02 ツンツンおてんば姫
一部のサブキャラクターとのお話も書いていきます。
邪神を倒してから1年も経っていないくらいの出来事です。
「おい。明日、隣町に行くから付き合え」
聖都ニュンフェハイムに建つ宮殿の廊下を歩いていた時のことだ。
こっそりと廊下の角から呼び止められたかと思えば、終始むっつりとしながらそう告げてきたのはある1人の少女。
「えっと……」
「朝、お前ひとりで宮殿前の広場まで来い。あと、あの精霊たちは連れてきちゃだめだから!」
「あっ、ちょっとプリヴィアちゃん!」
赤い髪と長い尻尾を左右に揺らしながら背を向け、去っていくのはミーシャさんの愛娘であるプリヴィアだった。
飛竜と人間のハーフであるという彼女はミーシャさんをはじめとする一部の人間以外には反抗的な態度をとることが多いのだが、そんな子がどうして私に声を掛けてきたのだろうか。
この間は人化の際に翼を隠せるようになったとわざわざ自慢しに来てくれたので嫌われてはいないと思うのだが、いまいち自信が持てない。
「まあ、いいか」
あの子は体が大きいだけで中身は小さな子供と一緒だ。そんな子のお願いを無碍にするのは気が引ける。
一日くらい付き合うなんて訳ないだろう。
そうして迎えた翌日。
プリヴィアとの約束通り1人で宮殿前の広場までやってきた私は見覚えのある長身の男性の姿を見つける。
その傍にはお尻から尻尾を生やした件の少女がいることから、彼に間違いなさそうだ。
「いい、プリヴィア。街に入ったら尻尾をむやみに振り回さないこと。誰かに当たったら怪我をさせちゃうかもしれないわ」
「わかってます、母様」
「それと知らない人に話しかけられても絶対に付いていってはダメよ」
「当たり前です」
「あと、人混みを歩くようなときは迷子になってはいけないからユウヒちゃんの手を絶対に離さないように」
「うっ……はい」
「うん、いい子ね」
娘の頬を撫でるミーシャさんと目を細めながらそれを甘受しているプリヴィア。
そんな親子のやり取りを微笑ましく思いながら近づいていくと、彼らも私の存在に気が付いたらしい。
こちらに振り返ったミーシャさんが口を開く。
「ユウヒちゃん、おはよう」
「おはようございます、ミーシャさん」
「今日は朝早くからごめんなさいね」
「いえ、私も楽しみにしていたくらいですから全然気にしないでください」
私の言葉に笑みを深くしたミーシャさんはそっとプリヴィアの背中を押した。
一歩前に出た彼女が口を開く。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
そう言いながら少しだけ頭を下げた彼女だが、その言葉には驚くほどに感情がこもっていなかった。
親の手前、形だけは礼儀よくしようと思っているのだろう。……そうしないとミーシャさんに叱られてしまうのかもしれない。
そんな彼女の様子に私とミーシャさんは顔も見合わせて苦笑した。
「今日一日、うちのおてんば娘のことをどうぞよろしくお願いします、ユウヒちゃん」
「はい、お任せください」
ミーシャさんは別に休暇であるというわけでもないようで、今日も騎士団の仕事があるらしい。
これがプリヴィアが私を呼び出した理由なのだろうか。
――そこまでして街に行きたかったのかな?
ミーシャさんに見送られながら隣町に行く馬車を待たせているという場所を目指して歩く私たち。
気持ちが急いているのか、私の前を少し早歩きで進むプリヴィアに私は話しかけることにした。
「今日は随分とおしゃれしてきたんだね」
彼女が身に纏っているのは涼しげなワンピース。
頭にはカンカン帽を被っているし、普段は下ろしているその赤い髪も今日はリボンを使って編み込んでいるようだ。
「これはティアナさんが勝手にやってきたんだ。……別にいらないって言ったのに」
不貞腐れたような声を出すプリヴィア。
彼女は普段と違う髪型が落ち着かないのか、編み込んだ髪を自身の手で何度も繰り返すように撫でている。
「でもすごく似合ってるよ。その帽子も素敵だし」
紛れもない本心からの言葉ではあるが、軽い気持ちで口にした言葉である。
だが想像以上にプリヴィアへは響いた様子だった。
前方に向かって大きく一歩を踏み出した彼女は立ち止まり、こちらに振り返ると胸を張る。
「ふふん、そうだろう。この帽子は角を隠せるようになったお祝いに母様からいただいたアタシの宝物なんだ」
以前は額の右側から少し大きめの角が生えていたので帽子を被ることができなかったはずだ。
それを隠せるようになったお祝いとしてはそれ以上の物はないだろう。
――こういった記念の贈り物って本当に嬉しいものだよね。
当時の思い出を饒舌に語ってくれるプリヴィアの話を聞きながら、私は心の中でそう独り言ちた。
そうして乗り込んだ2人だけの馬車の中。
対面に座って外を眺めていたプリヴィアに問い掛ける。
「それにしてもどうして隣町まで行きたいと思ったの? それもミーシャさんがお仕事の日に」
休日はよくミーシャさんと一緒にニュンフェハイムの中を出歩いているというのは知っている。
でもいくら別の街に興味があると言っても、ミーシャさんの休暇を待てないというのは正直不思議だった。
「母様と一緒じゃダメなんだ。それにニュンフェハイムはアタシのことを知っているヤツも多い」
「どうしてダメなのか聞いてもいい?」
「それは……秘密にしたかったから」
「秘密?」
「そうだ。今日、街に行くのは母様の誕生日プレゼントを選ぶためなんだ」
なるほど、ミーシャさんの誕生日か。それもサプライズときた。
ミーシャさんの耳に入らないように少しでも情報の拡散を抑えたかったから私と一緒に隣町まで行く、そういう解釈でいいのだろう。
私なら他言しないと少しは信用してくれているのかもしれない。
「そういうことなら任せて。一緒にミーシャさんへの最高のプレゼントを見つけよう」
「ふん、別に頼りにはしていないからな。勘違いするなよ、救世主」
まあ、相変わらずそっけない態度だけど。
それにしても――。
「プリヴィアちゃんっていつも私のことを救世主って呼ぶよね。一応言っておくと私、救世主から女神になったんだけど……」
別に敬えと言っているわけではないし、今の彼女の態度を咎めるつもりも全くない。彼女にも誤解がないようにそのことをしっかりと伝える。
教団関係の人の中だとプリヴィアだけが私をまだ“救世主”と呼んでいることがただ疑問なだけだ。
「女神なんて絶対に呼ばないぞ」
「……どうして?」
「女神“様”って呼ばないといけなくなるからだ」
「別に私は“様”なんてつけなくても気にしないけど……」
「叱られるんだよ! アタシがどこで生活していると思っているんだ、それぐらい分かれ!」
私の想像以上に小さな理由だった。
女神を呼び捨てにすると教団の人が良い顔をしないのは容易に想像がつくが、それにしても小さい。
どうしたものかと考え、やがて1つの案が思い浮かんだのでそれを頭を抱えて蹲っているプリヴィアちゃんへと伝える。
「だったらユウヒでいいよ。女神になってもそう呼んでくれる人も多いし」
「それはもっとダメ!」
代替案として挙げたつもりなのに、これまでにはないくらいの勢いで拒絶されてしまった。
「……なんかむず痒くなる」
結局、これまで通りの呼び方で通すらしい。
そっちの方がこの子も呼び慣れているのだろうし、この子が納得しているのならそれでいいか。
◇
数時間かけて馬車で移動した私たちはニュンフェハイムから少し離れた街の中を歩いていた。
ただやはり尻尾を生やした女の子は珍しいようでプリヴィアは人々からの視線を感じて少々落ち着かない様子だ。
まあ、すぐにこの子自身がその視線に慣れたみたいだけど。
「なにかプレゼントの目星はついているの?」
「そんなのない。これから探すんだ」
「そっか」
目に付いた店を手当たり次第に巡っていくつもりらしい。
時間もまだまだあるし、今は何も言わずに彼女に付き合うことにする。
「うわぁ……なんだか混んでるね。何かイベントでもあるのかな?」
「そんなのアタシが知っているワケないだろ」
それはそうなんだろうけど、もう少し話に花を咲かせてくれてもいいだろうに。
私が苦笑いを浮かべているとプリヴィアはずんずんと人混みに向かって歩いていく。
「人が多いってことは何かめぼしいものがあるってことだ」
「え、ちょっとプリヴィアちゃん。ミーシャさんとの約束は?」
「お前と手を繋ぐなんて死んでも……ってわわっ!?」
案の定というべきか、あっという間に人の流れに攫われてしまいそうになっていたので慌てて駆け寄ってその手を握る。
「もう。人混みに慣れていないんだから、ちゃんと手を握っておかないと。……ね?」
「うっ……今日だけだからな……」
不本意そうではありながらも、彼女はぎゅっと私の手を握り返してくれた。
そうして街巡りを再開した後、ありとあらゆる店に入って中を物色しては何も収穫を得られないことを繰り返していた私たち。
ミーシャさんへの贈り物として、いまいちピンとくるものがないらしい。
きっとミーシャさんはプリヴィアの選んだものなら何でも喜んでくれるだろうが、だからといって適当に選べるものでもないからプレゼントというのは難しい。
「中々、いいのが見つからないね」
「……うん」
少し不安になってきたのか、プリヴィアは俯きがちに歩いている。
ここは私が助け舟を出してあげるべきだろう。
「ねえ、ミーシャさんってお休みの日は何しているのかな?」
「え?」
「贈り物って相手が喜んでくれる姿を想像しながら選ぶんだ。だから趣味とか好きなこととか、そういったところにヒントがあると思うよ」
多分、プリヴィアは贈り物を選んだことすらないのだ。
だから基本だと思えるようなことであっても教えてあげるほうがいい。
「……どうだろう。母様は休みの日になるといつもアタシを色んな所に連れて行ってくださる。自分のことはいつも後回しだ」
そう言いながら暗い表情を浮かべるプリヴィア。
自分の存在がミーシャさんの迷惑になっているのかもしれないとでも想像しているのだろうが、そんなに不安がることはない。
「ミーシャさんはプリヴィアちゃんといつも一緒にいたいってことだよ。それだけプリヴィアちゃんのことを愛しているんだね」
「ちょっ……頭なでるなぁ……っ!」
あの人は自分の娘が可愛くて仕方がないだけだ。目の中に入れても痛くないくらいに。
そうしてしばらくの間、カンカン帽の上から嫌がる彼女の頭を撫でていた私だったが、やや強引に手を引き剥がされてしまった。
「お前はやっぱり油断ならないヤツだ……」
「あはははは、でもプリヴィアちゃんの話を聞いたおかげでミーシャさんへのプレゼントが思い浮かんだよ。どう、聞きたい?」
「えっ、本当か? 聞かせろ!」
プリヴィアがすごい勢いで食い付いてくる。
あまり焦らしていてもかわいそうなので、私は自分のアイデアを語る。
「普段はミーシャさんが色んな場所に連れて行ってくれるのなら、今度はプリヴィアちゃんがミーシャさんにこの街のおすすめスポットを案内してあげるんだ」
「……それって贈り物なのか?」
「何も形があるものに拘らなくていいんだよ。大切なのは相手に喜んでもらうことなんだから」
「……母様はこの街をアタシに案内されて喜んでくださるのだろうか」
「そのための楽しい場所をこれから探しに行こうよ。今日はミーシャさんの誕生日に備えてプリヴィアちゃんが目一杯楽しむ日だよ」
語り終えた私が微笑みかけると、プリヴィアの顔にパッと花が咲いた。
「――へぇ、ボート体験だって。興味ある?」
「ボート?」
「水の上を進む乗り物だよ」
「乗り物……乗ってみたい!」
「よし、行こう」
ボート乗り場に行き、お金を払った私たちは1つのボートに同乗する。
まずは私がオールを担当し、池の中心を目指して進んでいく。
その間、プリヴィアは私の手元や周囲の風景を物珍しげに眺めていた。
そしてタイミングを見計らって、座る位置を交代する。プリヴィアにも漕いでもらうためだ。
「あ、あれ……進まない……どうして進まないんだ?」
困惑した様子のプリヴィアはオールを必死に動かすが、バシャバシャと水飛沫が上がるだけであまり進む様子がない。
ただ漕ぐだけのようで意外と難しいものなのだ。まあ、彼女の場合はただ理屈が分かっていないだけだと思うけど。
「プリヴィアちゃんは泳いだことってある?」
「……ない」
「そっか。じゃあ一旦オールから手を離して水の中に手を入れてみよう」
私の言葉に素直に従ってくれた彼女が水に手を突っ込む。
私もほぼ同時に手を水に入れ、彼女にボートが水の上を進む理屈を教える。
「水の中で手をこうやって動かしてみて。そして次は手首の向きを変えた状態でまた同じ方向に動かす。……ね、少し手の動かしやすさが違ってこない?」
もちろん、教えるのはすごく簡単なものだ。
難しい言葉をわざわざ覚える必要もない、感覚で覚えてしまえばそれでいい。
「これって手のひらでたくさんの水を受け止めて押し出してあげているんだ。この水をたくさん押し出してあげるっていうのが水の上を進むためにはすごく大切なことなの」
あとはオールの先端に付いているブレードが手のひらと同じだと思ってもらえれば自然とその動かし方が分かってくるはずだ。
その基本さえわかってしまえば、自然と進むようになる。
あとは体の動かし方を簡単に教えつつ実践してもらうだけだ。
「――進んだ、進んでる!」
「上手じゃん!」
後ろに首を向けながら漕ぎ続けるプリヴィア。
やっぱり飛竜は人化していてもパワーが有り余っているようでかなりの速度でボートが進む。
「……あっ!?」
無邪気な声を上げながらボートを漕ぎ続けていたプリヴィアが唐突に声を上げ、自分の頭の上に手を伸ばそうとする。
――でもそれより前に異変を察知していた私が既に動いていた。
「おっとと。ギリギリセーフだね」
風に飛ばされそうになった彼女のカンカン帽を掴み、それを頭の上に戻してあげる。
「次からは飛ばされないようにちゃんと被っておきなよ」
「……うん」
小さく頷いたプリヴィアはボートを漕いでいる間は自分の尻尾で帽子を上から押さえるようにしたらしい。
その後、すぐにさっきまでの調子を取り戻したプリヴィアは再び勢いよくボートを漕ぎ始めた。
◇
「まずはボートに乗って……いや、最後の方がいいのか?」
隣町から帰ってきた私たちは夜のニュンフェハイムを歩く。
私の隣ではボート体験を始め、様々な場所を巡ったプリヴィアがミーシャさんと一緒に出掛けた際のプランを既に考え始めているようだ。
それに時折、合いの手を入れつつ宮殿への道を辿っていると道の向こう側に見覚えのある人影を見つけた。
「あっ、母様!」
プリヴィアもすぐに気が付いたようで、ずっと握っていた私の手を離して駆け出した。……と思ったのだが不意に立ち止まると、その場で振り返る。
彼女は目を泳がせながら言葉を紡ぎ始めた。
「きゅ、救世主! お前がその……ちゃんとアタシのことを考えてくれていたのは伝わってきた。だからあの……今日はあ、ありがとうっ! それじゃあ、また!」
言葉を返す間もなく、彼女は再び走り出してしまった。
そして道の向こう側で出迎えてくれたミーシャさんに勢いよく抱き着いている。
「本当におてんばなお姫さまだったなぁ」
今日はあの気難しい姪のような印象を抱いてしまうあの少女によって振り回された一日だった。
――でも、そのおかげで彼女とは随分と仲良くなれた気がする。
そんなことを考えている私の頬は自然と緩んでしまっていた。




