08 美魚姫と海の怪物 ③
クラーケンのラークを水面近くに残し、つい先程とは違って準備万端の状態で海への再突入を果たした私たち。
もちろん、水中でも呼吸が出来るように体の周りには魔法による強固な膜を形成している。
「だいぶ深いところまでは来たけど……」
ラークが教えてくれた魔泉はこの真下にあるはずなのだ。
でも底は未だ見えてこないし、邪魔の姿すら見ることができていない。
実際は太陽の光が届かない場所なので目で直接見ているわけじゃなくて、水を媒介にした魔力探知と眷属スキル《アナリシス》の力で魔力を目視できるようにして周囲の状況を読み取っているような形なのだが。
それでも感知できないことに変わりはない。
『さっきは~無理矢理引っ張られたのに~……何も~出てきませんね~』
『本能的にあたしたちの力を恐れているのかな……』
先程私と一緒に海に引きずり込まれるという経験をしたノドカとシズクの声が頭の中に響く。
『どのみち魔泉に近付けば出てくるわ』
『……魔泉は邪魔たちの家』
ヒバナとアンヤの考えは妥当だ。彼らは彼らの家を守るために迎撃に出て来ざるを得ない。
『出てきたらボクがボコボコにしてやるだけだけどね!』
『わたしたちが、でしょう?』
ダンゴとコウカもやる気十分のようだ。
「……ん?」
その時、水中に漂う気配に動きがあった。
間違いなく邪魔がこちらを迎撃するために動き始めたのだ。
「動いた!」
『大きいのは~いません~!』
『上層の邪魔だけだね。みんなも深層部の動きには注意しておいて』
「今はとにかくこっちに向かってくる敵に対応するよ! ……展開!」
私の体から飛び出した6つの光球が、私を軸にするように展開している。
――その直後、見覚えのある触手が私たち目掛けて闇の中から飛び出してきた。
「ライングランツ!」
私が念じることで6つの光球のうち、黄色の球が本来の形を取り戻し、触手をひとりでに断ち切る。
「そのまま本体を! ……っていうかこの触手、伸びすぎだって!」
何はともあれ眷属スキル《アナリシス》で捉えた触手の主に剣先を向け、ライングランツは凄まじい速度で暗闇の中へと突撃していった。
『イノサンテスペランスも行っけぇ!』
『……月影も』
続いて2つの光球も形を変え、ライングランツに続く。
かなり余裕がある状況なので、私の中にいるみんなの呑気なやり取りも聞こえてくる。
『あれって~どんな魔物なんでしょう~?』
『ん。深海の魔物に関する文献はあたしが知る限りほとんどないから……ごめんね』
『そればかりは仕方のないことですし、シズクが謝ることでもありません』
歯痒そうなシズクをコウカが励ましている。私も便乗させてもらおう。
「謎が多い方が研究しがいがあるってものでしょ? 敵を一から分析するという意味でも、今は注意深く対応していこう」
『今分かっているのはとにかく数が多いってこと。魔法でも攻撃するわよ』
敵の中に飛び込んでいっているようなものなので、潜れば潜るほど周囲の敵の数も増えていく。
でも何の心配もいらない。
「テネラディーヴァ――コルポディヴェント!」
若葉色の光球を手元に呼び寄せ、ハープの形へ変わったそれを更に弓へと変化させ、構える。
弓に番えるのは突風を巻き起こす風属性の矢だが、何も弓だけが私たちの攻撃手段ではない。周囲にはそれ以上の属性を持つ魔法陣が無数に展開していた。
「ランダムアーティラリー!」
強力な風魔法が火蓋を切り、魔法の猛襲が邪魔たちを蹂躙する。
もちろん眷属スキル《クレッシェンド》と《アッチェレランド》を併用しているので魔法を放つごとに規模と構築速度が増していく。
『討ち漏らしはボクとアンヤに任せて! 【ガイア・ナックル】!』
『【シルエット】――実体化』
形成されるのは巨大な6つの岩の拳だ。そしてそれら一つ一つには実体化した影の大剣が握られている。
討ち漏らした敵を倒すだけならそれも過剰ではあるが、セプテット・ハーモニクスで挑んでいる以上今更か。
「うん、そっちの制御は2人に任せるよ。霊器は一旦呼び戻しておこうか」
敵陣へと飛んでいく拳たちと入れ替わるように、ライングランツ等の霊器は周囲に呼び戻しておく。
私たちの元へと戻ってきたそれらは本来の形から再び光球へと姿を変え、魔法による攻撃へと参加してくれる。
『一番浅い層にいる邪魔だし、こんなものね』
『数がただ多いだけでしたね、このタコみたいな邪魔』
『……え、タコじゃなくてイカでしょ。胴体が細長いんだし』
『ほう。イカと言いましたか、ヒバナ。では答え合わせです。この邪魔は足が何本ありますか? わたしは図鑑を読んで勉強したのでよく知っていますが……タコの足は8本、イカは10本なんですよ! 知っていましたか? 知らなかったですよね!?』
『……っそ』
ムカッ、という音が聞こえてきた気がする。
知識をひけらかしているコウカの態度が癪に障ったらしい。
『じゃあ~これはどっち~?』
「これ?」
ノドカが示したもの――それは私たちの周囲にゆらゆらと漂っている魔物群だ。それらにも触手が生えており、また邪魔化もしている。
あまりに何もしてこないので、気付かないうちに群れの中へと突入してしまっていたようだ。
「ああ、多分これはクラゲだね。タコやイカとはまた違うよ。攻撃してくる感じはないけど、邪魔化しているみたいだからこれも倒しちゃおうか」
『ん……気を付けて、来る』
アンヤの言葉でハッとした。
無数のクラゲたちが魔力を操り始めたようで、周囲一帯には一瞬の内に夥しい量の魔法が展開されていた。
『雷魔法が来ます!』
『これ、トラップだ!』
電気網のようなもので私たちを感電させるつもりなのか。
――でも無駄だ。
「秘策、使うよ!」
私のその言葉でみんなが納得するような様子を見せた。実戦で使うのは初めてだけど、絶対に上手くいく。
「【ハーモニック・チューニング】」
これは調和の力の応用だ。
「変換」
――こうして、私たちは難なくその場を切り抜けたのであった。
◇
掛かる水圧に合わせて力の調整を続けつつ、私たちは邪魔の殲滅を続ける。
「――感じる」
魔泉の全体像が掴めることから、今は間違いなく最深部といえるところに足を踏み入れていると考えていいだろう。
『やっぱり~すごく大きな魔泉~……』
『少し……不気味な感じね』
深海という未知への恐怖というものだろうか。
敢えて意識しないようにはしてきたが私もヒバナ同様、この言いようがない感覚は好きではない。
「もう、ヒバナのせいで意識しちゃったじゃん。私、今日怖くて眠れなくなっちゃうかも」
『ふふっ。なら夜は一緒に――』
コウカと軽く冗談のようなやり取りを交わそうとした――そんな時だ。
『……何だろう、音?』
『水圧で膜が軋んでいるのかしら』
潜行中なので常に何かしらの音は聞こえるのだが、この音は不意に聞こえてきた。
『ん~、膜には~特に異常はありませんよ~?』
『これって……あっ、エコーロケーション……?』
シズクが不意に言葉を零す。それで私も合点がいった。
『えこーろけーしょん?』
「敵がこっちの位置を探るために音を出しているんだよ。それもかなり強力な」
ダンゴだけではなく、アンヤをはじめとしたほぼ全員が同じ疑問を浮かべていたようなので簡単に説明する。敵は間違いなくこちらを捕捉しようとしていた。
――そして、それも一旦止んだかと思えば今度は別の音が聞こえ始める。
『あたしたちの位置を共有したんだ、多分じきに仕掛けてくるはず』
水の流れが変化し――私たちの感覚がそれらの存在をはっきりと捉えた。
海底付近で蠢いているのは超巨大な邪魔だ。
『大きすぎでしょ……』
『……それに1体じゃない』
こんなにも巨大な邪魔を複数生み出せるだけの大きな魔泉が海底に眠っていただなんて。
「多分これまで以上に派手なことになるから、破壊の神力と水魔法は全力で使うよ。津波なんて以ての外だから」
戦闘の余波によってかなり海が荒れてしまうことは容易に想像できるので、海流の調整は必至となる。
その中で破壊の神力は衝撃を消すという重要な役割を担う。
邪神の力が弱まっていたことで劣化してしまっていた蝕とは違い、完全な姿を取り戻した神力だからこそできることだ。
『――ねえ。この感じ、3年前に戦ったヤツとおんなじだよ』
不意にそんなことを口にしたシズクの言葉に耳を傾ける。
「3年前?」
『覚えてないかな。邪神を倒した後、龍の孤島にある光の霊堂を狙う大きな邪魔を倒したでしょ?』
女神になって、初めてセプテット・ハーモニクスになった時の事か。
確かにあの時、龍の孤島を守っているシリスをはじめとした魔物たちは水中に潜む巨大な邪魔と交戦していた。
そしてそこに駆け付けた私たちでそれを倒したのだったか。
「あれはここで生まれたってこと?」
『多分。それで邪族あたりに操られて霊堂を壊しに行ったんだよ』
当時は1体だけだったけど、3年も経った今ではこれほどまでに増殖してしまったのか。
元々は深海に潜む魔物だったおかげで、数が増えても直接的な被害が出なかったというのは幸運だったのかもしれない。
「――リヴァイアサン、だったっけ」
当然、3年前に倒した個体を調べる機会はあった。
それで判明したのは伝説の魔物と呼ばれているうちの1体“リヴァイアサン”が邪魔化した存在である可能性が高いとのことだった。
『でも一度倒したことがあるなら楽勝だよ! 何体いようとねっ!』
『そこに関してはあたしも心配してないよ。ただ気は抜かないで行こ』
敵はかなり強大な力を持っている。シズクの言ったように何があっても対処できるように集中して挑むべきだろう。
「さっさと終わらせて帰るよ、みんな!」
私は海底に向かって加速する。
そして――。
『動き出しました!』
「少しずつでもいいから減らしていくよ!」
もうこの際だ。全力を出すために周囲の空気膜も消してしまおう。呼吸自体は創造の神力を使って、直接体内に空気を生成してしまえばいい。
でも、その前に――。
「神器“天倫”よ、私の羽衣に!」
決戦を前にして身に纏うのは私の神器。この神器は定まった形をしていない。見た目だけではなく、概念そのものを自在に変化させる。
今のこの子は“私たちに対する害を全て遮断する光の羽衣”と世界に定められた存在だ。
制御がかなり難しいものだが、日々少しずつ練習することで今ではこんな芸当もできるようになっていた。
そうして私が神器を身に纏い、必要のなくなった空気膜を消し去った瞬間――ついに交戦距離に敵の姿を捉えた。
水中では使えないノドカ以外の眷属スキルも総動員――これにはノドカは大層不満そうにしていた――し、万全の状態で交戦を開始する。
『まずは先制攻撃よ!』
『ボクもさっきみたいに【ガイア・ナックル】を突っ込ませるよ! アンヤもいいよね?』
影で生成された武器を握った岩の拳が突撃し、その直後に私の周りから魔法による砲撃が一斉に放たれる。
私もせっかく水圧の煩わしさから解放されたので、ライングランツを握って突撃――はせずにテネラディーヴァを構えた。
……別にノドカの機嫌を取ろうとしたわけではない。そう、決して。
『お姉さま~一言多い~! むぅ……』
『臍曲げないの』
多分構ってほしいだけだろうからノドカのフォローは終わってからするとして、今は目の前の敵に集中する。
敵は水の流れを操作してこちらの動きを阻害しようとしているようだが、私たちも魔力を操って無理矢理移動を続ける。
――そうして、私たちのすぐ傍を大口を開けたリヴァイアサンが通過した。
『飲み込むつもり!?』
『……反撃!』
凄まじい速度で泳ぎ、離脱しようとする敵に対してすぐさま反撃を開始する。
『もう1体来ます! ……いえ、2体!』
『あたしとノドカちゃんに回避は任せて。みんなは攻撃に集中!』
言われた通り、回避に使用していた魔力の制御を全て2人に託して私は攻撃用の魔法制御に集中する。
その間も周囲に目を配り、状況の変化にはすぐに対応できるようにしておくことも忘れない。
『なんだか~懐かしい感じ~』
『そうだねっ。あの頃の戦いを思い出す感じだ!』
ノドカとダンゴが言うようにこの逼迫した戦況の中で徐々に過去の――邪魔や邪族と戦っていた頃の感覚が蘇ってくる。
あの頃からずっと私たちは一緒に戦ってきた。どれほど困難な状況でも、どれほど強大な敵が相手でも。
『ますたー!』
アンヤがいち早く伝えてくれ、そのすぐ後に私を含めた全員の感覚がそれを捉える。
――来た、私たちの誰もがそう思った。
『超高濃度の魔力反応。それも複数』
『ふん、一斉に撃って私たちを確実に仕留めようってわけ?』
あれほどの巨体から放たれることになる最大の魔法。それも複数体による同時攻撃。
どれほどの規模になるかは容易に想像がつく。……いや、大きすぎて想像しきることなんてできないと言うべきか。
防ぐだけなら簡単だ。
私たちは神器“天倫”を纏っているし、何なら破壊の神力で打ち消してあげてもいい。
『でも違いますよね』
『ボクたちのハーモニクスはさらにその上を行くんだ!』
取るべき行動は防御ではない。最大の反撃に繋がる一手。
『来るよ!』
『お姉さま~!』
凄まじい勢いで迫ってくる敵の魔法。
今、ここで使うのは――調和の魔力だ。
『……魔力解析!』
調和の魔力は自在にその性質を変えることができる。ハーモニクスだって私とみんなの全てを繋げるために調和の魔力を変質させることで実現している。
ならそれは敵と同じ魔力に変質させることも可能だということだ。
敵の魔力を瞬時に解析。それと同質の魔力に変化させた調和の魔力で受け口を生成し、敵の魔法を吸収。自分の魔力に変換させて、今度はこちらの力として自在に操る。
それこそがこの【ハーモニック・チューニング】。
そして今、リヴァイアサンたちの放った魔法が私の目前まで迫り――全てが吸収された。
『変換!』
今度は吸収された全ての魔力がその性質を変え、一か所に収束していく。
そうして放たれた膨大な魔力の奔流は――瞬く間にリヴァイアサンたちを撃滅させたのであった。
続きます。




