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03 黄昏時の誓い

『それじゃあ、パパたちはお仕事に行ってくるな』

『ごめんね、優日ちゃん。お休み取れなくて……』

『ううん、仕方ないよ! それよりも患者さんが待ってるんでしょ? 早く行ってきて!』


 ――あぁ、これは夢だ。幸せな日常を疑わずに過ごしていた頃の夢。

 お医者さんであるパパと、同じ病院で働くママ。

 仕事が忙しいせいで家にいないことも多くて寂しい思いをすることもあったけれど、たくさんの人を助けるパパとママは私にとっての誇りであり、太陽だった。

 それに感じていた寂しさ以上の愛情だってたくさん貰っていた。


『その代わり、夜にはちゃんと誕生日パーティだってやるからな』

『うん! 楽しみに待ってるね!』


 とある冬の日、私が11歳になる誕生日。

 あと少し寝ればクリスマスになる日に私の誕生日があるものだから、毎年得したような損したような変な気分だった。

 そんな日でも両親が仕事で帰って来られないなんてことも珍しくはなかったから「今年もダメかも」と期待半分、諦め半分で見送ったんだっけ。

 でも帰って来たときに抱きしめてもらって、ママが作った温かい料理を食べながら他愛のない話をして、一緒に過ごすだけで幸せだったのだ。


 ――でも、そんな幸せな日常も呆気なく崩れ去ってしまう。

 私が再会したのは冷たくなって、眠ったようにピクリとも動かない両親だった。


 その辺りの記憶はどうも曖昧だ。

 どんなに願ったとしても温かく抱きしめてもらうことも、ママの手料理を食べることもできない。そして何よりも大好きな2人に会えないことが悲しくて、泣きじゃくっていたことだけは憶えている。

 酔っぱらいの運転するトラックが――とかそんなことも聞いたけど、そんなことはどうでもよかった。


 葬儀とか両親の遺産についてもそういうのは全部、伯父がやってくれた。

 そして私は伯父一家に面倒を見てもらえることになった。

 両親との思い出が残る家を離れることには抵抗があったが、子供一人では生きていけないことは分かっていたので、何も言わずに従った。


 そんな私も中学校に上がる頃にはだいぶ持ち直していたと思う。

 伯父一家には本当に良くしてもらった。だが、ずっとどこか心にぽっかりと穴が開いたような感覚が私を苛み続けていたこともまた事実だ。

 だから学校では日常的に困っている人を見ると助けるようにしていた。

 両親のように誰かを助けられるような人になりたかったから。


 でも私、本当は――。




   ◇




 全身の痛みと共に私は目を覚ました。


「……わたし……ッ!?」


 立ち上がろうとした瞬間、脇腹に鈍い痛みが走る。それでも何とか上体を起こすことはできた。

 どうやら斜面を転がった後、大きな木にぶつかって止まったようだ。

 痛みがあるものの、勢いよく転がってぶつかった割には骨折など大きな怪我をしている感じではなく、打撲で済んでいることが不思議だった。


 とりあえず怪我の確認を終えた私は大きな木に背中を預け、次に周囲の状況を確認してみることにする。どうやらこの辺りは木の数も少ないらしく、そのおかげで空がはっきりと見えた。

 すでに日が傾きつつあり、辺りをオレンジ色の光が照らす。つまり宵闇が迫りつつあるということだ。

 今の時間を表すなら夕暮れ時、黄昏時といったところか。


 ――痛い、寒い。

 日が沈みかけ、気温も下がっている。さらに全身を苛む痛みが追い打ちをかけるように私の精神をすり減らす。

 希望も見えず、もう今にも心を支える支柱が折れてしまいそうだった。


 そんな時だ。がさがさ、と脇の茂みが揺れる。


「な、なに……!?」


 風は吹いていない。それなのに茂みが揺れるということは何かがそこにいるということに他ならなかった。

 沈みつつある夕日に照らされている場所とは対照的に、その茂みの周辺は闇が深くなってしまっており、よく見えない。


 服の上からペンダントを握り締めることで私は恐怖に耐える。

 声が震えそうになるのを必死に抑えながら……何を思ったのか、次の瞬間には闇の中へと問い掛けていた。


「そ、そこに誰かいるの……?」


 野生動物の可能性が高い、さっきの黒い狼みたいに襲われるかもしれない――そんなことは分かっていた。

 だがきっと、私はこの不確定な希望に縋りたかったのだ。

 気付かぬうちに想像以上の力が入っていたのか、握り締めたペンダントが手に食い込んでいて少し痛い。でも不安でいっぱいの私の心を支えるものは今、これしかなかった。


 問い掛けてから数秒経った時、再び茂みが揺れたかと思うとそこから何かが飛び出し、ごろごろと転がってくる。

 暗闇から日向に近づくにつれ、その輪郭が露になった。

 夕日によってオレンジ色に染まった空間に入った瞬間、正体が明らかになったそれは赤くて丸い――果実だった。


「えっ、これ……」


 見覚えがある果実。それは3匹の狼に襲われる直前に食べた、あの林檎モドキだった。

 足元まで転がってきたそれを手に取った私は正体不明の相手に問い掛ける。


「あの時も……もしかしてあなたが……?」


 前にこの果実を食べたときも不自然だったのだ。その寸前まで存在しなかった物が気付いたら置かれていたのだから。

 魔法でもない限り、何者かが置いていったと考えるのが自然だろう。

 そして最初に黒い狼に襲われたことを思い返すと、そこではさらに不自然な出来事が起こっていたことを思い出した。

 私が狼たちから逃げ出したとき、たしかすごい光量の光が溢れ、狼たちが怯んでいた。あれはいわゆる魔法だったのではないだろうか。

 ここまで来るともはや、それは確信に近かった。

 そうだ。あの時も今この瞬間も、この誰かが助けてくれているんだ。


「ねぇ……私のこと、ずっと助けてくれていたんだよね」


 もう恐怖心を抱いてなどいなかった。


「あなたが助けてくれていたから、私は今も生きていられるんだよ。だから……ありがとう」


 正体も姿かたちさえも分からない誰か。

 命の恩人ともいえる誰かに私はただ、感謝の言葉を伝えたかった。

 そして――。


「もし許してくれるなら……こっちに来て、あなたの姿を見せてくれないかな?」


 伝わっていないのか、渋っているのか。茂みの向こうからは何の反応もなかった。


「絶対に危害を加えないし、逃げたりもしないよ」


 それでも諦めきれない私は再度、声を掛ける。何が出てきても受け入れようと覚悟を決める。


 そして十数秒程経った頃に茂みが揺れ、ナニカが姿を現した。

 夕日に照らされ、薄く黄金に輝く透けた黄色の身体。

 まるであの果実のようにまん丸かと思えば、少し楕円形で手のひらに収まるサイズのそれは――。


「スライム……?」


 ――スライム。

 前の世界において、ファンタジー作品などに良く出てくるモンスターそのものだった。

 こちらの様子を窺っているのか、ぽよぽよ跳ねてゆっくりと近づいてきたそれは、私からある程度の距離を空けて止まった。

 この世界を受け入れ始めていた私は、正体不明の誰かが人間ではなくとも妖精などそういう存在が出てくると思っていた。

 だからこうして出てきたのがファンタジー作品で人を襲ってくるスライムだったことに驚いてしまっているのだ。


 軽く混乱してしまった私とスライムは暫くの間、そのままの状態で見つめ合っていた。

 ……スライムに眼なんてものは付いていないので、これは推測でしかないが。


「えっと……ごめんね、ちょっとびっくりしちゃって……」


 そもそも言葉は分かるのかという問題もあるが、こうして出てきてくれたということはきっと分かってくれているはずだ。

 そして相手がどのような存在だとしても、こうして姿を見せてくれた誠意には応えたかった。


「……もう一度、お礼を言わせてね。スライムさん、本当にありがとう。私を助けてくれて」


 私は誠心誠意を込めて、感謝の気持ちを伝える。

 何が出てきても受け入れようと決めたのだ。相手がモンスターだとしてもそれは私にとっては命の恩人、何を恐れる必要があるというのか。

 残念ながら話すことはできないようだが、私の言葉にスライムは身体を揺らすようにして応えてくれる。

 ……その直後、私の腹の虫が鳴いた。


「あはは、お腹すいちゃったみたい。これ、ありがたく頂くね」


 手に持った林檎モドキを1度掲げるとスライムはまた体を揺らして応えてくれた。

 それを確認した私はこの世界に来てから2回目の食事へと移る。1度の食事にしては貧相だが、食べ物を求める体にとっては御馳走だ。それにこの林檎モドキはとても美味しかった。


「やっぱり……美味しい」


 溢れる果汁の甘みと程よい酸味がぼろぼろの体に染みる。

 それに今になって実感した辛さや寂しさ、他者からの優しさなどが胸の中に渦巻いていく。

 溢れ出した涙は私の頬を伝い、制服に染みを作っていた。


 これは私の人生の中で両親以外には見せたことがない弱さだった。

 私は涙を流しながら、溢れ出す果汁で両手が汚れることも気にせず、一口、また一口と果実を頬張る。

 するとどういうわけか全身の傷口が熱を持ちはじめる。


「えっ、何これ……」


 傷口がぼんやりと光り、塞がっていく。それと同時に全身を苛んでいた痛みが引いていった。

 やがて光が収まったときには、汚れて所々破けている服以外は元通りの私の体が存在していた。


「傷が塞がった? もしかしてこれのおかげ……?」


 驚きで涙も引っ込んだ。

 そして私は手に持っている食べ掛けの林檎モドキを見る。普通の果実にしか見えなかったけど、まさかこんな効果があったとは。

 何はともあれ、またこのスライムに助けられた。感謝してもしきれない。

 そして体が治り、立ち上がれるようになった今、決意を固める。


「スライムさん、完全に暗くなる前までにこの森を出ていくね。どこか町を探さないと……」


 こんな危険な野生動物がいる森で夜を明かすなんて絶対に御免だ。だから、すぐに森を出て行かないといけない。

 でも――。


「それで……ね。もしスライムさんが良かったらなんだけど、一緒に来てはくれないかな……?」


 思い切って勇気を出し、沸々と湧き出してきていた考えを切り出してみる。


「何を言われようとあなたを傷つけるような人を許さないし、ずっとあなたと一緒にいるよ……だから……」


 モンスターを仲間にすることにこの世界の人がどう反応するかは分からない。

 でも本当は口にしたかった、絶対に守り抜くという一言さえ紡げない非力な私が情けなくて、段々と言葉が尻すぼみになっていく。

 だがこんな情けない私に対しても、スライムは応えてくれる。

 約2メートルの距離まで跳ねながら近づいてきて、こちらの顔をジッと見上げてくるのだ。


「いいの……?」


 その時、不意に心の奥からこのスライムに名前を付けてあげたいという使命感や義務感のような衝動が湧き上がってきた。

 私はその不思議な感覚に身を委ねるようにして、スライムの名前を考える。


 ずっと助けてくれた恩人で私が今、生きているのはきっとこの子のおかげ。

 その体は夕暮れ時に沈みゆく夕日に溶け込んで消えてしまいそうな淡い黄色だというのに、私の何かを変えて、これからの人生を明るく照らしてくれる予感さえ感じさせてくれていた。

 そう、あなたの名前は――。


「……光華。あなたの名前はコウカだよ」


 その瞬間、私とスライム――コウカとの間に見えないけど、確かな繋がりを感じた。それはなんだか言葉では言い表せないほどに暖かくて、優しいものだった。

 そうすると一度は引っ込んだ涙がまた一滴溢れ、私の頬を伝う。でも今度は制服の染みが広がることはなかった。

 コウカが私にそっと近づき、伝い昇った肩の上で器用に涙を受け止めてくれたからだ。


「拭ってくれたの……?」


 コウカは何も答えてはくれないが、それでも胸の内に温かいものが広がった。


「……ありがとう」


 きっと今度は間違えない。

 この子をちゃんと大切にしようと私は自分の心に誓う。




 ――コウカ。

 これが私が生涯を共にする、かけがえのない存在との出会いだった。

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