01 神界での日常 ②
階段を上り切った私はあの子たちの部屋の前に立っていた。
――さて、声を掛けてくると言ったのはいいが誰の部屋から尋ねるべきか。
まだ起きてきていないのはヒバナとシズク、ノドカ、そしてダンゴだ。
その中でもノドカとダンゴに起きてもらおうと思うと少し手間取るだろう。ノドカと一緒に寝ているであろうヒバナも今日ばかりは除外だ。
「シズクかな」
独り言を呟きつつ彼女の部屋の前まで辿り着いた私はドアノブに手を掛け、音を立てないようにゆっくりとドアを開ける。
「入るよ、シズク――あれ?」
シズクの部屋は壁一面を占領する大型の本棚。
資料となる本が何冊も天板の上に積み重ねられた机。
そして彼女の色である青を基調とした色合いの寝具一式が整えられたベッドといった実に彼女らしい内装となっている。
目を引くのはやはり大きな本棚だが当然あの子の所持する本全てを格納することなどできないので、いつかは大きな図書館を作りたいとか――ってそんなこと今はいい。
「……どこ行ったの?」
あの子はコウカと違って気が向いたからと1人で散歩に行くような子ではないが、好奇心に駆られて外出したという線もある。
そう思って繋がりを確認してみるが、どうやらあの子はすぐ近く――つまり家の中にいるということが確認できた。
なら他の子の部屋で一緒に寝ている可能性が高いか。
――声を掛けて回っていれば見つかるだろうし、とりあえずシズクは後回しにしようかな。
「お邪魔しました、っと」
シズクの部屋から出た私が次に足を向けたのはダンゴの部屋だ。
そして先程と同様に音を立てないよう静かにドアを開いた瞬間――私の鼻孔へ優しい香りが飛び込んできた。
この香りはダンゴが最近になって作り始めたポプリによるものだろう。あの子は神界に花畑を作るだけではなく、こういった小物を作るなど日々楽しそうに植物の事を勉強しているのだ。
そんな彼女は今、ベッドの上で布団を抱き込むような体勢で熟睡していた。実に穏やかな寝顔である。
――かわいいなぁ。
小さな体をさらに縮こまらせるようにして眠るダンゴのあどけない寝顔を眺めていると、つい頬が緩んでしまう。
そうして本来の目的を完全に見失ってしまった私はベッドの側で膝を曲げ、ダンゴの頬へと手を伸ばしていた。
「ん……みぅ」
触れたその一瞬だけ若干眉をひそめたダンゴであったが、すぐにその表情は穏やかなものへと戻る。それどころか、私の腕を求めるような仕草まで始めた。
――このままそっとしておこうかな。
少し悩んだが、やっぱり声くらいは掛けるべきだと気持ちを切り替える。
「ダンゴ? ダンゴちゃん?」
なかなか目を覚まさないが、根気強く呼び掛け続ける。
そしてついに――。
「んぅ……あるじさま……?」
「おはよう、ダンゴ」
一応、目を覚ましたということでいいのだろうか。私のすぐ目の前にはとろんとした目をしたダンゴがいる。
でもその表情からも分かる通り、随分とぼんやりしている様子からまだ意識は半分夢の中にあることが読み取れる。
「朝ごはんできてるよ。どうする?」
私の言葉をゆっくりと咀嚼しているのだろう。
返答のないまま数秒の沈黙が流れた。
「…………たべる」
「よし」
起きる意思を示したダンゴを起き上がらせる手助けをするために私が立ち上がり、手を差し伸べるとダンゴも寝そべったまま両手を上に伸ばしてきたため、その手をしっかりと握る。
「おっとと」
そうして起き上がらせたまではいいものの、その勢いのままダンゴがこちらに倒れ込んできたのでそれを体を使うような形で受け止めた。
眼下のダンゴに視線を向けるが、この様子だと完全起動までにはまだ時間が掛かりそうだ。
「今日はコウカと一緒にお花の手入れをするんでしょ? ほら、頑張って起きないと」
「ん……コウカねぇさまと……いっしょに……」
ダメそうだなぁ。
このままでは埒が明かないためダンゴの体に腕を回して、少々強引に立ち上がらせる。
四苦八苦しながらもどうにか立ち上がらせることができた私はダンゴの肩を抱きながら部屋を出た。
「――さて、と」
ノドカの部屋を訪ねる前にダンゴを1階へ下ろすべきだよね。
二度手間になるけど仕方がない。1階にいる子たちに手助けを求めることもできるが、わざわざ2階に上がってきてもらってまで頼むことでもない。
――だがそんな時だ。2階にある1つの部屋の扉がゆっくりと開く。
そしてそこから廊下の様子を窺うように顔だけを出した人物の視線と私の視線が交差した。
「あ……」
「え……シズク?」
視線の先で口を半開きにしたまま固まってしまったその人物はなんとシズクだったのだ。
だが私が驚いている理由の大半は彼女が出てきた部屋にあった。
――どうして私の部屋から?
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。固まっていたシズクが今度は忙しなく身振り手振りや口を使っての弁明を始める。
「あ、えと、その…………ゆ、ユウヒちゃんってばもう起きていたんだねっ。起こそうとして部屋に入ったら誰もいないからびっくりしちゃったよ」
「ごめんね、今日は早起きしたから。……えへへ、でも奇遇。私もさっきシズクのことを起こしに行ったら中にシズクがいなくてびっくりしたとこだから。私のこと起こしに来てくれてありがとう、シズク」
「う、うん……どういたしまして……」
少し不自然というか、どこか釈然としない気持ちもあるが深く考えるほどの事でもないだろう。
事実、シズクが私を起こしに来てくれるというのは珍しいことでもない。
だから日頃の感謝も込めて礼を言ったのだが、どういうわけかシズクは少しバツが悪そうにしていた。
「えっと……もしかしてみんなを起こして回っているの?」
廊下へと出てきたシズクが首を揺らすダンゴを見つめながらそんな疑問を呈したので、私は現状を軽く説明する。
「うん、そうだよ。あとはヒバナとノドカだけかな。……まあ、ダンゴはまだこんな感じだけど」
「あははは……ダンゴちゃん、昨日少しだけ夜更かししちゃったからね。あたしももっと早く寝かせてあげるべきだったかも」
「ああ、そういうことだったんだ」
今日の土いじりに関してシズクに相談していたといったところか。
大方、コウカも手伝ってくれるからと張り切りすぎてしまったのだろう。
「ねえ、シズク。ダンゴのこと頼んでもいいかな? 私はノドカとヒバナを起こしてくるよ、朝ごはんもできているから先に食べちゃってね」
シズクは私の言葉に頷くと、ダンゴに向かって両腕を広げた。
「ダンゴちゃんおいで」
その言葉に引き寄せられたダンゴがシズクの体に抱き着く。
そんな妹を見てシズクは笑みを深くした。
「それじゃあ――」
「シズクねぇさま……あるじさまの匂い……」
「へっ!?」
――どういう意味だろう?
シズクに抱き着いた状態で鼻を鳴らしたダンゴの発言に首を傾げる私。
だがシズクの方は疑問を抱いた様子はなく慌てた様子でダンゴと私、双方の顔を交互に見続けている。
「そ、そそ、そんなわけないよっ。ま、まだ寝ぼけちゃっているんだねダンゴちゃん! 下に降りよう? そ、それじゃあユウヒちゃん、またあとで!」
ダンゴの体を強引に抱き上げ、嵐のように去っていくシズク。
この場にひとり残された私には困惑しか残らなかった。
「……私の匂い?」
袖口を自分の鼻に押し当てて匂いを嗅いだところで何かが分かるはずもなく、本当にダンゴが寝ぼけていたんだろうと結論付けてそれ以上考えることをやめた。
――さて、本来の目的通りノドカたちに声を掛けるとしよう。
「お邪魔しまーす……」
「いらっしゃい~……」
何も言わずに部屋に入るのは良くないと思っただけなのに、まさか返答が返ってくるとは思わなかった。……それもノドカからとは。
ニコニコと満面の笑みを浮かべてこちらを見ている彼女はベッドの上に寝そべっていた。
そしてそんな彼女に縋りつくようにして眠っているのはヒバナだ。ああやって何かに縋りながら眠るのは本人の知らない癖のようなものである。
私がじっくりとヒバナの寝姿を見つめているとノドカの方に動きがあった。
一緒に眠っているヒバナの体に添えられていた手、それがこちらに向かって差し向けられたのだ。
――どうやら起こしに来てくれということらしい。
拒む理由などこれっぽっちもないので、ゆっくりと近づいてその手を取ろうと私も手を伸ばした瞬間――私のお尻に何かが触れてゾワッとした感覚が体を駆け抜けていく。
「ひゃっ!?」
思わず飛び上がってしまった私は瞬時に振り返り、自分の背後を確認する。
だがそこに誰かが立っているわけでもなかった。
そしてほとんど反射的に視線を下ろした時、今度は奇妙なものを見てしまう。
「へっ? ……あっ」
瞬間的に私は全てを察した。
視線を正面に戻すと、相変わらずニコニコとしているノドカがいる。私が騒いでいたことに動揺している様子もない。
――やられた。
これは空間魔法を使ったこの子のイタズラだ。
要するに私のお尻を触ったのは私自身の手。思い返せば手先に何かが触れた感覚もあった。
「むぅ……」
頬に集まってくる熱を誤魔化すように頬を膨らませて抗議する。自分のお尻を触って騒ぐなど、私がどれだけ恥ずかしい思いをしたと思っているのだ。
声には出さずに口だけを動かして「ごめんなさい~」と伝えてきているが、その顔に浮かんだままの笑みはなんなのだ。
「ん……ノドカ……? ぁ……ユウヒ?」
先程の騒ぎのせいか、ノドカと私で無言の応酬を繰り広げているうちにヒバナが目を覚ましたようだ。
やや寝ぼけた目付きの彼女は最初にノドカを見て、次に私に視線を向けてくる。
――そして自分がどういった態勢で寝ているのかに気付いたようで僅かに頬を赤く染めた。
「おはよう、ヒバナ。ノドカもね」
◇
食卓では現在、遅れて目を覚ました4人と私の後続組が朝食を摂っていた。
「もう、髪についちゃうわよ」
「ヒバナお姉さま~優しい~」
トーストを手に持ってかぶりついているノドカの髪が汚れそうだったため、ヒバナが手で背中側に流してあげていた。
ノドカもそれには非常に嬉しそうにしている。
一方で一番髪の長いダンゴの方も寝ぼけた状態では当然のようにノドカと同じような状況になったため、私とシズクですぐさま対応した。
「2人とも、動かないでくださいね」
最終的にコウカが自分の後ろ髪を結んでいたヘアゴムとその予備を《ストレージ》から取り出してノドカとダンゴの後ろに回り込むと、慣れた手つきでさっと髪をまとめてあげていた。
「コウカお姉さま~ありがとう~」
ノドカも機嫌が良さそうに体を揺らしながら食事を再開する。
「こら、食べている時くらいおとなしくしなさい。ほら、パンくずも落として。気を付けなさいっていつも言っているでしょ」
「……ヒバナお姉さま~少しうるさい~」
「なっ」
どうやらご機嫌なところに水を差されたのが気にくわなかったらしく、ノドカにしては珍しく苦言を呈する。
それに対して、心外だと言わんばかりにヒバナは唸る。
「ひーちゃんは普段から小言が多いんだよ、せっかちだからすぐ口に出すし」
「……そういうシズの方は普段からすぐに甘やかすじゃない。ほら今も」
ダンゴの頬に付いたシロップを甲斐甲斐しく拭ってあげているシズクがヒバナから咎めるような口調で指摘を受ける。
これに関してはヒバナの言う通りで、シズクは妹たちには非常に甘い面がある。私としては別に悪いことだとは思わないが。
ヒバナに関してもそうだ。今回ばかりはタイミングが悪くてノドカが拗ねてしまったが、あの子の発言に間違っている点は見受けられない。
「……でもヒバナ姉さんはアンヤたちのことを思って言ってくれてる」
「そうですよ。そう邪険に扱うものでもありません、ね?」
アンヤの発言にコウカも便乗することにしたようだ。
私もずっと見守ってきたがこの辺りを落としどころにするべきかな。
「アンヤとコウカが言ったことはノドカもよくわかっているから大丈夫。そうだよね?」
頷いた彼女を見て、私は言葉を続ける。
「どうしても腹が立って反射的に言葉を返しちゃう時もあるけど、その言葉が自分の思っている以上に相手のことを傷つけているかもしれないんだ。でも伝えたいことを口に出すなってことじゃ決してなくて、そういう時は一度深呼吸してから言い方を少し考えるようにしてみようか」
「うぅ~反省します~……」
ノドカも今回みたいに反射的に厳しい言葉を相手にぶつけてしまうという経験は今まであまりなかったはずだ。なら今回の出来事はいい勉強になったと思う。
以前は人の顔色を窺いすぎるきらいがあったこの子にとってはこれも一歩前進だ。
冷静になって私の言葉をしっかりと理解してくれたようで、しゅんとしてしまったノドカをコウカに託し、次はヒバナに目を向ける。
「ヒバナも気になった部分に対してすぐ言葉にして伝えてあげたくなるのは分かるし、それが必要な時もあるけど今回はもう少し落ち着いてからでもよかったし、思ったことをそのまま口に出すんじゃなくて優しい言葉に変えてから指摘してあげてもよかったかもね」
「……そうね、無遠慮すぎたかもしれないわ」
2人は納得して互いに理解を示した。なら後は当人たちに任せても大丈夫だ。
「私の言い方、キツかったわよね。ごめんノドカ、これからはちゃんと気を付けるようにする」
「わたくしも~ついムカッとして~……言い過ぎました~……ごめんなさい~ヒバナお姉さま~」
ヒバナがノドカの頬に手を当てる。
するとノドカが微笑んでその手に自身の手を重ねたため、それに当てられたヒバナも笑顔を浮かべた。
これで一件落着だ。食卓には平穏が戻り、和やかな雰囲気が私たちを包み込んでいる。
――そして私の左手も机の上から伸びてきた温かい手によって包み込まれた。
少し驚いてしまうが、私は首を傾げながらどこか熱のこもった視線を向けてくる彼女の目を見つめ返した。
「えっとシズク、どうかしたの?」
「ううん……ただかっこよかったなって」
「え、さっきのが?」
「うん」
「そう……ありがとう?」
別に変わったことをしたつもりもなく納得してはいないものの、褒められているらしいのでとりあえずお礼は言っておいた。
そうしてこの状態がしばらく続き、手持ち無沙汰になったため今度はこちら側からシズクの手を握り返してみたのだがその途端、彼女は顔を真っ赤にして離れていってしまった。
――なんだったんだろう。
まだ続きます。




