04 伝えたい想い④
三人称視点です。
心機一転、自分の周囲にいる者たちを頼るという大きな決断を下したシズク。
その後の姉妹たちの行動は早かった。
シズクに対して、姉妹たちは手始めにいくつかのアプローチ計画を提示する。
だが、こんなものは序の口で、彼女たちがおすすめするアプローチ計画を紹介している間にも、計画の詳細が記された資料が次々とダンゴとコウカの手によって積み重ねられていっている。
それらの計画は、シズクが自分たちを頼ってくれた時に備えて以前から温めておいた計画たちであり、全てが出揃った後には思わずシズクも目を剥くほどの量が積み重ねられていた。
あくまで主体はシズクであるということもあり、彼女の意見を尊重しつつ、まずは各々が考えていたアプローチ計画に一通り目を通していき、内容を吟味していく。
そうして、最初に実行する計画が遂に決定した。
早朝、早起きが得意な姉に背中を押されたシズクは、ユウヒの寝室へと一歩を踏み入れる。
その行動はシズクからすると、珍しいの一言に尽きる。今まではユウヒが部屋を出た後に中へと忍び込み、部屋の主の温もりが僅かに残るベッドに潜り込むのが常であったが、今回はそこから更に一歩を踏み出したような形だ。
既に習慣化されていた行動を変えるのはとても勇気がいることだ。こうしてシズクが勇気を持って踏み出せたのは、ひとえに姉妹たちの支えがあってこそである。
しかし勇気を振り絞って、ぐっすりと就寝中のユウヒのそばへと近寄ったはいいものの、いざ呼びかけようとすると、緊張から喉が引き攣るような感覚に陥り、蚊の鳴くような声しか出てこなかった。肩を揺する力も、ユウヒを夢の世界から現実へと引き戻すには、いささか弱すぎると言わざるを得ない。
――そんな彼女の背中を押す役目を担うことになったのはスライム姉妹の末妹だ。
シズクの背後へ音もなく忍び寄った彼女は一言「……じれったい」と紡ぐと、弱腰になってしまっている姉の背中を物理的に突き飛ばしたのである。
それほど強い力ではなかったが、背後からの完璧な不意打ちを受けたシズクはバランスを崩し、踏ん張ることもできずにユウヒに覆い被さるような形で転倒してしまう。
寝惚けたユウヒによってベッドの中へと引きずり込まれたシズクは、慌てふためきながらも温もりを甘受していた。
なお、この光景を生み出すために一役買った長姉と末妹はというと、無言でサムズアップを交わし合っていたとか。
これは彼女が実行に移したアプローチ計画のほんの一部に過ぎない。
次にシズクが実行したのは、今までほとんどやったこともない料理をして、ユウヒのためにオムライスを作るという行動だ。
これだけでも、2つの行動からは共通点を見出せる。それは“普段の行動からさらに一歩を踏み出す”や“普段とは全く別のことをする”といったもの。
とにかく、シズクが直接的な告白を好まない以上、まずはユウヒの意識を変えなければ何も始まらないというのが姉妹の共通認識であった。
普段とは様子が違い、変わった行動を取っているシズクを見れば、自ずとユウヒも疑問を抱く。
それだけでシズクが恋心を抱いているという答えに、ユウヒが辿り着けるかと問われると、誰もが無理だと答えるだろう。ユウヒに察する力があれば、そもそもここまで拗れてはいない。
とにかく、ユウヒの精神構造に何かしらの変化を及ぼすことができればいいと姉妹たちは考えているのだ。
下手な鉄砲も数撃てば当たると言う。それまでは多種多様なアプローチを仕掛け、最終的に一石を投じることができれば御の字くらいの心持ちである。
そんなことを続けていくと、目に見えて変化が訪れた。それも好ましい方向へと。
様々な手法でアプローチを続けるシズクが、次第に前向きになっていっているのである。これまで保守的なアプローチによって、停滞を続けていた自覚があるシズクにとって、次々と新たなアプローチに挑戦しているという現状は、彼女の心に“前に進んでいる”という充実感を与えてくれているのだ。
そんなシズクを見ている姉妹たちも、随分と嬉しそうな面持ちだった。
――しかし、同時に好ましくない現実も見え始めている。
やはりというべきか。現状、ユウヒの方には何かしらの変化の兆しも、とらえることはできていない。
もちろん、アプローチの手法はまだまだ用意されているので悲観するには時期尚早と言えるだろう。だが、この状況を深刻に捉えている者がいた。
ここで手をこまねいていれば以前の二の舞だ。結果の見えないアプローチの末に待ち受けるのは諦観だけであり、いずれシズクは何かしらの逃避の道を探し始めてしまうかもしれない。
前回、シズクが陥ってしまった深淵。そこから一度は彼女を引き上げることができた。とはいえ、このまま機を逸することになれば、シズクに再起を促すことがさらに難しくなってしまうだろう。
「臆病なシズ……あなたがこんな生ぬるいアプローチを続けるばかりで、あくまで自分の気持ちを言葉にして伝える気がないんだったら、こっちにも考えがあるわ」
だから彼女――ヒバナは覚悟を決めた。使うことがないのなら使うことがないままでいいと、シズクに秘匿していたとある作戦を実行に移す決断を下したのだ。
◇◇◇
ヒバナが、ユウヒとシズクに隠して事を進める場所として選んだのは、“別邸”と称される女神の公務でしか使われない屋敷の客室だった。
この場所は神界で暮らす精霊はもちろんのこと、ユウヒたちも用がなければ立ち寄ることがないような場所だ。隠れて何かをするのにはうってつけだった。
この客室の中にいるのはヒバナだけではない。彼女の作戦に協力することを決めたコウカ、ノドカ、アンヤの姿もある。
普段の彼女たちであれば、雑談の一つでも交わしているところであろうが、今は誰もがどこか真剣な表情を浮かべており、言葉数も少ない。
静寂が場を占める中、コツコツという足音が扉越しに聞こえてきて、部屋の中にいる全員の視線が自然と部屋の入口へと集まった。
隠れて何かをしているにもかかわらず、彼女たちの表情を見渡してみても焦りは浮かんでいない。
――何故なら、それはもう一人の協力者の足音なのだから。
「染料の用意ができたよ。この色なら、ヒバナ姉様の髪質と合わせると、かなり自然な発色になると思う」
「さすがね、とてもいい出来だわ」
「……うん」
木製の扉を開いて、客室の中へと入ってきたのはダンゴだ。彼女の右の手のひらには陶器のプレートが載せられている。
ゴトッ、という音を立ててテーブルの上に置かれたプレートには、ヒバナの注文通りに調合された青色の染料があった。
この染料の到着を以て、彼女たちの作戦は引き返すことができない段階まで移行していくことになる。
ヒバナはその場で衣服を脱ぎ始め、それをノドカへと手渡す。その間に、コウカの手によって調度品の椅子が部屋の中心へと運ばれた。
受け取った衣服を綺麗に畳み終えたノドカの表情は浮かない。心配事があるのだろう。
「あの~ヒバナお姉さま~。せめて~……シズクお姉さまに~一言くらいは~……」
「ダメ。シズにはありのままの感情を引き出してもらわないといけないの。だからこの作戦のことは絶対に伝えないで」
「……わたくし~、変装用の服の用意をしておきますね~……」
下着姿となり、運ばれた椅子に腰掛けたヒバナは毅然とした態度で、妹からの提案をきっぱりと却下した。ノドカはそれに怒るわけでもなく、言いたいことを飲み込むと、すごすごと引き下がった。
次にヒバナへと近づいていったのは、ノドカと似たような表情を浮かべたアンヤだ。
彼女の右手には銀色に輝くハサミが握られている。
「……本当に切るの?」
「ええ、ばっさりと一思いにね」
「……やっぱりもったいない。ウィッグだと、だめ?」
「それだと万が一ってこともあるでしょ、絶対に失敗はできないの。それに、これは私のケジメでもあるわ」
手先が器用だからとその役割を与えられたアンヤは観念した様子で、左手を使ってヒバナの赤い髪を一房掬うと、右手を動かし始めた。
カチカチ、という音だけが部屋中を支配しようという中、それまで黙って成り行きを見守っていたコウカが声を発する。
「ヒバナ。自分の発案だからって一人で全ての責任を負おうだなんて考えないでくださいね。わたしたちは一蓮托生。ここにいる全員がそれを理解したうえで、この作戦に乗り掛かったんですから」
「……そうよね。ありがとう、コウカねぇ。あなたたちも。……正直、どれくらい怒られるのか、今から不安でしかたないわ。1ヶ月口を利かないなんて言われたら泣いてしまうかも」
「一ヶ月で済めばいいですけど……まあ、覚悟だけはしておきましょうか」
ヒバナの足元に散らばる赤色がその割合を増していく中、既に後戻りはできないと、その場にいる全員が決意を固めていた。
◇◇◇
その日、魔法学の権威であるシズクはとある都市で開催される大きな学会に参加するということで、地上界へと赴いていた。
人間に対して秘匿している技術も多いが、同時に多くの教え子も抱えている彼女は人間の学者から意見を求められることも多い。当然、参加要請が寄せられたというわけだ。
一方、ユウヒはというと、定期的な挨拶回りの為にいくつかの街を巡ることになっていた。本人の人柄もあるが、女神であるユウヒはとにかく顔が広く、公務の一環としてこのようなことをするのは珍しくもない。
ただ普段と違う点を挙げるとすれば、今日は秘書の役割を担っている精霊が休暇を取っていて、代わりにダンゴが同行しているという点だ。
そして偶然にも、今日の挨拶回りのために5回目にユウヒが訪れたこの街は、シズクが参加している学会が開かれている場所でもあった。
「――シズクも今頃がんばっているのかなぁ」
この街における用事も一段落し、少し観光してから立ち去ろうとしていたところで、不意にユウヒが学会の開催場所の方へと顔を向け、どこか遠い目をしていた。
それを横目に確認したダンゴは軽快な笑い声を上げると、ユウヒの方へと向き直る。
「シズク姉様のこと、気になる?」
「まあね。真剣に魔法と向き合っているシズクってすごくかっこいいし……それで気付けば色んな人に頼られる立派な先生になっているわけだし。……あの子は恥ずかしがって“先生”として慕われている姿をなかなか見せてくれないから、余計にね」
そう言って微笑むユウヒ。彼女の頬を温かい風が撫でる。
一方で軽く目を見開いていたダンゴは一瞬だけ、後ろめたさを感じさせる表情を浮かべたが、すぐにそれを振り払うとその場で180度転回して、真剣な面持ちで正面を見据えた。
――作戦実行の合図は既に受け取っている。
「……ねえ、主様。あれって……シズク姉様じゃない?」
その時、ユウヒの心の内を占めたのは喜びだったのだろう。彼女は弾かれたように、ダンゴが指さす方向へと視線を向けた。
そして――。
「――え?」
ユウヒの思考が停止する。
だって彼女の視線の先にいたのは見覚えのある後ろ姿を惜しげもなく晒した青髪の少女であり、その少女は――隣を歩く見知らぬ誰かの腕に抱き着き、その誰かの横顔を見上げながら弾けんばかりの笑顔を向けていたのだから。
一朝一夕では醸し出すことができないような仲睦まじい様子を見せる一組のカップルの姿がそこにはあった。
だが、ユウヒが立っている位置からだと、そのカップルへは50メートルほどの距離がある。心の安寧を守るために、まだ見間違いだという逃げ道を用意することはできた。
しかし、そんな甘えなど見過ごされるはずがなく、即座に追い打ちをかけられることになる。まるで青髪の少女の声を強調するかのように、周囲の音の中からその声だけが切り取られ、ユウヒの耳へと飛び込んでくるのだ。
『ねえ、次はあっちの方に行こうよ。……え? 大丈夫、時間のことは心配しないで。夜ごはんはいらないってひーちゃんには伝えておいたから。……それにあたし、まだまだ帰りたくないな。もっとあなたと一緒にいたいよ。だってあなたはあたしの――』
彼女にとって聞き馴染みのある声だった。大切な人の声だった。聞き間違うはずがない。背丈も同じで、その身に纏う衣服だって、件の少女が今朝、着ていったものと同じではないか。
その事実を目の当たりにしたユウヒは、目と耳を塞ぎ、その場で蹲りたくなる衝動に駆られる。
「主様、もう帰ろう!」
そんな彼女の手を取って、そのカップルとは逆側に駆け出したのはダンゴだった。
どこか虚ろな目をしているユウヒの手を引き、必死に足を動かすダンゴがぼそっと誰かへのメッセージを紡ぐ。
「中止して。これ以上はダメだよ。……もう十分すぎる」
◇◇◇
その日の予定を急遽、中止したユウヒとダンゴは神界へと帰ってきていた。
自宅へと戻り、ダンゴは呆然としたままのユウヒをリビングのソファへと座らせる。ダンゴが何度か声を掛けるが、曖昧な反応しか返ってこない。
頭の中は混乱が渦巻き、心は大きな絶望感が占める。そして、その理由をユウヒ自身、理解できていないのだ。
「今日はみんな、まだ帰ってこられないって。だからボク、何か食べられる物を買ってくるね。……待ってて」
そして、しばらくの間は消極的なメンタルケアに努めていたダンゴも断腸の思いでその場を去る決意をする。
ここまで追い込んでしまった以上、あとは心を鬼にして、やり遂げるしかない。
こうして夜闇が迫る中、ユウヒは部屋の中で一人きりになってしまった。
続きます。




