15 私があなたで、あなたはあの子?
万物を生み出す“創造の神力”と万物を消し去る“破壊の神力”。女神となった私がミネティーナ様から引き継いだ2つの力だ。
物理的なモノだけでなく概念的なモノにも干渉できるため、大変便利な力ではあるのだが“創造の神力”はまだしも“破壊の神力”の扱いは慎重にならざるを得ない。誤って生み出すことよりも、誤って壊してしまうことの方がリカバリーも効きづらくなってしまうからだ。
力の影響範囲を見誤ってしまえば、それだけで取り返しの付かない事態を引き起こしかねない。例えば、病気を治すために人体から病原菌を消し去るつもりが人体そのものを消滅させてしまうことも容易に起こってしまうのである。
だからそんな重大なミスを起こさないためにも、常日頃から制御訓練は必要なわけで――。
『――じゃあ、さっき説明した内容で実践に移ろうか』
自分の内側から聞こえてくるのはシズクの声。しかし、私の中にいるのは彼女だけではない。今回のような“破壊の神力”を扱う練習にはいつもセプテット・ハーモニクスの状態で挑むようにしているからだ。
「了解。意識の同調率を上げちゃうから、気持ち悪いだろうけど我慢してね」
そして神力を行使する前に、まずは調和の力を操って私たち7人の魂の境目を曖昧にさせておく。これはハーモニクスにおいてほぼデメリットしかない行為ではあるが、ただ1つの事柄に対して針に糸を通すような繊細さと集中力を求められる場合においてのみ、こっちの方が都合がよかったりするのである。
「創造の神力……生み出すのは“触れた瞬間に破裂する水風船”」
ただの水風船を作るのではなく、少し要素を足しておくのが肝要だ。
試しに触ってみるとほぼ力は加わっていないはずなのに面白いように破裂して水を撒き散らしてくれた。
破裂してしまった水風船を再生させ、続けてもう1つの神力も行使する。
「破壊の神力……消し去るのは……!」
対象に向けて力を解き放った――次の瞬間、水風船そのものが消滅する。だがこれでは失敗だ。破壊する対象を間違えてしまっている。
一々気を落とすようなことでもないので、再び“創造の神力”を行使して先程と同じ物を生み出した。
あとは集中するのみ。目に見えているものだけに縛られてはならない。この水風船を構成するただ1つの要素だけに焦点を絞るのだ。
「……っ」
額から汗が流れ落ちる感覚。
だがまだ足りない。もっと集中しなければ気難しい“破壊の神力”は言うことを聞いてくれない。
集中して、集中して、集中して、ここで――。
「――消し去る!」
“破壊の神力”は確実に解き放たれた。だが周囲には何の変化もない。無論、水風船にも。
恐る恐る水風船に手を伸ばし、問題なく触れられたそれを持ち上げたところでドッと肩から力が抜ける。
無事に水風船から“触れた瞬間に破裂する”という構成要素だけを取り除くことができたということだ。
「フィナーレ」
今日の訓練はこれで終わりなので、ハーモニクスも解除しておく。
「ふぅ、やっぱり意識を同調させるのはあまり気分がいいものじゃないね。みんなもお疲れ……ん?」
喉の調子がおかしいのか、ふと自分が出した声に違和感を覚えた。そして、それと時を同じくして周囲にもどこか奇妙な光景が広がっていることに気が付く。
「んー! すっごく疲れたぁ! あれだけ集中するとボクの頭が先に破裂しちゃうよ!」
はつらつとした声を上げながら大きく体を伸ばすコウカ。
「一発成功とはいきませんでしたが、今回は何だか手応えがありましたね!」
成功したことが嬉しいのか、その喜びをにかっと笑うことで表現するシズク。
「一度失敗しちゃったとはいえ二度目で上手くいったし……とりあえず反復練習は続けて、問題なさそうなら次のステップに……」
ブツブツと声に出しながらシビアな表情で考え事をしているダンゴ。
「はぁ……集中しすぎたせいか、なんだか肩が重いわね」
ため息をつきながら腕を組み、やや眉間を寄せるノドカ。
「ん~、疲れちゃったし~いったんお昼寝したい~……」
空中に寝転びながら、間延びした声を上げるアンヤ。
「……待って。色々とおかしい」
そして最後。私の視線の先にいるのはさっきの訓練中にかいた汗を軽く拭いながら周囲に呼び掛ける――私。そう、私自身だ。
サーっと顔から血の気が引くような感覚。視界の隅に移る赤い髪の毛が私の予想を裏付けてくれている。完全に確定したと言っていい。
つまりは――。
「わ、私たち……入れ替わっちゃってるぅぅ!?」
◇
先ほどまで神力の練習をしていた庭から家の中へと戻り、リビングに集まった私たち。全員の顔を見渡しているだけで凄まじい違和感が襲い掛かってくるようだ。
「すごい、すごい! あははははっ、すっごく視点が高いや!」
「体が軽~い!」
コウカとアンヤが騒いでいる。……多分、中身は別人だろうけど。
「えっと……わたしとアンヤ? とりあえず落ち着きましょう」
「そうよ、まずは状況を整理しないと」
困惑しつつも、この状況下で取り仕切ろうとしてくれているのはシズクとノドカだ。……これもまた中身は別人だろうけど。
「あなたは……多分だけど、ますたー?」
「あ、うん。そうなるね」
隣で首を傾げているのは私自身。普段とは話し方や声の出し方が少し異なっているということもあるのだろうけど、自分の声を外から聞くとやっぱり違和感があるよね、なんて現実逃避みたいな思考をしてしまう。
そして今リビングを包み込んでいるこの喧騒はある人物が小さく挙手をしたことで一度収まることとなった。
ダンゴの体に入った彼女は口を開く。
「まず間違いなく原因はハーモニクスだね」
彼女の発言に私は内心、やっぱりそうなるかと納得した。
「今回は魂の境目を曖昧にしていたから起こっちゃった事故だと思う。ハーモニクス状態から7人に分かれる時に間違った体に魂が入っちゃったんだね」
「おお……ダンゴが真剣な表情で考察を……」
かなり特殊な条件下で起こったことなので、今までは一度たりとも起こらなかったのだろう。
そして元の体に戻ること自体はそう難しいことでもない。
「だったらもう一度ハーモニクスをするだけで戻れそうだね」
「うん。そこは心配しなくても大丈夫だよ、ひーちゃん」
「……私はヒバナじゃないんだけどなぁ」
彼女から“ひーちゃん”と呼ばれる私。今の私はヒバナになっているので、ダンゴになっている彼女がそう呼んでしまうのも無理はない。
とにかくこのままではややこしいので、元に戻ろうとやんわりと提案してみたのだが反対派多数によりこの提案はすぐに却下されてしまった。
いつでも戻れるのなら、この状況を楽しみたいとあの子たちは言う。そんな気持ちが私にもないわけではないので、今回は私も楽しんでみることにしようか。
「じゃあ……とりあえず自己紹介でもしてみる?」
多分みんなもそれぞれの体に誰が入っているのか、分かっていそうではあるけど認識を確実なものにするために自己紹介はしておいた方がいいと思ったのでそう提案する。
言い出しっぺなので、最初はヒバナになっている私からだ。
「ヒバナの体に入っているのは私、ユウヒです。……あはは、改めてみんなに自己紹介するってなるとなんだか恥ずかしいね」
「ひ、ひーちゃんが人好きのする顔を……鳥肌が立ちそう……」
私がヒバナになっているのは、外から見た印象的には比較的違和感が少ない方ではあると思う。それでもやはり違和感はあるみたいだが。
私の自己紹介に則り、次の子、また次の子と続けてくれた。
その結果をまとめると私はヒバナの体。コウカはシズクの体。ヒバナはノドカの体。シズクはダンゴの体。ノドカはアンヤの体。ダンゴはコウカの体。そしてアンヤは私ことユウヒの体に入っているようだ。
――うん、見事にシャッフルされてしまっている。
「ボクが一番背が高い! あははははっ、それっ!」
「きゃあっ!? ちょっと下ろしてよコウカねぇ――じゃなくてダンゴ! 振り回さないでってばぁ!」
コウカの体になったことで7人の中で一番大きくなったことが余程嬉しいのか、ダンゴはノドカの体になったヒバナをお姫様抱っこの要領で抱き上げると、持て余した感情を発散させるかのようにその場でクルクルと回り始めてしまった。
そして、そんな2人にふわふわと宙に浮かびながら近付いていったのがアンヤの体になったノドカだ。
肉体に準拠する身体能力とは違い、魔力属性や精霊力、神力といった力は魂に因るため、アンヤの体となった今でも彼女は風魔法を器用に操っている。
「ダンゴちゃん~、そのクルクルって回るの~わたくしにもやって~? 楽しそう~」
「おっけー、次はノドカ姉様ね!」
ダンゴの腕から解放されたヒバナは疲れ切った表情でため息をつき、それとは対照的に自分から進んでダンゴに抱き着きに行ったノドカは満面の笑みを浮かべている。
正直、ノドカの体になったヒバナとアンヤの体になったノドカが一番違和感が大きい。
ヒバナが操るノドカの体は普段眠たげにしていることの多い目がぱっちりと開いていてかつやや鋭く見えるし、そのまま溶けてしまいそうなほどに蕩けた甘い声は鳴りを潜め、どこか透明感のある落ち着いた声を発しているのだ。
一方、ノドカが操るアンヤの体もその顔に締まりのない表情を浮かべており、物静かで落ち着きのあるあの子のイメージとは大きく違う。声の出し方だって、耳元で囁きかけてくるような優しい声が完全に間延びしたものになっていて普段の面影すら感じさせない。
「ねえ、マスター」
「ん……なにかな、コウカ?」
考え事をしている私の顔を同じ目線の高さから覗き込んできたのはシズクの体になったコウカだ。
私が首を傾げると、彼女は顔を下げて自分の体を見下ろす。
「下を見てください」
「下?」
「脚がちゃんと見えます」
「……ほんとだ。なんだか懐かしいかも」
コウカの言わんとしていることが分かる。私たちの場合、元々の体だと胸が邪魔をしてそのまま自分の体を見下ろしても脚全体を見ることはできない。いつ頃からそうだったのかはもう覚えていないが、小さい頃は普通に見下ろすことができていたはずだ。
それがヒバナの体になった今なら、問題なく脚の付け根から爪先まで自分の目でしっかりと確認することができるのだ。
そうして元の体との些細な違いを面白がっていた――そんな時、不意に視界に映っていた若葉色が大きく揺れたのでそちらにも視線を向ける。
どうやらノドカの体になったヒバナがその場でぴょんぴょんと飛び跳ねているらしい。
「すご……重いし羨ましいとは思わないけど、これは感動ね」
「ひーちゃん、ノドカちゃんの体で何してるの……?」
「シズもノドカになったらきっとやってみたくなるようなことよ」
そんな分かるようで分からない説明をしながら相手の肩に手を置いて何度も頷くヒバナに対して、シズクが呆れたような表情を浮かべている。
彼女たちは彼女たちで楽しんでいるらしい。せっかくなので、私もさっきの続きでヒバナの体をじっくりと観察することにしよう。
「やっぱり華奢だなぁ……」
身長は私たちの中でも平均くらいだけど、体格で言うと全体的にかなり細い印象を受ける。肩やそこから伸びる細い腕、そしてこの小さな手など簡単に壊れてしまいそうなほどに華奢な体つきだ。
「わたしもシズクの体を見て、同じことを考えていたところです。こうしてシズクやヒバナ本人になってしまったことで余計にそう感じるんでしょうか」
「お互い、元の体と比べちゃうとね。違いが浮き彫りになると言うか、新たな発見も多いと言うか……こういう感覚とかも今の私とコウカだと共有しやすいかも」
「共有しやすい? ああ、なるほど……言われてみれば今のわたしたちって体だけは双子になってしまっているわけですからね」
「そうそう。だから手の大きさとかもさ……ほら、ぴったり」
手のひら同士をぴとっと合わせると、全体的に吸い付くように手を合わせられる。
これにはコウカも感嘆の声を上げていた。
「おおっ……本当ですね」
「ちょっと感動だよね」
「なんだかこれだけで楽しいです」
これは本来、ヒバナとシズクにしか味わえなかった感覚であるはずなのだ。そんな私にとって新鮮な感覚が自分の中だけでなく、今はコウカとも寸分違わず共有できる。それが不思議でもあり、同時に楽しくもある。
「……あ、ならわたしも少し試してみたいことがあるんですけど……」
「試してみたいこと?」
「はい、少し後ろから失礼しますね……ひーちゃん」
「……どうぞ、シズ」
ふざけているのか、普段シズクが使うヒバナへの愛称で呼んできたので、私もコウカに対してヒバナがシズクのことを呼ぶ時の愛称を使うことで応える。
何をするつもりなのかはよく分からないが、恐らくあの子たちの気持ちになりきって、あの子たちらしいことをしてみたいのだろう。
そうして私の後ろに回り込もうとするコウカを見届け、少しだけ待っていると――ちょっとした衝撃と共に背中全体に温もりが広がった。
「なるほど、これはたしかに……」
どうやら私はコウカによって後ろから抱き着かれているようだ。
確かに昔から、ヒバナとシズクは今の私たちのように後ろから相手に抱き着くようなスキンシップを取っていることが多い。とはいえ抱き着くようなスキンシップなんてあの子たちだけの特権というわけでもなく、私たちの間でも別に珍しいこととも言えない。
だからコウカがこうして行動を起こした意図については疑問を覚えてしまった。
「いつもとなにか違うの?」
「抱き着く側になってみるとよく分かりますよ」
そう言葉を返されたので、コウカと交代して今度は私が後ろ側に回る。
シズクの後ろ姿を真後ろから眺めるような形となり、やや緊張はするがここは思い切って抱きしめに行こう。
そして――気付いた時には凄まじい密着感と抱き着いた相手の背中から伝わってくる体温が生み出す安心感によって包み込まれていた。
「おぉ……」
ヒバナとシズクは体格も全く同じだ。だから後ろからぴったり体を重ね合わせることができるし、肩に顎を乗せ、そのまま相手の側頭部に頭を預ける際の安定感も絶妙だと言える。
あの子たちがこのスキンシップを愛する理由が一瞬にして理解できたのであった。
「分かりましたか?」
「うん……これはすごいね」
続けて頬をシズクのもみあげに擦り付けるように顔を動かしてみる。ヒバナとシズクは昔から――それこそ小さなスライムだった頃からこうして密着したまま顔や体を擦り付け合うようなスキンシップを好んでいた。
ヒバナの体もこのスキンシップに慣れきっているようで、この体が五感で感じ取っている様々な感覚とそこから生まれる大きな安心感といった情動が私の心にも影響を与えてくる。
正直、ずっとこうしていたい。
だがコウカとしてはそうではないようで、彼女は今のこれとは別の魅力的な案を出してきた。
「今度は正面から試してみたくありませんか」
「それは……抱き合うってこと……?」
ごくり、と生唾を飲み込んでしまう。
元の体の時でも、正面から互いに抱き合うようなスキンシップをする機会はあまり多くない。加えて今はヒバナとシズクの体だ。興味が出ないという方がおかしい。
「少し力を抜いてください」
「あ、うん」
抱き着く力を緩めると一瞬にしてコウカは振り返り、こちらをジッと見つめてくる彼女と向き合うような形となった。
でもその顔はシズクのもので、当たり前の話ではあるが真剣な時の彼女が浮かべる表情に酷似しており、その顔で見つめられると気恥ずかしくなってつい目を逸らしてしまう。
「安心して。ただ抱き合うだけです」
「それは……わかっているけど……っ」
顔が近い。彼女の吐息が鼻先をくすぐってくる。もうほぼ抱き合っているような距離感だ。
でもいつもほどの身長差はなく、正面にシズクの顔がある。奇妙な感覚に呑まれそうになっているのはわかっているのに、自分ではどうすることもできない。
そうして私たちは正面から体を密着させ――。
「――ねえ、コウカねぇ、ユウヒちゃん。度が過ぎるって言葉、知ってる?」
「人の体で好き勝手遊んで、覚悟はできているんでしょうね?」
その声が聞こえてきた途端、私とコウカの鏡写しの体が同時にビクッと震える。表情も一転し、冷汗を垂らすコウカがバツが悪そうに目を泳がせはじめた。
「ど、どうやら悪ふざけが過ぎたみたいで……」
「調子に乗り過ぎちゃったかもね……」
ギギギ、と錆び付いた歯車のように首を回して、声を掛けてきた人物に顔を向けたところで私は一瞬にして後悔することとなった。
笑顔だ。そこにあったのはダンゴとノドカの笑顔だ。でもおかしい、あの子たちの笑顔はいつも心を温かくしてくれるようなものだ。こんな底冷えするような圧力を感じるはずがない。
「とりあえず抱き合うのをやめてくれるかな?」
その有無を言わせぬ言葉に私たちは唯々諾々と従った。なんとなく床の上で正座をして並ぶ私たちに対して、ノドカの体のヒバナが大きなため息をつく。
「別に説教をしようとなんて思ってはいないけど、こっちが見ていて小恥ずかしくなるようなことをするのはやめて」
「はい……」
この子たちの気持ちはよく分かる。正直な話、勝手に動いている自分の姿を第三者視点から眺めているだけでも気恥ずかしいような気がしてくるのに、その自分の体と誰かが抱き合っている光景を目にしてしまった時にどう感じてしまうのかは想像に難くない。
私だって、今は私の体になっているアンヤが変なことをしていると……そういえば、さっきからおとなしいけどアンヤは何をしているのだろうか。
気になった私は周囲を見渡し、自分の体を探してみた。
「……アンヤ、何してるの?」
見つけたのは己の胸に手を当て、目を閉じているアンヤだ。
私の呼び掛けに対してゆっくりと瞼を上げたアンヤはこちらに視線を向けると、僅かに口角を上げた。
「心臓の鼓動……ドクドクって」
「ああ……」
それだけで納得できた。スライムの体に心臓という器官はない。だから心臓が自分の中で脈打っているという感覚が新鮮で面白いのだろう。
一方、ヒバナの体になっている今の私には心臓がないことになる。試しに胸に手を当ててみても、鼓動は感じられなかった。それはそれで私としても新鮮であり、面白い。
そのまま色々と試してみて、人間の体とは違うのだと改めて実感する。
「……ますたー、なにしてるの?」
「アンヤも手で耳を塞いでみて」
「……こう?」
両手で耳を塞ぐといった私の行動を不思議に思ったのか、アンヤが問い掛けてくるので私はそのまま真似するように促す。
「ゴオォー……って音がしない?」
「する、けど……」
「それって腕の筋肉が収縮している音なんだよ。その音がヒバナの体だと聞こえなかったんだ」
スライムの体はとても不思議だ。元の体と比べても違和感がないくらい感覚は似通っているのに、その内部構造は人間とは全く違う。
体の内側を除けば肌や髪の質感もまるで同じだと断言してもいい。でも、これらもそのほとんどは魔力と精霊力によって構成されているものだという。
「……体って不思議」
「それが面白くもあるよね。言葉にするのが難しいけど、やっぱりスライムの体って私からすると神秘的だなって思うよ」
「ん、ますたーの体は……すごく生きているって感じがする」
「もう、アンヤってばそんなにそれが気に入っちゃったの?」
「うん……大好き」
再び胸に手を当て、瞼を下ろすアンヤ。どうやらそれほどまでに心臓の鼓動がお気に召したらしい。
ハーモニクス状態でも私の体の感覚が伝わるとはいえ、落ち着いて心臓の鼓動を感じることなんてなかっただろうから、今のうちに堪能するつもりなのだろう。
そんな彼女の様子が微笑ましかったのでこのまま眺めていようとしていた私だったが、それはバタバタと近寄ってきた彼女によって中断せざるを得なかった。
「主様、主様! 主様もグルグルしてあげようかっ!?」
私たちの中で一番背が高いコウカの体になったダンゴはその昂る感情を発散するために他の子を抱き上げては振り回していた。
ヒバナ、ノドカと続き、どうやらあの後シズクも振り回されたようで疲れ切ったかのように苦笑しているあの子の顔がちらちらと視界に入る。
でも計3人も振り回したおかげか、だいぶ落ち着いてはくれたようで有無を言わさずに振り回すということはなくなったらしい。
「私は遠慮しておくよ。それにしても大きくなったね、ダンゴ。私も見上げないといけなくなっちゃった」
「そうでしょそうでしょ」
私が背の高さを褒めてあげるだけでダンゴは相好を崩した。そして私とじゃれ合うために縋り付いてこようとする様はどこか大型犬を連想させる。大きく揺れ動く尻尾まで幻視する始末だ。
その様が無性に愛らしく、気付いた時には彼女の頭をわしゃわしゃと撫でまわしている私がいた。
「んふー」
くすぐったそうに身を捩りながらも、誇らしげな表情は変えないダンゴ。別にダンゴの体が大きくなったわけじゃないよ、なんて言ってはいけない。
この子がそれで納得しているのなら、こっちとしては別にいいのだ。
「――えへへ、くしゃくしゃになっちゃった」
やがてダンゴも満足してくれたようで、乱れた髪を手櫛で整えながらふにゃっとした笑顔を浮かべている。
「あのー、少しいいです?」
そんな彼女の背後からひょっこりと顔を出したのはコウカだ。どうやらダンゴに用があるらしく、私のことを気にする素振りを見せながらダンゴに声を掛けていた。
「ダンゴ、面白そうなことを考えているんですけど相談に乗ってくれませんか?」
「面白そうなこと!? なになに!?」
「ごめんなさい、マスター。そういうことなのでダンゴを少し借りていきますね」
何やら相談事があるとのことで少し離れた場所まで移動していく2人に手を振りながら見送る。
私が出る幕でもなさそうなので他の場所に視線を移しつつ、別の子たちの会話にも注意を向けてみることにしよう。
「ヒバナお姉さま~いっぱい甘やかして~」
「別にいいけど、自分の体相手に甘えるのっていったいどんな気分なの?」
「嬉しくて~幸せで~心がふわふわする~……」
「いつもと変わらないってことね。……あなたらしいけど」
――こと甘えるという行為に関して、ノドカは安定感があるなぁ。甘える相手が自分の体でも全く動じないところが実にノドカらしい。
そんな彼女たちのやり取りを見届けつつ、さらには最後の2人組にも目を向けた。傍から見ると私とダンゴが言葉を交わしているように見える。つまり、アンヤとシズクの組み合わせだ。
「ねえ、アンヤちゃん。す、少しお願いしたいことがあるんだけど……」
「お願い?」
「う、うん。その……今のアンヤちゃんにしかお願いできないことなんだけど……ここじゃ話しづらくて……」
「……ん、大丈夫、納得した。そういうことなら手伝いたい。アンヤもシズク姉さんの気持ちを応援してる」
「あ、ありがとっ。じゃあ、早速だけどあたしの部屋に行こっか」
何やら緊張した面持ちのシズクがアンヤを連れて私たち全員の自室がある2階への階段を上っていくようだ。
その際に一瞬だけ私とシズクの視線が交差したのだが、何やら慌てた様子で即座に目を逸らされてしまった。
「お姉さま~」
シズクの態度に疑問を抱いていた私だったが、ノドカがアンヤの姿でふわふわと近づいてきたことでその疑問は捨て置かざるを得なかった。
どうやらヒバナの次は私をターゲットにしたようで、彼女の体を片手でやんわり受け止めると途端にノドカは甘えモードになってしまう。
「今度は~お姉さまに甘やかしてもらうの~」
ダンゴやコウカが犬だとすれば、柔らかい体躯を活かしたしなやかさや軽やかな動きが特徴的なアンヤには私自身どこか猫のようなイメージを持っている。
でもこれでは子猫だ。ノドカがその体を操っていることでただ甘えたいだけの子猫になってしまっている。これはこれで可愛いから甘やかしてあげるけど。
「膝の上においで、可愛らしい子猫さん」
「んふふ~にゃぁ~」
ふざけて子猫扱いしてみるとノドカも乗ってきてくれた。そのご褒美というわけではないが彼女のことを猫かわいがりしてあげるとしよう。
まず手始めに顎の下辺りを指で優しく擦ってあげる。すると喉を鳴らすので、本当に猫みたいだとノドカの意外な器用さに可笑しくなってしまった。
「みゃぁ~」
「もう、欲しがりな子猫さんなんだから」
もっと甘やかして、とアピールしてくるので手全体を使って頭や髪を撫で、さらには頬から口周りに掛けても手を伸ばそうとする。
だが次の瞬間、ノドカはその口を小さく開け――私の人差し指を甘噛みしてきた。
「わっ!? あはははっ、そんなところまで猫になりきらなくていいのに」
これには驚いたが、私が子猫扱いしたことで今のノドカは完全に甘える子猫モードになっているらしい。
加えてそれがアンヤの姿なのが本当に違和感しかなく、可笑しくもあって情緒が変になりそうだった。
「――ということで早速勝負です、ダンゴ!」
「うん! コウカ姉様の体でコウカ姉様をこてんぱんにやっつけてあげる!」
私がノドカを猫かわいがりしている間に話し合いにも決着が付いたのか、コウカとダンゴが火花を散らしている。あの様子から判断するに、これから手合わせをするつもりらしい。
だが2人のやり取りを見守っていたヒバナにはどうやら物申したいことがあるようで――。
「ちょっと待って。ダンゴはコウカねぇの体だからいいとして、コウカねぇはシズの体なんだから許可取っとかないと後が怖いわよ?」
「むっ……たしかに怒られたくはありません。シズク! シズク!」
彼女がいる2階まで届くように声を張り上げるコウカ。するとやや不機嫌そうな表情を顔に貼り付けたシズクが2階の方から顔を出した。
「もう、急に何なのコウカねぇ」
「これからシズクの体を使ってダンゴと手合わせをするつもりなので、許可を――」
「いいよ、勝手に使って」
コウカの言葉を遮り、返答だけを残したシズクは再び2階へと消える。多分、それよりも重要な何かが今の彼女にはあるのだろう。
「よし、許可は取れました!」
「やったね!」
「これで全力で戦えます!」
「ボクもシズク姉様の体相手だからって手を抜かなくて済むようになったよ!」
「おっと言いましたね、なら負け惜しみはなしですよ!」
「コウカ姉様の方こそね!」
かなりヒートアップしているようだ。多分、それぞれが普段と違う体で戦えるのが楽しみなのだろう。
「ま、許可は出たみたいだけど酷い戦いになりそうね」
私とノドカの近くまで寄ってきたヒバナが今にも飛び出していきそうなあの2人には聞こえないくらいの声量で言葉を漏らす。
「そうかな?」
「そうでしょ。シズって運動が苦手な方だし、ダンゴの方だってコウカねぇの体で超重量級の武器を振り回せるとは思えないもの。確実にあの子たちの思っているような全力勝負にはならないわ」
たしかに普段の戦闘スタイルだと体の方が付いていけないか。
剣を持ったまま足を縺れさせて転ぶコウカと己の霊器の重量に振り回されて持ち上げることすらままならないダンゴの姿が目に浮かぶようだ。
「コウカの方はヒバナの体だったら思うように戦えたのかな」
ヒバナは近接戦闘用の戦闘スタイルも身に着けているオールラウンダーであり、時々コウカたちとの手合せにも参加しているので、運動に不慣れなシズクの体よりも剣を使った戦いをこなせるはずだ。
ただそれだけのことを考えての発言だったのに、ヒバナの頬は赤くなった。
「コウカねぇが……私の体に……」
ボソッと呟いた彼女を見守っていた私だったが、すっかりと放置されたままだったノドカに催促されてしまったので彼女の甘やかしへと戻る。
それと時を同じくして、遂に耐え切れなくなった件の2人組も玄関へと向かっていったようだ。
ちゃんと満足した戦いができるかな、なんて心配しながら2人の後ろ姿を見送っていた――そんな時だ。今度は呼び鈴の音がリビングへと鳴り響く。
つまり来客である。とはいえ私たちしか住んでいない神界まで訪ねて来られる存在はたった1人しかいないので、誰であるかなど考える必要もないのだが。
「遊びに来たのー」
聖龍シリスニェークことシリスは“龍の孤島”と呼ばれる火山島で暮らしており、龍の孤島には光の霊堂がある。そして光の霊堂を含めた地上界にある7つの霊堂というのはここ神界と繋がる扉の役割も担うのだ。
基本的にその扉を開く権限を持つのは女神か精霊姫だけとなるのだが、私たちの盟友かつこの先末永く付き合いが続くであろうシリスには特別にフリーパス待遇を付与している。
だから月に何度かはこうして家に訪ねてくるようになった。気性が穏やかで波長も合う彼女と過ごす時間は私たちの間でも既に当たり前のようになっており、彼女もその時間を大切に思ってくれているようなので、遊びに来てくれること自体は大歓迎である。
――でもよりによって今日とは。シリス、驚きすぎないといいけど。
「いらっしゃいシリス! どうぞ上がってください、わたしたちはこれから楽しい楽しい手合わせをするので!」
「みんなはリビングにいるよ! シリスも後でボクたちに混ざりに来てもいいからね!」
そんな会話の後、玄関のドアが閉まる音が聞こえてくる。
それから数十秒後、来客者のシリスがどこか呆然とした表情で私たちのいるリビングへとやってきた。
「……シズクが変なの」
第一声がそれである。ダンゴがコウカの体ではしゃいでいても大して違和感はないが、コウカが入ったシズクの体はそうではない。
仮に私がシリスの立場だとしても、目をキラキラとさせながら戦うために一目散に駆け出していくシズクを見た日にはそれ自体が悪い夢なのではないかと疑ってしまうだろう。
「あはは……いらっしゃいシリス、ゆっくりしていってね。今日はこれから色々と驚くことがあるかもだけど、まずは気をしっかりと持って」
「……ひ、ヒバナが人当たりの良さそうな笑顔を……なの……? 明日は霰でも降るの……!?」
気遣ったつもりがどうやら違和感を与えてしまったみたいだ。とはいえこればかりは仕方がない。
「シリスってば、面白いことを言うじゃない。もしかして喧嘩売ってるのかしら?」
「――ッ!? の、ノドカが怒ってるの……!? 天変地異の前触れなの!?」
シリスの顔色が青白くなっている。普段の私たちをよく知っている彼女からするとまさに恐怖だろう。
そして限界を迎えつつある彼女が頼ろうとするのは自分と最も波長が合う、大親友のあの子だ。
「あ、アンヤぁ……みんながおかしく――アンヤ……な、何をしているの?」
シリスが探していたアンヤの体はまるで子猫のように私にじゃれついている最中である。残念ながら、この光景を見て耐えられるほどの精神力を今のシリスが持ち合わせているとは思えない。
「みゃあ~……シリスちゃん~いらっしゃい~」
「――ああ、おかしいのはシリスの方だったの……これは夢……きっと夢の中なの……」
バターン、と音を立てて仰向けに倒れるシリス。その顔は青白いを通り越して真っ白になっていた。
……まあ、当然だよね。
 




