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18 追悼

 時間が許せば、少しでもこの世界に関する知識を身につけようとミネティーナ様が住んでいた屋敷に足を運ぶというのは、私が女神の力を引き継いで13年、今でも変わらぬ習慣となっていた。

 今日も今日とて暇な時間を見つけては一人、屋敷の中で片っ端から書物を読み漁っていく。


「これってもしかして、邪族(ベーゼニッシュ)に関する資料……?」


 1つの書物を読み終わり、次に手に取った書物。その表紙から判断するに、どうやらこの中にはかつて私たちが戦った四邪帝や邪神の側近プリスマ・カーオスに関する事実と考察が記されているようだ。

 そしてその予想は正しく、パラパラと軽くページを捲っていっただけでもかなり詳しい情報が書き記されていることがわかる。


 居住まいを正して、今度は最初から一文字一文字じっくりと読み進めていくと、私も知らなかった彼らに纏わる事実が次から次へと目に飛び込んできた。

 私たちの敵であった彼らについて知るのは、決して気持ちの良いものではない。彼らを手に掛けたのもまた、私たちなのだから。

 ――それでも、こんな形であったとしても、知ることができてよかったと切に思う。


「これはみんなにも見せてあげよう」


 私も全てを読み切ってはいないし、この本は家に持ち帰ることに決めた。


「私もあの子たちも、そろそろ気持ちの整理を付けなくちゃいけないよね」


 私たちはやらなくてはいけないことを先延ばしにしている。

 これはこの先の人生を生きていく中、どこかで折り合いを付けておかなければならないことなんだと思う。




    ◇




「ここへ足を運んだのもあの日以来ですね」


 ミネティーナ様の屋敷から持ち帰った、邪族(ベーゼニッシュ)に関する資料を最後まで読み終えた私たち。

 そんな私たちはある目的を遂行するために、神界の中でも自分たちが暮らしている場所からは少し離れた区画を訪れていた。

 そう、何を隠そうこの場所こそ、邪神メフィストフェレスや邪族(ベーゼニッシュ)たちが、女神ミネティーナ様と大精霊たちによって封じ込められていた場所。

 先程コウカが口にしたように、ここへ来たのはあの日――私が女神になってすぐの頃に調査目的で訪れて以来となる。


「ごめん、少しだけ待って」


 目的地に向かってさらに一歩を踏み出そうとした時に、呼び止めてきたのはダンゴだ。彼女はその場で膝を折ると、地面に向かってまっすぐ手を伸ばす。


「……うん、ちゃんと新芽が出てきてる。ここの土壌はもう問題なさそうだね」

「空気も澄んでいて~いい気持ち~」


 満足したかのように何度か頷くダンゴに続き、ノドカもまた深呼吸をしながら心地よさそうな声を上げた。

 私が持つ女神としての感覚も、既にこの区画に“淀んだ魔素”の影響が微塵も残っていないことを告げているし、もう問題はないと考えてもいいだろう。

 そうして思考に一区切りをつけた私は、周囲の風景からこの区画内に点在している朽ちた建造物へと視線を移した。


 それらの建造物はこの場所に閉じ込められていた者たちが建てたものだ。

 四邪帝と呼ばれていた爆剣帝ロドルフォ、氷血帝イゾルダ、鋼剛帝バルドリック、傀儡帝ヴィヴェカ。参謀かつ邪神の側近であるプリスマ・カーオスたち。そして邪神メフィストフェレス。

 彼らはこの場所に封印されていながらも力を蓄え、結界を掻い潜りながら地上界への干渉を始め、やがて内側から外の世界へと飛び出した。


「最初はどこへ向かうの?」

「前と同じで、今回も氷血帝の屋敷からにしようか」


 ヒバナからの問いかけにそう答えると、双子が全く同じタイミングで嫌な顔をしたので、つい吹き出してしまう。大方、前回ここへ足を運んだ時のことを思い出しているのだろう。

 邪神と邪族(ベーゼニッシュ)たちが封印されていた区画の危険性を探ることが目的だったのだが、その際、最初に足を踏み入れた氷血帝イゾルダの屋敷で大量の腐乱死体を発見してしまったのだ。

 氷血帝には他者を生きたまま氷漬けにして、それを収集するというおぞましい趣味があったのだという。つまりは、その氷血帝が死亡したことで氷も融けて、ずっと氷漬けにされていた人たちの遺体の腐敗が進んでしまっていたのだろうというのが当時の見解だった。

 とはいえ当時はそれ以上調査を進める気にもなれず、危険がないことだけを確認して立ち去ってから、今日に至るまでこの場所には近寄ることもなかった。


「正直、あたしはまだあの氷血帝が人間に友好的だったっていうのが信じられないんだけど……」


 氷血帝と実際に対峙したことがあるのはシズク、ヒバナ、アンヤの3名だ。私はその声を聞くことはおろか、顔すら見たことがない。……いや、正確に言えば、シズクによって倒された後の遺体を確認はしているが、生前の姿は一度も見たことがないのだ。

 氷血帝はアンヤに酷い言葉を浴びせかけた邪族(ベーゼニッシュ)でもあるので、又聞きからその人物像はなんとなくイメージできるが、イメージはあくまでイメージである。

 そんな私からすると何とも言えないのだが、比較的関わりの深かったシズクからするとミネティーナ様の屋敷から持ち帰った資料に記されていた『氷血帝イゾルダが邪族(ベーゼニッシュ)となる前、人間とも女神たちとも友好的な関係を築いていた』という旨の記述が信じられないのだとか。


邪族(ベーゼニッシュ)になると変わってしまうから……」


 そう呟いたアンヤは一度、魂まで邪族(ベーゼニッシュ)に変貌しかけていた。だからその言葉からは憐れむような心情が籠っていることが感じ取れる。

 基本的に邪神メフィストフェレスの影響を受けた“淀んだ魔素”に浸食され、魂まで変質してしまえば、大小の違いはあってもその者の人格は歪んでしまう。

 とはいえ完全に別の人格へと切り替わることは稀で、大抵の場合はエゴが肥大化し、攻撃性が増す。他者を顧みないような自己中心的な人格へと変わってしまうということだ。


「変えられてしまったのか、自分から変わったのか、そもそも本性を隠して人間たちと接していたのかまでは、今となってはわからないけどね」


 かつてイゾルダが女王として治めていたという吸血鬼たちの国は、人間たちの国と『一定の血を貰う代わりに魔物たちから守る』という協約を交わしていたらしい。

 ミネティーナ様や精霊たちとも交友があったとされ、あの水の大精霊レーゲン様は邪族(ベーゼニッシュ)となる前のイゾルダの事を特に慕っていたのだとか。


 でも、そんな邪族(ベーゼニッシュ)となる前のイゾルダに纏わる真実が既に闇の中に葬り去られてしまっているのだとしても、氷血帝イゾルダは間違いなく人類に仇をなす極悪人には違いない。

 思うところはあれど、世界を壊そうとする邪神メフィストフェレスに加担する彼女を倒したことに対する後悔はなかった。それは直接手に掛けたシズクも同じだろう。


「もしかすると中から氷血帝の日記とかが見つかって、真実もわかるかもしれませんよ」

「そんなマメな性格とも思えないし、仮に見つかったとしても気分の悪くなるような内容ばっかり書かれているよ、きっと。コウカねぇはあの人の性格の悪さをこれっぽっちも理解してない」

「そこまで言うほどですか……」

「読み進める気も失せるね。間違いないよ」


 曰く、氷血帝は傲慢で厭味たらしい性格をしているのだとか。

 最後の最後までシズクたちのことを下に見ていて、そのまま散っていった人。でも慢心してしまうのも無理はないのかもしれない。シズクが言うには、相手が万全であれば太刀打ちできないような絶対的な力の差があろうことは確定していたということなのだから。

 だが決戦の地でシズク、ヒバナと対峙した彼女は万全とは程遠かった。どこか冷静さを欠いた様子で、肉体的にも負傷をしていて満足に移動することすらできない氷血帝。それでは魔力の制御も乱れ、判断力も鈍る。

 そして、そんな彼女のサポート役として配置されていたであろう傀儡帝とも折り合いが悪く、仲間割れ一歩手前の様相だったという。

 そんな状況下でも最期の時まで慢心を捨てきれなかったから、氷血帝は格下であるはずのシズクに呆気なく敗れた。


 ――さて、みんなも分かっているとは思うけど今回の目的について、ここで再度周知しておこうかな。


「まあ、各々いろんな気持ちを抱えているとは思うけど、今日は彼らを埋葬するために来たんだから。自分たちの気持ちを整理するためにも、見つけた遺品をぞんざいには扱わないこと。いいよね?」


 彼らの持つ強烈な悪意は私たちの心にしこりを残し、10年強という歳月を費やさなければ冷静に受け止めることもできなかった。

 でも彼らとの戦いは既に過去の物であり、終わったことだ。だから今日ここで彼らに対する恨み辛みには一区切りをつけ、事務的であったとしても彼らの死を悼む。それはきっと彼らを手に掛けた私たちが負うべき役目でもある。

 そして、ここにいるこの子たちはその考えに対して、十分すぎるほどに理解を示してくれていた。


「了解しました~。ちゃんとお墓も~作ってあげましょう~」

「……うん、誰にも悼まれないのはきっと悲しいこと」


 邪族(ベーゼニッシュ)と直接的な因縁の少ないノドカが真っ先に声を上げ、彼らによって酷い目に遭わされていたアンヤも彼らを慮ろうとする姿勢を見せている。

 未だ複雑そうであるヒバナとシズクだって、言葉には出さないもののあの子たちなりに彼らの死に向かい合おうとしているのは雰囲気からわかる。


「13年も待たせてしまっていますしね」

「これはきっとボクたちにとっても必要なことだもんね。いつまでも怒っているばかりじゃ疲れちゃうし」


 心の成長に伴い、ダンゴが抱いていたゴーレムに対する嫌悪感はほぼ解消していると言っていい。でも、鋼剛帝バルドリック個人に対する怒りはまた別のところにあるから、ダンゴとしてはそちらの方にも区切りをつけたいのだろう。

 そして、柔和な笑みを浮かべるコウカが思いを馳せているのは爆剣帝ロドルフォに違いない。元々悪い感情を抱いてはいなかったようだが、私がミネティーナ様の屋敷から持ち帰ってきた書物を読んで、どこか得心がいった様子を見せていたのは印象深い。

 彼も他の邪族(ベーゼニッシュ)と同じように身勝手極まりない存在ではあるのだが、同情できるような境遇であったことは確かなのだ。


 爆剣帝ロドルフォ。元の種族は――精霊。そう、精霊だ。

 女神ミネティーナ様が、世界中に漂う魔素を安定させるために生み出したのが精霊という種族である。生存競争の枠から外れた女神の庇護の下、ゆりかごの中で安寧を享受していた彼ら精霊は、邪神メフィストフェレスが生まれ、世界を巻き込んだ戦いが起こる時まで戦う術すら知らなかった。

 そのため、当時の精霊たちの間には争い事に対する異常なまでの忌避感が蔓延していたようなのだ。人が当たり前のように持つ闘争心といった感情が理解できず、同じ種族間であっても闘争を起こす人間は野蛮だ、という認識すら抱いていたのだとか。

 そんな時代に生まれたロドルフォは、生まれ持った強い闘争心を仲間たちに理解されることもなく、野蛮な異端児として爪はじきにされてしまった。そして“戦場”という居場所を求めた彼は、自ら邪神メフィストフェレスと契約を交わしたのだという。

 当時、誰か1人でも彼に理解を示す者がいたのなら、ロドルフォの人生もまた違ったものになっていたのかもしれない。そう思わざるを得ない境遇だった。


 ――でも、同情はしても後悔はしない。

 どんな理由があろうとも世界を壊そうとしたのは彼らだ。だから、彼らと相容れなかった私たちは、未来を掴み取るために戦う道を選んだ。私たちが彼らに対してできる唯一の行為は、死んだ彼らを弔うことだけ。


「そのために私たちは今日、ここに来たんだ」




    ◇




「うっ……これ全部が血? 吸血鬼なのだとしても、趣味わるすぎ」

「……さすがにこれは処分しようか」


 氷血帝イゾルダの遺品整理をしようと意気込んでいた私たちの目の前に早速現れたのは、無数の血の貯蔵室。臓器やもがれた四肢入りの血瓶など、本当に気分が悪い。

 近くにはこれらの血に関する情報が羅列されている書物も置いてあって、一見こちらの気分が悪くなるだけで何の意味も為さない情報であるようには思えるが、その中から考察できることも確かにあるようだった。


「若い人の血ばかり……」


 吸血鬼の趣味趣向はよくわからないが私が前にいた世界でも、かつて若い人の血を集めたお風呂に入ることで永遠の若さを求めた人がいる、という嘘か真か分からないような逸話を耳にしたことがある。

 人間よりも長く生きる彼女も老いを恐れていた、という考察も十分に可能だった。ただ“若い人の血の方が美味しい”というだけなのかもしれないけど。




「――それで、ここが傀儡帝の工場か」


 イゾルダの屋敷を離れ、次に向かったのは傀儡帝ヴィヴェカが建てたであろう“傀儡”の生産工場だった。

 傀儡帝ヴィヴェカは、元々はリビングドールと呼ばれる魔物だった、とミネティーナ様の遺した書物には記されていた。途轍もなく強い情念と魔力に晒され続けることで、ただの無機物の人形だったものに意思が宿り、リビングドールへと変化するのだという。

 傀儡帝がどんな情念の影響を受けていたのかまではわからないが、ヒバナ曰く、その性根は“人として終わってる”らしい。可愛らしい西洋人形のような容姿をしているが、彼女の性格は残忍そのもので人を精神、肉体ともに痛めつけ、苦しむ姿を嘲笑いながら眺めているのだとか。


 あの決戦においても、傀儡帝は他者の肉体を“操り人形”にする特異な能力を駆使し、操ったヒバナとシズクを殺し合わせようとしていたという。

 だが結局は、少しでも多くの苦しみを与えたいという嗜虐性から勝負を長引かせていたせいで、アンヤの救援が間に合い、一気に逆転された。

 生物の死体を“傀儡”というアンデッドへと変化させて使役する特異な能力、空間魔法という大量の魔力と引き換えに兵力を一瞬で移動させる術を持ったサポート役が主だったせいで、直接的な戦闘能力はあまり高くなかったのか、空間魔法のロジックさえわかれば決して勝てない相手でもなかったらしい。

 邪神側としても、際限なく戦力を増やせる傀儡帝には常に後方支援に徹してもらいたかったはずだから、決戦の時以外は戦場に直接姿を現すこともなく、実戦経験を積む機会にも恵まれなかったのだろう。


「ユウヒちゃん。ここにある作りかけの傀儡は全部処分するんだよね」


 考え事に耽っていた私の顔を隣から覗き込んできたのはシズクだ。

 彼女の問いに対して、私は頷くことで答える。


「そうだね。放置しておいても危険はないだろうけど、このさき不要なものだから」

「ならいくつかあたしの方で接収しておいてもいい?」

「別にいいけど。実験に使うの?」

「使われている技術に興味があるからまずは解析からかな。それに傀儡帝が使っていた“糸”だって傀儡の中には残っているはずだし、それもかなり貴重なものだから」


 今後の技術発展に役立つなら、ぜひ役立ててもらいたいところだ。これが人間の技術者とかなら技術の悪用などを警戒して私も渋ったかもしれないが、シズクなら不用意に技術が広まる心配もない。




 傀儡帝の工場も後にし、次に足を運んだのは鋼剛帝バルドリックの工房だった。

 彼はここで更なる強靭なゴーレムを作り出す研究と超巨大ゴーレムの製造を行っていたのだろう。

 元々は地の大精霊が作った量産型ゴーレムの一体でしかなかった鋼剛帝だが、淀んだ魔素に浸食され、邪族(ベーゼニッシュ)となった後は“無敵の体”に拘るようになり、その体に自ら改良を加えていった。

 その人柄は“武具職人ルドック”という人間として潜入していた頃の印象と変わらないらしい。豪快奔放に振るまう、鋼好きの変人。接した相手と屈託なく笑い合っていた彼、それは擬態でも何でもなかった。

 ――しかし、だからこそ余計に、ダンゴは気味が悪かったのだという。

 ゴーレムを作り出し、多くの人を殺める。それは全て自身が“無敵”となるための行為であって、自身の目的以外は歯牙にもかけない有象無象だ。人間の為に武器を作っていたのも、ちょっとした実験以上の意味を持たなかった。

 そう語る彼は武具職人ルドックとして私たちと接していた時と何ら変わらず、ただ平然としていたそうだ。


「キミ自身も、キミが作るゴーレムのことも嫌いだ。けど、この世の中には誰かの為に頑張るゴーレムだってたくさんあるって知った。だからボクはこれからもそんなゴーレムに溢れた世界であってほしいと、心の底から思えるようになったんだ」


 そして今現在の私の耳に飛び込んできたのは、私たちに向けた言葉ではない。独り言でもあり、ここにいない誰かに向けたものでもある言葉を紡ぐダンゴの表情は、どこか晴れやかだった。

 もうダンゴが頭ごなしにゴーレムという存在そのものを否定することはない。あの子は何年か前にラモード王家に伝わる“ガトー”と呼ばれるゴーレムの中でも、さらに特殊な個体をショコラと共に生み出し、受け入れていた。それはダンゴとショコラを結ぶ永遠の絆の証であり、彼女の心境の変化を如実に表す存在だ。

 最近では植物に関する本以外でも、ゴーレムに関する本を多く読んでおり、どんどん知識を深めていっている。




 鋼剛帝バルドリックの工房を出て、荒れ果てた岩山へとやってきた。ここはところどころ地形が切り崩されており、外部から何らかの力が加わっていたことが見て取れる。

 他に目に付くところと言えば、ポツンと立っている小さな小屋くらいだろうか。中を覗いてみるが、寝床としての役割以外を担っていないような寂しい小屋だった。


「本当に彼は戦うこと以外に価値を見出せなかったんですね……」


 コウカが言う“彼”とは爆剣帝ロドルフォのことだろう。そして今の彼女は、少しばかり物悲しそうな表情を浮かべていた。


「コウカ、大丈夫?」

「えっ……ああ、そんなに心配しないでください。ただ彼の人生にもいくつか別の選択肢さえあれば、違う未来があったんじゃないかって思うと、少し悔しいような気持ちになってしまって」

「悔しい?」


 悲しいでもなく、悔しいと来たのは少し予想外だ。


「彼、最後までわたしの言葉に耳を貸してくれませんでしたから。本能に身を委ねろ。戦え、戦えってそればかりでした。そんな狂犬のような姿がわたしの本質だって」

「そんなことは……」

「ありえませんよね。でも、そうなってしまう未来もあったんじゃないかって」


 きっとそれは、コウカが戦うこと以上に大切なものを見つけられなかった未来なのだろう。


「彼とわたしはどこか似ているんです。わたしだって生まれた時代や環境が違えば……みんなに出会えなければ、もしかすると彼のようになっていたかもしれない」


 己の闘争心以外に身を委ねるところがなくて、戦場の中にしか居場所がなかった場合、この子はいったいどんな人生を歩んでいたというのだろうか。


「でもそんな彼だからこそ、わたしが戦うこと以上に大切にしているもののことだって、理解してくれるんじゃないかって思ったんです。結局、戦うしかなかったわけですが」


 コウカの説得を受けたところで、彼がそれまで突き進んできた道を見つめ直すには既に遅すぎたのだろう。


「それでも、決して理解してくれなかったってことはないんだと思います。彼は最期にわたしの剣を……みんなと一緒に歩んできた生き様を認めてくれたから。だから、余計に悔しい」


 おそらくコウカが抱いているのは口惜しさにも似た感情だ。彼とコウカは生まれてくる時代さえ違えば、良き好敵手(ライバル)として切磋琢磨し合えるような間柄になれたかもしれないのだ。

 そんな悔しがるコウカに、ヒバナは寄り添う。


「ほんと、どれだけ爆剣帝のことが好きなのよ」

「別に好きとかじゃないですよ。戦士としてなら尊敬できるところはありますけど、悪いことに加担してきた悪人なわけですし」

「それでも、なんだか悔しい」

「どうしてヒバナが悔しがるんですか……」


 コウカが爆剣帝ロドルフォに向ける感情は好意とは別物なのだが、確かに大きな感情ではある。そんな大きな感情を向けられている爆剣帝にヒバナは嫉妬してしまったようだ。

 とはいえ、あんなふうに振舞うヒバナはかなり珍しい。


「ひーちゃんはコウカねぇが爆剣帝に取られたみたいで不安なんだよ。ね?」

「そういうことですか……」


 シズクのフォローを受け、すぐさま合点がいった様子のコウカはヒバナに否定する暇も与えず、その腰に腕を回して抱き寄せた。

 ああ、始まってしまったと私は思わず両手で口元を覆う。


「かわいい嫉妬ですね。ここへは気持ちに区切りを付けるために来たんですから、今日くらいはどうか大目に見てください」


 みるみるうちにヒバナの顔が赤く染まっていくのがわかる。ああなってしまってはもうヒバナに逃れる術はないだろう。ヒバナはコウカの囁き声に弱すぎる。


「大丈夫、わたしはあなたの傍にいます。離れるつもりなんてない。彼は逝ってしまったけれど、わたしは今も生きている。そしてこれからもヒバナたちとずっと一緒に生きていきます。そう誓いも立てたはずですが、それだけじゃ納得できませんか?」


 別に意識して言葉を選んでいるわけではなく、自然と歯の浮くようなセリフが口から飛び出してくるらしい。こんな光景を見せられて、いつも面白がっていられるのはシズクとノドカくらいである。

 そして、コウカの攻勢は止まらない。


「だったら……何か目に見える“証”のようなものが必要ですね」


 コウカが体を密着させ、ヒバナの耳元へと口を寄せる。


「ヒバナはどんな“証”が欲しいですか?」


 まるで大人の恋愛ドラマに出てくるようなセリフだけど、本当にコウカに悪気はなくて、彼女としては「安心できるように手でも握りましょうか」くらいの気持ちで提案を持ち掛けているだけなのだ。

 まあ、実際に口にしているのがあんなセリフなので、ヒバナには耐えられるはずもないのだが。


「あの、ヒバナ? おーい、ヒバナ?」


 コウカの腕に抱かれて、ヒバナはすっかり放心状態になっていた。




 さて、気を取り直して最後はプリスマ・カーオスたちが利用していたであろう建造物へとやってきた。

 彼らは私たち全員が対峙したことのある邪族(ベーゼニッシュ)であり、その因縁も深い。


「生物の研究か……」


 瓶のような容器であったり、大きな水槽のような容器の中には様々な生物の死骸が薬液につけられた状態で保管されていた。

 ゴーレムを作る鋼剛帝や傀儡を作る傀儡帝とは別に、彼もこの場所で実験を繰り返していたのであろうことは容易に想像がつく。


「ぁ……お姉さま~これ~」


 軽く部屋の中を調査していた私の肩に触れたノドカは何やら1冊のノートを手に持っていた。彼女から手渡されたそのノートの表紙を見て「もしや」と思い、内容を読んで瞬時に確信へと至る。

 これは――アンヤを生み出した過程とあの子に対して行っていた実験の記録だ。

 元々、アンヤはプリスマ・カーオスが私たちを始末するために送り込んだ存在である。

 あの子の体はコウカの体の断片をベースにしていて、そこにプリスマ・カーオスと邪神メフィストフェレスの力を加えるような形で生み出された。

 でもその体に宿った魂は、私の友達である瑠奈(るな)の魂の欠片をベースに生まれたものであり、あの子の意思はアンヤの魂をプリスマ・カーオスの手から守り続けた。

 ここはきっとアンヤが生まれた場所であり、プリスマ・カーオスがアンヤに実験を繰り返し行っていた場所なのだろう。


 決戦の地において、プリスマ・カーオスがアンヤに対して投げ掛けていた言葉の数々。まるで実験動物として見ているような口ぶりから察することはできていたが、ノートの内容は心温まる成長記録といったものとは程遠い。正反対だと言ってもいい。

 これは流石に直接見せるわけにはいかない、とノートの存在を秘匿しようとした私であったが、そんな行動もあの子にはお見通しだったようだ。


「ますたー」


 気付けばすぐそばにいたアンヤ。彼女は可愛らしく小首をかしげる。


「見てもいい?」

「気分はよくないと思うよ。それでも見たいの?」


 アンヤはただ静かに頷くだけだったので、私も観念する。


「もう無理だって思ったら、遠慮せず言うんだぞー」

「たぶん大丈夫」


 後ろからダンゴに肩を揺すられながら、アンヤはノートを読み進めているようだ。ただ淡々と読んでいるようにも見えるが、色々と思うところはあるだろう。

 そう思って見守っていたのだが――。


「自分の生まれる過程を知ることができる人はそういない。そういう意味ではアンヤはすごく幸運」


 ――読み終わった際に漏らした感想がそれである。

 どうやら私たちは深刻に受け止めすぎていたようだ。




    ◇




 最後に邪神メフィストフェレスが封印されていた神力と精霊力が合わさりあった結晶体の元を訪れてから、今度は大きく場所を移し、大精霊を含めた数多の精霊たちと女神ミネティーナ様が眠る霊園へと足を運んだ。

 今日の最後の目的は、邪神メフィストフェレスや邪族(ベーゼニッシュ)たちのお墓を作ることだ。でもこの霊園に直接、彼らのお墓を作るわけではない。

 全員で少し辺りを見渡しながらどこが良いかと意見を交わす。そして最終的に、彼らのお墓はその霊園が見渡せるであろう、少しだけ離れた場所にある丘の上へと決めた。


「ねえねえ、デザインはどうしよう。やっぱり禍々しいデザインの方がいいかな?」

「えぇ、それはいやだな……この先、禍々しいお墓に墓参りすることになるんだよ」


 ダンゴから出てきた案にシズクが難色を示す。

 整地と墓石の生成はダンゴが担ってくれるのだが、たしかにデザインは悩みどころだ。ミネティーナ様やレーゲン様たち大精霊たちのお墓のデザインは荘厳にしておけばそれでよかった半面、それと真っ向から敵対していた彼らを同じようなデザインのお墓に埋葬するのは何だか気が引ける。


「もう、一般的なデザインのお墓にしちゃおっか」


 最終的に私がそう切り出すと満場一致で採択された。

 それ自体は別に悪いことでも何でもないので、必要以上に気にする必要もないだろう。彼らのお墓があるという事実が一番大切なことなのだから。


 お墓を作り、彼らの名前も刻んで、持ち出してきた遺品を墓石の下に埋める。質素ではあるが、立派な造りのお墓だ。

 拘った点としては、プリスマ・カーオスたちは全員が全員、メフィストフェレスのことを慕っていたようだったから、メフィストフェレスのお墓はプリスマ・カーオスたちのお墓で囲ってあげた。

 最期までメフィストフェレスを思いながら息を引き取っていった彼女たちの姿は、私の記憶に未だ強く刻み込まれている。


「――ダンゴ、ここに剣を差す土台って作れますか?」

「別にいいけど、どんな剣を差すの?」

「これなんですけど……」


 そう言ってコウカが取り出したのは、黒光りした剣身に赤い線が幾重にも広がっていっているような意匠の剣だった。大方、ロドルフォの遺品なのだろう。


「剣がないと彼も困ってしまうでしょうから」

「あの世でも戦わせようとしないでよ……」


 そんな呆れ果てたような口調のヒバナの指摘に、その場にいる全員が吹き出した。




「……ただいま」

「お花を~摘んで来ましたよ~」


 お墓作りも佳境に入り、お備えする花の準備もできた。


「うん、やっぱりここは眺めがいいね」


 神界の綺麗な景色が一望できる一等地だ。ここなら彼らも満足してくれるだろう。


「メフィストさんも~これで寂しくありませんよね~」


 邪神メフィストフェレスの怒りは積み重なった寂しさが暴走して生まれたものだ。ノドカもミネティーナ様が私たちに語ってくれたことをちゃんと覚えていたらしい。

 さて、私もノドカに倣うとしよう。


「メフィストフェレス、それにプリスマ・カーオスたちも。もう絶対に悪いことをしちゃダメだからね」


 そう墓石に向かって語り掛けただけなのに、どこか自分自身の心が軽くなったような気がした。




 彼らの行いは決して肯定できず、許すこともできない。それでも私は彼らの死を悼もうと思う。

 誰にも死を悼まれないまま忘れ去られていくというのは、きっとすごく悲しいことだから。






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