04 伝えたい想い②
三人称視点です。
神界騎士団は規律の緩い組織で、そこに所属する精霊たちも昔から和気藹々とした雰囲気の中で活動を続けてはいるものの、決して日々の鍛錬を欠かすことはない。
所属する精霊たちの根底にあるのは他者と競い合いたい、強くなりたいという想い。誰もがより強くなるための努力を惜しまないのだ。
そんな同じ志を持った団員同士、時には実戦形式での稽古を行い、立ち合い相手からのアドバイスを参考にしながら技術を磨くこともある。
そしてこの日も、神界騎士団が草原の一角を借りて作った訓練場では、団員たちが所々で各々稽古を行いながら汗を流していた。その中でも、思わず周囲の者たちが手を止めて見物してしまうほど、特に激しい立ち合いが繰り広げられている場所がある。
「――これで勝負ありですね」
「ぐっ……参りました」
互いに睨み合いを続けていた2人の精霊。両者ともにその得物は剣であり、片方の剣は切先を地面に向けたまま、もう片方の剣は切先を相手の眼前に突き付けたまま静止していた。
だがその緊迫した雰囲気も、眼前に突き付けられた剣が下ろされた直後に霧散する。
「うん、随分と判断が早くなりましたね。ちゃんと前回指摘させてもらった点も改善されていて、新たな課題も見えてきました。まずは決着がつく3手前――」
柔和な表情を浮かべて、穏やかそうな雰囲気の中で始まった反省会。神界騎士団の名誉顧問でありながら、指導役を務めている少女――コウカは団員たちにとっては憧れの存在だ。
そんな彼女からの指導を望む者は後を絶たず、今指導を受けている精霊も前回コウカと立ち合いを行ったのは実に数ヶ月前という有様である。だから一言一句、一挙一動を見逃すまいと集中して今回の稽古に臨んでいた。
実力を伸ばすためなら、時にはストイックにもなれる彼ら彼女らではあるが、何も戦いだけに比重を置いているというわけではない。
神界に住む精霊たちは調和を重んじる傾向にある。神界騎士団の団員たちだって人並みに他者との交流を好み、周りの者たちとの関係性だって大切にしている。友情を育み、時には愛情だって――。
「――差し入れを持って来たわよ。一旦休憩にしない?」
その時、騎士団の訓練場に現れたのはそれぞれが軽食の入ったバスケットを持った一団だ。先頭に立つ少女が代表して声を上げ、バスケットを軽く掲げてみせると団員たちも和やかなムードに包まれる。
彼女たちは“料理部”と呼ばれる者たちで、神界における公共団体への食事提供も担っているほどには大きくて立派な組織に所属する精霊たちである。
だが今は、仕事ではなく私事でこの場所に来ていると言っていい。神界騎士団への差し入れはあくまで、頑張っている彼らを応援したいという有志が集まったことで始められた個人的な活動の一環だ。
芝生の上に広げられたシートの上に飲み物や食べ物を並べ、ぞろぞろと集まってくる団員たちにそれらを提供していく料理部所属の精霊たち。
だが中にはそれぞれの組織に所属する者同士がペアとなって、仲睦まじい様子で寄り添いあう姿も散見されている。
「ヒバナ」
「ええ、行きましょう」
そして、ここにもまた1組のペアが生まれ、肩を並べながらまるで人気の少ない方向に誘われるかのように、そっと皆の輪の中から離れていった。
「今日はフルーツサンドにしてみたの。コウカねぇの分は私が作ったわ」
「おぉ、レモンサンド! もう、ちゃんとわかっていますね、ヒバナも」
ヒバナから受け取ったおしぼりで手を拭いたコウカは、目を輝かせながらフルーツサンドを手に取る。
「いつからコウカねぇの為に料理してきたと思ってるの。それに食べる前からはしゃぎすぎなのよ、まったく」
そんな小言を挟みつつも、姉がフルーツサンドを口に運んでいる間、ヒバナは《ストレージ》から取り出したふわふわのタオルを使って、甲斐甲斐しくもコウカの額の汗を拭ってあげていた。
「んぅ~! やっぱりヒバナのレモンサンドは格別ですね。はい、ヒバナもどうぞ一口。あーん」
「あ……ん、悪くないわね」
コウカから差し出された食べ掛けのフルーツサンドを口で受け止めたヒバナは、咀嚼しながら頷いている。
そんな彼女の様子に笑みを深くしたコウカは、ごく自然な動きで妹の腰に手を回すと、ヒバナの華奢な体を自分のいる方へと力強く抱き寄せた。
「んっ、こら」
「もうちょっと。いいじゃないですか」
運動後ということもあってやや体温が上昇しているコウカと元々の体温が高いヒバナ。密着する両者は共に相手が持つ熱を感じ合っていた。
口では抗議していたヒバナも既に、抱き寄せられた体勢のまま全体重をコウカへと委ねきっている。だがそれだけにとどまらず、しまいにはまるで甘えるように自らの側頭部を姉の肩に擦り付ける仕草まで見せる始末だ。
次第に口数も減り、誰にも入り込めない2人きりの世界を構築していくコウカとヒバナ。
スキンシップも徐々にエスカレートし、見つめ合いながら上気させた互いの顔に手を伸ばしたところで――シズクは観察することをやめた。
「……偉そうなことを言っておいて。ひーちゃんとコウカねぇも大概なくせに」
不貞腐れた様子のシズクは木陰で乱暴に腰を下ろすと、己が片割れへの不満をあらわにする。
コウカとヒバナの関係性は特殊なものだ。互いに家族として、姉妹として大切に想いあっていることは疑いようがない。だが、2人きりの時間を過ごす彼女たちの間に漂う雰囲気やスキンシップは、家族として些か行き過ぎているところがあった。
しかも、困ったことに本人たちは全くの無自覚のまま2人だけの世界の中で過ごしているのだ。
確かにコウカたちは家族間で抱き合ったり、頬に軽く口づけを落とすことくらいのスキンシップなら平気で行う。でも、それ以上――間違っても今のように、向かい合って膝の上に座りながら触れ合うようなスキンシップを取ることはない。
悲しいかな一度、“これは家族に対する愛情だ”と己の気持ちを一つの枠組みに落とし込むことで納得してしまった両者は、他の家族たちに対する愛情とは少し違う部分もあることに、気付くことができなくなってしまったのだ。
家族としての愛情もしっかりと抱いているのもたちが悪い。そうして己の気持ちを少し勘違いしたまま1600年以上も過ごしてきてしまったものだから、今さら第三者に指摘されようとも、“家族なんだからこれくらい普通でしょ”としれっと答えてしまう。……他の家族に対して、それほどまでに過激なスキンシップに及ぶことはないというのに。
本人たちにとっては完全に無自覚な両想いが故、変に拗れることもなく非常に良好な関係へと発展しているが、それを近くで見守っている者たちにとっては、なんとも釈然としないところがあった。
「いいなぁ……」
そんな自分の気持ちすらも勘違いしている片割れから、現状を批難されたシズクとしてはつい反発したくもなってしまうが、心のどこかではヒバナとコウカの関係性に憧れてしまってもいた。
「……シズク姉さん? こんなところで何をしてるの?」
「えっ……。ああ、アンヤちゃん。それにシリスちゃんも」
「こんにちはなの、シズク」
膝を抱え、蹲るように座っていたシズクの前に現れたのは、末妹のアンヤと聖龍のシリスニェークだった。
絡め合うように腕を組んでいる彼女たちの仲睦まじい様子に頬を緩ませたシズクは、アンヤからの問いに答えるために腕を伸ばし、ここからやや離れた場所を指し示した。
「……コウカとヒバナ?」
「うん、観察していたの。今日も随分と仲が良さそうでしょ? まあ、ここに来たのはただの気晴らしだったんだけど」
「そう」
合点がいったという様子で頷いたアンヤ。その腕をシリスが引っ張る。
「仲の良さで言えば、シリスとアンヤも負けていないの」
「ふふ、そうだね。2人はいつも仲良しだもんね」
「当然なの。シリスとアンヤはいずれ番になる関係なの」
自信満々にそう言い切ったシリスにすかさずアンヤからの指摘が入る。
「……約束はしてない」
「アンヤも満更じゃないはずだって信じているの。それに安心してほしいの、ちゃんとアンヤが納得してくれるまでは何千年でも待つつもりなの。でも、どうか老龍に仲間入りするまでには答えを出してほしいの。シリスたちの子孫を残せなくなっても困るの」
「気が長すぎる」
「それだけ一途な想いなの」
性格的な波長が合うということもあって、昔から仲の良かったアンヤとシリスだが、その関係性も徐々に変わり始めている。主にシリス側からのアプローチによって。
年月の経過に伴い変わっているのはその関係性だけではない。身体的な成長というものが存在しないアンヤとは違い、シリスの体はゆっくりとではあるものの成長し、人の姿に変身した状態における身長比もいつの間にか逆転している。
だが身体的な成長があるという事実は同時に、シリスに“老い”という避けられない運命が待ち受けているということも意味していた。
(そっか。アンヤちゃんとシリスちゃんに残された時間は人間の尺度で測れば、気が遠くなるくらい長い時間。……でも永遠じゃない。それが普通のことなんだよね)
思うところがあったのか、シズクは俯きながら拳を強く握り込んだ。
今の彼女はいずれ訪れる彼女たちの別れを想像して心を沈ませると同時に、どこかでは安堵していた。自分とユウヒは、時間によって引き裂かれることはないと。
しかし、その考えは彼女を“逃げ道”へと誘う考えでもあるのだ。
「というわけで、アピールの一環で今日もお弁当を作ってきたの」
「……多い」
「大丈夫なの。ほとんどシリスが食べる分なの」
シズクが視線を上げると、いつの間にか己の身長よりも巨大な重箱が用意されていた。どこで学んだのかは分からないが、“人の心を掴むにはまず胃袋から”という言葉に感銘を受けたシリスは、料理することを覚えたのだ。
結局、あまりアピールにはなっていないようだが、アンヤと一緒に重箱を突いているだけでシリスも満足そうなので、今はこれでいいのだろう。
「シズクも一緒に食べるの?」
「……ううん、あたしはいいよ。またうちに遊びに来てくれた時に何か作ってもらおうかな」
「そういうことなら、また近いうちにお邪魔するの」
気を利かせたシズクは、おとなしく退散することを選んだ。今の精神状態では、彼女たちと過ごすとなんだか気が滅入りそうだという予感がしたということも大きい。
気晴らしにのどかな草原に足を運んでみたはいいものの、未だ気分が晴れる気配はなかったので、シズクはその足で散歩を続けることにした。
続きます。




