01 神界での日常 ④
真剣な表情で見つめ合うコウカとダンゴ、それをジッと見つめる姉妹たち。
そんなあの子たちを私はキッチンのカウンター越しに見守っている。
夕飯時を迎えつつあるリビングは今、ある種の緊張感に包まれていた。
その理由は見つめ合っている2人の手元を見れば明らかである。
2人が手に持っているのは絵や数字等が描かれたカード――トランプ。
あの子たちは夕飯前の僅かな時間を使って様々な室内遊戯を繰り広げており、あの“ババ抜き”もその1つというわけだ。
「ダンゴちゃん~がんばれ~」
「ここは堪え時だよ。落ち着いていけば大丈夫」
ノドカとシズクからの応援を受けたダンゴが深く息を吐き、表情を引き締める。
それを見てやや苦い表情を浮かべたコウカは自分の手元にある1枚のカードに視線を落とした後、ダンゴの手元にある2枚のカードに視線を移した。
彼女はゆっくりと自分の右手をダンゴの手元に向かって伸ばしていく。
「誰かわたしにも声援をください!」
「…………」
「誰からもないんですか!?」
だが誰一人として言葉を発することがなかったため、コウカは勢いを削がれたかのように手を止め、周囲を忙しなく見渡し始めた。
「あるわけないでしょ。さっきのポーカーといい、どれだけ荒らしたと思っているのよ」
「わたくし~さっきボコボコにされました~」
「……ここで負けるべき。コウカ姉さんはいつもずるいから」
声援どころか、敗北を望まれる始末である。
これにはヒバナが言ったようにあのババ抜きより前に遊んでいたゲームに原因があった。
――コウカは運の要素が強いゲームだと類稀な強さを発揮する豪運の持ち主なのだ。
ただのまぐれと言ってしまえばそれまでだが、それだけでは説明できないものがコウカにはある。
「ほらどうしちゃったの、手が止まってるよ。もしかして負けるのが怖くなっちゃった?」
「ふっ……お姉ちゃんを甘く見ないでください、シズク。負けると思って勝負なんてできません。覚悟してください、ダンゴ!」
シズクの煽りを受け、やる気を再燃焼させたコウカの手が勢いよく伸びる。
それを誰もが固唾を飲んで見守った。
――そして、ついに彼女がダンゴの手から掴み取った一枚。
ゆっくりと翻されていくそのカードの表面に描かれているもの。彼女の表情から察するにそれは――どうやらジョーカーのようだ。
「そんなっ!?」
「やった! いけるよ、みんな!」
崩れ落ちかけるコウカとは反対に今にも飛び上がりそうな勢いのダンゴ。
そこにすぐさま姉たちが声を飛ばす。
「次の一手が勝負よ! 集中して!」
「自分を信じれば大丈夫! そのままコウカねぇなんて負かしちゃえ!」
双子からの熱の籠った声援によって、勝負はまだ終わっていないことを思い出した様子の両者。
ダンゴは目に闘志を宿し、コウカは次の一手に備えて先ほど取ったジョーカーを加えた手札を目にも止まらぬ速さでシャッフルした。
やがて準備を終えた2人が睨み合う。
「ボクは今、みんなから想いを託されているんだ。だから絶対に負けられない!」
「負けられないのはこっちだって同じです! たとえ誰から勝利を望まれていなくともわたしが勝ってみせます!」
――随分と気合入ってるなぁ。
みんながダンゴを応援しているというシチュエーションとコウカの負けず嫌いな性格が上手い具合に作用し、相乗効果を生み出しているのだろう。
まあ、決着自体はあっさりとついてしまったようだが。
「来た! 上がれたぁっ!」
「うぅぅっ!」
ダンゴは喜びのあまり跳びあがり、コウカは悔しさのあまり撃沈してしまう。
この結果にあの子たちは湧き上がって思い思いの労いの言葉をダンゴに掛けはじめていた。
――ダンゴもすっかりと天狗になっちゃって。
「……さすが。姉さんならやれると思ってた」
「ふふん。そうでしょ、アンヤ。もっとお姉ちゃんのことを褒めてくれたっていいんだよ!」
「……アンヤの方が順位は上だった、けど」
「うっ……」
アンヤの言うように先ほどの勝負はビリ争い。
バツの悪い表情を浮かべるダンゴであったが、指摘した本人であるアンヤはフッと表情を緩めた。
「でも頑張っていたと思う。お疲れさま」
「へっ? ……えへへ」
その様子を微笑ましく思いながら眺めているとこちらに向かっていやに肩を落としたコウカが近付いてくるので、私は包丁を置いて彼女に向き合った。
「マスター……マスター……あっちには誰も味方がいないんです。慰めてください……」
「はいはい」
力強く抱き着いてくるコウカを宥めていると、自然と口角が上がってしまう。
――まったく。普段からしっかりしているかと思えば、変なところで子供っぽいんだから。
しかしこればかりは私の特権だ。
“みんなの姉”という自負心が強いのか、ここまで無防備な甘え方をしてくれるのは私相手くらいのものなのだから。
「ほら、いつまでも悄気ていないで美味しいご飯を食べて元気出そうよ、ね?」
「……今日のご飯は何ですか……? 鍋ですか?」
「今日はすき焼きだよ。ティアナから良いお肉を――」
「すき焼きですか!?」
――どうやら食べるまでもなかったみたいだ。
今日の晩ご飯を聞いただけですっかり元気を取り戻したコウカがみんなに吹聴して回っている。
彼女の話を聞いた子たちもどうやら喜んでくれているようだ。
それとは別に一名、随分と慌てた様子でキッチンへと駆け込んできた子もいるのだが。
「ご、ごめん! 少し遊んでくるだけのつもりだったのに……!」
「あはは。そんなに慌てなくて大丈夫だよ、ヒバナ」
ヒバナと私は一緒に夕食の準備を始めたはずなのだが、この子はいつの間にか遊んでいるあの子たちの仲間入りをしていた。
まあ、私としてはそれを咎める気もなかった。
――楽しんできてくれたようで何より、それに尽きる。
だが当の本人は納得できていないようで、後の準備は自分がやるからと私はキッチンから追い出されてしまった。
「ヒバナ姉様、ボクたちもお手伝いするよ!」
「……すき焼き、早く食べたい」
「ん、助かるわ。ここに出ているものを食卓まで運んでいってくれる?」
私の出る幕はなさそうだし、お言葉に甘えて後はあの子たちに任せることにした。
――そして、ついにみんなが待ちに待ったその時が訪れる。
「それじゃあ、食べようか。いただきます」
「いただきます!」
箸を手に取るとまずは全員がお肉を取っていく。
私も例に漏れず、最初は牛肉からだ。
「あむ……んー! おいしい!」
「ええ、本当に! 頬っぺたが落ちそうです」
ダンゴに続きコウカが大きな声を上げる。
私を含め、その他の全員は声を上げることこそなかったものの表情を緩めて美味しいお肉を堪能していた。
そうして食が進むごとに自然と肉以外にも箸が向かうようになっていく。
だが当然、そうはならない子もいるもので――。
「ちょっとシズ、野菜は? さっきから肉ばかりだけど」
「だってお肉の方がおいしいし。それにお肉ばっかりじゃなくてお豆腐も取ってるよ」
「豆腐って……別にそういうことを言っているわけじゃないんだけど……」
肉はたくさんあるのでそうそう無くなるものでもない。
でも本人も言っているようにヒバナが言っているのはそういうことではないのだ。
「シズク姉様、野菜もちゃんと食べないとダメだよ」
ダンゴは私の知る限り、嫌いな食べ物がない。
そんな妹からの援護を受けたヒバナは得意げな表情でシズクに語り掛ける。
「ほら、ダンゴにも言われているわよ」
「別に嫌いなわけじゃないから自分に出されたものだったらちゃんと食べるよ。でもすき焼きやお鍋ってそういうものじゃないよね」
少し苦しい言い訳だろう。
本人もそれが分かっているからか、そっぽを向いて唇を尖らせている。
「……好き嫌いはダメ」
「あはは。もう、アンヤがそれを言っちゃうの?」
好き嫌いをしてはいけない、とはヒバナや私が口にすることの多い言葉だがアンヤは食の好みがかなり偏っている筆頭だ。
これにはつい笑みをこぼしてしまった。
アンヤのその言葉に笑顔を浮かべているのは私だけではない。
「んふふ~ならアンヤちゃんは~もう少し甘いものを控えないと~。それにこの前~ピーマンをダンゴちゃんに~……」
「ぇ……あ、ノドカ姉さんダメっ……!」
「え~?」
突如として慌て始めたアンヤがノドカの発言を遮った。
遮られてしまったがために全て聞こえてきたわけではないが、ノドカの言葉から推測するに嫌いなピーマンをダンゴに食べてもらったのだろう。
すっかり食べられるようになったのだと思っていたがどうやら違ったようだ。
「何それ、初耳」
私が確認のためにアンヤへ視線を向けると、彼女はバツが悪そうに目を逸らす。
「うぅ、秘密にしておいてほしかった……」
「あ~……ごめんね~?」
困ったような笑みを浮かべながらアンヤへと謝るノドカは次に隣に座る私の方に顔を向け、両手を合わせながら首を少し傾げた。
これは彼女から私に向けたメッセージだろう。自分に免じて今回ばかりはアンヤを追及してあげないでほしい、といったところだろうか。
私はノドカに向けてそっと首を縦に振った。
「手の掛かる妹だよ、まったく。ピーマンのおいしさが分からないなんてまだまだお子様な証拠だね!」
「……ピーマンを食べられるのは本気で尊敬する」
言葉とは裏腹に口角を上げながら胸を張るダンゴと小さなため息をつくアンヤ。
「アンヤちゃんってば~大げさすぎ~」
それを見守るノドカはくすくすと笑っていた。
こちらはこちらでそんなやり取りを続けていたわけだが、シズクの方はどうなったのだろうか。
疑問に思った私は彼女の座っている方に顔を向ける。
どうやらシズクはヒバナとコウカに挟まれながらも未だ折れずに意地を張ったままのようだ。
「シズク、あまりヒバナを困らせてはダメですよ。引くに引けなくなってしまっているだけなのはわかりますけど」
「……ほんとに、コウカねぇってなんでそういうことを言っちゃうのかな……そういうところがデリカシーに欠けてるってこと、わかってないでしょ」
「え……どうして咎められているんですか、わたし!?」
意固地になっている人に対して、それをそのまま指摘するのは基本的に良い対応とは言えないだろう。
これにはコウカと一緒にシズクを挟み込むような形で座っているヒバナも呆れ顔で姉の顔を見つめていた。
「あとこの手、何? 勝手に人の頭を撫でようとしないで」
「そんなっ……」
あまりにも対応を間違えすぎてしまっているコウカ。
ショックを受けた様子の彼女に代わり、私が意固地になってしまったシズクの築いた堅城を攻略してみせよう。
――まあ、やるのは至って簡単なことなんだけど。
「シズク、野菜もおいしいよ。騙されたと思って食べてみて」
「まあ……ユウヒちゃんが言うなら。ひーちゃん、よそって」
少し不満そうにしながらも自分の器を差し出したシズク。
このようにシズクは私がお願いすることなら、どんな時でも比較的素直に聞いてくれるのだ。
「なんだか納得いかないけど……まあいいわ」
シズクの器を手に取り、すき焼きの具をバランス良くよそっていくヒバナ。
仏頂面でそれを見守っていたシズクであったが――ある具材が自分の器に入った時、咄嗟に顔色を変えて食卓へと身を乗り出した。
「あっ! ひ、ひーちゃんしいたけ! しいたけはいらない!」
「そう言われてももう入れちゃったわ。はい、頑張って食べて」
「いらないっ、取って! んー! んー!」
受け取ってしまった器をヒバナへと突き返して、なんとか嫌いな具材を食べまいとするシズク。
しばらく駄々をこねていた彼女だがヒバナが何も対応してくれないと分かると、次に落ち込んでいるコウカに顔を向けた。
「ふん、別にいいもん。……コウカねぇ、あーんして」
「えっ、いいんですか!? あーん……なんだかシズクに食べさせてもらうのも久しぶりな気がします……!」
シズクにしいたけを食べさせてもらい、元気を取り戻したコウカは再び鍋から具を取って食事を再開している。
自分の器から嫌いな食べ物が消えたことで満足げな表情を浮かべていたシズクであったが、それをヒバナが見逃すはずもない。
「こら、シズ! コウカねぇもなんで食べちゃうの!」
「え……シズクにあーんしてもらえるのが珍しくてつい……」
「ついって……まったく、シズもコウカねぇも……」
これ以上は言及する気もないのか、苦笑したヒバナは自分の食事を再開するつもりのようだ。
シズクもすっかり気持ちが落ち着いたのか、嫌いなものは除けつつではあるものの素直にバランスよく食事を摂っている。
私も食事を再開しようかと正面に顔を戻した――その時、隣から私の口元に肉が差し出された。
「お姉さま~あーんしてあげる~」
「ほんと? あーん」
「えへへ~美味しい~?」
「んー」
ニコニコとしながら私の食べる姿を見つめていたノドカであるが、私が口の中にあった物を飲み込んだ瞬間にお返しを求めるように大きく口を開いた。
――まあ、知ってたけど。
私は自分の器から肉を取り、それをノドカからしてもらったように彼女へと差し出す。
「はい、ノドカ。あーんして?」
返事をするなりすぐさま飛び付いたノドカの顔を見る限り、随分とご満悦であるようだ。
「あ、いいなー。ボクにもあーんして!」
「わたしもしてほしいです!」
「……アンヤも」
なんだか随分と人気者になってしまったようだ。
みんなとのスキンシップは素直に嬉しいので彼女たちのお願いを快く引き受ける。……まあ、その後は私もやってもらうつもりなんだけど。
――やっぱり食事は美味しく、そして楽しく摂るのが一番だ。
◇
「ねえ姉様たち! こっち来てよ、今日はすっごく星が綺麗に見えるよ!」
「月も……きれい」
食後の後片付けも終わってゆっくりと休憩していると、縁側で並んで星空を眺めていたダンゴとアンヤがやや興奮した様子で部屋の中にいる私たちへと呼び掛けてきた。
2人の呼び声に従い、ぞろぞろと外に出る私たち。
そして辿り着いた者から順番に夜空を見上げていき、それぞれが感嘆の声を漏らした。
私の視界は宝石を散りばめたような星空によって染め上げられる。
これは満天の星と呼べるものだろう。
「わぁ……たしかに綺麗ね。シズ、今日って何か特別な日なの?」
「どうなんだろう……あたしも空のことはまだあんまりだし」
天界と地上界は少し位相が異なる場所に存在しているが、空自体は同じものを見ている。
なら地上界では今日の星空について話題になっていたりしたのだろうか。
「ねえみんな、上だけじゃなくて下も見てみてください」
コウカの声に引き寄せられるように視線を移した私たち全員が息を呑んだ。
そこにはもうひとつの星空が存在していたのだ。
「わぁ~素敵~!」
「水面が星空を反射して……すごいね、この景色」
この家は丘の上に建っていて、丘を降りた先には大きな湖が広がっている。
その湖の水面が星の光を反射して、もうひとつの星空をその水面に映しだしているのだろう。
「少し、降りてみようか」
私の一声で丘の麓へと下っていった私たちは湖へと近づいていく。
そして近づく度に視界を占領していく2つの星空が私たちを圧倒する。
ここに夜桜が加わったら、もっと素敵なものになるだろうな。私は湖のほとりに咲く木々に目を向け、そう心の中で呟く。
この世界には元々存在していなかったが、私が恋しくなってしまったからとシズクとダンゴに協力してもらいながら生み出したこの桜たち。
未だ成長途中の小さな木々たちだが、いつか春になるとたくさんの花を咲かせる立派な桜へと成長するだろう。その日が待ち遠しくてならない。
きっと今日のような満天の星と夜桜が合わさって素敵なハーモニーを生み出すのだ。
――まあ、いつかはそんな日も訪れるのかもしれない。
何十、何百、何千……どれだけの月日を必要とするかは分からないが、きっと。
気付けば、湖のほとりには綺麗な歌声が響き渡っていた。
歌姫から始まった歌はいつしか全員へと伝播し、独唱は斉唱へと変わる。
この日見たこの景色は決して色褪せるようなものではなく、ずっと私たちの心に残り続けるだろう。
神界での何気ない日常の中、この7人で見たどこまでも続く星空の記憶は――。
 




