03 交響師カノンの旅路③
続きです。
アンヤ様に招待されて、聖教国を目指すようになってから既に数週間。期限も特に設けられていなかったので、ゆったりとしたペースで聖教国へと続く道を進んでいきます。
辿り着いた先で何が待ち受けているのか。パー様は何かを知っているようにも見受けられましたが、わたしからの追及は飄々と躱されてしまって、結局何も教えてもらうことはできず。嫌がらせということはまずありえないので、真実は自分の目と足で確かめろということなんでしょう。
「うーん……転移してきたのはいいけど、本当にこの辺りにいるのかな」
「でも~シズクお姉さまの予測ですよ~?」
「いくらシズク姉様でも、こんな広い地上界の中からピンポイントで人探しは無理だって。……しょうがないし、そこにいる子に尋ねてみようか」
背後から不意に話し声が聞こえてきたので振り返ると、どういうわけか2人組の女の子がすぐそこに立っていました。おかしいですね、特にすれ違った覚えもないんですが……。
「ごめんね! キミたち、ちょっと時間いいかな?」
2人組のうち、小柄な子の方がわたしたちに声を掛けてきたかと思うと、小走りで近付いてきました。
「実はボクたち、人を探しているんだ。えっと……年齢はキミくらいになるのかな。交響師の女の子なんだけど、ちょうどキミみたいに風の中精霊と水と闇の小精霊を連れた4人組で旅をしていて……ってまさにキミじゃん!?」
その小柄な子は、わたしと契約している精霊様たちを見渡した後に、驚いた様子で声をあげました。どうやら探し人はわたしだったようです、全く身に覚えはありませんが。
小精霊の2人が騒いでいるので、相手の名前が“ダンゴ様”であることはわかりました。
「うんうん。コンにニャク、パーも元気そうで何よりだよ。それでキミがカノンだね。はじめまして、この間は妹が世話になったね」
「……妹さん?」
相手から差し出された手を取ったあとに、わたしは首を傾げてしまいます。はて、誰のことを言っているのでしょうか。
「ああ、自己紹介がまだだったかな。ボクはダンゴ、キミにとっては地の精霊姫っていう呼び方の方がしっくりくるかもね。それでこっちにいるのがノドカ姉様」
「はじめまして~風の精霊姫をやらせてもらってます~」
小柄な子――ダンゴ様の隣に並び立ったふわふわとした女の子。彼女たちの言葉とわたしの中の記憶が線で結ばれていって合点がいく一方で、あまりの非現実的な出来事に脳が理解を拒もうとしています。
そうして限界を迎えつつあったわたしの思考はある一点に釘付けになります。ノドカ様の腕に抱きかかえられているぬいぐるみ。
ぐてーっとした緩い表情を浮かべるそれはまさに――。
「ユルマル!」
「んふふ~好きなの~?」
「はい!」
――ミンネ聖教団のマスコットキャラクターにして、世界的な人気を誇るユルマル。わたしは村にいた頃からユルマルのことが大好きで、旅の中でも行く先々でユルマルのご当地グッズを買い集めるほど、このキャラクターには目がありません。
「じゃあ今日は~そんなあなたに――」
「ノドカ様、ノドカ様、ノドカ様ぁっ!」
「――きゃあっ、パーちゃん~?」
わたしの視線の先からユルマルが消えました。いえ、どうやらパー様がノドカ様に抱き着いたことで視界から外れたようです。風の精霊姫さまのことが大好きだとは聞いていましたが、まさかここまでとは。
でもそのおかげもあって、ようやく正気に戻ることができて、同時に精霊姫様に対してすごく失礼な態度を取ってしまっていたと反省しました。
平謝りするわたしですが、ダンゴ様は寛大な心で許してくれました。そして、わたしを探していたという理由も教えてくれたのです。
「パーたちが一緒にいるとはいえ、そのまま聖都まで来られても余計な手間をかけさせるかもしれないから、保険代わりにこれを渡しておこうかと思ってね。……アンヤってば、そこまで気が回らなかったみたいでさ」
そう言って手渡してくださったのは、一枚の封書です。
「聖都には宮殿があるから、辿り着いたらそこにいる門番にそれを渡して。こっちからも話は通しておくから、面倒事にはならないはずだよ」
致せり尽くせりというか、わざわざわたしの為にここまで足を運んでくれたという事実には感謝しかありません。
封書をありがたく頂戴しつつ、わたしが感謝の意を言葉にして伝えると「こっちが招いたんだからそれくらい当然だよ」という言葉を返してくれます。
「ここから聖教国までは距離があるけど、ゆっくりと旅を楽しみながら来ればいいよ。寄り道も大いに結構。旅の思い出っていうのはいつか、かけがえのない宝物になるものだからね」
それから、一言二言会話するとダンゴ様たちはそのまま転移魔法でどこかへ行ってしまったのでした。
◇
神界。そこはわたしたちが暮らす世界とは違う、女神様と精霊様たちが暮らす世界。
空気は澄んでいて、どこからかかぐわしい花の香りまで漂ってきます。
「ようこそおいでくださいました、交響師カノン様」
周囲の景色に見惚れていたわたしの前に、1人の精霊様が現れました。彼女は深々と頭を下げ、歓迎の言葉を口にします……が、再び頭を上げた直後にギロッとわたしの隣にいる誰かを睨みつけました。
その誰か――パー様は視線から逃れるようにわたしの後ろへスッと隠れます。
いつも飄々としていながらも、すごく頼りになるパー様の姿はどこへやら。今はヒューヒュー、とお世辞にも上手いとはいえない口笛を披露していました。
その対応に、かの精霊様の眉間の皺がどんどん深くなっていきます。まさに一触即発の雰囲気だとこの場にいる誰もが理解していることでしょう。
そんな時のことでした。新たにこの場へ2人の人物が現れ、かの精霊様の雰囲気が僅かに和らいだのです。
「――出迎えありがとうございます、チョキ」
1人は先日もお会いしたノドカ様です。今日も変わらぬ愛らしさを誇るユルマルのぬいぐるみを抱いています。
そしてもう1人に視線を移した時、わたしに衝撃が走りました。だって、その人の顔はあの日見た天使様にそっくりだったのですから。
「彼女はわたしが案内しますから、今日はもう自由にしてください」
「ですが……」
「幼馴染と10年ぶりに再会したんです。積もる話もあることでしょうし、ね?」
「……お心遣い痛み入ります」
その方――チョキ様の鋭い眼光が再びパー様に向いた時、「ひえっ」というどこか情けない声がわたしの背後から、正面からは大きく息を吸い込む音が聞こえてきます。
「すぅー……パァァッ!」
「わ、悪かったよぉぉ! カノちー助けてぇっ! やだああぁ――」
パー様はチョキ様に耳を引っ張られながら、あっという間に連行されていきました。パー様でも誰かに手玉に取られることがあるなんて、衝撃的です。
「コンちゃんと~ニャクちゃんは~こっちに来て~。わたくしと一緒に~学校に顔を出しに行きましょう~」
「げぇっ」
「やったぁ、久しぶりにお友達に会えるです!」
「カノンちゃんは~またあとでね~」
対照的な反応を示したコン様とニャク様も、ノドカ様と一緒にどこかへ行ってしまいました。
そうなると、残されるのはわたしとその人だけです。
「さて、わたしたちもそろそろ行きましょうか。きっとあなたが今、一番会いたがっているであろう人の元へ」
その人は自分を“光の精霊姫”と名乗りました。つまり、わたしが今まで出会った精霊姫様たちのお姉さんに当たるということです。
そんな精霊様に今、わたしは優しくエスコートされています。
「ひとつ謝らないといけませんね。ごめんなさい、見知らぬ場所で心細い思いをさせてしまって」
「えっ……いえいえ、とんでもないです!」
微笑みかけてくれるその人に向かって、慌てて首を横に振ります。
連絡もせずに10年間、放浪していた中精霊様と無断で出奔した小精霊様たち。今回はそんな精霊様たちの里帰りも兼ねているので、この状況は仕方のないこと。たしかに寂しくはありますが、コウカ様のような精霊様に気遣ってもらうなんて畏れ多いというものです。
コウカ様はわたしの緊張を和らげようとしてくれているのか、先導しつつも時折振り返っては色んな話題を振ってくれました。
その度に綺麗でかっこいい人だな、と見惚れてしまいます。
「ふふ。出会った時もそうでしたが、そんなにわたしの顔が気になりますか?」
「あ、いえ、その……」
「大丈夫。何も言わなくてもわかっていますから」
見惚れてしまうのはコウカ様が魅力的な人物だから、というだけではありません。
やっぱり、ついジッと見つめてしまうのです。記憶に焼き付いている天使様の顔とコウカ様の顔付きは本当にそっくりに思えます。……同時に、纏っている雰囲気なのか、心のどこかでは違うとも思ってしまっているわけですが。
「わたしの大切な家族たち。その中の1人とわたしの顔はよく似ています。好きな人の顔を当時のわたしが真似しちゃったんですね。もう1600年以上前の話にはなりますが」
コウカ様は自分の顔を撫でながら、そんなことを言いました。
きっと彼女が言うその人こそが、わたしが会いたいと願っている人なんでしょう。
「そしてそろそろ……ああ、見えてきましたね。あの場所です」
丘の上に見えるのは、わたしたちが暮らす地上界で主流となっている建築方式とは少し違う印象を受ける一軒家。
その玄関先にひとつの人影があることがわかります。
「……もう案内は必要ありませんね。いってらっしゃい、カノン」
目を奪われてしまったまま歩き続けるわたしの肩を優しく押し出してくれるコウカ様。前に進もうとする意志にその後押しも加えて、わたしの足は前へと進んでいきます。
しかし、その人の顔が見えるところまで近づいたところで感極まってしまったのか、わたしはその場で立ち尽くしてしまいました。
視線の先にいるのは間違いなく、わたしが再会を望んでいた天使様。疑いようがありません。もう10年も前になるのに鮮明に思い出せる、あの日と同じ微笑みを湛えているのですから。
「いらっしゃい」
そんな微笑みに吸い寄せられるように、温かい腕の中に収まるわたしの身体。自分でも訳が分からないうちに、ボロボロと涙が目から零れ落ちていきます。
「うん、10年ぶりだ。大きくなったね――カノン」
◇
わたしの憧れた天使様は、実は女神様でした。
彼女との再会を果たしたわたしは、たくさんの言葉を交わさせていただきました。
しかし、彼女との再会は決して旅の終着点ではありません。この場所で新たな出会いを経て、わたしたちの旅路はまだまだ続いていきます。
ユウヒ様に勧められて、編入生という形で数ヶ月間通うことになった交響師の養成学校。新しい仲間と友人たち。後に生涯の親友となる子との出会い。調和の属性を持つ精霊を取り巻く大事件。
1年も経たないうちにこの有様なんですから、わたしの人生という名の旅路は自分で思っている以上に波乱万丈なようです。




