04 伝えたい想い⑥
ユウヒの一人称視点です。
飛び出していったシズクを追い掛けるために家を出た私だが、勢いづいていた割には拍子抜けするほどあっさりと、シズクの姿を見つけることができた。
彼女は家を囲う塀に背を預けた状態で蹲っており、傍らに寄り添うコウカによってその肩を抱かれ、静かに慰められていたのだから。……きっとコウカがこの場所で引き止めてくれたのだろう。
一足先に私の存在に気付いたのもコウカの方であり、彼女は抱き寄せていた妹の頭を一撫でするとその場で立ち上がり、私の方へと向かってきた。
そうして、すれ違いざまにコウカによって軽く肩を押された私は、彼女と入れ替わるようにシズクの元へと向かう決意をしたのであった。
「隣、座ってもいい?」
私が問い掛けると、シズクは小さく頷いた。
膝を抱えて俯いている彼女の表情は、私からだとよく見えないが、少なくとも拒絶されるということはなかったため、ほんの少しだけホッとする。
家の中での一幕もシズクとしては意味不明だっただろうに、身に覚えのないことで糾弾されてもなお、これは破格の対応だ。
だが、彼女の好意ばかりに甘えてはいられない。
「さっきはごめん、シズクのことを思いっきり責め立てたりして」
「……もう疑ってない?」
「うん、全く。上手く説明できないけど、全部勘違いだったの。……ごめんね」
シズクからの返答はない。きっとまだ、疑われたショックから立ち直ることができていないのだろう。
信頼していた相手から疑われるというのは、シズクの心に大きな衝撃を与えたはずだ。……いや、それだけではない。私がシズクのことを疑ってしまったことで、この子が長年抱き続けてくれていたというひたむきな恋心を、私が認知していなかったという事実が浮き彫りとなってしまったのだから。
シズクの気持ちを知った今、思い返せば思い返すだけ、私に対するアプローチの数々が特別なものであったと理解できるというのに。
「……少しでもシズクのことを疑ってしまった自分が情けない」
そして私自身も、心の底から愛しているシズクのことを、あんなにも簡単に疑ってしまったことがショックだった。
全ては己の心の未熟さが招いてしまった過ちなのだ。
「誰にも取られたくない、独り占めにしたいって思っちゃったんだ。勘違いだったけど、シズクが私やヒバナたち以外の誰かと体を寄せ合っているというだけで、どうしようもなく嫌な気分になった。それで自分の気持ちを制御できなくて……意味も分からないまま、心にもないことをたくさん言ってしまったの」
自嘲したくもなる。普通の人よりも遥かに長い時間を生きていてもなお、自分の心の中に自覚できていない感情というものがあり、それにいいように踊らされてしまった結果、この子に向かってあんなにも酷い態度を取ってしまったのだから。
「でもね……私、やっと気付いたんだよ。あなたの想いにも、自分の気持ちにもようやく気付けたんだ」
「ぇ……」
「このドロドロとした独占欲も、嫉妬も……辛さも、苦しさも……愛おしさも全部、その根源はある一つの気持ちなんだって」
頭で理解しているようで、心による実感が伴っていなかった未知の気持ち。
この気持ちはいつの間にか私の心の中にあって、無意識のうちに少しずつ育まれていった。
「きっと、シズクたちに――優しくて暖かい家族に囲まれていることが唯々幸せで、充分に満足してしまっていた私はそれ以上の幸せがあるなんて考えることをしなかったから、気付けなかったんだと思う。でも一度自覚してしまったなら、もう自分の気持ちを疑うことなんてできないよね」
シズクたちは私にとって、他の何よりも大切な存在――家族だ。でも、そんな家族の一人とさらに“特別な関係”を築いたっていいんだ。
自分の気持ちを自覚した今なら、迷うことなく断言できる。
「――私はもうずっと前から、シズクに恋をしていたんだ」
言い淀むことも無くすんなりと口にできたが、一世一代の告白であることは間違いない。隣からも息を呑むような気配が伝わってくる。
決して軽い気持ちで言ったわけでもなく、この先一生、私が他の誰かに恋をすることなんてあり得ないということだけは、自信を持って言える。
そしてこの気持ちを自覚すると同時に、自分の犯した大きな過ちも浮き彫りになり、深い後悔も襲ってくる。
己の気持ちに向き合った後は、己の罪と向き合う番だ。
「……もっと早く気付いて、伝えてあげられたらよかったね。それだけで、シズクは辛い思いも、苦しい思いもしなくて済んだはずなのに……っ」
罪悪感によるものか、いつの間にか私の頬を涙が伝っており、声だって隠せないほど震えてしまっていた。でも、決して言葉を止めてはならないと自分を奮い立たせる。
「ずっと、不安だったよね……?」
自分が無自覚のうちにシズクのことをたくさん傷つけてしまっていたことなんて、簡単に想像できてしまう。たくさんの“好き”を伝えたところで、相手から何ひとつ“好き”が返ってこない。それがどれだけの不安を生むだろうか。
でも、私がどれだけ心無い対応をしてしまったとしても、シズクは一途に想い続けてくれていた。
そして私はそんな彼女に対して、遂に“恋なんてしたくなかった”という言葉を吐き出してしまうほどに追い詰めてしまったのだ。
「本当にごめんなさい……っ」
これが私の犯した罪だ。
だけど、本気で後悔しているからこそ、もう後ろを向くことはやめにしよう。
――だって、私たちが抱いているこの恋心は決して過去のものではなく、ここで終わるものでもない。これからも2人で育んでいくものだと信じているから。
「……でも、届いていなかったわけじゃない。何も返せなかったけど、シズクの“好き”は全部私の心に届いていたんだ。私の恋心はね、シズクの想いが育ててくれたものなんだよ」
私はうまく笑えているだろうか。
涙で視界が滲んでしまって、シズクの顔もしっかりと見ることはできないけれど、それでも私はちゃんとシズクと向き合っていたいと強く願う。
「ちゃんと向き合えるまで、こんなにも長く時間が掛かってしまったけれど……。それでもシズクが――ッ!?」
望むのなら――と続けようとしたのだが、そんな言葉は思わぬ形で途切れることになる。
まるで、悠長な確認の言葉なんて必要ないとでも言うように、私の体に強い衝撃が走ったからだ。
彼女は――シズクは涙を流していた。
私の首に手を回して、これでもかというほどに体を密着させてきたまま、しゃくりあげるように泣いていたのだ。
決して言葉にして伝えられたわけでもないのに、シズクの想いが痛いほど伝わってくる。だから私も、その気持ちに応えるように彼女の体に腕を回して、強く抱きしめ返した。
「……ばか。ユウヒちゃんのばか……っ。いまさらそんな確認の言葉が必要? あたしの気持ちを知っているんなら言葉なんてなくたって……っ」
「それでも、ちゃんとシズクの言葉で聞かせてほしかったんだ」
「――ッ」
頬ずりをするたびに、彼女の柔らかい髪によって私の頬が撫でられる。こそばゆい感覚が無性に心地よい。
そんな安心感と高揚感が混ぜ合わさったような不思議な感覚に身を委ねながら、私はシズクの言葉を待った。
やがて、シズクの口から言葉が紡がれる。
「……ずっと、ずっと好きだった。今も好き。この先も一生好き。ユウヒちゃんが好き……好きでたまらないのっ」
嗚咽で言葉を詰まらせながらも、シズクは必死に言葉にしようとしてくれていた。私はそんな彼女に返事をするように、背中に回した腕へとさらに力を込める。
「辛かった……苦しかった……なのにやっぱり諦められなかった。どんなに心が圧し潰されそうでも、ユウヒちゃんへの“好き”がそれを上回っちゃうの……っ」
とても大きくて、強い感情。しっかりと手綱を握らなければ、今にも暴れ出してしまいそうなほどに膨れ上がっている“好き”という想い。
私たちの気持ちはきっと同じだ。今、こうして一つの想いを共有できている私たちは、これまで以上に通じ合えているのだろう。
「好きだよ……好き、好き……っ」
「うん。私も好き……大好き」
もう誤解なんてとっくにないはずなのに、それからしばらくの間、私たちは互いの想いを確認しあうかのように「好き」という言葉を繰り返しながら、抱き合っていた。
その間もずっと、私はシズクの体を二度と離すまいというくらいの気概で必死に力を込め続けていたし、シズクもさらに強い力で私の体にしがみついてきた。
――いったいどれくらいの間、そうしていただろうか。
「……ユウヒちゃん」
不意にシズクから名前を呼ばれ、私は彼女の顔を覗き込むために少しだけ体を離した。すると彼女は涙で濡れた顔のままではあったが、それでも晴れやかな笑顔を私に向けてくれたのだ。
そんな顔ですら、私は美しいと思ってしまった。
「きっとあたしは今、幸せなんだよね? 頭の中がふわふわしてて、なんだか夢の中にいるみたいだけど……」
「これは、絶対に夢なんかじゃないよ」
「うん……わかってる。でも、そうだと確信するために“証”が欲しいんだ」
そう言って、シズクは目を閉じた。その行為の意味が分からないほど、私は鈍感ではない。だから私もまた同じように目を閉じて、ゆっくりと顔を近づけていく。
――そうして私たちは、初めてお互いの唇を重ね合わせた。
「ん……っ」
蕩けそうなくらい柔らかくて、蜜のように甘くて、ちょっぴりしょっぱい。そんなファーストキスだった。
唇から伝わってくる熱が、シズクの存在を教えてくれる。
初めての触れ合いはほんの数秒程度だったかもしれないが、とても長く感じられたし、心が満たされていくのがわかった。
シズクとの初めてのキスを終え、ゆっくりと体を離そうとする私。でも、シズクの方はまだ満足していないようで――。
「――んむっ!?」
一度離れたと思ったら、今度はシズクの方から唐突に、こちらを押し倒すような勢いで唇を重ねてきた。驚きで目を白黒させる私だが、彼女は構わず私の唇を貪る。
深い繋がりを求め合うかのようなキスだ。暴力的なまでの勢いに為す術もなく蹂躙され、私の心臓は一瞬のうちに激しく脈打ち始めた。
「ちゅ……んむ……っ」
こんなドキドキ、知らない。家族に対する愛情の中にはこんなドキドキ、存在しなかった。
「んぷっ……ぷはっ、ちょ、ちょっと待って……っ!」
自分とシズクの間に垂れた銀色の糸によって1つの橋がかかるのを見て、何だか耽美的な光景だなとか考えてしまったが、いやいやと頭の中からそんな思考を追い出す。
「んはぁっ……いやだった……?」
「い、いやではないけど……その、私……れ、恋愛とか本当にわからないから……っ」
「……ん、そっか。不安なんだ」
そう口にするシズクだが、彼女自身どこか安心しているように見えるし、私を見る目は微笑ましげだ。
「ユウヒちゃん、今すごくドキドキしてる」
いくら自覚があるとはいえ、相手から指摘されるとどうにも居たたまれなくなる。
多分、今の私は昂ぶり、耳の先まで真っ赤になっているのだろう。
「安心して。あたしもおんなじだから」
そう言って、シズクは私の手を取って自分の胸へと導いた。
――残念ながら、手のひらに伝わってくるのは熱すぎるくらいに高まっている彼女の体温だけだったが。
「ユウヒちゃんにも、あたしのドキドキを直接伝えられたらよかったね。でも、こればっかりは仕方ないや」
スライムであるこの子には心臓というものがないから、そのドキドキを直接聞いたり、感じたりすることはできない。
「それでも、ユウヒちゃんならわかってくれるでしょ?」
「……うん。伝わってきたよ、シズクのドキドキも」
「ふふ、そうだよ一緒。あたしたち、おんなじ気持ちだよ」
シズクも私と同じように不安に思っているし、緊張もしている。初めてなのだから当たり前だ。
ただ、それ以上に興奮が勝っているだけなのだろう。
「だから、2人で一緒に“恋”を知っていこうね」
「そうだね。これから一歩ずつ、ね」
私たちはまた唇を重ね合わせると、互いの存在を確かめるように体を抱き寄せた。
――こうして、私たちの長い初恋はようやく実を結んだのであった。
◇
一連の行為の後、家に入った私とシズクを待っていたのは、床の上で正座をし、大きく頭を下げている5人の姿だった。
「ごめんなさい」
中央に座っているのは、装いこそ普段の彼女らしいものへと変わってはいるものの、視覚的な印象としてはその片割れへと大きく寄ってしまっているヒバナである。
私と腕を絡ませ合っていてご機嫌だったシズクも、この一瞬で状況を理解したようである。
「みんなに計画を持ち掛けたのは私よ。……赦されるような事じゃないのも理解してる。シズの意にも反しているし、2人を騙すような真似をしたんだもの……っ」
今にも泣き出しそうな震えた声で、気丈に振舞うヒバナ。その計画とやらを実行するのも、彼女にとっては苦渋の決断と呼べるものだったはずだ。昔から変わらず、この子は難儀な性格をしていると思う。
……実際のところ、ヒバナの立てた計画がなければおそらく、私はシズクの気持ちに気付くまで途方もない時間を費やすことになっていただろう。
それまで果たして、シズクの心が堪えられたか。
「ボクは染料の調合と、主様の誘導役を担当したよ……」
「アンヤは変装の手伝いと、見張り役を担当した……」
「わたくしは衣装の調達と~伝達役を担当しました~……」
「わたしは計画の後押しをして、ヒバナの相手役も担当しました……」
己の罪を懺悔するかのように、ヒバナ以外の全員も沈痛な面持ちで言葉を発した。
「言い訳をするつもりはないわ。……ど、どんな罰でも受け入れるつもり……っ」
この子たちに騙されたというのはハッキリ言ってショックではあったし、正直に言うと憤りを感じていないわけでもない。
でも同時に深く感謝しているし、実際にこうしてシズクと恋仲になれた今、本気で罪悪感を抱いている様子のこの子たちを糾弾する気にはなれない。
私の気持ちとしては、このまま赦してもいいと思う。きっとシズクも、表面上は険しい表情を浮かべてはいるものの、同じ気持ちを抱いているはずだ。
――だから5人の気持ちを慮ると、このままただ赦すだけではいけないという考えも、共通している。
何故なら、罪を清算するために相応の罰というものが与えられなければ、みんなはずっと私たちに負い目を感じながら生き続けなければならなくなるからだ。この状況で必要なのは、双方痛み分け――つまり“お互い様”と後々笑い話にできるような決着の付け方である。
「シズク、どんな罰でもいいんだってさ。どうしよっか」
「……結果として丸く収まったものの、あたしもユウヒちゃんも相当傷付いたわけだし、みんなには同じくらいの体験をしてもらおうかな」
罪状を言い渡される前の罪人のように、私たちのやり取りを黙って聞いていた5人の体に力が入ったのがわかった。
シズクもノリノリというか、意趣返しができるのをちょっと楽しんでいるのかもしれない。
「それじゃあひーちゃん」
「……ええ」
「ひーちゃんは……そうだなぁ、今日から3日間、ホーンテッドダンジョンで寝泊まりでもしてもらおっかなぁ……」
ヒバナ以外の4人がギョッとした。罰を言い渡された本人も唖然としている。
きっと全員が「罰というのはこのレベルの話なのか」と戦慄しているに違いない。
「――え」
ヒバナはみるみるうちに全身を震わせ始めた。その表情は恐怖に染まり、周りの姉妹たちも声には出さないものの、減刑を求めるような視線をシズクへと向けている。これが自分たちに与えられる罰の基準となるのだから、それはもう必死だ。
幽霊を天敵とするヒバナにとって、これ以上の罰はそうそうない。でも、私たちが受けたショックの度合いを知ってもらうにはちょうどいいと言えるだろう。
「ま、待って……むり、むりよぉ……」
「ひーちゃんに拒否権はないから」
「わたし、ほんとうにだめだからぁ……っ」
悲しいかな、いくら周りに救いを求めたとしても、ヒバナを助けられる味方は誰一人としていないのだ。
この場にいる全員が、3日経った後のヒバナの精神と彼女の尊厳が無事であることを祈ることしかできない。
「それじゃあ早速だけど、寝間着とお布団を持ってノドカちゃんの転移魔法で送ってもらおっか。……ノドカちゃんも文句はないよね?」
「も、もちろんありません~……!」
ノドカにも拒否権などない。酷く顔色を悪くしている今の彼女はきっと、自分の番にいったいどんな罰を言い渡されるのか気が気でないはずである。
「ヒバナ姉様、頑張って」
「アンヤたちも頑張る、から」
「きっとわたしたちは3日後に笑顔で再会できる……はずです」
激励とも諦めとも取れるやり取りを見て、シズクの口角は僅かに吊り上がっている。多分、かなり楽しくなってきてしまっているのだろう。
「じゅ、準備できました~」
「ご苦労様。それじゃあひーちゃん、気を強く持って乗り越えてね」
満面の笑顔のシズクに見送られ、転移の瞬間がすぐそこまで迫ってきていることを察知したヒバナは――。
「や、まっ――いやあああぁぁぁっ!」
――辺りに響き渡る悲鳴を残して、その姿を消してしまったのであった。
まあ、このすぐ後に4人分の悲鳴がそこに加わることになるのだけれど。
◇
さて、私とシズクが紆余曲折の末に恋仲となった後も、そこで2人の関係性が停滞してしまうなんてことはない。
この感情を自覚してしまった私の胸の奥底からは際限なく欲望が溢れ出てきて、シズクとのもっと深い繋がりを求めた。それは精神的な話だけではなく、身体的な話でもある。
家族のみんなからのサポートも手厚く、愛と恋に包まれて本当に幸せな時間を過ごせてきたと思う。
たしかに困難が意外なところに潜んでいることもあった。でも、私たちの愛はそれを乗り越えるのに十分すぎるほどの力を有していたし、むしろその困難がより愛を深めるスパイスとなってくれる。
恋と愛を以て、また少しずつ成長を続ける私たち。ほんの緩やかな変化ではあるが、着実に変わり続ける日々を送っている。
そんな日常を私は愛おしく思う。
そして――。
「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、互いを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
――無事に迎えた今日という日に、数多の祝福を受ける中、私たちは永遠の誓いを交わすのであった。




