03 交響師カノンの旅路
カノンという少女の一人称になります。
風に靡く純白の髪。背中から伸びる七色の翼。優しい笑顔。
“憧れ”と出会った10年前から、わたしはずっとあの背中を追いかけ続けています。
――そう。あれは10年前、わたしがまだ6歳になったばかりの頃。
わたしの故郷の村は、喧騒とは無縁のとてものどかな場所にありました。村人のうちのほとんどが広い土地を活かした農業によって生計を立てていて、村の人全員が家族みたいに一種の共同体となっているような、そんな暖かいところ。
「カノン、ひみつ基地にいこうぜ!」
「ごめん、アル! いまからじいちゃんの手伝いをしなきゃだから、そのあとでね!」
村にはわたしと同い年の子も何人か居て、家から畑へと続いている道を歩くわたしを追いかけてきては、遊びに誘ってくれるアルフレッドもそのひとり。
本来ならアルも家業の手伝いをするべきなのですが、やんちゃ者の彼は常日頃からサボりがちでした。
「えぇ、いいじゃん。そんなの大人にやらせときゃ!」
「ちょっと! ずいぶんなもの言いね、アルフレッド。みんなやってることくらい、あんたもちゃんとやんなさいよ!」
「げっ、ドリー……」
ドリーことドロシーもわたしの幼馴染のひとり。同い年の女の子の中では一番気が強いドリーは、アルのことをよく咎めていました。
「いっつもおばさんたちを困らせて。ほんとお子さまね。そんなんじゃ、ロクな大人になれないわよ」
「うっせーな。べつに大人になんかなりたくねえっつーの」
「なによ、こっちはあんたのために言ってやってんのに!」
「大人たちにほめられたいからって、いい子ぶってるだけだろ!」
「なっ……」
この2人は普段から反目しあっていて、些細なことでよくケンカをしていました。
それぞれが男子と女子のリーダー格で、他の子たちも割り込みづらいからエスカレートしがちで、こういう時の仲裁役は大抵がわたしでした。
「アル、ドリーにあやまって。そんなこと言っちゃだめ」
「……何だよ、カノンはドリーの肩もつのかよ」
「ドリーも。あんな言い方じゃ、アルの気持ちを傷つけるよ」
「……そんなつもりじゃ」
まあ、子供だったからそんなに上手く仲裁できたことなんてなかったんだけど。でも、2人が仲違いするのだけは嫌でしたから、いつもそうやって割り込んでいました。
子供らしい意地を張って、折れることができない2人とそれを見守るわたし。そんなわたしたちを大人たちはいつも暖かく見守ってくれていました。
「おーい、カノン。早くこっちに来て手伝っておくれ」
「あっ、じいちゃん、いま行く!」
畑の方から呼び掛けてくる祖父に言葉を返し、アルとドリーの手を掴むわたし。
「ほら、2人もいっしょに行こっ」
「おれもかよっ!?」
「ちょ、ちょっとカノン!?」
何も特別なことじゃありません。どこの家が所有する畑でも、困っていれば大人同士で助け合っていましたし、大人たちにとって村の子供全員が自分の子供のようなもの。わたしたち子供もその時々によって、1つの畑に集まってちょっとしたお手伝いをよくしていました。
一緒に汗を流して、お手伝いの報酬代わりの採れたて野菜を並んで齧っている頃には、もう仲直りも済んでいる。それがわたしたちにとって当たり前の光景だったのです。
「――手伝いもおわったんだしさ、みんなであそびに行こうぜ!」
「きょうは植えつけもやるってカノンのおじいちゃんが言ってたでしょ」
「げっ」
アルは植え付けがあまり好きではなく、いつも文句を垂れていました。でも、いざ植え付けが始まり、子供たちが苗を手にすると一目散に一等地の土壌を見つけるのです。
土の目利きに関しては、彼が同年代の中で一番上手でした。
村の畑はみんなで作っている畑です。子供は大人たちの宝物、畑はみんなの宝物。故郷の全てをわたしは今でも愛しています。
しかし、ある日のこと。いつものように畑の手伝いをしていたわたしは、やや深刻そうな顔を浮かべる大人たちの会話を聞いてしまったのです。
「ギルドによる例の魔物討伐だが、どうやら失敗したらしい」
「例の? ああ、ブレイズボアの群れのことか。まさかこっちに向かってきているのか?」
「そいつらの進路次第だが、走り去った方角的にあり得ないわけではない。それに、取り逃した一群は少なくとも十数体で構成されているらしい。ギルドも後を追っているし、3つも街を挟んだ先の話だ、ここまで辿り着くことはないとは思うが……」
「念のため、村長にも――」
正確に会話の内容を理解できたわけではなく、漠然とした不安感を抱いた程度でした。
どこかピリピリし始めた大人たちの姿に、子供たちも不安がっていたことは今でもよく覚えています。
――そして、それから3日経った夜のことです。静まり返った村の中に大きな警鐘の音が鳴り響いたのです。
その音で目を覚ましたわたしは訳も分からないうちに両親に連れ出され、家から村の広場まで歩いていきました。そして、全村民が広場に集まったのとほぼ同じタイミングで、見張り役のおじさんが息を切らしながら駆け込んできました。
「炎が見えた! 間違いない、ブレイズボアが来やがった!」
大人たちは騒然となりました。子供たちもそんな大人たちを見てはパニックになりかねません。
ですが、村長はどこまでも冷静でした。恐らく、前もって覚悟していたのでしょう。
「北の丘に避難しよう。奴らも人を食らうことが目的じゃない、登ってはこんだろう」
「だが家は、畑は!?」
「全て燃やされてしまうだろう。だが、命には代えられん」
「――ッ、ちくしょう!」
項垂れ、悔しがる大人たち。子供たちも訳が分からない様子でした。
そんな中、わたしの頭の中にはある言葉がずっと残り続けていました。
――畑が燃える。その言葉が何を意味するのか理解できないうちに、わたしの足は自然と皆が集まる広場から離れていました。不運なことに、混乱したあの場では誰もわたしがいなくなったことにすぐには気付けなかったのです。
わたしは呆然としたまま家を通り過ぎ、畑の方へと向かいました。そして、目の当たりにしてしまったのです。巨大な炎の塊が辺り一面を焼きながら畑に足を踏み入れようとする光景を。
ブレイズボアとは炎を纏った巨大な猪のような風貌の魔物です。彼らは群れで行動しながら、ありとあらゆるものを踏みつぶし、燃やし尽くす害獣。魔泉の外でも長時間活動でき、その行動範囲の広さから、冒険者ギルドでも特別討伐対象に認定されるほどの存在です。
もちろん、当時のわたしにそんな知識はありませんでしたが。その時の私の頭にあったのはみんなで作り、守ってきた畑を壊そうとしている存在が目と鼻の先にいるということだけ。
「やだ……やめて、こわさないで!」
遂に彼らが畑に足を踏み入れました。瞬く間に作物へと火が燃え移っていきます。
「みんなで育てて……アルとドリーと……みんなの……っ」
そんな光景が認められなかったわたしもまた、畑に足を踏み入れたのです。そして、彼らに向かって懇願しました。
「やめて、もうやめてぇっ!」
聞いてくれるわけがありません。邪魔なヤツがいる、と理性のない獣である彼らはその程度にしか思っていないのでしょう。
1体のブレイズボアの前に飛び出し、腕を大きく広げたわたしに向かって、ブレイズボアは口を大きく開きました。その奥から炎が膨れ上がって、それが目の前まで迫ってきたことでようやく、わたしは命の危機にあると実感したのです。
ですが、時すでに遅し。力も持たないただの少女がどうこうできるはずがありませんでした。
「――女神様っ」
反射的に目を瞑り、肌を焦がすような熱量による死の気配に恐怖していたわたしですが、どういうわけかいつまで経っても死の瞬間は訪れませんでした。
その時、身を焦がすような熱ではない、優しく包み込んでくれるような温かい風が頬を撫でたのです。ゆっくりと目を開いたわたしの目の前には、巨大な手の形をした2つの岩が宙に浮かんだ状態で存在していました。
その岩は燃え盛るブレイズボアの牙を正面から掴んで、抑えつけていたのです。そして次の瞬間、そのブレイズボアを天から降ってきた一筋の光が貫きました。
「え……」
そして、光と共に1人の天使様がわたしのすぐ目の前に舞い降りて来たのです。
風に靡く純白の髪。背中から伸びる七色の翼。混乱して状況が呑み込めていないわたしに背中を向けるようにして立っていた天使様が振り返ります。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だから」
そう言って優しい笑顔を浮かべた天使様は再び正面のフレイムボアたちに向き直りながら、わたしに声を掛けてくれました。
「少しだけ目を瞑っていて。すぐに静かな夜へと戻るから」
そう言われたのですが、わたしは天使様に見惚れてしまって目を瞑りませんでした。だから、その戦い方は今でも全て脳裏に焼き付いているのです。
まず、仲間のブレイズボアがやられたことで怒った周囲のブレイズボア十数体から一斉に炎が吐き出されました。それらはわたしたちがいる方向へまっすぐ迫ってきていましたが、次の瞬間、天使様の周りに出現した様々な色の魔法術式から飛び出した火、闇、光などの魔法によって相殺されていきます。
その直後、さらに驚くことが起こりました。空に青色のとても大きな術式が一瞬だけ現れたかと思うと、辺り一帯に豪雨が降り注いだのです。その雨により、ブレイズボアを包み込んでいた炎が消えていきます。ですが、わたしは見えない何かに守られているようで全く濡れません。
そこで天使様本人にも動きがありました。右手を大きく前に突き出した天使様。雨に紛れた彼女の声をわたしの耳は拾い上げました。
「ここだと血は流せないな……」
その呟きの意味が今なら理解できます。人の住む土地、それも畑の上でブレイズボアの血を流してしまうと、深刻な土壌汚染へと繋がるリスクがあったのです。
冒険者も兵士も、人の命が掛かっている状況では一々そんなことを気にしていられません。ですが、ブレイズボアほどの強大な魔物相手にそんなことを気にする余裕があるくらい、その天使様は力を持っていたのでしょう。
「だったら――」
天使様が正面に向けていた手を翻し、手のひらを上に向けます。そして、ゆっくりとその手を握り込みました。
「――【クイエート・レークヴィエム】」
降り続いていた雨が止み、わたしを包み込んでいた温かい風も霧散していきます。そして、その頃には辺り一帯は静寂を取り戻していました。
なんと、十数体もいたブレイズボアの全てが、どういうわけか力なく地面に倒れ伏していたのです。そしてそれらは幻だったかのように、瞬く間にどこかへ消えていきました。
「もう目を――」
「あっ」
振り返った天使様と目が合いました。ずっとわたしが目を開けていたと気付いたのか、その人は困ったように笑います。
その顔を見て、安心感から力が抜けそうになったわたし。しかし安心も束の間、すぐに絶望の淵へと追いやられることになりました。
――踏み荒らされ、燃やし尽くされ、大半が更地となってしまった畑の姿を目の当たりにしてしまったのです。
「あ……ああ……畑……わたしたちの畑っ」
家は燃やされずに済みました。村のみんなも、わたしも無事です。でも、畑は無惨な姿となってしまったのです。絶望感に苛まれて、わたしはその場で立ち尽くしていました。
「……ここは大切な畑なんだね。君の大切な人たちと一緒に守ってきた宝物だ」
肩を優しく抱いてくれた天使様の言葉にただ小さく頷くことしかできません。
「日の光が当たらないところでも、まだ必死に生きようとしている命がある」
「……え?」
よく意味がわからず、思わず聞き返してしまいました。そんなわたしに天使様は優しく微笑みかけてくれます。
「想いの力ってね、偉大なんだ。皆で植えて、育てて、守ってきた大切なものなんだよね。だったら、君が信じてあげなくてどうするの」
「でも……もう……」
「私には聞こえてきているよ。だったら、君にもちゃんと聞こえるはず。諦めたくないっていう植物たちの声が」
その場で膝を突き、土に手を伸ばした天使様がわたしを見上げてきました。そして、わたしも彼女に倣って土に触れます。
「彼らの声を聞いて。そして、もう一度想いを届けてあげるんだ」
言われるがままに声なき声に集中しようとするわたし。わたしの魔力属性は地属性ですが、幼かったわたしは植物魔法どころか、普通の地魔法すら使ったこともありませんでした。
それでも集中し、どうにか彼らの言葉を聞いてあげたいと必死に願っていると、その時だけまるで何かに支えられるように植物魔法が使えたのです。
そうして聞こえてきた彼らの声を胸に刻み付けたわたしは、もう一度彼らの姿を見たいと願いました。
「すごいね。ほら、周りを見てみよう」
集中している間に閉じてしまっていた目を開けると、辺り一帯に信じられない光景が広がっていました。
失ってしまった作物たちが、元の姿を取り戻していたのです。その時は自分の想いが届いたんだとただ純粋に喜んでいましたが、今考えてもどうしてそんな奇跡が起こったのかは分かっていません。
そうして天使様と顔を突き合わせ、笑い合っていたわたしの耳に大切な人たちの声が届けられます。
「――おーい、カノン!」
「カノン、どこだ! 返事をしてくれ!」
祖父と父。それだけじゃなく、家族どころか村のみんながわたしを探しに来てくれました。
「じいちゃーん、おとうさーん!」
手を目一杯振って、自分の存在をアピールするわたし。村の人たちもホッと息をついた様子です。
「みんながきてくれ――あれ?」
気付いた時には、あの天使様はどこにもいなくなっていました。まるで全てが幻だったかのように。
この夜の出来事は今でも鮮明に覚えています。だって、わたしが将来の夢を持つきっかけとなった出来事なのですから。
「――ふむ。カノンくんが見たというその人物の特徴から、正体の候補を2つまで絞り込むことができたよ」
「ほんと!?」
事態も収拾し、村の外で息絶えているところを発見されたブレイズボアの死体も全て兵士たちによって回収された頃。わたしは村一番の物知りであるエルフのヤスケさんの元を訪れていました。
あの天使様の正体について、ヤスケさんならわかるのではないかと思ったのです。
「そしてこの質問の回答次第でそのどちらかの線は消える。では質問だよ。キミがいう天使様の耳の形は、僕のように長く尖っていたかな」
「ううん。わたしみたいに丸かった!」
「精霊様という線は消えたか。複数の属性を操っていたというし、間違いなくその正体は交響師だね」
「こんだくたー?」
交響師――精霊様と契約し、その力を借りて戦う人の総称。かつて世界を救ったという救世主様がその始祖だと言われているそうです。
それからのわたしは時間の合間を縫ってはヤスケさんの元へと通い、交響師についてたくさん勉強しました。その度にあの日見た背中に憧れを募らせていき、いつか自分も精霊様と契約を交わし、村の外の世界を旅してみたいと思うようになりました。
家族や友達にも相談しました。最初は反対されるかと思ったのですが、意外にもみんな快くわたしの夢を応援してくれました。……アルだけは不貞腐れてしまいましたが、ドリーにも宥められて、なんだかんだで今では応援してくれています。
さて、交響師になるという目標を持ったわたしですが、最初の難関が立ちはだかりました。それは精霊様と出会う機会がなければ、スタートラインに立つことすらできないということです。
しかし、わたしはどこまでも幸運に恵まれていました。
◇
あの日から約10年。
精霊様と契約を交わし、交響師と認められるための試験を独学で突破したわたしは数か月前にとうとう村を出発しました。
「街だ! 次の街が見えてきましたよ、パー様!」
「んー……3時間も歩きっぱなのに、カノちーってばどこからそんな元気がでるわけー?」
「そんなの心の奥底からに決まっているじゃないですか。わたしの原動力は冒険へのワクワク感です!」
わたしの名前はカノン、16歳。
交響師として、精霊様と一緒に世界中を旅しています。
少しだけ続きます。




