14 幸福の1ページ
今日はヒバナと一緒に街へ買い出しに来ていた。とは言っても既にその目的の大半は達成しており、後は細かな日用品を買い足すだけなのだが。
最近の買い出しは特に大変だ。その理由としてはみんなの嗜好の変化というか、かつては全員で同じ物を共有していた化粧品ひとつ取っても、それぞれの好みに合わせた物を使用するように変わってきているためである。
食の好みは昔から差はあったけどまさか自分を彩る為の何かに興味を示すなんて、これもみんなの成長なのかなと内心嬉しい気持ちがある。
「シャンプーに化粧水に……はぁ、頼まれていたものは大体揃えられたんじゃない?」
「だね。少し疲れちゃったし、甘い物でも食べながらのんびりと休憩でもしようか」
「そうしましょ」
手元のメモに目を走らせていたヒバナはメモを手早く仕舞うと、今度は周囲を見渡しはじめる。甘味をいただくためにどこか手頃なお店を探しているのだろう。
この子の食の好みは分かりやすいもので、アンヤほど偏ってはいないものの特に甘いものを好む。反対に刺激の強い食べ物は一部苦手だったりするみたいだけど。
「ねぇ、あそこ良さそうじゃない?」
「うん、そこにしよっか」
ヒバナが見つけたのは小綺麗な印象を受けるカフェのようだ。色とりどりの張り紙や看板から、客寄せの為のキャンペーンに力を入れているお店なのだということがわかる。
駄目出しする理由なんてないので私も即座に同意し、彼女を連れてお店の扉を潜った。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
声掛けしてくれた店員さんに2人であることを伝えると奥の方のテーブル席へと案内される。
店内はお客さんで溢れ返っているということもないようで、ゆっくりと過ごせそうだ。
「こちら、当店で開催中のキャンペーンとなります。特にお客様にはこちらのキャンペーンがおススメですよ」
店員さんが私の前に差し出してきた紙の内容に目を通す。
どうやら『!カップル限定! 生クリーム50%増量キャンペーン』というカップル向けの無料キャンペーンが実施されているようだ。
「それではご注文がお決まりになりましたらお呼び掛けください」
一礼して去っていく店員さんの背中を見送っているヒバナが小さなため息を漏らす。
「何を勘違いしているんだか。どうしてカップル向けをおススメしてくるのよ」
「親友同士限定、家族連れ限定、兄弟姉妹限定とか他にもいろいろあるのにね」
様々なキャンペーンがある中、カップル向けをおススメしてきた店員さんには私も苦笑いを浮かべるしかない。
でも内容を見比べているうちに私はだんだんとカップル向けキャンペーンの内容に釘付けになっていった。
「無料だけど併用はできないのね。せっかくだし姉妹向けのキャンペーンが受けられる苺タルトにしようかしら」
「じゃあ私はフルーツパフェにして生クリームを増量してもらおうかなぁ」
「増量なんてあるの?」
「……カップル向けのキャンペーンで」
空気が固まった後、ヒバナが「はぁ!?」と大きな声を出す。お店の中だと思い出したのか、慌てて声を抑えたが。
「カップルって本気? 証明が必要です、とか書かれていたと思うんだけど……」
「あはは、心配ないよ。こういうのって大抵はそんなに本気じゃやってなくて、仲が良い同性の友達同士とかでも許してくれるパターンが大半だから」
私も前の世界において、友達の瑠奈と一緒にカップル限定のジャイアントタピオカミルクティーというものを飲んだことがある。あの時も証明は必要だったけど、手を繋ぐくらいでオッケーだったし。
そもそもの話、姉妹向けとカップル向け等それぞれが別のキャンペーンを適用できるのだから2人の間柄はそこまで重視されるわけではないのだと思う。
「普段家にいる時みたいな感じにしていればたぶん大丈夫なはず」
「まあそれならいいけど。外にいるのに家にいる時と同じようにしているのもそれはそれで少し恥ずかしくない?」
「恥ずかしがることなんてないよ。私とヒバナの仲の良さを店員さんに見せつけてあげよう」
多分イチコロだろう。手を繋いだり、抱き着いたりするくらいなら普段通りなので何の問題もない。店員さんもこれで納得してくれるはずだ。
そんなことを考えながら注文をする際にキャンペーンを適用してもらう旨を伝え、実際にスイーツが届けられたのだが――。
「はい、姉妹向けキャンペーンで苺増量いたしまーす」
「ありがと」
ヒバナの苺タルトには問題なく、苺が追加される。
「いえいえ、それではお次はパフェの生クリーム増量キャンペーンとなります。カップル証明の方、準備はよろしいでしょうか」
「いつでも大丈夫です」
私は自信満々に答えつつ、ヒバナに視線を送る。
テーブル越しではあるがこちらから手を伸ばすと彼女の方からも手を伸ばしてくれたので、その手をがっちりと取って指も絡める。
公共の場で店員さんに見られている状況にあの子も照れているのか、目を逸らして頬も赤く染まってしまっている。
「ほぉ……お客様ならもう少しイケますね」
「はい?」
テーブルの傍に立って私たちを見守っている店員さんを見上げると無言でサムズアップされた。
これでは認められない、ということだろう。
「なら失礼します」
「……ゆ、ユウヒ?」
私は立ち上がり、テーブルの反対側に回り込むとヒバナの隣に腰を下ろす。
肩と肩が触れ合うくらいの距離感でジッと見つめ合いながら私は考えを巡らせ、とりあえず彼女の肩を抱いてみることにする。
「ぁ……」
声にならない悲鳴を上げたヒバナ。ふとその頬に視線が引き寄せられる。赤く染まったそのきめ細やかで瑞々しい肌がどうしようもなく甘美な果実のように思えてならないのだ。
そういえば昔、私の頬にもママがよくキスをしてくれていたっけ。そう思った時には、すぐ目の前にヒバナの頬が迫っており――。
「愛してるよ、ヒバナ」
唇から伝わってくる柔らかい感触。
彼女の愛用するシャンプーは甘い花の香りがする。その香りが鼻孔いっぱいに広がり、頬からまるで蜜か何かが分泌されているのではないかと錯覚してしまうほどだ。
この行為ひとつで様々なものが感じられ、情動が渦巻く。ヒバナに対する愛おしいという気持ちも胸のうちから溢れ出してくる。
――なるほど、ママの気持ちがよくわかったかも。
「っ……ぁ……んっ……」
頬にキスをするのは初めてのことなので、ヒバナも驚いてしまっただろうか。声も上げられないほど恥ずかしがってしまっているようだ。
その時、私の鼓膜に響いたのは生クリームが絞り出される音だった。
「お客様、生クリーム100パーセント増量です」
「……あれ、50パーセントじゃ」
「今、新しいキャンペーンが適用されました」
「はぁ……」
いまいち納得はできないけど貰える分には嬉しいし、ちょっと得した気分かもしれない。
一仕事終え、にこやかに去っていく店員さんを見送りつつ、そっとヒバナを解放した。
解放された途端、肩で息をしていたヒバナは両手で己の顔を押さえると呟く。
「ごめんなさい……シズ……。コウカねぇ……」
恥ずかしがり屋なこの子にはこのスキンシップは少々刺激が強すぎたようだ。すぐに正気に戻るだろうが、今はまだどこか呆然としている様子だ。
私としては名残惜しくもあり、もう一度頬にキスさせてもらいたいがここはグッと我慢しよう。
そうして元の席に戻った私は紅茶を飲みながらヒバナの回復を待った。
やがて正気に戻ってくれたのはいいが、当然のように彼女からはジトっとした視線を向けられてしまう。
「なんであんな……頬っぺたにく、くち、唇……っ」
「いやぁ、本当は抱きしめるだけのつもりだったんだけどちょっとした出来心でつい……」
「出来心!? つい!?」
「別に頬にキスすることくらい家族なら珍しいことでもないよ? 私もよくママからしてもらってたもん」
あまり人前ですることでもないし、自分でも思いきったことをしたとは思ったけど私からすれば珍しいことでもなかった。
「そ、そんなこと言って、今まではしてくることなかったじゃない!」
「私はいつもしてもらう側だったんだもん。お返しですることもあったけどね」
だから自分からするという発想がずっと出てこなかったのだろう。
だがどうだ、一度やってみると病みつきになるというか、これは家族に対する最高の親愛表現だということに気付いた。
「これからはみんなに対してもたくさんやっちゃうから。ヒバナたちからもお返しを貰えるとすっごく嬉しいかも」
「……それってシズに対しても?」
「シズク? うん、もちろん!」
「……大丈夫かしら、あの子」
ヒバナ以外で特に恥ずかしがりそうな子といったらシズクか。だからヒバナも心配しているのだろう。
でもあの子だって最初はおっかなびっくりだとしてもすぐに慣れるはずだ。そういう図太さがシズクにはある。
――あの子へのキスはいったいどんな味がするのだろうか。
「もうっ、あなたの行動に頭を悩ませられていたせいで甘い物を食べ遅れた」
結局、慣れるしかないという結論に至ったのだろう。悩むことをやめたらしいヒバナは手を合わせるとフォークを手に取る。
私もそろそろこの生クリームたっぷりのフルーツパフェを食べ始めるとしようか。
「……ふふっ」
大好きな苺を食べるヒバナの頬は自然と綻んでおり、遂には声まで漏れてしまっている。
あまりにも美味しそうに食べるので、少し私も欲しくなる。
「ヒバナ、少しちょうだい」
「ん、別にいいわよ」
快諾してくれたヒバナがタルトの上に載っていた苺をフォークに突き刺すので、私も顔を突き出すと雛鳥のように口を開けて待機する。
「あーん」
「そんなことしないで、普通にパフェの上に載せるけどね」
「むぅ……つれないなぁ」
「誰かさんのせいでこっちはもうキャパシティが限界なのよ」
残念ながら食べさせてはもらえず、苺は私のフルーツパフェの上に載せられていた。
「それじゃあ私はこっちを貰うから」
「あっ、あーんさせてほしかった……」
「それも全部お見通し」
お返しにこっちのパフェを食べさせてあげようと思っていたのに、私が行動に移す前にヒバナがこっちのパフェを一掬いし、そのまま自分の口へと運んでしまった。
いたずらっぽく笑うヒバナはそのまま苺タルトを食べることに専念してしまう。本当につれないものである。
でもまあ――。
「幸せだなぁ」
「……どうしたの、急に」
そりゃあ急にこんなことを呟かれると訝しむか。でも他意はないというか、思わず漏れ出してしまっただけの言葉である。
どう説明したものだろうか。
「いや、さ。こうしてヒバナと過ごしていると昔の懐かしい思い出が蘇ってきちゃうことがあるんだよね。よく叱られてたなぁ、とか」
「それって私たちが出会って間もない頃の話でしょ?」
「うん、私が女神でも何でもない頃だね」
「……あの頃を思えばまあ、私たちもお互いに変わったわよ」
まだ相互理解が手探り状態だったくらい昔の話だ。
「私もまだまだ子供だったわ。納得できないことがあるとすぐカッとなって口に出してた」
「ヒバナはいつも本心からぶつかってきてくれていたよね」
ヒバナはまるでそれが悪いことであったかのように語っているがそうではないと言いたい。
本音で語り合うということは相互理解のための近道であると思うから。
「多分ヒバナがああやって接してくれなかったら、私はもっと暴走してたと思う」
「あなたは誰かの為に頑張れる自分でいないと私たちに嫌われるとか失望されるとか、本気で思っていたんでしょ?」
「あはは……改めて言われるとすっごく恥ずかしいんだけど……」
あの頃――というかパパとママが死んじゃってからの私には常に脅迫観念が付き纏っていたというか、愛されるためには顔も分からないような不特定多数の人の為に頑張れる自分でいないとダメだと本気で思い込んでいた。それ以外の行動は全て自分勝手なもので忌むべきものだとも。
私は結局のところ、知らない誰かの為に頑張れはしない。自分や身の回りにいる大切な人たちに関すること以外には関心が薄い。
それは特段おかしな感性でもないんだけど、私はそんな自分の本心がみんなに知られるようなことがあれば嫌われると恐れていた。
だから勘違いの“太陽”という仮面を付けて、無償の愛で包んでほしいという想いも辛い気持ちもひた隠しにしていたんだけど、そんな行動も今思えば恥ずかしすぎて顔を覆いたくなる。
「パパとママがどんなふうに愛してくれていたのか、とか私はパパとママに対して本当はどんな想いを抱いていたのか、とかわからなくなっちゃっていたんだろうね」
そこにはたしかに無償の愛というものが存在していたはずなのに、それを追い求めているうちに私の心はどんどん追い詰められていき、摩耗していった結果、何もかもを見失っていた。
「……それでも。あなた自身が見失っていたとしても、その温かい想いはずっとあなたの心に刻み込まれていたわ。あなたはただ直向きに私たちのことを愛してくれていて、私たちはそんなあなたから誰かを愛するという気持ちを学んだ」
「ヒバナ……」
その言葉には感慨無量としか言えない。私の全てを受け入れてくれているのだと言葉からも余すことなく伝わってくるのだ。
だからその想いに浸っていたくなるのだが――。
「ねえ、もっと言って。今、すっごくヒバナに甘えさせてもらいたい気分だから」
「しんみりさせられたかと思えば、今度は面倒くさくならないでくれる? 甘えたがりに餌をあげすぎると碌なことにならないんだから」
やっぱり外出先なのがダメなのだろう。人の目があるところではヒバナはあまり甘えさせてくれない。
筋金入りの甘えたがりである自覚のある私も体裁を気にする常識は持っているので、引き下がらざるを得ない。
――仕方がない。家に帰ってから存分に甘えさせてもらおう。
今日は心行くまでみんなとスキンシップを取りたい気分だ。……それはいつものことと言えば、いつものことではあるんだけど。
「昔だったら甘える前にまずこっちの顔色を窺っていたのにねぇ」
呆れたようなヒバナの言葉を受け流しつつ、今のうちに私もしっかりと余所行きの顔を張り付けておく。
「あはは。ヒバナには叱られがちだったから、叱られるのが怖くて特に顔色を気にしていたかもしれないね」
「もう生意気」
私たちは軽口を叩き合い、笑い合っていた。
――うん、やっぱり幸せだな。
こんな何気ない時間さえも私にとっては幸福の1ページとして綴られていくのである。
 




