01 神界での日常 ③
午前中いっぱいは部屋の中でみんなと遊び、昼食として私とヒバナで一緒に作ったカレーライスを食べた。
――そう、カレーライスである。
元々この世界にはない食べ物ではあったがどうにか再現できないかと私の持つ知識や記憶、様々な伝手を頼りにしながら頑張った結果、未だ完成とは呼べないもののどうにか近い味を再現することはできている。
みんなも甚く気に入ってくれている料理であるので、どうにか完成させてあげたいところである。
また、カレーライスに使うお米をはじめ、食に関係する様々なことに手を出しているがそれについては今はいいだろう。
昼食をとった後は外に出たダンゴとコウカを除いた全員でリビングに集まっているが、揃って何かをしているわけではなく、今日はそれぞれが思い思いの過ごし方をしていた。
「ふんふふ~ん」
私の隣ではヒバナが鼻歌交じりに手を動かし、ハンカチに刺繍を施していた。
最初に私に教えを乞うてからずっと続けてきただけあって、ヒバナの手芸の腕は相当なものだ。
それを証明するように今現在、ハンカチに複雑な装飾を施していく彼女のその手に迷いは一切見られない。
だが難しい作業をしている分かなりの集中力を要するらしく、本人も知らないうちに鼻歌がこぼれてしまっている。
もし正気であれば、恥ずかしがり屋なこの子がこんなにもかわいい鼻歌を惜しげもなく私たちに披露してくれるはずがない。
でも今回のように聞く機会は意外と多いので、微笑ましく思うくらいでいちいち指摘することもなかった。
「ん……ぅ……」
不意に布の擦れる音が聞こえてきたため、そちらに軽く目を向ける。
どうやらシズクの太腿を枕にして昼寝中のノドカが寝返りを打ったようだ。シズクのお腹に顔を埋め、さらにはぐりぐりと押し付けている。
ずっと本を読み続けていたシズクもそんな妹の行動には口角を緩め、ブラシをかけるようにその頭を優しく撫でまわしていた。
――その時、シズクの袖が横から伸びてきた手によって抓まれる。
「……姉さん、姉さん。これ……どういうこと?」
「ん? ……ああ、これはね――」
朝食の前に言っていた通りアンヤはシズクと横並びに座り、読書をしていた。
本を読み進めていくうちに理解できないことがあったのだろうか、彼女はシズクに文面を見てもらいながらその解説に耳を傾けている。
「――ってことなんだよ」
「なるほど。……やっぱりシズク姉さんは何でも知ってる」
「アンヤちゃんだってその本難しいのにどんどん読み進められちゃうんだからすごいなって思うよ。たくさん勉強してるんだね」
「うん……頑張った」
表情を緩め、どこか誇らしげな雰囲気を纏うアンヤ。その頭にもノドカと同様にシズクの手が伸びていた。
――まさに“両手に花”といったところか。
アンヤはアンヤで撫でられつつ、いつの間にかシズクと一緒にノドカの髪を控えめな手付きで撫で始めており、今は本を読むよりもスキンシップを優先することにしたようだ。
そのような光景を見ていると私の心も疼いてしまう。
そうして甘えたがりな私が顔を出し始めていたのだが――。
「出来たっ!」
――急に大きな声を上げたヒバナによってストップが掛けられることとなった。
彼女の手元では綺麗な花柄の刺繍が施されたハンカチが広げられており、その刺繍が彼女の手によって施されたものであることを示唆している。
もっとよく見せてもらおうと思い、そうヒバナにお願いしようとしたのだがどうやらその必要はないようだ。
「どう、どう? 今回は自分でも特に上手くできていると思うの」
うきうきとした様子で自分から見せびらかしてきたヒバナの手からそのハンカチを受け取り、全体的な意匠や裏面もじっくりと確認する。
「うん。綻びもないし、デザインも素敵ですごくいい刺繡だね」
「そ、そう? ありがとう……嬉しい」
顔を赤らめてはにかむヒバナにハンカチを返すと、彼女はそれを何度も見返しはじめる。そしてその度に笑みを深くするのだ。
「わぁ~かわいいお花~」
昼寝から目を覚ましたノドカは真っ先にヒバナの持つハンカチに興味を示したようだ。
それに気を良くした様子のヒバナはノドカによく見えるようにハンカチを広げてみせる。
当然シズクとアンヤからもしっかりと見えるようになり、その2人も関心を示しはじめた。
「へぇ、本当によく出来てるね」
「でしょ、でしょ?」
「それってダンゴちゃんのハンカチだよね? いいなぁ……あたしのもやってもらおうかな」
「もちろんいいわよ。やってあげる」
素直に感心したような声を上げたシズクからは余程あの刺繍が気に入ったことを読み取れた。
「アンヤのも……やってほしい」
「わたくしも~」
「だったらあとで一緒にどんなデザインにするか考えましょう? シズもね」
あそこまで手の込んだものは初めてのはずだし、あれを見ればコウカも羨ましがって強請るはずだ。
なら私はみんなの分が一通り終わった後にお願いしてみようかな。
さて、私が手掛けている作品も完成間近だし、ここはひとつ気合を入れてラストスパートをかけるとしよう。
でもその前に――。
「そろそろお風呂を沸かしておこっか。あの子たち泥だらけになって帰ってくるだろうし、今日は外も暑いしね」
「なら私が行ってくるわね。もう洗ってはいるんでしょ?」
「うん。だから軽く水で流すだけで大丈夫だよ」
「ん、了解」
この家のお風呂は全員で広々と寛げる大きさの浴室だ。その分、掃除は大変だがそれに見合うだけのものをもたらしてくれる癒しの空間である。
ヒバナが退席したことでシズクとアンヤの関心は次第に本へと戻り始めた。
ノドカも目を覚ましはしたものの依然として寝転がったままであり、視線だけが私のことをぼんやりと眺めている。
私はそんな彼女から見えないように手元だけを隠し、作業を続けた。
そうして集中を続けること一時間弱――ついに完成の時が訪れた。
「よし」
出来上がった最後の一体の出来栄えをしっかりと確認した私は《ストレージ》の中から残りの子たちを取り出して立ち上がる。
目指す先は天板の上に2つの写真立てだけが飾られているシェルフだ。そこに取り出した子たちを置いていき、写真立てが中心となるように位置を調整する。
――うん、いい感じ。
確かな満足感を得た私が振り返ると、リビングにいた全員の視線がこちらに集中していた。
その中から代表するようにヒバナが口を開く。
「それがユウヒの作っていた物? ……ぬいぐるみ?」
ずっと隠しながら製作していたため、疑問を抱くのは当然なのだろう。ならここでしっかりと紹介しなければならない。
私にとってこの子たちは自信作なので、胸を張って紹介できる。
私は並べたぬいぐるみのうちの1体を手に取った。
最初に紹介するこの子は明るい黄色が特徴的な――デフォルメコウカちゃん人形だ。
「こんにちは。わたし、コウカです」
コウカの声色を意識した言葉を発しながら、その頭で私の口が隠れるくらいの高さまで掲げたコウカちゃん人形を左右にフリフリと揺らす。
そうしてみんなからの反応を待っていたのだが、少し待っても誰からの反応もない。
みんなはどこか唖然としながらコウカちゃん人形を眺めていたのだ。
「いや、そのモノマネ全然似てな――じゃなくて! それってユウヒが作ったの!? なにそれ!?」
真っ先に復活したヒバナがこちらに駆け寄ってきてはコウカちゃん人形を眺めはじめたので、そのまま彼女に手渡してあげる。
「すごい……小さいコウカねぇだ」
「こっちの子たちは……もしかしてあたしたち全員の……?」
遅れてこちらに集まってきた残りの3人もそれぞれが思い思いにぬいぐるみたちを眺めている。
「ねぇお姉さま~、この子~抱きしめてもいい~?」
「もちろん。遠慮しないで好きなように抱っこしてあげて」
「わぁ~……ふわふわ~」
ノドカちゃん人形を抱きしめたノドカがその表面に頬ずりをしている。
肌触りの良い素材を使っているので、触り心地も最高なぬいぐるみたちだ。ノドカもお気に召した様子である。
「……かわいい」
アンヤも自分をデフォルメしたデザインの人形を手に取ってはその表面を撫でて肌触りを楽しんでくれているようだ。
そしてシズクも最初の方は様々なぬいぐるみを手に取っては頬を緩ませながらじっくりと眺めていた様子だったが、ヒバナちゃん人形を手に取った状態でしばらくすると何やらほくそ笑みはじめた。
――あれは何かイタズラを思い付いた時の顔だ。
シズクの視線がヒバナちゃん人形から本物のヒバナへと移り、次にその手に抱かれたコウカちゃん人形へと移る。
今、ゆっくりとヒバナちゃん人形がシズクの手によって掲げられ――。
「コウカお姉ちゃん、大好きっ! ぎゅぅぅ」
「――ッ!?」
思わず凍りつく。
私たちの視線の先、そこにはコウカちゃん人形に抱き着いてぐりぐりと体を押し付けるヒバナちゃん人形の姿があった。
でも、問題の本質はそこではない。問題は先ほどシズクから発せられたであろう声にあったのだ。
これは彼女が時折イタズラに使う手段なのだが、シズク曰く声の出し方を工夫すれば声質のそっくりなヒバナの声を真似することができるというのだ。
つまり先ほど発せられた言葉はヒバナと非常によく似た声音で発せられている、ヒバナが絶対に言わないであろう発言であったというわけだ。
「な、なな、な、何言って……っ!?」
気付けば茹蛸の如く顔を真っ赤にしたヒバナがわなわなと唇を震わせている。
それが本当に面白いようで、シズクは肩を震わせていた。
「そ、それ、私のつもり!? モノマネするならもっと寄せようとしなさいよ! とにかく離れなさいってば!」
「きゃー」
ヒバナがコウカちゃん人形からヒバナちゃん人形を強引に引き剥がそうとしている。
だがシズクの方も絶対に離すまいと抵抗を続けている様子だ。
そこに思わぬ方角から援護射撃が飛んでいく。
「ヒバナちゃんが~かわいそうですよ~……ヒバナお姉さま~……」
「ノドカまでシズの悪ふざけに便乗しなくていい! 本当にかわいそうなのはヒバナちゃんじゃなくて私なの!」
物悲しげな表情で姉へと訴えかけるノドカ。
それに対するヒバナの発言もどこかややこしい。
「……大好きな人と、無理矢理引き離されるのは悲しいこと」
「ぐっ、その微妙にツッコミづらい感じ……まるで私が悪いみたいになっちゃうでしょ……!?」
基本的に真面目なアンヤは冗談ではなく本気で言っていることがあるので、ヒバナもバッサリと切り捨てていいものか決めかねているらしい。
「……いいわよ、そっちがその気ならこっちにも考えがある」
そう口にしたヒバナはコウカちゃん人形をシズクへ押し付けるとシェルフの上に手を伸ばし――シズクちゃん人形とユウヒちゃん人形を手に取った。
「ふぅ……ユウヒちゃん大好きだよっ!」
「いひぁぁ!?」
シズクは双子であるヒバナの声音を真似することができる。だったらヒバナもシズクの声色を真似できないはずがないのだ。
「あ、ああ、あぁ……」
一瞬で顔を紅潮させて口をパクパクとさせているシズクとしたり顔のヒバナ。
不意打ちだったということも大きいのだろうか、どうやらヒバナの反撃は効果があったらしい。
まさか両者が刺し合うような形になるとは思わなかったが、このまま決着を迎えるだろう――そう思っていた私であったが、事態は思わぬ方向へと向かっていく。
「コウカお姉ちゃん大好き!」
「なっ!?」
なんとシズクはそのままヒバナを刺し返したのだ。
だがここで終わるヒバナでもなかった。
「ユウヒちゃん大好き!」
「っ……コウカお姉ちゃん好き好き!」
「ぁぅ……ユウヒちゃん好き好き好き!」
「うぅぅ……コウカお姉ちゃん好き好き好き好き!」
それぞれが相手の声音を真似して言葉をぶつけ合っている。
――なにこの勝負。いったい誰が収拾をつけるんだ。
そう思っていたのはきっと私だけではない。
先ほどはシズクに便乗してヒバナを揶揄っていたノドカも困り笑いでその光景を眺め、アンヤも手に持ったアンヤちゃん人形のように固まってしまっていた。
そこに思わぬ救世主が現れる足音が聞こえはじめる。
……いや、下手をすればさらに場を混乱させかねないけど。
「お姉ちゃんもあなたのことが大好きですよ、ヒバナ!」
そんな言葉と共に登場したのはコウカである。
髪を濡らし、肩にタオルを掛けている様子から私の気付かないうちに帰ってきてお風呂に入っていたらしい。
「コウカねぇ!? いやっ、ち、ちがっ、さっきのはシズが私のモノマネを――」
「ヒバナの気持ちはちゃんと伝わっています。あまり口にしてはくれませんが、お姉ちゃんにはわかっていますよ」
「だからわかってないんだって!」
あの2人のやり取りを見つめるシズクからは安堵するような様子が読み取れた。
彼女はヒバナちゃん人形とコウカちゃん人形を片付けると振り返り、私の顔をチラッと確認したもののすぐに顔ごと目を逸らしてしまった。
思えば、シズクはあまり言葉で好意を伝えてくれることがない。相手に言葉で好意を伝えるのは慣れていないと意外と照れくさくなるものだ。
顔がまだ赤くなっているあたり、ヒバナの口からとはいえ自分の声で好意を伝えるというシチュエーションが相当恥ずかしかったのだろう。
――最初にあの戦いを始めたのはシズクなのである意味、自業自得なのだが。
「えへへ~アンヤちゃん~すりすり~」
「ん……ノドカ姉さん、よしよし」
ノドカとアンヤはあのよく分からない戦いが終わったあたりから自分モチーフのぬいぐるみを使った人形劇のようなことをして遊んでいた。
まさにこれこそがぬいぐるみを使った健全な遊び方だといえるような遊びを。
「――ねぇ、コウカ姉様ぁ! ボクの髪、まだ途中なんだけど!」
コウカが帰ってきて、お風呂にも入っていたということは当然ダンゴも一緒に入っていたのだろう。
あの子の言葉から察するにコウカはダンゴの髪を乾かしてあげている途中でヒバナの――正確にはシズクの出した声だが――“好き”コールを聞いて飛び出してきてしまったらしい。
ぷりぷりと怒った様子でリビングに入ってきたダンゴは下着姿。
流石にそんな格好をいつまでも続けさせておくわけにはいかないので、私が別のことに夢中になってしまったコウカの役割を引き継ぐことにしよう。
「ほらダンゴ、そこに座って。私が続きをやってあげる」
「あ、ホント!? じゃあお願い、主さ――」
「――ちょっと待ったっ!」
ダンゴの言葉を遮った者の正体、それは勘違いしているコウカに対して弁明を続けていたヒバナだった。
彼女は凄まじい勢いでダンゴの手を掴むと、部屋の外へと出ていこうとする。
「ユウヒ、私に任せて! ダンゴ、脱衣所に行くわよ!」
「わわっ、ヒバナ姉様!?」
どうやらヒバナはこのままコウカから逃げようとしているらしい。
流石にコウカもヒバナが目の前にいなければ次第に落ち着いていくだろうし、私も少し場を落ち着かせるためにもフォローしておいてあげよう。
そうして私の予想した通り一度は落ち着いてくれたコウカであったが、私の作ったぬいぐるみたちを見ると興奮した様子ですごく喜んでくれた。
ヒバナと一緒に戻ってきたダンゴも同様で、それらを作り上げた私は誇らしい気持ちでいっぱいになるのであった。
続きます。




