方を変えていく。
魔王が虚空に手をかざすと漆黒の魔剣が現れる。
その柄をつかむと同時に、剣を覆っていた闇が剥がれ落ち、真の姿が顕わになる。
魔剣は全てを呑み込むかのような黒色で、見ているだけで死を連想させる。
そして剣身からは禍々しき魔力が溢れ出ていた。
魔剣が顕現するとその場にいた全ての存在が死を悟り、恐怖を覚えた。
それは魔王の配下や勇者も例外ではない。
だがそれと同時に勇者は『これなら最高神を殺せる』と確信した。
「魔王、これを持っていけ!」
勇者は魔王の元に近づいて行き、自身の胸に手を当てると、神々しく光る何かを取り出す。
魔王は訝しげにそれを見る。
「それは?」
「僕の複数ある命の内の一つさ。予備に持っていけ。これがあれば一度だけ死を回避できるはずだ」
魔王は勇者から差し出された物を見て、戦闘する都度思っていた疑問が解けた。
「なるほど。貴様は死に戻りしているものだとばかり思っていた。ハハハハハ! そういう事だったのか。貴様には命が少なくとも二つ以上あったのか。道理で殺しても殺しても生き返るわけだ」
魔王は感情なく笑う。
否、かつての笑うという行為の真似事をしたに過ぎなかった。
だがそれと同時に魔王の中では当然の疑問が生まれる。
「何故、それを我に渡そうとするのだ? 敵に塩を送るつもりか?」
その言葉に続き、魔導士の女性が勇者を止めようとする。
「そうよ! なんで魔王なんかに貴方の命を!」
「当然のことだよ。もし魔王が最高神を仕損じたら、恐らく魔族だけじゃなくて、僕らも天罰の対象にされる。そうなればこの世界に住む、ほぼ全ての人が死ぬことになる」
勇者の言葉は、その場にいた者たちを納得させるには十分だった。
何故なら、かつて旧人類は似たようなことをされたからだ。
「ならばありがたく戴こう」
勇者の命を掴むと勇者が力強く、自身の命を握る。
「この戦争の黒幕を必ず殺してくれ」
「ああ、必ず」
その言葉を聞くと勇者は自身の命を魔王に渡した。
そして今度こそ戦闘に赴こうとした時、勇者が最後の質問を投げかける。
「魔王、最後にこれだけ聞かせてくれ。戦闘を好む貴様がなぜ死を選ぶ?」
「我は戦闘が好きなのか? ……いや好きだったとここは答えるべきだろうな」
「どういう事だ?」
歯切れの悪い答えに勇者は首を傾げる。
「今の我にはほとんど感情が残っていない」
「ならば尚更、死を選ぶ理由がわからない!」
「種の長として、種を守ろうとするのは当然のことではないか? そこに私情を挟む余地などない」
勇者は返す言葉が見つからず、只々沈黙していた。
「そういう事だ」
魔王は沈黙する勇者を無視して、魔剣を振り上げる。
そして魔剣を振り下ろすと、次元もろごと世界の壁も斬り裂く。
「我が配下よ。あれの起動はどうなっている?」
「問題ありません。すでに起動済みです」
「そうか。あとは任せる」
「はっ!!」
魔王の配下は、深く頭を下げた。
「勇者よ、人間には気をつけろ。これは長く生きた我からのアドバイスだ。ではさらばだ、仇敵よ」
「ああ、世界を任せたぞ」
魔導士の女性が何か言おうとしていたが、魔王はその言葉を最後に、斬り裂かれた次元の歪みへと入っていくのだった。
そして次元の歪みが消滅するとそこには静寂だけが残されていた。