07 もしものダンジョン
色々なことに片が付いたことで7人での旅を再開した私たち。
世界中あちこちを旅する中で新たな出会いをすることもありつつも、偶然会った友人と旧交を温めることだってある。
今日開かれている9人での食事会はそのうちの後者だ。
「んで、この前行ったそのダンジョンがマジで可笑しくってな」
「そんなに特殊な性質を持ったダンジョンなの?」
「その筋じゃ、五本の指に入るくらいにはかなり特殊な体験ができるって有名なのよ」
「へぇ」
私の問いにそう答えてくれたのは赤髪で眼鏡を掛けた一見知的な女性冒険者のロージーだ。
その隣に座っているのは彼女のパートナーを務める小柄な女性ベルである。
そんなベルが片肘を突き、手に持ったスプーンの先端を私に向けてくる。
「つーか女神ならダンジョンの性質くらい把握しとけっての」
「こっちはたくさん信仰心を捧げてあげているっていうのに職務怠慢なんじゃないの?」
「いやいやいや、無茶言わないでよ。女神だって全知全能じゃないんだよ」
慌てて首を横に振る私の様子がそんなに可笑しかったのか、ベルとロージーはくすくすと笑っていた。
どうやらただの冗談だったようだ。
――まったく、意地の悪い先輩である。
「それで……いったいどんなダンジョンなんです?」
話の続きを促そうとしたコウカの唇にロージーの人差し指がピトッと当てられる。
「ふふっ、それは行ってからのおたのしみよ」
「まあ、今アタシたちが言えんのはそのダンジョンは通称“もしものダンジョン”って呼ばれてるっつうことくらいだな」
――もしものダンジョン?
聞き覚えはない。
でもそれが特殊な体験ができるダンジョンであるというのであれば、そういった類のダンジョンが好きな私たちとしては行かないわけにはいかなかった。
◇
女神としてダンジョンが作り上げられるプロセスを理解している私としても、独自のルールが適用されるダンジョンの中で体験する非日常な体験には心が惹かれる。
ダンジョンとは天然のレジャー施設でもあると私は思っている。
「へぇ、中は街みたいな造りになっているんだ」
「つっても建物以外には何もねーけどな」
どうやらダンジョンの内装自体には何も面白味がないようだ。
「ねえ、本当にここが面白いの?」
「まあ待っとけって」
「そうそう。少し歩いていれば多分会えるはずだから」
「会える……?」
私がロージーの言葉を反芻している時だった。
「そこのあなた達、待ちなさい。少し話を――」
鈴を転がすような声で発せられた生真面目そうな言葉が私の鼓膜を震わせる。
そうして私は声の主の方へと視線を向け――驚愕した。
「えっ、ベル!?」
そこにいたのはどこからどう見てもベルと瓜二つの人物だったのだ。
でも私の隣にも確かにベルはいる。この2人の違いは服装くらいのものである。
「アリアケ様……!?」
目の前の彼女はどうやら私のことも知っているようだ。正直な話、意味がわからない。
この光景に瓜二つの表情で驚愕しているヒバナとシズクを見て、私はある1つの結論に辿り着く。
もしかして――。
「ベルってもしかして……双子だったり、とか?」
「ちげえって。これがこのダンジョンなんだよ」
私がその言葉の意味について考え始めると、目の前にいるもう1人のベルが顔を顰めた。
「見覚えのある顔があると思えば、あなたもいたのですか……」
「おうおう、お前が存在できているんだから本物のアタシもいるに決まってんだろ。ちょっとは頭を使えよな」
「……またアタシに対してダンジョンが作り出した偽物だとか、そんな戯言を口にするつもりですか。アタシにはちゃんと25年間生きてきた記憶があります。どう考えても偽物はあなたの方でしょう」
「ハッ、アタシの記憶を元に作り出された偽の記憶でどうしてそこまで胸を張れんだ?」
「だから――」
「ダンジョンの制約で偽物は本物を傷つけることができないようになっているんだってな。つまりお前がアタシを傷つけることができなければそれが証明になる」
「――ああぁっ、さっきからペチャクチャとうっせえなオイ! 意味わかんねぇことばっか言ってないでアタシの話を聞けっての!」
そっくりな顔同士が喧嘩を始めたことで唖然とする私たちだが、そのやり取りからこのダンジョンについて大まかな推測ができた。
「はぁん……堅物気取りのベルもやっぱり最高ね。今のうちに脳に焼き付けておかないと」
「……忙しそうなところごめんね、ロージー。答え合わせさせて」
私がこのダンジョンに対する己の推測を述べると、ロージーが満足げな微笑みを浮かべながら頷いた。
「御明察。ここでは自分とはちょっと違う人生を歩んだ自分自身と会うことができるの。勿論ダンジョンが生み出した偽物だけどね」
「だから“もしものダンジョン”なんだね。たしかにそんなことはここでしか体験できないかも」
「そうでしょう。あのベルは騎士団を辞めずにずっと騎士を続けているベルってところかしら。当時は素の自分を隠して騎士をやっていたの。だから今も騎士を続けているという“もしものベル”はちょっとお堅い感じの態度なんでしょうね」
でも今も繰り広げられているベルとの言い合いでは完全に粗雑な口調になってしまっていることから、“もしものベル”も中身はほとんどベルと同じなようだ。
「じゃあ今も騎士を続けている“もしものロージー”もここにはいるのかな?」
「もちろん。でも私の場合はベルほど面白くないかも」
個人差があるということだろう。
でも完全に同じというわけではないはずだから、会うのが少し楽しみになってくる。
「あら、噂をすれば……」
そう呟いたロージーの視線を辿っていくと、喧嘩をしている2人のベルに近寄っていく人影が見えた。
「大体、アタシはお前の態度が――」
「そのくらいにしておきなさい、ベル。もう1人のベルも……この子が随分と迷惑を掛けたようね」
「なっ、ロージー……!」
「ベル、一旦深呼吸して落ち着いて? 口調が荒くなっているわよ」
なるほど、あれは――。
「真面目な時のロージーか」
「だからあんまり面白くないって言ったでしょう?」
普段はちょっとしたことでも興奮する“ベル狂い”のロージーだけど、張り詰めた場面では冷静で仕事のできる真人間になる。
あの“もしものロージー”はかなりクールビューティ感がマシマシなのが少しだけ違うところだろうか。
「アレを見ていると、なんだかすごく不安になってきたわ……」
「うん。あたしも同感……」
私とロージーの会話を聞き、遠い目をしながら2人のベルと“もしものロージー”を眺めているヒバナとシズク。
それとは対照的に他の子たちは期待に満ちた表情を浮かべていた。
「えっ、どうして? ボクは逆に楽しみになってきたくらいなのに」
「わたくしも~もう1人のわたくしに会えるの~楽しみ~」
「だよねっ!」
「ね~?」
ダンゴとノドカだけではなく、コウカとアンヤも概ね同じ思いを抱いているようだ。
そして私はというと――。
「もしもの私かぁ……」
不安はあるけど、たしかに楽しみではあるかも。
――願わくは恥ずかしいような感じではないことを祈るだけだ。
◇
それはもう1人のベル、ロージーと別れて数分経った頃だった。
談笑しながら歩いていた私たちの正面からどこか賑やかな集団がこちらに向かってくる。
「えへへ、ユウ様ぁ。ヒィ、今日もいっぱい頑張ったんだから、ご褒美ちょうだいっ」
「あっ、ずるい! ユウ様、シィもシィも!」
「あはっ、まったく困った子猫ちゃんたちだね」
その集団に目を向けた私の頭の中から一瞬だけ全ての思考が消え去ったかと思うと――次の瞬間には無意識のうちにその場で180度体を回転させていた。
「ロージー、ユウヒを押えとけ! 何だよ、絶対やべえだろあれ!」
「これは大当たりね、ベル!」
「ちょっ、ロージー離して! もう帰る、私は帰るから!」
抵抗を続けつつも視線を逸らせば、私と同じようにベルの手によって捕まっているヒバナとシズクの姿が見える。
――やっぱり見間違いなどではないのだろう。
やがて観念し、再び正面に体を向け直した私の視界にまず飛び込んでくるのは3人の少女。
1人の少女の両隣から体を寄り添わせる赤髪と青髪の少女の姿がそこにはあった。
抱き着かれている方の少女も2人の少女の肩に手を回して抱き寄せている様子から、相当あのシチュエーションに慣れていることが窺えた。
「……ん、あれ?」
「あっ……」
どうしよう、完全に目が合ってしまった。
軽く目を見開いた様子の少女であったがすぐに表情を取り繕うと、抱き着いていた赤髪と青髪の少女をやんわりと払い除けてからこちらに歩いてきた。
「やっぱり会えた。はじめまして、私」
「あ、うん。はじめまして……でいいのかな? えっと、ユウヒ・アリアケです」
「あはっ、知ってる。私もユウヒだし」
間違いない。この子こそが私とは別の人生を歩んできた“もしもの私”なのだろう。
外見的な差異としては私と違って髪を下ろしていて、少し大人っぽい恰好をしているのが大きいのだろうか。
纏う雰囲気や表情の作り方にもどこか違和感を覚える。
そのせいで自分と同じ人間だとは思えず、ついどぎまぎしてしまっているわけだが。
「へぇ、これが私か」
「えっ、何……」
近寄ってきた“もしもの私”はジロジロとこちらの顔を観察してきたかと思えば、今度は私の髪を手で掬い上げて目を細めた。
「良く言えば純朴かな。……面白い、こんな可能性も私にはあったんだ」
「えっと……」
「別人としてみれば意外とかわいいね。あはっ、つまみ食いをしても君は許してくれるのかな?」
「……どういう、こと?」
「本当に初心なんだ。そんな反応をされると、余計に食べたくなっちゃうよ……ねえ」
気付けば腰に手を回され、彼女の吐息が顔に掛かるくらいには体が密着してしまっている。
私の知らない香水の香りが鼻孔をくすぐった。
「真っ白な君を汚してみたら、いったいどんな色になるんだろうね」
目の前にいる彼女が作り出すこの雰囲気によくわからないうちに飲み込まれてしまいそうになるが、後ろから聞こえてくるベルとロージーの爆笑する声が私を現実に引き戻してくれる。
「自分自身に言い寄られるって……! やべぇ、マジで何があったらあのユウヒがああなるんだよっ!」
「あの子が垢抜けたってああはならないでしょ! あぁん、もう本当に可笑しいっ」
冷静さを取り戻した私はまず自分がどんな状況に置かれているのかを理解することに努めた。
――だが“もしもの私”からの猛攻は止まるところを知らない。
「みんなが君と私のことを見ているみたいだ。柔肌を焼くような熱い視線、君も感じているでしょ?」
「えっ……ひゃっ!?」
「あはっ、かわいい悲鳴。私のことを誘っているのかな?」
耳元で囁かれるだけに止まらず、耳を啄まれた私の全身をぞわっとした感覚が駆け抜けた。
真面目な話、そろそろ誰かに助けを求めるべきであるような気がしてくる。
そう思って周囲を見渡すと他のみんなも似たような状況に置かれていることがわかった。
「あの、もう1人のわたし。立ち合い稽古をやってみませんか? こんな経験滅多にできるものでもないですし」
「立ち合い稽古……?」
「もしかして興味ないですか? ……ダメ、でしょうか?」
「ダメなものかっ! いい、最高だ……その剣でわたしを痛めつけてくれるんだろ? 何度も、何度も、何度もッ! 斬り刻んで、わたしに生の実感を与えてくれるんだろう!?」
「え……ええっ、生の実感!? お、落ち着いてください! あなたは何を言っているんですか!?」
なんというか“もしものコウカ”は表情が怖い。わたしのよく知っているコウカとは態度からして全然違うようだ。
付き合い辛そうな印象さえ覚える。
――少し視線をずらして別の場所も見てみる。
「ねえ~もう1人のわたくしも~お昼寝好きなの~?」
「別にー嫌いじゃねーだけですよー」
「よかった~? なら~一緒にお昼寝しよ~?」
「わーやめろー離れろーくっつくなー。こいつーうぜぇですー」
「んふふ~あったかい~……」
ノドカたちは抱き合いながらプカプカと浮いた状態で昼寝を始めた。
不貞腐れた顔でどこか斜に構えたような態度を取っている“もしものノドカ”だけど、根っこはうちのノドカとあまり変わらないのだろう。
のんびりとしていて、すごく微笑ましい光景だ。
――また違う場所に目を向ける。
「ねえねえ。ボクだけじゃなくてさ、キミの話ももっと聞かせてよ!」
「ひぅっ……ぼ、ぼくの……?」
「うん! キミも花が好きなんでしょ?」
「え……わ、わかるの……?」
「当然でしょ、キミはボクなんだからっ」
「あ……ぼくは、その……あ、あのねっ」
驚いた。“もしものダンゴ”は私のよく知っているあの子の姿からは想像できないくらいに引っ込み思案な子のようだ。
でもうちのダンゴは上手くその緊張を解して、楽しそうに談笑を始めていた。
やっぱりダンゴは誰とでも仲良くなれるすごい子だ。
――よし、他の子も見てみよう。
「……アンヤの話は終わり」
「なら次はアンヤの番ね。アンヤのママとお母さんの話、聞いてくれるかしら?」
「……アンヤのママ?」
「そうっ、アンヤにはとっても素敵なママとお母さんがいるのよ。アンヤのママは――」
物静かなうちの子とは違って、“もしものアンヤ”はかなり饒舌なようだ。……というか、ママって誰の事だろう。
詳しい話はアンヤが聞いているだろうし、後であの子に聞いてみよう。
それにしても興味深い。
生き方、出会い方次第ではあの子たちにもあんな可能性があったということなのだ。
“もしものあの子たち”がどんな人生を送ってきたのか、じっくりと聞いてみたいものである。
さて、最後にヒバナとシズクを――。
「ねえ、どうして私のことを見てくれないの?」
「あっ」
目の前に現れたのは“もしもの私”の顔だった。
「妬いちゃうじゃん。もしかして、それが君の作戦なのかな?」
「いや、そんなつもりじゃない……けど」
「なら、今くらいは君の視線を独り占めにさせてよ」
――昔見たドラマでこんなシーンがあった気がする。そう思ったら少し楽しくなってきたかも。
それにしても本当に不思議だ。
別の人生を歩んできたといっても私のはずなのに、どうしてこんな歯の浮くようなセリフを平然と口にできるのだろう。
「あはっ、また目が泳いだ」
恥ずかしがる様子もなく素面のまま口にしているので、どんな人生を送っていればこんな人格形成がされるのかが純粋に気になる。
気になり始めたら止まらなくなってきた。
「ねえ、イジワルしないでよ……私はこんなにも君に釘付けなのに」
私の顔は2つの手によって挟み込まれ、まるで吸い込まれるような彼女の瞳が――。
「いい加減、ユウヒちゃんから離れて」
――だがシズクの声が聞こえてきたその瞬間、飛来した小さな水球が“もしもの私”にぶつかったことで勢いよく弾けた。
私が咄嗟に声が響いてきた方向に顔を向けると、そこには杖を構えたシズクの姿があった。
「茶番は終わり。あなたの行動は少し目に余るよ」
「……ふぅん。なら少し趣向を変えてみようかな」
淡々と言葉を告げるシズクと、びしょびしょになりながら小さな声で何かを呟く“もしもの私”。
「ユウヒちゃん、あとはあたしに任せてもらってもいい?」
どこか計算高そうな彼女の思惑については薄々勘付いていたことではあるけど、ここでシズクが行動を起こしたということはやはりそういうことなのだろう。
私は互いが危惧していた可能性の答え合わせも兼ねてシズクの目をまっすぐ見つめ返すと、やがてゆっくりと頷いた。
「うん。よろしくね」
続きます。




